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2018-02-15

シェイクスピア遊声塾を立ち上げて5年が経つ、そして思う。

昨夜はシェイクスピア遊声塾のレッスンだった。遊声塾を立ち上げてもうすぐ丸5年、よく我ながら続いたものだ。なぜ続けることができたのか?それは塾生がいてくれたからである。
情熱の持続の根拠は、若い頃、最も悩み多き20代の後半、シェイクスピアシアターで開けても暮れてもシェイクスピアの長いセルフと格闘した、打ち込んだ時代があったればこそ、シェイクスピア遊声塾を思い付き、継続できているのだということが、解る。

子育てを終え、還暦を迎え、退職後、これからの 長寿社会をいかように目的をもって、有意義に生きてゆけばいいのか、当の昔に青春時代を終えた私は、老春を、まさにハムレットのように私自身に問いかけた。

結果、思いついたのが、再びまっさらな気持ちで、シェイクスピアを声に出して読む塾を立ち上げることだった。がしかし、私の思いついた遊声塾に参加してくれる塾生がいるだろうかとの不安はぬぐえなかったのだが、とりあえず3年間はひとりででも声を出し続けようとの覚悟が定まり、シェイクスピア遊声塾はスタートした。
奇特な塾生に頂いた飛び切りのチョコ(感謝)

30年ぶり声を出し始めた当初、私の体は全くさび付いていた。声に体がまるでついてゆかないのだ。それでも毎週、毎週決まった日、決まった時間、時に私と塾最年長のY氏と二人だけで体を動かし、声を出し続けた。 (Y氏の存在がなかった廃塾していたかも、氏には感謝の言葉しかない)

ようやくにして3年目あたりから、老いつつも、かすかに若かりし頃の感覚が、身体の奥の方で蘇ってきた。それとともにがぜんシェイクスピアを声に出して朗誦することの喜びが、若い頃に読んでいた時よりも、はるかに愉しいという、逆転現象がわが体に起こってきたのである。

それはこの30年間、生活者として生きてきた人生経験時間が、より深くシェイクスピアを声に出して読むことに、大いにプラスになっていることに気づいたからである。若いころよりも、はるかに深くシェイクスピア作品を味わえるのだ、そのことの喜び。紆余曲折、かすかに無駄なく一本道は続いているのである。人生には無駄はない。

3年前、Iさん(感謝しています)という女性が見学に来られ、入塾され、いまでは貴重な仲間として、苦楽をを共にしているが、そのIさんの友人が、今年のリア王の発表会に生音で、音楽を担当してくださることに、急きょ決まり、(ほんとうに何が起こるかわからない、未知との遭遇)遊声塾にも参加したいとのことで、塾生は6名になった。続ける中に福有、自分を信じる。

昨夜、私も含め7名でリア王を読んだのだが、この岡山の片隅で、今現在このような奇特な塾生に巡り合えた幸運を、芸術の美の神に感謝した。6月の発表会が楽しみである。


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