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2014-02-06

土取利行さんが唄う、添田唖蝉坊・知道親子の明治大正時代演歌を姫路まで聴きに行きました。

先週の日曜日、午後3時から姫路で行われた、土取り利行さんの弾き唄い、添田唖蝉坊・知道を演歌する、日本のうたよどこいった、を聴きに行きました。

土取りさんの唄を聴くのは、一昨年秋,自分岡山で企画して以来である。明治大正の添田唖蝉坊・知道、親子が近代突入激動というしかない時代に遺した300曲にも及ぶ、貴重というしかない演歌のルーツを蘇らせ、生き返らせ今現代を激しく問う、前人未到の世界に果敢に一人取り組む、音楽家としての姿勢には感嘆する。

ラジオやレコードがない時代、地底深くに眠る、歴史の表には出てこない民衆世界の思いや叫びの真実を、アカペラで路上で直接唄っていた、添田唖蝉坊という天衣無縫の天才がいたということを、土取りさんの仕事で初めて本格的に知ったのは数年前のことである。

私は土取りさんが取り組んでいる多面的なお仕事の、わずかな理解の及ぶ範囲での関係でしかないが、遠くから眺めていて感じ入るのは、これと決めたらどんなに困難な道でも、歩みを止めない、その自分の信ずる芸術世界に殉ずる真摯な姿である。

縁あって出会い、35年間の淡いお付き合いの今に至るも、その比類なき姿勢に、私はことのほかうたれる。先日のライブ会場でで、2枚目の演歌のCDを求め今聴いているが、ますますラディカルに明治の壮士演歌を今、この現代に唄い伝え、疑問を投げかける姿勢には、脱帽する。この民主主義存亡の危機の時代に。

土取りさんは、2月末から、世界的な演劇人、89歳の今に至るも人間の本質を演劇的に探究するまれな芸術家、ピーター・ブルックとのお仕事で渡仏する。一年以上は日本に帰ってこられなくなる前の、邦楽番外地ライブ。とりあえず、2月9日の両国のシアターXでの公演でしばし、土取りさんの演歌のライブは聴けなくなる。

そんなこともあって、姫路まで聴きに出かけたのだが、出かけて心からよかったと思っている。平均30歳くらいの他に仕事を持つ、男女の・播州びいき・というグループが企画した、本当にjこじんまりとした手作りの音楽会、やはり若いということは何をおいても素晴らしい。

若い方たちが、土取りさんを仕事ではなく自主企画する、このような時代が訪れていることが、ことのほか嬉しかった。そのことが終えてからの打ち上げにまで私を参加させた。久しぶりに息子たちのような年代の方たちと談論風発、会話が弾んだ。楽しかった。

結果私は最終の新幹線で帰ることになったが、2次会の場所から夜道を駅まで歩く私を、二人の若者が共に駅まで同行してくれた。

姫路に何か、たくさんの息子ができたような感じ。土取りさんも若い方たちが自主企画した今回のイベント、心から嬉しそうだった。メンバーの若いお父さんが小さな女の子を二人連れてきていて、打ち上げ会場にも共に来ていた。我が家の娘たちの小さいころを思い出した。そのお子さんと土取りさんが、一次会のが終わり外に出るとき、階段でお話ししいているのを、たまたま目撃したのだが、それはなんとも微笑ましい光景だった。

五十鈴川だよりを開かれた方は、是非土取利行さんのHPを開いてほしい。

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