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2017-11-04

夜明け前の五十鈴川だより。

肉体労働をした日の夜は、ことのほか早く睡魔がやってくる。したがって、余計なことはしないで、ひたすら早くからだをやすめたくなる。

早く休むと、必然的に早く目覚める。この早寝早起きのリズムは、中世夢が原に通っていた時から、身についたリズムで、おそらく元気に生きて生活できる間は、やむことはないだろう。

何度も書いているが、夜あれほど、体がまるで棒になったかのように、頭も動かなくなっていたのに、ぐっすりと熟睡すると、あら不思議生き返ったかのようにわが体は新鮮に動き出す。週に4日の午前中は、私にっての 至福時間である。
部屋から撮ったのと外から撮った、我が家の秋。Y氏のおかげである。

このありがたいという至福感覚は、肉体労働をしているからこそ持てるのである。今の私は、以前よりずっと、週に4日の自由時間を大切に過ごすことにしている。要はメリハリ、バランスなのだが、(詳しくは書かないが)なにやらいい感じで、以前にもましてこの2カ月が過ごせてている。

そして臆面もなく書くが、以前にもましてあらゆる生活些事に関して、感謝する気づきが深まってきているようにも感じられる。 昨日仕事の帰り、ほぼ満月の月の出を東の空に眺め、先ほど西の空に浮かぶ、夜明け前の白い月を眺めてのち五十鈴川だよりを書けるなんて、これを私は至福感覚と呼ぶ。

時折しみじみと、滋味あふるる初老感覚を味わえるのは、私が初老になるまで生きながらえることができたが故である。

話は変わるが、生きている意味が解らないという、自殺願望の若い方が、(私はインターネットもない全アナログ時代に青春時代を過ごしたので、今の若い方たちと感性が異なるので比較しようもないが)増えているのが、どうにも不気味な気がしてならない。日本人は母なる大地をわすれ、画面を眺めて過ごす民族になりつつある、気がする。(だが私は決して悲観はしていない、素晴らしい日本人はいまだたくさんいる)

時代が、肉体をはるかに凌駕するかのように、あらゆる刺激的な情報が瞬時に伝わり、そういうツールがないと生きられないような環境で、成長した体は、いかなる精神的な成長がみられるのか、皆目私には想像することが難しい。

ただ想像するだけだが、物や情報がこんなにも満ち溢れていると、その洪水の中で体が否応なく溺れそうになって、自分で体を動かして全感覚で額に汗して考え身につける、生きて生活することの中で、緩やかにまっとうに人間性が育まれてゆくことが、困難な状況を生きているのではないかという気がしてならない。(そういう意味で私は今の若い方たちに深く同情する)
母と二人で剥いた。陽光にさらされなんとも美しい。

寝起きなので、これ以上の論考は控えるが、極めて当たり前の人間的な感覚は、貧しき国の貧しき民ほど、持ち得ているという気が、いろんな国を若いころ旅して感じてきたことである。

経済大国の根本が揺らいでいる。おごれるものは久しからず、いまや人間性も含め大企業の不祥事ほか、あらゆる分野でのごまかしや隠滅、日本人的美質のようなものが、風前の灯のように感じられるのは私だけだろうか。

私の小さいころには、貧しくとも品格を失っていない、多くのよく働く、第一次労働の日本の民がわんさかいたように思えるのだが、いまや自戒も込めて 、立ち止まって考える。自分自身は、どうなのかと。

自分自身も含め、ヒトは安きに流れやすい生き物なのかもしれないが、そこで矜持をもって生きてきた多くの先人たちの英知や遺産を知ることによって、我が身をただすことができる。

昔から、まっとうに全身を動かして働き、えたお金をゆめゆめ無駄にせず、生きてきた多くの先人たちの生き方から学びたいと、この歳になってあらためて思う私である。














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