部屋の中の障子に映る干し柿の影 |
昔から何事も、石の上にも3年とかいいますが、これはやはり根拠があるのだということを思い知ります。
気がつけばもう随分前に、ブログを初めて3年が過ぎました。一年目はようやっと一年という感慨に浸る自分がいましたが、今はもう生活の一部になったかのような案配です。心の薬、毎日ではないにもせよ日課のような感じになってきつつあります。
書きはじめたころは、指の練習をしながら、恥ずかしいくらい時間をかけて書いていました。書きたいことはあるのに、指が追いつかないというジレンマを抱えての、出発でしたが、今ではうそのように指が動くようになってきました。
歳を重ねてゆく中でも、新しい自分は見つけられるのだということを(これから先のことはさておき)何やらいささかオーバーなれど、実証したかのような感じでもあります。
書く内容もほとんど何も考えないようになってきつつあります。一日一日をそれなりにきちんと生活していると、なにがしかの自己慰安文は生まれてくるということなのだと思います。さすがに謝礼をいただく(そんな原稿依頼はほとんどありませんが)ような文章を書かなければいけないときは、やはり構えて、それなりに推敲し乏しい知恵を絞りますが、ブログは全くの、自然体です。ちょっぴりよそゆきの。
さて、昨日はなにをして過ごしたかというと、五時に起きてすぐブログを書き、その後8通筆で短い便りを書き、郵便局で投函し、その足で歯医者さんにゆき(声を出し始めましたので、歯はとても大切なので、全てみてもらっているのです)ました。戻って午後1時まで、ストーブの薪作り。少し遅めの昼食(妻の美味しいドリアで)をし、その後、・扉をたたく人・という(深い問題がテーマのいいフィルムでした)DVDを妻と見ました。
見終えて、妻と運動公園までメルの散歩、寒かったのですが少し身体を動かしました。帰るともう日はとっぷりと暮れ、早起きの私の一日は働いている日も、休日の日も、何かかにかと、こともなげに穏やかに過ぎてゆくというわけです。
大切なことは日中にほとんどを済ませ夕方までに終えます。夜は身体を休め、音楽でも聴き、または眠くなるまで本を読み(初めて渡辺一枝さんの本を読みました、チベットの、すばらしい)ます。
これからは平凡の中に、非凡なあり難さを、感受してゆく、精神的な強靭(つよさ)さを身につけたく思うのです。
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