ページ

2018-05-30

梅雨入りを思わせるあさ、とりとめなき五十鈴川だより。

曇り空、梅雨が近いことを思わせるようなお天気である。外に出たら雨が落ちているので、逍遥声出しは屋内ですることに。

さていきなりだが、声を出すことも、本を読むことも、弓をひくことも、集中力と持続力のキープが肝要であることが、この年齢になると実によくわかる。

五十鈴川だよりを書くにも、精神集中力が要る。それを支えるのは一言でいえば、身体の力であると痛感するようになってきた。
最後の蔓バラを愛でながら書く

だから、何事をなすにせよ。一定時間体に負荷をかけて、体力をキープすることが今の私にとっては何よりも必要なことである。

還暦までは、さほど意識することはなく動いてくれた体が、意識に負荷をかけないと(あえて意識を盛り上げる)なかなかに意識も、動かなくなるということが徐々にわかってきた。

だからなのである、無理のない範囲で、休んでは体に負荷をかけるようなことを、唯一無二のわが体に、課しているのである。それをやれる誰にも邪魔されない、唯我独尊的に過ごせる時間が、わが人生にようやく訪れたのだからそれを楽しまない方はない。

昨日できたことを、何とか今日も持続する。続ける、それだけである。毎日ではないが一番長く続けているのは、もちろん五十鈴川だより、次が声出し(最近ではシェイクスピアにとまらない、いろんな文章を声に出す)弓も何とか一年が過ぎた。(弓は深い)

書いてはいないが、ほかにも体に関して継続してやっていることがいくつかあるのだが、それはまたおいおい書くこともあるかとも思うが、本日は割愛。

さて、佐藤優先生(年下であろうが、私にとっての先生)や、出口治明先生のおかげで、ずいぶんと読む本が変わってきたような最近である。
机でなにかしてる昼寝氏に来る花、だんだん私も猫化してきた、

あえて、これまでは読まなかった、苦手だと思い込みがちな著者の(例えば藤原正彦さんの本なども、虚心坦懐に読むようになった、うなずくことも多々あった、教えられた、そして大笑いした)本なども、まずは(相手の内在的論理を知る、佐藤先生に教わった)何でも手にするように心がけている。

何か月か前、数学者であられた岡潔先生のエッセイなども初めて読んだのだが、人間的な魅力が随所に垣間見れて、同じ人間なのであると安堵し、一芸に秀でた方はやはり、文章も素晴らしかった。無駄のない研ぎ澄まされた論理的な一文は、その方の全人生が生み出したものとわかる。だから残る。

知る(学ぶ)ことによって、世界の素晴らしさをもっと深く感じられる人間になるべく、本を読み、散歩できる体力を、一日でも長くと願う、無所属一個人として。


2018-05-28

本橋成一氏と再会する日の、朝に思う。

外は曇り、今日は今日の何やらの空気感で、わが五十鈴川だよりは流れてゆく。まずは朝一番のルーティン的、声出し時間を終え、シャワーを浴びての、静かなブログタイムの訪れは、すっかり初老の体の精神調節機能の役割を果たしているかのようである。

脳トレなどという言葉が、こんなにもはやるかのようなご時世は、私は苦手である。リアの言葉に在るが、人間も自然には勝てぬのである。有限だからこそ、無限的なもの、普遍的なものに憧れる。

やがては元の木阿弥に 帰するからこそ、人生は素晴らしいのである、との側に私は立つ。死。果てしのないかなたから、お迎えがやってくるからこそ、今日をいつくしむ。

パスカルが書いていたことを誰かの本で読んで、深く同意しうなずいた。どこから来たかわからない自分という存在は、やがてどこにゆくかもわからないと。真の哲学者の言葉は限りなく素晴らしい。

もっと書けば、死があるからこそ生は輝くのである。小さきおのれの生を他者と比較したりなどせず(愚かである)この歳になるとただただありがたく、今日のわが命の有難さ、在り様をいつくしむのである。

歳のなせる業、このような以前だったら歯が浮くようなことを平気で書けるようになったのは、面の皮がただただ厚くなってきている証左だろう。

話は変わる。昨夜思いもかけぬかたからお電話をいただいた。声の主は本橋成一氏(写真家・映画監督)、明日岡山にゆくので夕飯でもという、ありがたきお誘いのお電話であった。
本橋成一市との出会いは【アレクセイと泉】

この歳になると、自然に在るがままに、首を垂れるように、過去にとらわれず、有限な未来時間をこそ大切にしたい。このような私に声をかけてくださるなんて。

本橋成一氏は飾らない、偉ぶらない、人間というか弱き立場に置かれた存在を限りなく暖かい目線で、フィルムに焼き付けてきた稀なお仕事を、今も継続されている畏敬する方である。

その方からのお誘い。ささやかな、私が取り組んできた仕事をきちんと見て、評価してくださる方がいる有難さ、ほとんどは忘れ去られるのが世の常であるのに、本橋成一氏は心のどこかに、私のことを記憶されていたのである。

ひさかたの再会、一期一会のひと時を、しっかり大切に記憶に刻みたい。



2018-05-26

凡夫の、裸足の老春、の朝に思う。

今年も次兄のおかげで、梅酒をつけることができた。夢が原退職後から、干し柿、ラッキョウ、琵琶茶づくりなど、手間や時間がかかることを、時間に余裕ができた今の暮らしの中で、可能な範囲で努めて手作りしようと心がけている。

妻はまだフルタイムで働いているので、今回初めて母の手を借りず、すべての工程を一人でやり、7・2リットルの梅酒をつけることができた。母をはじめ、何人かの方にも梅をおすそ分けすることができた。
大地の恵み・次兄に心から感謝する


話は変わる。今朝は曇りだったので、いつもより長く運動公園でリア王を読むことができた。

すでに書いたかもしれないが、我が家から運動公園まで往復で2キロくらいなのだが、この間歩きながらぶつぶつテキストを読む。公園では裸足になり、約一時間歩いたり立ち止まったりしながら、ときおり深呼吸しながら声を出し続ける。

ともかく、リア王はじめシェイクスピアの登場人物のセリフは、長いし、韻を踏んでいるので、その言葉を流ちょうに声を出すことは、何度も書いているが、息が浅くなっている初老の現代人である私には限りなく難しい。

正直、言葉の壁に弾き飛ばされて、遭難しそうになり、金魚のように息をパクパクする羽目になる、現在のおのれの姿が浮かび上がる中、もう丸5年も続けている。

なぜこのようなことをやっているのか?また 続けられているのかは、実は当人にもよくはわからない。ただちょっとだけわかっているのは、あの言葉の壁をよじ登りたいという自分がいまだいるという、それだけのことである。

あの膨大で、生き生きした言葉と格闘したいという、 体がいまだかろうじてあるということなのである。

今朝もなんとかやれたということが、ありがたいのである。ほかには何の意味もない。だが、5年も続けていると、唯我独尊、逍遥声出しの朝が、たまらなく贅沢ないっときに感じられる。


コンクリートの隙間に可憐な花(散歩の帰りに目に留まった)

ただ一人、天のもとで裸足で声を出す、初老の男。はたで見ていたら、何をやっているのだと、いぶかしく思われるのは必定である。

その証拠に、いつも私と同じような時刻に散歩されている方から、何をされているのですかと声をかけられたのである。(長くなるので詳細は省く)

逍遥、精神の散歩、たまたま、シェイクスピアを声に出しながらの散歩に過ぎないだけである。超デジタル時代のさなか、中高年の巡礼とか、歩くということが、大はやりの感がある御時勢だが、私はただただ、手の届く範囲で、あたかも巡礼感覚の、声出し時間を過ごしているだけである。想像力でたゆたう無限の世界への散歩。

裸足、これが私の声出しの時の喜びである。地面の上に裸足で立つ快感、私の健康声出し時間はもう限られている。もう来年はできないかもしれないのである。

【宮本研】(ご存命の時に文学座のアトリエで言葉を交わしたことがある)という素晴らしい劇作家の作品に、【裸足の青春】という作品がある。安堵のこころもちでこの世から見えなくなるためには、今しばらく【裸足の老春】にあやかりたいと、凡夫は願うのである。





2018-05-24

すぐ上の兄から見事な梅が届いた、そして思う。

このところ日々の暮らしが淡々と流れ、ほとんどルーティン的に流れてゆく。それが何だか気持ちがいい。身の回りの雑事をただただこなす。その誰にも邪魔されない時間がただうれしい。


パセちゃんのバラ(ほんとうに感動した)

若いころには、あんなにヒトや文化的出来事を求めじたばたと動き回っていたのに、じたばた惑う感覚はさほど変わらないのだが、動かなくなった。
 あるいは動けなくなったといった方が正しいかもしれないし、じっとしていながらも、精神は自在に動き回る楽しさに徐々にシフトしている。だから静かに思いを巡らせ書くことができる。想像力は本当に宝である。

シンプルに、ただ手の届く範囲の 暮らしに重きを置く、66歳の体の発する声に静かに耳をすませ、ただ体が喜ぶことを優先、もう無理はしないしできない。義理的な生活には限りなくおさらば、これまでの自分とは決別する。

話は変わる。昨夜遊声塾から帰ると、すぐ上の兄貴(次男)から立派な梅がドーンと届いていた。
朝一番えぼをとって水洗い(庸男さん感謝します)梅酒にする

私は5人姉兄弟だが、全員そろって暮らしたのは私が小学5年生までである。詳細は割愛するが父の転勤で、私とすぐ下の弟は上3人とはその後別々の生活を余儀なくされたからである。

とはいえ、回数は少なくてもお正月他、定期的に家族全員での時間は折々共有していた。だがこの歳になると、やはり貧しい中全員で暮らしていた、私が5年生までのあの実家での暮らしが、私の記憶の中の黄金時代なのである。(お金はなかったものの、退屈した記憶がない、すべて面白かった)

ありがたいことに、最近の出来事はすぐに忘れ去るが、あのころの記憶はいまだ鮮明なのである。だからなのだ、私が歳を重ね死者の側の世界にゆっくり向うにしたがって あの黄金期に回帰するのは。

いま、私の生家は消えてしまい、今風のアパートが立っている。それを見るといまだ私の胸は疼く。良きにせよ悪しきにせよ、時代は移り変わるが、私の記憶までは消せないのである。

いまやあのころの幸福な(と今は思える、大変さも過ぎてしまうと、人間は美化する生き物なのである)貴重な感覚は、私がこれからを生きるための大きな根底を支える、エネルギ-なのである。(物や金に執着しない、あのころの楽しさをこそ、再び生きるのである)

特に次男の庭には、何本か実家から移植された植物などもあり、植物を愛する、父のDNAを最も受け継いでいる人である。野菜作り、花づくり、すべて見事である。目に見えない自然の移ろいを敏感に感知する能力、愛情がないと無理である。そういう能力は兄弟で図抜けている。

小さいころ兄弟げんかもし、父のサラリーだけの暮らしでは、どの家庭も大変だったあの当時、次男がもっともその時代の大変さをわが兄弟で担ったのだはないか。

わが姉兄弟も歳を重ねたが、ありがたいことに全員が元気である。取り立てて言葉を交わさずとも、いい感じで折々の再会時間が過ごせる今が、私には最もうれしい。夏また五十鈴川で泳ぎ兄貴の庭を見るのが楽しみである。

会えば、私のお恥ずかしきガンたれ時代(とても私は悪かった)の話が飛び出すが、それでもあの時代の苦楽を共に生きた、わが姉兄弟が何はともあれ愛おしい、仲良くしている姿を両親が向こう側から眺めていると思う。

2018-05-22

パセちゃん(義理の姉の愛称)のオープンガーデンに今年もゆきました、そして思う。


一昨日の日曜日、妻の姉のオープンガーデンに、妻、母、私の3人で出かけた。この私の五十鈴川だよりに妻の姉が登場するのは初めてである。

今年は、初孫に恵まれた歳として、またいろんな意味で、私のこれまでの人生というか、生き方を勇気をもって見直し、今一度新たなる生き方を模索する歳として、内省的に生きることを、自分に課している。(ようなところがある)

この数年パセちゃん(義理の姉の愛称)のオープンガーデンにゆくことは、楽しみの一つになっていたのだが、私の中の中の何かが壊れ、変わったゆえなのかもしれないが、ひときわパセちゃんの、オープンガーデンの素晴らしさが沁みてきたのである。

中世夢が原で働いていたころから、パセちゃんがバラづくりガーデンに打ち込んでいることは 聞いてはいたが、ゆく余裕が持てなかった。ゆくようになったのは退職後である。


真ん中がパセちゃん、来られた方に説明している

私の拙文で、パセちゃんのガーデンの素晴らしさを伝えるのは至難だが、企画者にその企画の個性が顕れるように、パセちゃんの庭には、余すところなく限られた狭い家の周りの敷地に、バラを含めた観葉植物ほか何百種類の植物群がまさに競うようにひしめき合って、今はやりの言葉でいうなら、ダイバーシティ、ピンからキリまでの多様性、大小色とりどりの花々、果肉植物が美しく、それぞれがそれぞれを引き立たせ、整然と存在していた。

薫風薫り、お天気にも恵まれ、光の花園、私はオープンガーデンで至福のコーヒータイムを過ごさせていただいた。あたかもあの世に浮かんでいるかのように。

バラから始まったパセちゃんの花の(近年は花以外の植物にも)ガーデンは15年近くなる。何事も10年以上真剣に取り組んだら、このように個性を打ち出さなくても、それは自然に眼前にこぼれるように現れてくるのであるということが、まさにまばゆい陽光のもとに如実に示されていた。

私は感動した、そして撃たれた 、そのあまりの一心不乱ぶりの見事さに。何としてもわが五十鈴川だよりに、この奇特な義理の姉のことを書いておかねばと、思うのだ。

独自に、一人黙々と、お金も体力も要るガーデンづくりに勤しむのは、ご本人にしか感知しえない、突き動かす何かがあるからだろう。お金があるからといってあのような庭はできない。愛情と情熱、知恵の結晶。限られた空間のあの土地に、パセちゃんの無限の想いを込めた何かが、花開いていたことの、素晴らしさを愛でさせてもらったものの一人として、書いておきたい。(もう私は芸術や文化とは限りなくおさらばし、静かな暮らしを愛す)

浮いたような、文書改ざん、偽善や、詐欺まがいの慈善(大学)事業、もう書くのも嫌になるくらい経済界、政界、官界、スポーツ界、あらゆる界に偽物が横行闊歩するご時世だが、パセちゃんの庭づくりには善悪が、創造と破壊が 敵対せず、美しく統一されていた。沈黙の美。

堕落した世相とは、まるで無関係に、ひたすらわが道を往く、義理の姉のゆく世界は私には、ただただカッコイイ。


2018-05-20

10年以上前、竹トンボを作って交流したご縁の方から身に余るお電話をいただき、そして思う。

先日、意外というか、思いもしないというか、まったく記憶にないご婦人から、予期せぬお電話をいただいた。

おおよそ10年以上も前、まだ私が中世夢が原で働いていた時、当時まだ息子さん二人が小学生の時に、私に竹トンボを作ってもらったことがあるとのことだった。

その時、私が束の間竹トンボを造りながらの会話が、ずっと記憶に在って、その時に竹トンボを共に作った御子息は成人し、いま彼女は、玉島の幼稚園の園長をされておられるとのことで、手を尽くし私の電話番号を調べて、お電話をくださったのである。

電話口でとつとつと、当時私が 話したことがいまだに頭から離れず、いま現在園長をしている幼稚園に、秋に話に来てほしいとの、身に余るお電話であった。

まさに一期一会の出会い、よもやまさかこのようなお電話を後年いただけるとは。少年には、ちょっと障害のある弟さんがおられ、刃物を持たせることに、お母さんは随分と神経を使わされていたらしいのだが、詳細は省くが、その時に私が即興でしゃべったことが、記憶の底に焼き付いて、記憶にしまっておられたとのことであった。

思えば、いったい何本の竹トンボを作って、来られた来園者の方々と、武士の屋敷の縁側で、縁あって交流したことだろう。

私は企画の仕事にも重きを置いていたが、武士の屋敷の縁側で、見知らぬ来園者の方々ととの、まさに一期一会の竹トンボ作りでの、束の間の出会い時間を、ことのほかに大事にしていたのである。
若い時に買って、書斎に眠っていた本を繰り返し読む

もっと書けば、今日はどのようなヒト、どのような子供と出会えるのかが、実に楽しみであったのだ。まことに持って十人十色本当に愉しい時間を、武士の屋敷では過ごさせていただき、未知の方々からたくさんのことを教えてもらった。

企画をするのは、苦楽を伴ったが、竹トンボ時間は楽しい記憶しか残っていない。私が作れる竹トンボはたかが知れているのだが刃物を現代の子供たちに、怖がらずに持たせ、その楽しみの入り口の場として、まさに武士の屋敷の縁側はまさに、縁を結ぶ場所として理想の場所であった。

若い頃演劇を学び、演劇とは出会いである、なんて言葉にしびれた私である。子供にとって、刃物を持つということは、ワクワクドキドキの大事件なのである。

そのワクワクドキドキの指南ができる職場、中世夢が原に出遭い、私は心のどこかで、演劇を学んで本当に良かったと、一期一会の交流を通じて何度も思わされた。幸福であった。

あの当時、私が小学生のころ学校の行き帰りに出遭った、鍛冶屋の親父とか、畳屋の親父とか、鋳掛屋の親父とか、漁師、お百姓さん、物売りの人、旅芸人等々、まだまだ機械化される以前の、人間の面白さに満ち満ちていた時代の記憶が、今の私を根底で支えている。

秋、どんな即興のお話ができるであろうか、孫の望晃くんに教えるように、まだまだほかに、これからの時間を有意義に生きるために、何か可能性が膨らむ勇気をいただいたお電話であった。





2018-05-19

雷雨の翌朝、リア王の言葉を裸足で声に出す。

昨夜、雷の音を聞きながら、雨と強風の嵐の荒野をさまよいながら、天地に向かってすさまじい狂気の呪いの言葉を吐き続ける、80歳リア王の姿を、暗い部屋で横になって想像しながら過ごした。

睡魔がきてやがて眠りに落ち、5時過ぎに目が覚め、洗面を済ませコーヒーを飲み、雨上がりの運動公園までリアのテキストをもってぶつぶつ言いながら歩いた。体が徐々に起きてくる。

運動公園に着いたら、いつものように裸足になり、深呼吸を繰り返し、おおよそ一時間嵐のシーンから始まるリア王の3幕の主に長台詞を、リアの台詞以外の登場人物のセリフも声に出して読んだ。

30分も声を出し続けていると、ゆるやかに雑念が消え、セリフが体になじんでくるのがわかる。7月7日の発表会まで、何とか少しでもセリフが自分の体の腑に落ちるところまで、こぎつけたいと、五里霧中のなか繰り返し声を出す、私にはほかに方法がない。

現在66歳のわが体で、80歳の老王の実の娘たちに裏切られ、酷薄極まる仕打ちに対するリアの狂気を伴った呪いの凄まじい悪口雑言を朗誦することは、限りなく難しい。
運動公園から帰ると盛りのバラが迎えてくれる

だが、80歳になったからといってリアがやれるわけのものでもない。今、リア王という作品を、声に出してやりたいと思う私がいる。そのことが一番私にとって大切である。

ほんのわずかでもいいから、リア王の言うに言われぬ、実存的な痛みや悲しみを表現するためには、 声を出しながら、ああでもないこうでもないと、両足で地面を踏みしめながら、声を出すしかないのである。
 
組めども尽きせぬ普遍的名セリフの数々、突然リアは絶対君主から、無一物、不条理な世界へと放り出される。

400年以上前に書かれた作品であるが、リア王で描かれている不毛ともいえるほどの、愛
と憎しみの連鎖は、現代グローバル化世界を いかんなく照射している、と私には思える。





2018-05-16

ワールドニュースで伝えられたガザ地区での映像に胸が痛む。

私は最近地上波でのNHKのニュースはほとんど見ない、なぜなのかは、一言つまらないからである。分かりったことを繰り返しつたえる無能な編集にはほとほと呆れている。時間があまりにももったいない。これでは若い人たちがニュースを見ないのは当たり前である。

だからよその国の放送局、BSでのワールドニュースをもっぱら見ている。さて、1948年イスラエルが建国を宣言してから、70年目の節目にトランプ大統領がエルサレムにアメリカ大使館を移転したことによる、パレスチナ人のガザ地区でのデモに、イスラエル軍による銃撃で、報道によれば40人が死亡、5000人以上が負傷したとある。

無知な私は(ほんとうに無知は感性をダメにする)知らなかったが、5月15日はイスラエル建国により、大量のパレスチナ難民が発生したナクバ (大惨事)を思い出す日だそうである。その日に向かって人々が抗議のデモを続けている中での、まさに再び大惨事が起きたのである。

ガザ地区での悲惨の向こう側では、アメリカ大使館の移転を祝う行事のニュース映像が流れる。あまりの両者の世界の非対称、残酷さ。

遠く離れたところで、無残極まる映像を見ながら、いうに言えぬ両者の側の、理不尽な不毛さに、言葉がなく、ややもすると無関心になりがちな、己の日常に忸怩たる思いにかられた。

中東の歴史に対する私自身の無知はさておき、両国のどちらの側が正しく、正義があるなどとは、軽々に述べる愚は控えるが、ガザ地区のデモに参加している人々が、イスラエル軍の、近代兵器に対して石やゴムのパチンコで応戦していた映像には、胸を突かれた。

世界の出来事に関心を寄せ続けたい。

また、そのリポートを伝える女性が、鉄兜をまとって、必死で状況を伝えている様子にも驚いた。 この数十年悲惨な映像に慣れ切って、世界で起きている悲惨な出来事に関しての想像力のなさ、鈍感さがますます講じている私でさえ、ガザで起きていることは、悲惨極まる。(シリアでも同様である)

不謹慎を承知で書く。イスラエル軍の武器と、パレスチナ人の投石の武器の差は、先の大戦での断末魔、圧倒的なアメリカの軍事力と、日本との差を思い出させた。

映像に触発され、新聞の報道を丁寧に読んだ、イスラエルでも強権的なネタニヤフ首相に対して、講義する市民のデモが写真入りで伝えられている。

また、パレスチナでは14歳の男の子が、デモに参加して側頭部を弾丸で打ち抜かれた少年の遺影を前に、途方に暮れている両親の姿がある。

高橋宗男記者のリポート。きちんと読んだことを五十鈴川だよりに書いておく。


2018-05-15

リア王の素読をしながら、今日の風がわが体を吹き抜ける。

18歳で世の中に出てからというもの、せっかちに生き急ぐかのように、背伸びしながら生きてきた感が否めないわが人生であるが、ようやくにしてゆっくりとしか歩くことしかできなくなった今を、どこか醒めた感覚で味わいながら生活して居る。

本を読めるおかげで、何やらいまだ何げない日々が、新鮮に感じられるのは、手前みそだが、おそらくそのように生きよう感じようと思う衝動が、わが心のうちに健在であるからなのだと、思うことにしている。

何度も何度も書いているが、今日という日は今日だけなのであるから、なるべくは曇りのない体で、世界を感じたいのである。あるがまま、わがままに。

昨日は昨日、今日は今日の風が、わが体を吹き抜けてゆく。その体を吹き抜ける目に見えぬ風をどこかに感じながら、その風に我が身をゆだねたいのである。
今年も見事に開き始めた我が家の蔓バラ

朝から小難しい思考はよすが、今やわが五十鈴川だよりは、ささやか思考だより、といった感無きにしも非ずという体をなしてきているなあ、といった気がする。

自分のあずかり知らぬところで、自分というのは変化し続けているのだというありがたい驚きがある。(だから生きられる)

今朝も運動公園で、リア王の素読をしていたのだが(素読というのは、全登場人物のセリフを声に出して読むということ)4幕の頭の登場人物のエドガーの言葉が、いつもより新鮮にわが体に響いてきたのである。

【悲しい運命の変化は最高の絶頂からはじまる。最低のどん底からは笑いにいたる道しかない。とすれば目に見えに風よ、喜んで抱きしめるぞ、おまえにどん底まで吹き飛ばされたおれはみじめなおれは、もうおまえを恐れる必要はないのだ】

繰り返しの反復、言葉を出し続けていると、ある日突然、思いもかけぬニュアンスの言葉がわが体から出てくることがある。だから面白い、続けられる。


2018-05-13

佐藤優著・ゼロからわかる【世界の読み方】プーチン。トランプ・金正恩を読む、そして思う。

運動公園でいつものように(このところ雨の日以外はほとんど行っている)リア王の素読をしていたら雨が落ちてきたので中止、帰ってきて朝食後の、昨日に続いての五十鈴川だより。

今日は母の日、午後から妻と母と3人、温泉行でささやかに孝行したいと思っている。私の情緒的な感覚は、かなり実の母からのDNAを受け継いでいるのだということを実感しているが、その母は20年前に亡くなった。

5人姉兄弟で私は4番目、実の母にはほとんど孝行できなかったという悔いが私の中にはある。おそらくきっとその悔いは消えることはないだろう。瞼の母というが、若いころから晩年の姿までの母の面影が、私の中ではいまだ鮮明である。

だから、私の中では母も父もいまだくっきりと存在している。現世では非在の母の慰霊も含め、義理の母との時間を孝行したいと思う。

話は変わる。佐藤優著・ゼロからわかる【世界の読み方】プーチン・トランプ・金正恩 という本を読んだ。

私が佐藤優氏の本を初めて読んだのが2006年(の奥付がある)だから、もう12年が経つ。以来、氏の該博な知識だけではなく、実体験に裏打ちされた、時代を分析する、能力の多面的な解析力には、驚嘆すること度々である。

出口治明先生もそうだが、真の意味においてのグローバルリテラシーを噛んで含めるように、分かりやすく私のような一市井の凡夫に教えてくださる方の存在は、まことに持って貴重である。

もちろん私が知らないだけでほかにも素晴らしい方は、多々おられるのであろうとは思う。話を戻す。佐藤氏の本は、昨年の9月に出ている。

関心の内容は、本を読んでただくしかないが、北方領土問題にせよ、大方の予想を覆し、出現したトランプ大統領に関しても、そして北朝鮮の若き金正恩体制のことに関しても、まさにわたくしごときには、目からうろこが落ちるとでもいうしかない、氏にしかなしえない解析力が、ときに恐ろしいほどに述べられている。(新潮社での講義をもとにして作られた本、このような講義がある東京が、やはり時折うらやましい)

数冊時間帯で分け交互に読み進むのが私の読書
この十数年の、氏の驚異的というしかないほどの 仕事ぶり、そのインテリジェンス(という言葉は氏によって今や定着した)能力には脱帽しっぱなしである。

出口治明先生もそうだが、新書版や文庫版、私のような庶民のお小遣いでも買える程度の値段で、難しいことをわかりやすく、話し言葉で教えてくださるので、本当にありがたいのだ。私を含め、もう現代人は限りなく、言葉をかみ砕く力が痩せ細っている。

これまで経済や政治に関して,ハウ通本ほか、ほとんど買ったりしたことがなかったのだが、お二人の本を読むことによって、まるで認識が変わった。要はどんな体裁をとった本であれ、内容なのである。

もっと書けば、私の読書はあまりに偏っていて、(自分の関心のある範囲を出ない、あまりの狭さ)歴史や政治や経済のほとんどの本に接してこなかった、そのあまりのもったいなさを、今この年齢で痛感している。(気づいただけでも良しとしよう)

もっともっと、本を読んで 世界のことが知りたくなった私、そのためには本を読める体力をキープしなくては、と内省する。孫の望晃くんにいっぱい本を読んであげられるおじじになりたい。そして五十鈴川だよりが、少しでも充実した流れになるように学びたいのである。あーっ、本をもって旅に出掛けたくなった。

2018-05-12

出口治明先生の御本で蒙が開かれる、春。

毎度毎度似たようなことを書き続けているような感じで、このような五十鈴川だよりを開いてくださる方が(コメントはなくとも)おられることに、どこか申し訳ない気がしながらも、今日もまた今日の一文がつづられる。

遊・遊。天邪鬼の私はそれをどこかで楽しんおり、そしてまたつづれる元気さがある今、ありがたく何かに向かって感謝している。

さて、今年に入って今日の写真に、本を随分アップしている。私は大学にゆかなかったし、世の中に出て食うのに忙しく、ほとんど真摯に学ぶということをしなかったせいで、いまだに無知であるということに関して、トラウマ的に悔いがある。学ぶことがこんなに愉しいとは。

思えば、これまでいやというほど、演劇学校ほかあらゆる人生の途上場面で、自分の無知さを思い知らされながらも、落ち着いて学ぼうとしなかった自分をどこかで悔いていたが、今ようやくこの歳になり、学べるということの有難さをが沁みるような日々を送らせてただいている。気づいた時から始めればいい、と出口治明先生はおっしゃっておられる。今があなたにとって一番若いのだと。

本を読んで、蒙が開かれるかのような感覚が、この歳になっても味わえるのは、何はともあれ、元気な体あればこそである。

何度も同じことを書いて気が引けるが、お許しを。私は本を読むのも字を書くのも、しゃべるのに比すれば、これが同じ自分かと思えるほどに遅い。

時折、仮に世の中がこのまま平和で、自分が健康寿命で男子の平均年齢まで生きたとして、残り何冊の本を読むことができるのであろうかと、考えたりもする。そうすると今現在健康に、まるで失われた時を求めて、読書の森に彷徨う老いの学び時間が、限りなく愛おしく思われるのである。

還暦を過ぎて 、人との交際時間や、お酒を飲んだりする時間、テレビを眺めたりする時間を、一気に減らしてきている。ろうそくの炎のように年々消えゆくわが命、だから愛するのである。

居ながらにして世界史が学べる、1400円、すごい安すぎる

そんなさなかに出遭った、出口治明先生の御本の数々は、限りなく今後の私の人生時間の過ごし方に、光明と勇気と希望を与える。

月とスッポン、能力の差は重々承知なれど、ヒトとの出会い、旅、本との出会いが、限りなく大切だと先生はおっしゃっておられる。まったく共感同意する。健康で文化的な生活とは?

これまでの人生をリセットするのは限りなく困難を伴うが、新しい人生時間を生きたいと思う私は、これまでお世話になった方々に不義理をすることになるかと思う。

出口先生にはお二人のお孫さんがおられるそうなのだが、お二人の顔を眺めていると、このままではいられない、何かしなければとの思いに突き動かされると、御本で述べておられる。

若いお母さんが安心して赤ちゃんが生める社会にするにはとの思いで、ライフネット生命の保険料をギリギリまで安くする方法を考えたともある。

ともあれ、日本の未来を 見据えて、多面的に実践(ここがすごい、並のインテリや数多の芸術家を凌駕するグローバルリテラシーの持ち主、視野の広さに圧倒される)しておられる稀な方。

そこがすごい、単なる旅好き、好事家的本好きとは一線を画す、経済界から出てきた、真の意味での知性の輝きの持ち主、その謙虚さがまたたまらない。

昨年から、アジア太平洋大学の学長を引き受けておられるが、このような方を学長に招く大学があることが素晴らしい。

限りある命、私も爪の垢でも学びたい。望晃くんの顔を眺めながら、おじじになった私は、自分に問うた。これ以上書くのは恥ずかしいので控える。





2018-05-10

7月7日・第5回シェイクスピア遊声塾【リア王発表会】に向けて思う。

シェイクスピア遊声塾の今年の発表会は、4大悲劇の最高傑作といわれる【リア王】である。

期日は7月7日、場所は県立図書館2階、デジタル情報シアター午後2時開演、90人の定員である。(関心のある方は申し込んでください)

私は夢が原退職後、私の一念発起で立ち上げた極めて個人的な塾に、よもやまさか月謝をはらってまで参加してくる塾生があるということが、にわかには信じられなかった。(以前も書いたがご容赦を)

61歳までのほとんどの時間、子育て、企画をすることにエネルギーのほとんどを費やし、シェイクスピアの膨大な言葉を、まったく声に出していなかったので、わが体はほとんど声を出すことに関して、さび付いていていたからである。

でも心のどこかに、なにがしかのこれまでの自分のなかでの、シェイクスピアに賭けてきた情熱、ゆうに言われぬうぬぼれのようなものがあり、3年やれば体の中の錆がいくばくか磨かれるのではないかとの、淡い望みのようなものがあったのは事実である。

企画の仕事も40歳で一から始めたし、まあ背水の陣、自分を信じスタートしたのである。(自分を信じないととても生きてはゆけない)結果、現在塾生が6名、私を入れて7名でリア王に挑んでいる。5年目にしてようやくリア王を読むことがかなっている現実が、かくもうれしく私を鼓舞する。
塾生のお嬢さんが作ってくれたチラシ

あと2ヶ月で本番を迎える。いよいよこれから本番に向かって嶮しい山リア王に挑む。

昨夜全員そろって7名での稽古がしずしずとおこなわれた。あっという間に稽古時間が過ぎてゆく。

何せ、すさまじい言葉言葉言葉が飛び交う 作品である。表面に現れている言葉の深い根っこを探り、掘り、それを華奢なかぼそい体で、声に出して表現するのは生半可なことではない。

声を出しても出しても、その芯まで探り当てるのはよもやこれまで、不可能とさえ感じる。だが、それでいいのである、塾生は私の時に厳しい稽古に必死に声を出す、その姿が美しい。

今じたばたと悪戦苦闘することの中に、真実が宿っているのではないかとの思いが私にはある。上手下手ではなく、塾を立ち上げたことでたまたま出会えた この6名の塾生との稽古時間が、苦しくもまた楽しいのである。

今現在のわが人生時間に、かくも豊かな実りのいっときが訪れようとはおもいもしなかかった。先のことは考えず、声が出る間に、6名の奇特な塾生との言葉の格闘時間を、ことのほか大切に過ごしたいと思わずにはいられない、私である。


2018-05-07

雨の夜明けの五十鈴川だより。

ほぼいつもの時間に目が覚め、外に出ると穏やかな雨が降っていたので、朝の散歩兼、リア王の外での素読はやめて、いきなり五十鈴川だよりで体と意識をゆったりと起動させる。

文章というものは、不思議である。今現在の体調が如実に顕れる。(そのような気がする)書きたいことが浮かばなくても、書いているうちに浮かんでくる。

書こうとさえ思えば、日々の暮らしを、(生きているのだから)雑記ろく的にとりとめなく綴ることは、可能だとは思うが、これくらいの気分屋的な五十鈴川だよりが、自分には似合っている気がする。

囲炉裏通信に別れを告げ、五十鈴川だよりを書くようになってずいぶんの時が流れたが、限りなく打ち間違い、誤字を繰り返し、満座に生き恥をさらしながらも、書くことを続けているのは、業というか、いわばいい意味でのトラウマだと、自分を慰撫している。

さて、生き恥、無知をさらしてのわが人生も、孫の誕生で一気に、自分でいうのも気が引けるが、より一層真面目にわが人生の過ぎし来し方を振り返り、いよいよもって、ますますこれからの(死と向かい合う)人生時間を生きねばとの思いが深まる、昨今である。

まさに人生とは、広義の意味で無知と、未知との遭遇であるとの認識が深まる。そんなさなかに、まさに出遭った出口治明氏の御本のことは昨日書いたが、いくつになっても、ささやかにではあれワクワク感がある間は、きっといくら細き流れになっても綴れるのではないかとの思いがしている。
信頼できる人から学ぶのは限りなく愉しく嬉しい。

 自分が自分らしくあるためには、変化し続けなければならないとの言葉が浮かぶ。何かにすがって持続していると、ある日突然、何か蒙が開かれるかのような感じで、新しい自分が育っているかのような気が、いまだする。

本質的な性格は変わらないものの、何かが緩やかに壊れ、これまでは思いもしなかったことに、忽然と 思いが及んだりする自分が現れる。

まさに自分とは何か、なぜ今ここに在るのか、という永遠の問いが、ふっと浮かぶ。この永遠の謎が、おこがましくもわたくしごときにも、かすかにいまだ宿っている(気がする)。

出口治明先生のような、真の意味での大きな知性に出遭うためにこそ、本を読み続け、ささやかに自分という不確かな存在の井戸を掘り続けることこそが、まさに生きていることの醍醐味といえるのかもしれない。

18歳から、生き恥さらして生きてきた私である。お恥ずかしくも今後もそればかりは治りそうもない予感がする今朝の私である。




2018-05-06

帰省旅で詠んだ出口治明氏の御本に蒙を開かれる。

妻は今日でGWも最後、明日は雨の予報なので、母の家と我が家の夏野菜を植える前の五十鈴川だよりである。

いきなりだが、折々節目節目に、転機というとオーバーかもしれないが、いつまで生きるかは別として、やはり今年は孫の望晃くんに恵まれたことも大きいが、何やらそのような歳として刻まれそうである。

断捨離という言葉がかなり定着したかのような世相だが、私自身にもこの言葉を実現する日がやってきて、帰省の翌日時差ボケを払拭するかのように、かなりの衣類を処分した。おかげで衣類の部屋がかなりすっきりして、隠れ部屋として時折籠れそうなくらいの空間ができた。(その小さい部屋で静かにお茶を飲んだりして、遊ぶのである)

何かを始めるには、何かを手放すしかない。なかなか踏ん切りがつかなかったのだが、想いきりジャンプするには、何も持たない方が飛べるのは、道理である。

もともとそんなに所有するとか、物欲はお金に縁がなかったおかげで少ない。それよりも、ふラリ旅をするとか、本を買うとか、なにかよきものを見るとか、消えゆくものに、ほとんどのお小遣いを、(たった一つのわが体に投資する)いまも使っているので、私のフットワークはおかげさまでいまだに軽い。

このフットワークの軽さは、元気に動ける間は可能な限り、持続したいものだ。

話は変わる。出口治明という該博な知識を持たれておられる方の本を 、旅のお供に何冊か持参したのだが、新潮文庫で出ている【働き方の教科書】という本にいたく感銘を受けた。ワクワクと読み進んだ。難しいことが分かりやすくとにかくシンプルである。

目からうろこという言葉があるが、私にとってはまさにそのような本となった。内容は長くなるので割愛するが、この方のことは新聞で知る前に、図書館で世界史の本を書かれていて、あまりの博覧強記さに心底驚いたのだが、そのような本を書かれた方が、ライフネット生命のCEOであったことに、二重に驚かされた。

出口氏は、今や某大学の(招かれて)学長もされておられるほどの大人物だが、このような視野の広い方が、今の日本におられることはまさに私にとって救いである。

出口氏は60歳でライフネット生命を起業しておられる。悩んだ末、おこがましくも私も61歳で、シェイクスピア遊声塾を立ち上げた。月とスッポンというなかれ、何かを始めるのに、才能の多寡は関係なく、年齢もバリアフリーなのである。
好奇心は高貴心なり(W・シェイクスピア)

出口氏の御本は、わたくしごときを限りなく応援してくれる。氏の湧き出流豊かなる発想と、知恵の泉には、何度も唸ってしまった。

とにもかくにも氏は、ヒト・本・旅をこよなく愛する、ロマンティストでありながら、実証主義に重きを置く、リアリストでもある。努力を楽しめないものにはかなり厳しい。

振り子のように自由自在に、好奇心がカメレオンの眼のようにに広角に動く。私のように単細胞的なぼんくらとは出来がまるで違うのである。

ではあるが、氏の人間味あふるる言葉は、わがぼんくら頭にもいくばくは届き、ややもすると安きに流れ、こり固まりそうになるのをほぐしてくれる。

氏の本に出合わなかったら、断捨離はもっと先延ばしになっていたかと思う。思い立ったら吉日、捨てたら入ってくるのである。これからはひたすら身軽になり、見えないが、本質的に大切なものやヒトから、学ぶ時間を大切に生きることにする。

2018-05-04

わが心のふるさとから帰ってきました、ささやかに思いを記す。

昨日夕方、五泊六日、わが故郷への旅を終えて帰ってきた。

時差ボケではないのですが、身体は帰ってきたものの、こころはまだ旅の余韻が残っているといった按配の体。

とりあえず、何かを書きたいのだが、何せ密度の濃い旅だったので、グダグダと長くつづりたくなってしまう性を抑えて、今朝は取り急ぎ簡略に。

往路復路、結局高速を私が久しぶりに運転しての帰省旅を無事に終えることができた。28日夕方北浦のきれいな海(五十鈴川と同じくらい心が和む)で一休みして兄の家に5時過ぎ到着。義理の姉が夕食の膳を整えていてくれた。(カツオの生の刺身が旨かった)

翌29日は朝いちばん妻とお墓参りを済ませ、(望晃くんの生誕を両親に報告)朝食後姉長兄夫婦と共に、兄の友人が監督を務める高校野球の練習試合観戦、その後は兄夫婦と私たちで秘境西米良を山越え、お隣の熊本県まで山越えドライブを楽しみ、(視界を移ろうの山の緑が沁みた)知らなかった国宝の青い阿蘇神社に詣で、秘境五木の子守唄で有名な五木村を訪ね、温泉に浸かり、五木村にしかない名品の豆腐ほかの特産品を求め、再び山越えをし高千穂へと抜け、陽がとっぷりとくれるころ門川に着いた。運転はずっと兄がしてくれた。

30日は、終日オフ門川で過ごした。妻と二人買い物、 門川神社からいつもゆく五十鈴川へ。誰もいなかったので川につかり沐浴をし体を清めた。午後姉夫婦としばしの語らいの時を過ごす。姉は私より9歳上、大陸からの引揚者、天真爛漫、私にとってはだいじなひとである。

山本作兵衛氏のおおらかなユーモアに感服した

夕刻、私が小学6年生の時一年間だけ通った美々地小学校(いまは廃校)の同級生T氏がわざわざ私の顔を見に遠方から会いに来てくしばし歓談。(このことについてはまた書きたい) 夕食は兄夫婦と外食。

5月1日、朝6時半、兄、次兄夫婦と我々6人で福岡は田川市に在る【石炭・歴史博物館】へ。一路高速で向かい昼食を済ませ昼過ぎについてゆっくりと展示に見入る。目的は世界記憶遺産で有名な、一度はみたいと思っていた山本作兵衛コレクション、(この驚きも時間を作っていつか書きたい)次に向かったのが、一代で財を成した石炭王で有名な【伊藤伝衛門の旧宅】、朝ドラで有名になった柳原白蓮も住んでいた家。部屋数25、庭もすごく、当時の職人が粋を凝らした、筑豊の今となっては宝のようないわば必見の価値ある文化財である。

この日は、昔からの温泉地である華鶴温泉のホテルに投宿、着いたのが5時チェックインし、すぐに男兄弟湯につかる。6時半から全員で和気あいあい夕食、久しぶりに深酒、酩酊、すぐに眠りの世界に。

翌二日、雨の中9時半チェックアウト、大刀洗飛行場 跡地に立つ、全国から当時集められた少年航空兵たちの展示施設をおおよそ二時間弱ゆっくりと見学した(日本人としてこの施設を知らなかったことが恥ずかしかった)
兄と姉夫婦(兄が高校生の時によく食べていたという、民家のラーメン屋)

その後雨の中、高速を走らず、熊本の三国町で昼食を済ませ、そこから大分の竹田を抜け、延岡から高速に入り門川へ着いたのが午後5時半。

一度解散、夕食は兄の家で、次兄がいただいたクロダイと珍しい岩ガキ(うまれて初めて初めて食べたが絶品)を持ってきたので、炭火で義理の姉の登紀子さんが、焼いてふるまってくれた。また登紀子さんは、クロダイをイタリア風のアヒージョにしてくれたり、お味噌汁にしてくれたり、和え物ほかすべての晩餐(サラダや何品も手早く)をこしらえてくれた。そのすべてが美味しかった。長兄は果報者である。

私が、兄の家に安心して里帰りできるのは、この義理の姉の存在が大きい。気兼ねなく泊まれるからである。たまたま兄と血縁者になったことで出遭えた姉、この関係性を私はこれからますます大切にしたい。

実の姉夫婦は参加できなかったが、3組の晩年夫婦で記憶に残る良き旅が実現できた。この場を借りて、この度をアレンジしてくれた長兄次兄 夫婦に感謝したい。つたなくはあれ、わが五十鈴川だよりに、わがささやかなる幸福感を記しておく。