次女は、義母に寵愛を受けて育ったので、母は孫が遠くで生活することをことのほか心配していたので、金曜、土曜と母は我が家に連泊し、しばし4人での語り合い、束の間のにぎやかな、食事時間ほかを過ごすことができた。
どんなに仲が良くても、家族にはやがて必然的に旅立ちの季節が、別れの時が訪れる。宿命、運命を受け入れ、しばし哀しみを乗り越えて生きるほかはない。
次女と母は、ともに5月生まれ、2日違いである。小さいころからまるで自分の子供のように、慈愛を注いできた母の寂しさはいかばかりか、想像するだに、胸がすこし痛む。男親の私には、妻や母の本能的な菩薩的感覚は、悲しいかな限界的に遠い性である。
次女も母のことをとても配慮していての連泊要請となったなったのだが、母は強い。見上げた精神の持ち主であると、あらためて感嘆した。
間もなく85歳、昨夜も編み物(裁縫や編み物の腕はいまだにすごい)をしながら、しばしの団欒タイムを過ごしながらいろいろと、これまでにもきいた話に耳を傾け、相づちを打った。
母が作った湯たんぽ、おかげで私の冬の安眠が保たれる |
その母が、床に就く時間が 近づいたころ、これからは自分のために生きると、贅沢もするとまであの母が、発言して私を驚かせたのだが、笑ったのは、続いて、しかしどう贅沢していいのかわからないと、ぼやいたことデアル。可愛いヒトというしかない。
母は、とてつもなく前向きで明るい。いったいなぜかのように、いざとなると泰然自若とふるまえるのかが、私にとっての謎であり、このような母に育てられた、娘と出会うことができ、家族が持てた我が身の好運、運命を何かに(神?)に感謝せずにはいられない。
、かくありたいと私は願う、そして五十鈴川だよりに、記さずにはいられない今朝の私である。
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