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2012-12-07

身体を使って文字を書くことの、喜びと楽しみ

休日お昼自分で作ったパスタ、(食べ始める前にとればよかった)

筆で手紙を書く、万年筆で便りを書く、手で、身体で何かを成す。ということに私はこだわってゆきたいという一念が、歳を重ねるにつけてますます私の中で発酵しつつあります。

 

素敵だと自分がおもえる先人達が残した、今も古びることなく、混迷の時代ますます輝きを放ち、書いていると自分にも元気が頂けるような言葉や文字を書きたいとずっと思いついづけてきましたが、機が熟し、ようやく来年からその時間が持てるということになります。心の余裕がないとやはり難しいことなので嬉しいです。

 

その手始めということもないのですが、今回の邦楽番外地でお世話になった方々に、この間の日曜日から、筆で感謝の言葉を書いています。一度には書けないので、順次書いて投函しています。全くの我流です。父も我流でしたが、流れるように字を書いていました。子供心に判読し難い文字でしたが、受け取った同年代の方は、理解されていたのでしょう。

 

これからの晩節は、いままでやったことのないことにも挑戦してみたいのです。すごい民俗学者の、谷川健一先生が(一度だけお目にかかったことがあります)独学の勧めという本をお書きになっています。私ごときが比較するのもおこがましい素晴らしいお仕事をされた先人たちのことを教えて頂きました。こつこつと努力することの素晴らしさが伝わってきます。

 

私は18歳から、全て独学です、どん底という名作を書いている、ロシアのマキシムゴーリキーは、社会が私の大学だと書いているそうですが、彼の言に倣えば、全くそうだと私は思っています。乏しい能力を精一杯努力する中で小さくても花を開かせることが、いわば人生の醍醐味ではないかと、あらためてこの年になって、思い知る私です。

 

企画することも誰かに倣ったわけではなく、企画してみいたという思いが、内からあふれ出てくるものがあったからこそ、21年間いまも続けられているわけですし、いろんな方々から素直に学びながら(この感性が一番肝要だと思います、自分に嘘はつけないのです)直感に支えられて、我が道を歩みながら(ほとんどの時間を、パンのために費やしながらもあきらめ)生き延び、なんとか還暦を迎えることができたのですから。

 

これからも試練が訪れるでしょうが、その中でこそ何かを見つけてゆくくらいの、ある種の覚悟を持って歩んでゆくことの中にしか、ビビッドな人生というものは生まれえないのではないかという気さえするのです。

 

 

 

 

 

 

 

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