40代、ジャンベ(両方素手でたたく薄型の)の名人ママディ・ケイタを生んだ国ギニアと、サバール(タムタムともいう)という左手に細いばちをもってたたく名人、ドゥドゥ・ニィジャエローズを生んだセネガルを旅をすることができた。(私の人生でこの名人二人に出遭えたことはささやかな誇りである)
ジャンベ |
1996年、西洋音楽文化圏の国とはとはまるで異なる、砂ぼこりが舞い上がる悪路を、ジープで一泊二日ギニアのママディ・ケイタのふるさと、バランディグ村まで、600キロ走った。
今となっては、生涯で最も記憶に残る、私にとっては過酷な旅の記憶が蘇る。中国新聞に旅の報告体験記を6回連載した記事、今となっては宝物である。
つたないながら、よく6回も書けたのは、観光旅行ではない初めての西アフリカギニアへの旅 が、現代日本人の私にとって、あまりに異なる原初への回帰を思わせる感動の旅だったからである。
セネガルで買ったサバール(タムタム) |
今となっては、よくもまあ日本から遠く離れた、 アフリカ大陸の情報の少ない未知の国を旅をしたものだと、できたものだとの感慨に襲われる。無知だからこそ、強烈な印象が記憶化される。
タイミング、ご縁、意外性の連続との遭遇、好奇心のなせる男心の発露。この年齢で思うことは、つくづく思い切って出かけて無事に帰ってきたことへの感謝である。(ゆかせてくれた妻には感謝しかない)
いまだにニュース映像他、私が編集された情報に極めて懐疑的なのは、自分の体を通して得た第一次情報こそが、真の情報に限りなく近いという思いがあるからだ。
ともあれ、距離的に遠く離れ、気候風土のまるで異なるアフリカへの旅、インドへの旅(インドも3回旅をすることができた)が私に強烈な、日本以外の国々に生きる人間の強靭な魂の地に足の着いた凄さ、世界の広さ、豊かさ、かけがえのなさを、感じさせたことは、今に至るも間違いない。(日本にいるとどこか感覚が浮ついてくる、一方的に与えられた情報をうのみにする危険性)
今夜のセネガルと日本の戦いは、いろんな意味で興味深い。勝ち負けとは別な次元で、あの野生の獲物を一瞬でとらえる嗅覚は、 過酷な大地の上で太古から裸足で動き回り、生き続けてきて、生き残った者たちだけが手にした、しなやかで強靭なまさに現代人がなくした野生感覚。
豊かな日本の風土で、ひ弱にのんびりと育った自分を思い知らされたアフリカの旅。わずかな実り、収穫、食べ物を家族で分かち合い、目に見えない神に感謝をささげ、太鼓を打ち鳴らし、大地の上で踊る。本当に西アフリカの旅からは、根本的に生き方まで考えさせられた。
以来、わずかな滞在の旅であったとはいえ、今に至るも私のライフスタイルは、アフリカがお手本、限りなく シンプルである。(20代での初めての1年4か月の英国自費留学と欧州への旅のこともいずれ折々書いておきたい)
長短はあれ、折々 努めて世界の風の中に身を置いてきたことは、今となってはやはりかけがえがない。ずいぶん遠い国に出掛けていないが、節約して身体が動くうちに世界の風の情報に、身をさらしたく夢見る。
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