昨夜は遊声塾のレッスンの日で、レッスンの日は必然的に寝るのが遅くなり、早起きができなくなるのだが、ほぼ普段と同じように目が覚め運動公園の声出しは後回し、パソコンに向かっている。
昨夜は山陽新聞の文化家庭部の記者の方が、突然見学に来られたこともあり、本番まであと2週間と少し、極めて密度の濃い稽古が、ようやくにして展開した。
見るのと聴くのとではこうも違うかと思われるかもしれないが、シェイクスピアのエネルギーのこもった、登場人物のセリフをよどみなく肉体化し、途中休憩も入れて3時間近く、わずか7名で、声を発し持続するのは、半端な集中力ではまず無理である。
今でも思い出す、塾を始めた当初の発表会では、聴いておられる方が居眠りしていたがおられたし、退屈そうにしておられる方もいた。
でも塾を始めて5年目の今年は、ちょっとではあるが、ひいき目ではなく前進している実感がある。(こんなことを書くと恥ずかしいが、最近塾生が愛おしく感じられる )
昔かって本棚に眠っていた本が復活している |
それは塾生だけではなく、私自身もこの5年毎週水曜日(以外にも)声を出し続けてきたおかげで、何やらちょっと前進の感じなのである。何しろ大変な根気がいる声出し塾に、参加されている塾生の変化は、指導する私自身を間断なく学ばせ続ける。
指導するには、まず私自身が根気よく学び続けなくては、ただの一人も塾生の参加は望めないのではという自戒である。謙虚に思う。私の塾に参加してくださる塾生の少しでもお手本になりたいのである。それだけである。
自己肯定、自分というかけがえのない存在の魅力をあきらめずに掘り当ててほしいのである。面白くなかろうが、退屈であろうが、苦行であろうが、何といわれようが、、自分を信じて声を出すのが、遊声塾の終わりなきレッスンなのである。
とりたてての秘策なんてない、あえて言えば作品に惚れるか否かである。そして愚直になりふり構わず、自分を大切に生きて声を出す。
まず何はともあれ、私自身がまっさらな気持ちで、作品世界のすべての登場人物の セリフを声に出して読むところから、作品によじ登ってゆく。
ああでもない、こうでもないと、ただただ登場人物の声のトーンを繰り返し文体に沿って想像し声を出し続ける。これしか私にはほかに方法がないのである。
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