お正月休みに入っているのだが、何とはなしに風の音がし、寒いと畑の我々が機械で植えた葱がどのようになっているのかが、気になる。働き始めて早三月、にしかならないのに、もう半年くらい、サンナンで働いている気がしている。
そんな訳で、昨日の午後は一人畑で過ごした。葱の補植と、それをしながらマルチの上に土をかけてゆく地道な作業。風が冷たく、手先足先が冷たくなってくると、車に戻って手先を温め、又続けることの繰り返し。
行ってよかった、年内にやれることはやって新しい年を迎えないと、何か内なる悔いが残るのである。小さき葱の苗は本当に大きくなってくれるのだろうかと、素人の私としてははなはだ不安なのである。
きちんと植えること、先ずそれをしっかりやりたい。来年春、今植えた葱がどのように育ってくれるのか、私としては本当に楽しみなのである。
年の瀬、寒い畑で一人ぽつねんと働いているのは、何やらさみしい光景に映るかもしれないが、やっている本人は、存外、大変ではあるものの、やった成果が正直、如実に表れるので嬉しい。何よりも我々の畑なのだし、この葱はきっとどこかのだれかの口に入る。
そういう仕事に巡り合い、その仕事で生活できるなんてことは夢にも思わなかったので、私としては、悔いなく出荷できるまでベストを尽くして、育ててみたいのである。
話しは変わる、昨夜のニュースで冷凍食品から農薬が検出されたと報じられていたが、完全無農薬、無化学肥料でも、素晴らしい葱をすでに専務とF氏が創られている。A専務の農に賭ける取り組みは、私をして感動させる。利潤を出す農は限りなく難しい。
がしかし、A専務はその綱渡り世界を、へらへらと柳のように、風に揺れながら進んでいる。このような企業人と出会ったこと、そのことが今年の一番の大きな出来事である。
ヒトは何がしかの喜びや、感動、幸福感というものを、体感することのために、この世に生を受けてきたのではないだろうか、という素朴な考えを、私は個人的に持つ側にいる。
ヒトが生きるためには,いろんなことが必要(だと思い込まされてはいないだろうか)な複雑極まる世界に、一見なったとはいえ、ヒトは食べないと、飢えて狂人と化す。食べ物というもっとも肝要な世界に、一歩足を踏みいれたにすぎないが、命の元、安心して口に入れられる作物を育ててみたい。
誰だって農薬に汚染された、どこで採れたのかもわからない、自分の口に入れたくはない物をヒトに売りたくはない。人間に良心というものがあればである。
このような極めて当たり前のことが、偽装(をしないと利潤がでないあらゆる経済活動は、むなしすぎます)をはじめ、あまねく当たり前ではないことに関して、異を唱えることに、不寛容な世相は、いとおかし、と小生は思う。魂とお金の悩ましき、永久の問題。
年の瀬、少し長めのブログになってしまった。ここまで読んでくださった方、今年一年本当にありがとうございました。来年も良きお歳を、と祈ります。五十鈴川だよりは、お正月休みに入ります。
若き日、イギリスで見た芝居のチケット(久方ぶり二階の書斎で過ごしています) |