なぜ書き続けているのかは、自分でも判然としない、が確実に言えることは、いつになるかは当人にもまるで分らないが、突然終わるということである。
終わりがあるから、書くことができるし、死があるからこそ生きられるのだとも、想う。朝からいきなりの展開だが、20代の終わりのシェイクスピアシアター時代、夜のバイト先で何度も(デパートの閉店後の改装、短い期間だったが)所属していた劇団は違ったが、言葉を交わしたことがあり、強く印象に残っていた人、大杉漣さんがおなくなりになったことを、今朝の新聞で知った。
俳句界の大御所であられる金子兜太氏がお亡くなりになった記事が、大きく掲載されている紙面の下の方に、大杉さんの死が報じられていた。
学年はわからないが、66歳と報じられているので私と同じ年である。新聞によれば死因は急性心不全とある。あまりにあっけないというしかない、生と死の境界。
シェイクスピアの作品は現代の先鋭の作家にも影響を与える |
年齢が同じで、同じような時代の空気を共に歩みながら、今となっては伝説的幻のユニークな劇団、転形劇場(太田省吾氏主宰、矢来能楽堂で視た水の駅の舞台が忘れられない)で活躍、以後映画やテレビ、映像の世界に活動を移し、独特のオーラを放ち続けた、稀有な味があるというしかない、存在感を存醸感を醸し出す、得難い名脇役が、忽然と消えた。
とにか役柄が幅広く、さりげなく狂気を演じられる、私などには程遠い 感覚の持ち主でああった。若いのに、すでに老成しているかのような雰囲気が、すでにあの当時の大杉さんにはあり、まさか同じ年であったことに、驚かされている。
バイト先での、無駄のない仕事の手際の良さ、この人は頭がいい人だとの印象が強く残っている。そして、いうに言えぬ何かを内に秘めた孤独な後ろ姿、そして優しかった。チャンスがあったら、いつの日にかお会いしたいものだと夢見ていたが、それもかなわぬことになってしまった。
話は変わるが、昨夜はリア王のレッスンだった。リア王という作品は、多面的な狂気にとりつかれた人間の あさましいまでの愛欲強欲、愛の理不尽、不毛な不条理が、横溢、進行し、(とりつかれない人間が生き残る)死の連鎖の果て、リアの死をもって幕が下りる。
穏やかな冬の日差しを浴びながら、大杉漣さんのご冥福を祈る。
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