ついいましがた100枚以上の年賀状を3日かけてようやくかき書き上げ、少しほっとした気分でパソコンに向かっています。
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昨年娘がドレスデンで結婚式をあげたので、今年は家族での写真の年賀状を怜君が元旦にすぐ作ってくれました。
デジタルのなかにも人間の血が通った賀状をと、私自身が願っているのでせめてどこかの余白に一筆入れないと、気が収まらない性格なのです。
正直に告白しておきますが、すべてパソコンだよりで、書き手の思いが手薄な賀状はただいても私の中には何も残らないということを。
ただし誤解のないようにお伝えしておきますが、中には毎回楽しみにしているデジタル作品もありますので、要は人柄の顕れる内容の賀状をいただいたら,やはりうれしいそれだけのことです。
私自身いたく反省しているのですが、相手のことに思いを馳せながら、せめて一年に一度くらい、手書きの時間を私自身は持ちたいと思うのです。
そういうわけで、この数十年処分したくはない(できない)年賀状のみが私の手元には残っています。それは手紙やはがきでも同じです。
お正月そうそうあれですが、そういう賀状はいつの日にか私とともに埋葬したく思っています。拙き私の一文もそうですが、満天下にすべてはさらされているのですから、ささやかであれ、思いを伝える,微力を怠りたくはないものです。
さて話は変わり、昨日の夜の飛行機で怜君たちが帰るので、空港まで家族全員で見送りに行きました。少し早めに家を出て、空港近くの温泉に入り、夕飯をともにして。
怜君が日高家の一員になったので、やはり私には特別な感慨にとらわれる初めてのお正月となりました。それは妻や母にとっても同じ思いだったと思います。
怜君はハンコも作って私に見せてくれたのですが、日本という国で私の娘とともに生きてゆく選択をしてくれたことに、父親として言葉にならない思いにとらわれました。
若い二人が選択した人生の出発を今後可能な限り見守ってゆきたいという思いしか今はありません。
今年五月には、ドレスデンでの結婚式に参加できなかった私の兄姉たちも招待して、岡山での簡素な結婚報告会もするとのことです、いましばらくは彼らもあわただしき日々が続きます。
親ばかを承知で書かせていただくのですが、彼らの結婚式は祝福の小さき村の祭典といった趣で、参加者が幸福感に包まれる稀有な儀式でした。この目でしかと焼き付けたのですが自分の娘が遠くの世界に旅立ち、そこに招かれているかのような、あれは夢ではなかったかというような。
でも娘たちは、日本での現実を二人してしっかりと歩み始めています。私にはもったいない息子が忽然と現れたのが確認できた正月となりました。
母をはじめ皆が空港で怜君をハグしました。はなはだ気恥ずかしくも、愛ということについての認識を私は改め始めています。
少し寂しくなった我が家にもどり、熱い紅茶を飲みながら,ストーブの周りに集まり、母妻次女の四人で楽しかった年末年始を語り,静かな夜をすごしながら彼らが無事羽田に着いたという知らせを聞いて各々床につきました。
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