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2018-06-14

梅雨の晴れ間、早朝、リアのセルフと格闘する。

昨夜は遊声塾の日で、午後6時から3時間半以上を天神山の教室で過ごし、もどっても躁状態で休んだのが遅かったのだが、外が明るくなると体が目覚め、まだねむかったのだが、起きて逍遥声出しを済ませ、朝食を終えての五十鈴川だより。

最近は、朝夕2回声出し散歩をするようになってきつつある。やはりリア王の発表会が近づいてきたからなのだと思う。本当にあるテンションをキープしながら、かぼそい体で声を 出し続けることは、難しい。

昨夜も、かなり細かい指示を、繰り返し出しながらの稽古が続いた。かかれている登場人物のセリフを、まるで生きているかのように声に出すことは、何度も書いているが、至難なことなのである。叱咤激励、自分にもダメを出す。

人間の置かれた状況の変化で、限りない理不尽さや、不条理、苦悩、怒り、懊悩、人間の根源的な多面的感情が、各登場人物の言葉で、随所にこれでもかと、リア王芝居は展開する。
以前から読みたかった本、絶望的に面白い。

家族の崩壊、娘たちに裏切られ、精神が病み、狂気のふちをさまよう 老王リアの内面に迫り声を出すことは、私にとっては丸腰でかなりの高さの山に登ることに等しいくらい、至難である。

苦しいのだが、66歳の今だからギリギリ恥をかいても声に出して、塾生と共に挑ませる、いまだ古びない現代性と普遍性が、リア王という作品にはある。

10行くらいのセリフを記憶することは、さほどまだ困難ではないが、そこから先、その言葉を血肉化してゆく作業が限りなく遠いのである。

真摯に、変化する初老の肉体を引きずり、向かい合い台詞と格闘する。 梅雨の晴れ間、早朝の緑の広場での声出しを、苦楽する。

終えると、周りの緑が一段と新鮮に感じる。それは起きた時とは体が変わっているからだ。

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