一日の自由になる時間は、貴重なので、ほんの僅かでもいいから、本を読むことにあてているのである。結果本を読むことの静かな時間の素晴らしさに、ますますはまり込むようになってきている。
したがって、オリンピックもほとんど見ていない。藤原新也さんも書いているが、金銀銅には、私はほとんど興味がないというか、そういうことにマスコミをはじめいい大人が、(何個とったとか)一喜一憂していることが、なんとも気持悪いのである。
その人にしか持ち合わせない、なんとも言えない敗者の人間性のようものが感じられたときに、すごく私は感動する。浅田真央さんだって、私には金以上の感動を与えてくれた。ママさんで参加された、スキーの選手にも感動した。もちろん葛西選手にも。
私が高校生の時だったと思うが、クロード・ルルーシュ監督の【白い恋人たち】というフィルムがあった。音楽はフランシスレイ。今も音楽を聴くと、胸が痛い、青春がにわかに立ち上る。
今もう一度、大画面で見たい冬の映画である。祭典の中の光と影、そのことの中に人間の悲しいまでの美しさを、カメラで余すことなく伝えていた。あの当時の若い自分ではなく、今の私がどう感じるのか、見てみたい。
スポーツは、、若い時がやはり旬である。が私の好きな芸術分野は、限りなく奥が深い。素晴らしいものが分かるためには、相当に学ぶ’修行(かたい表現だが)時間が必要だし、自分自身、それなりの修行なくして、他者の修練のすごさが、分かるはずもない。
とまあ、朝から書くようなことでもないので話題を変える。とにかくサンナンで働くということは、ひたすら身体を動かすということが大部を占めるので、単純によく睡眠をとらないと、仕事にならないのである。今動く自分の身体を可能な限り有効に使って働きたいと、心懸けているのである。
息が上がったら、呼吸を整えて、また繰り返す、年とともに、ずいぶん呼吸することに意識を傾けるようになってきた自分がいる。まだ5カ月だが、特にサンナンんで働くようになってからである。ことほど左様に、人間はいまだ気づき変化をする生き物なのである。そこに、未来がある。
でもおそらく、このような気づきは一見単調な労働をやっているからこそ気づけるのだろうということを、思うのだ。身体がこんな風にすれば、もっと楽にやれますよ、と教えてくれるのである。なんとも、奥の深い我が体。自分の体なのだから、自分で気づいてあげるしかないではないか。
若いころのような、瞬発力は望むべくもないが、持続力というのらりくらり呼吸法をひたすら追求してみることに、最近私は熱心である。
朝はまだかなり冷えるが。昨日あたりから日中はずいぶん暖かくなってきた。単細胞の私は暖かくなればこっちのモノ、ネギが成長するのに合わせて、私もどこかが伸びるのが楽しみである。
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