旧東ドイツドレスデンを、よもやまさか旅することが我が人生に訪れようとは思いもしなかった。日本は島国だから、陸続き民族の国々の感覚が、途方もなく私にはピンとこない。
さて、娘が生涯の伴侶に選んだ男性が、ドレスデンで育った方であったがため、その結婚式に参加すべく、私と妻と次女の3人で、9月13日(土曜)午前9時30分の大韓航空でチェコスロバキアのプラハに向かった。ソウルで(ここで東京からの娘と怜君と合流)乗り換え、プラハに着いたのが、現地時間の夕方5時。時差は7時間。
空港には、怜君(日本国籍も取得、彼は日高怜となりました)のお父さん家族(ペーターさんと伴侶のアンケさん息子さんのリヒャルト君15歳)が、迎えに来てくれていた。
荷物を受け取り、なんとも静かな異国の空港で、ペーターさん家族と初対面のご挨拶、何せ初めて会ったばかり、ボーっとしているし、何が何だかよくわからないうちに,ぎこちなく挨拶を終え、娘たちはアンケさんの車に、私と妻と怜君はペーターさんの車に乗って、ともあれプラハからドレスデンに向かって、車は動き出した。
プラハからドレスデンまで、ペーターさんの車で夕やみ迫る中、アップダウンの丘陵地帯の日本とはまるで異なる風景の中をはしった。ドイツのドレスデンにゆくのに、チェコのプラハ経由でゆくなんてことも考えもしなかった。ただただ陸地は続いている真実。
ドレスデンへ向かう車窓からの眺めは、当たり前だが異国に来たのだということが、時差の体にもゆっくりとはっきり沁み渡ってきた。徐々にうす暗くなり、時折小雨も舞う中、それでも十分に外がまだ見える。窓からの初めてみる景色に私は眼を凝らし続けた。
プラハからドレスデンへと向かう中で、一番印象的だったのはリンゴの木の鈴なりの畑が、途方もなく続いていたことだった。路傍にリンゴの実が落ちていた。日本の日常から、しばし解き放たれ、いきなりリンゴの大地の邦にさまよいこんだかのような。人の姿が見えないので、余計に見知らぬ国にやってきたのだという感覚に私は包まれた。
ペーターさんの計らいで、高速はつとめて走らず、チェコの曲がりくねった田舎道を走ってくださったのが、とてもうれしかった。田舎育ちの私には、田舎こそが私の原点、どんな国を訪ねても、私は田舎にゆく。かっては馬車が歩いたであろう細く曲がりくねった道。ああ、田舎道に日が暮れる。
外がすっかり暗くなり、すこしねむくなりかけた時ドレスデンに着いた。ドレスデンは小雨が降っていた。ホテルの前にかるく夜食、怜君がイタリアレストランに案内してくれ、お父さん家族と落ち着いて、面と向かい合った。
初めて飲む、ドイツビールとワインで、出逢いの乾杯。ピザとパスタをつまみながら、しばし歓談。通訳は怜君がいるので、すべてはスムースに進む。お父さんはビールが大好き、口数は少ないが、一気に私は好感をもった。もちろんアンケさんにもご子息にも。
とにもかくにも、無事にドレスデンに着き、時差と疲れで早々にお開き。ドレスデン郊外の、料理もできるフラットタイプのホテルを怜君がとってくれていた。
娘たちと、二部屋。我々3人10時近くチェックイン。我々の部屋は3階の屋根裏部屋、リビングもあって広くて快適、落ち着ける。すぐそばを小川が流れ、初めて体感する、郊外のの森の近くの静かな宿。
荷をほどき、妻と娘と私、それぞれしばし滞在する居場所に落ち着きほっとする。いよいよ明日からどのような日々が、なんて思う余裕すらなく、ともあれ着変えて早々に身体を横たえ、ドレスデンに着いた安ど感にひたった。
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