一口に30年、やはり相性というものがあるのだと想う。妻と、日に日に大きくなってゆく月に、感謝をした。
ところで、最近盛んに肉体労働のことを書いているが、何とか2カ月体がもった。そのことにもまた、月に向かって感謝をした。今のところ月火金の3日働いている。この二日間、晴天で仕事を終えるころには月が出ている。
日没がまた、なんとも言えず美しい。一日動かした体を、月とおひさまが癒してくれる。家から2分のところに会社があるので、働いた日はかえってすぐにお風呂に入る。これが何というのか、生き返るというとオーバーだが、湯(愉)楽である。
正直、今の私の年齢ではシンドイ作業(筋トレだ)もあるのだが、ありがたいことに徐々に体が動いて、何とか順応してくれている。一日やり終えた後の爽快感は、私のみが味わえる、これまた生きていればこその愉楽と、私は思うことにしている。
O氏に借りた本、難しいのですがゆっくりと読んでます。 |
肉体労働をしていると、 青春時代の終わりを過ごした富良野塾での過酷な肉体労働の日々をいやでも思い出すが、あれを乗り越えられたのが、やはり経験値として、限りなく大きい。
あの日々を経験しているからこそ、この年での肉体労働が続けられているのは(まだ2カ月だが)まず間違いない。
この歳になって、若い人たちとともに体を動かして過ごせるのは、なんともはや有難いことであると思う。今のところ、リストラの気配もない。私のようなあまのじゃくは、やはり何か役に立つ体が、未だあるという、単純さが私を支える。
妻の父は大工さんだった。母も妻も汗をかいて働く父親の姿を見ている。暑い日も雨の日も、現場で働く肉体労働者の大変さは、やったもののみが、身体を通してわかる感覚である。でもそれが気持ちのいいのだ。メリハリがはっきりとしている。
職人は、仕事ができる人に共通しているが寡黙である。中には一見怖い顔をしている人もいるが、本物ほど、意外と優しく気配りができる。
そのような職人さんと共に、この年齢でお仕事をご一緒させてもらえる今を、私は感謝している。そこには一切の甘えは許されない 。
現場に入ると、ピーンとしたいい意味での緊張感がある。男にとってはこの感じがいい。時代は鵺のような先行き不安が、あまねく社会全体を覆っているかのような、不透明感に満ちているが、地面と向かい合いながら、アウトドアでの職人世界は、限りなくシンプルで潔く、今の私にはあり難い仕事である。
とりあえずまずは、3ヶ月を乗り切りたい。持続力、集中力を修養する体力を身に着けたいと、念う。
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