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2014-02-09

妻が、コンパクトな新しい車をプレゼントしてくれました、そして思う。

雪がまだ車のフロントガラスと屋根に残っている、先ほど湯たんぽのお湯をフロントガラスにかけてみたが、しんしんと冷えていて、氷化していて全然解けなかった。なんとか前方が見えるようにフロントの雪を溶かし、アルバイトに出かける次女を、雪道恐る恐る駅まで送っていった。

いつも書いているが、休日の朝は格別ゆったりと時間を気にすることなく、文章が紡げるのでことのほか嬉しい。さて、この間の5日は、亡き父の命日だった。遊声塾の日でブログを書くことはなかったが、静かに手を合わせた。父はソウル師範学校を卒業している(跡地は今のソウル大学)、雪が降る寒い季節、私は青年期父が過ごしたソウルに無性に行きたくなる。何故かは分かりません。

話は変わるが、父の命日の前日、妻が私に新しい小さな車を【中古車です、私は新車を買ったことはない】買ってくれました。以前の車は8年、15万キロ近く乗り、相当に我慢に我慢を重ねてきたのですが、長女が巣立ち、私の本格的な晩年の出発へのプレゼントとして、ありがたく受け止めています。

インターネットで、妻があれやこれやと、知恵を絞り、奈良から販売店の方が、運転して新しい車が届き、古い車はまたその方が運転して帰られました。まだ、3日しか乗っていないのですが、妻や母と、ちょっと遠出するには十分なので気に行っています。

妻は、私とはあらゆる点で性格が異なり、よくもまあ共に、こんな私と28年間も暮らしてくれていると感謝の言葉しかありません。のろけでもなんでもなく同居人としての妻を、私はいまだ時折不思議な感覚で見つめざるをえないのです。私は妻の前でだけはお恥ずかしきことの数々を、臆面もなくさらけ出しています。

妻は、私が夫としての最低限のつとめをはたしている限り、私のやる、すること(領域関して)は、ほとんど理解が及ばなくても足を踏み込んではきません。私も彼女のやることには足を踏み込むことはいたしません。だからであろうと思うのです、苦にならないのは。

もう知りあって、28年なるのですが、子育て、家族に関しての母性的愛情は、男の私には到底理解の範囲の及ぶべきもない深さで、親としての責任感の強さには感心を通り越して感嘆します。まだ式を挙げていない義理の息子になる、レイ君に対しても同様です。

家族とは何か、時折私のような朴念仁も、たまさか考えないこともないのですが、愛情の源泉といいますか、湧き出ずる根元はどこから出てくるのか、頭でっかちになりがちな、男の私には、ときおり永遠の謎のようにさえ思えます。

今、彼女にとっては、愛犬のメルが家族の一員として大きな存在なのですが、メルに対する愛情の深さも、私の理解の及ぶ範囲を超えています。彼女の家族というものに対する愛情の深さというものは、植物に関してもあまねく眼が注がれていて、身近なヒトやモノに対する情の深さ、大胆さは、時として、何度も私を驚かせます。自分のことよりまず、家族のことを優先する、態度。

それを、私は妻の最大の長所であると受け止めています。最も身近な他者に対して、まず一番愛情を注ぐという生き方は、私にもゆっくりと浸透してきているという感じです。夢が原から解放され、余裕ができ妻との時間は少しずつ増えています。いよいよこれからの夫婦時間を、老いることも含めていかに過ごしてゆくのかを、人生の新しい時間の楽しみとして考え続けたく思うのです。

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