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2015-01-13

西大寺に住んでお世話になっている方のお父さんのお通夜に行きましたそして思う

昨年12月おじさんが亡くなり、昨日西大寺に住むようになってから知り合いお世話になっている方のお父さんが亡くなった。

もう私が西大寺にやってきて、間もなく23年の月日が流れようとしているのだから、いわば時の流れの中での必然として、静かに今の私は受け止めている。長きにわたって入院されていたこともまるで知らなかった。

幸い知らせてくれた方がいたので、昨夜のお通夜にはかろうじて駆けつけることができた。喪主にはやれることはやった、という表情が感じられたので、きっとお父さんは幸福な人生を送られたのだとおもえた。

40代から50代にかけて、私はよくお世話になった彼の家の敷居を跨いだのだが、お父さんはいつも感じよく私を迎えてくれた。

仕事を息子さんに譲り引退されてからは、晩年テレビをご覧なっている後ろ姿が、瞼に焼き付いている。その焼き付いている後ろ姿が、私をせめてお通夜にはゆかねばと思わせたのだ。

昨日は、粉雪舞い散り寒い日だった。行ってよかった、お通夜の時間に、まだ元気で仕事をされていたころの、お父さんのあの歴史的まがった路上での立ち姿が忽然と思い出された。私が40代初めで元気にガンガン企画をしていたころだ。

人と人との縁はまことにもって不思議だと思う。ひょうひょうとしたお顔が私には印象的な、私の父とは対照的な温和で柔和なお父さんだった。

 記憶とは不思議だ。たまにしか思い出さないにもせよ、私の両親はじめ、いろんなたびだたれた方々の 記憶は、しっかりといまだ私の中で生きている。

そして、ふとしたきっかけで記憶が蘇る、そのことが 供養ではないかと最近私は考えている。時折あの世にゆかれた、死者に思いを巡らせるということは、つくずく大切なひと時だとおもう。死者は私に今を生きるエネルギーを与えてくれる。

だから死者は私の中では生きているのである。この年になるともはや、死者も生者もさほどの違いはないというような、線引きをすることにはあまり意味はないというふうな思いにもとらわれる。

自分も確実に還る世界、可能ならその時までをしっかりと歩むためには、とまた、あらぬ思いに私はとらわれた。娘たちの記憶に残るような生き方や立ち居振る舞いは、どのようにしたらできるのだろかというような、頓珍漢な想念もお通夜の席で私の脳裏をよぎった。

人は自分で自分を思い通りにはできない.生も死も選べない。まったく不自由な実在である。

 ところで1998年、母、2000年父,義父、をすでに見送り、私にとっての母は妻の母だけになった。1月にら3月にかけて次々に命日がやってくる。

寒い季節、死者たちに私は思いをめぐらせる。そして、何とか今を生きる。

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