今後の人生は、冬はなるべく出かけず、出かけても散歩か買い物くらい、(特別な用事や遊声塾、弓は別)じっと家で、まるで冬眠するかのように(つたなくとも)過ごそう、と思い始めている最初の冬である。
五十鈴川だよりを、長きにわたって読んでくださっている方は、ご存知かもしれないが、一月から3月にかけては、個人的な事だが、父や、義理の父、母の命日 、妻や私の生誕日が、交互にやってくる。
個人的にわが性格の 資質として、生と死についての摩訶不可思議さについて、小さいころから、物思いにふける(学校のお勉強よりもはるかに、だからこのような人生を選択した)いざなわれることがいまだに多い、私である(このようなことを臆面もなく書くことは恥ずかしいのだが)。
間もなく、母の命日から丸20年、東北津波大震災、原発事故から丸7年が経つ。60歳の還暦の誕生日を、東北の遠野で迎えてから、あっという間の6年である。
ヒトは、忘れ、思い出し、また忘れる。だがようやく、これだけは忘れたら人間として情けないと思えることが、増えてきつつある。これを私はいいことだと考えている。答えはなくても考え続ける。
そして、 年々個人的な身近な死者のことだけではなく、長くは持続できなくても、紛争や戦争でいまだ各地で、否応なく巻き込まれて亡くなってゆく、無辜の民、特に子供たちの犠牲の死、その悲惨さは映像では流れない、(流さない)、理不尽、不条理というしかないあまたの、死者たちに対しても、忸怩たる思いに時折かられながら、死者たちの側のことを枯れながら想像する。過去の出来事の死者たちのことも。
詩人の発想は時代を撃ち、時代を超える |
私が尊敬し、畏敬する方々は、こういった過去の、そして今も、無数の声なき声の、理不尽さや、不条理というしかない死者たちの声を、けっして忘れないで、記憶に刻み付けるような生き方を、されておられる方々である。
20年くらい前、当時まるで何も知らなかったアフガニスタン(ごく普通のイスラム社会の民の暮らし)のことを伝えてくださり、いまも現地でアフガンの民と共に、命を懸けて水路事業活動に取り組む中村哲先生など、その筆頭である。
かまびすしいほどの、冬季オリンピック報道のさなか、パレスチナのガザ地区をイスラエル空軍が空爆したとの報道があった。闇の中で想像する。
もうすでに、私自身思考停止(想像力が枯れてるのかもしれないが)一歩手前状態なのかもしれないが、 揺れる初老男時間を、絶対矛盾を、五十鈴川のように流れてゆくしか今のところ私には方法がない。
そのような暮らしの中で、帚木蓬生氏の本で 【ネガティブ・ケイパビリティ】という言葉を知った、救われる。
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