長々とブログを書いたり,長々と話をしたりと、つまりは堂々まわりしているかのような不毛な感覚に陥りがちな時間は、私は苦痛である。
自分でブログをかきながら矛盾するがそうなのである。書いていながら、でも書かずにはいられない、血が騒ぐぜったい矛盾である。
この一週間の中で、私が最も感動し心が揺り動かされたことは、まったく見知らぬ、とあるお店(ラーメン屋さん)の方が、私たちが育てたネギを買ってくださっ、たという事実である。
やはり扉を開けるまでは、かなりの決断と勇気がいったのだが、先日も書いたが ネギが私を後押ししてくれた気がする。
友人や知人ではなく、(商いに甘えは許されない)まったく見知らぬかたである。向こうも私のことは全く知らない、まさしくスリリングである。ささやかな未知の、私の生活空間内に住んでられる方々たちである。
ちょっと落ち着いて考察する時間なき、余裕なき朝ブログでは伝えきれないのだが、書かずにはいられない。
あらためて思う、商いとはなにか。面で伝え合う、伝授しあう共生感覚、数百円のやり取り、育てた愛着のあるネギを売るという、生まれて初めての行為。
自信のある作物を淡々と事実を伝えて売るだけのことなのだが、買ってくださる方が美味しいと感じたら、当たり前だが買ってくださるという事実である。
商いは厳しい。商品に自信がなければとてもではないが売る自信はない。だが我が家の全員がサンナンのネギは美味しいという。私も本当においしいと思う。せっかく育てたネギを私は心から売りたいのだ。
何といっても、雑草とともに育った完全無農薬のネギを、私は縁のある方々に食べてほしいと思う。
そして、謙虚に農に取り組んでゆきたい。ほかの根菜類も植えて育てて、顔の見える方々に直接販売する。
そのためには、勇気をもっていまから消費者を少しずつ今から開拓しないといけないのではないかと、私は 考え始めたのである。
休日一時間でも二時間でもいいから気分転換もかねてアクションを起こす。自分のなかの閉塞感を、まずは打ち破ることが大切だ。
私は男性なので、開墾したり開拓したりすることが、ことのほか好きなのだということを、改めて自分の中に感じ始めている。
イベントを企画するのも、自分の中の閉塞感を打ち破りたいという情動があるからだともうが、今は大地と向かい合い、育てた野菜を売りに行くことが、現時点で一番誰にも迷惑をかけない、新たな喜びにつながる可能性を秘めているのではないかという気がし始めている。
人間とは実に面白い、そのことを改めて商いは教えてくれそうである。元気なネギは私を元気にする。
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