陽光を浴びる吊るし柿を窓の外に眺めながら、11月11日の五十鈴川だよりである。さて、うまく想いを伝えられないので詳細は控えるが、思案の数日を過ごしている。始まりがあれば、必ず終わりがある。
部屋から眺める吊るし柿 |
中世夢が原を退職後、立ち上げたシェイクスピア遊声塾も早5年目がすぎようとしている。いい意味でここいらでひと区切りし、今のメンバーでの存続も含めじっくりと考える時間が、私に訪れている。
山陽カルチャーの講師としての役割も、ここいらがいい潮時という感じで、年内で終えたいと思っている。シェイクスピア遊声塾も、ここいらでいったん立ち止まり、来年の5回目の発表会をやるかやらないかも含め、一度塾生共々考える時間を持ちたいという気持ちになっている。
わが家族にとってもこの5年という時間は、いろんなこと起こり、長女が結婚し来春には子供が授かる。否応なくいろんなことを考えざるを得ないシチュエーションに追い込まれる。でもこれは天啓と私は受け止めている。
私はすべてのことを、丸ごと受け止め、 何事も真摯に考え、悔いを残さないように、いい方向にと、冷静に思考を整え、結論をゆっくりと出したいと、いま考えている。
これまで、悩みや転機が訪れると、いちどすべてをなんとかリセット して、かろうじて新たな生を獲得してきた経験が、私を支えている。終わりは、新たな始まりである。
今日はこれから、母の畑のお手伝いにゆかねばならないので、本日はこれにて。
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