妻が作った和布のコースター |
邦楽番外地を終えてまたたく間に2週間が過ぎようとしています。ふと、意識的になればなんという時の流れの早さかなと、マイナス的な意味ではなく、やはり年齢的なことが作用しているのだとは思いますが、一日一日が実に早く過ぎてゆくように感じられるのはいかんともしがたい事実です。
ですけれども、なんというのでしょうか。再三書いているようにも思うのですが、体力は明らかに落ちてきたり、行動もゆったりしてくるし、皺やシミも増え、いわゆる老人に日に日に近づいているという自覚が深まるとともに、何かしらこれまでの活発に動くおのれとは、また異なる、おのれにプラスの内的な感覚が育ってきているようにも思えるのです。
この何とも言えない微妙な、これがいわゆる老人力というものかもしれませんが、そのような緩やかな、若い時には感じられなかった、まさにゆったリズムならではの味わいのようなものが、私の中で生まれてきつつあります。
そういう意味では、これから先はもうあまり驚かない(心を豊かにしてくれることにのみ驚きたい)と言いますか、それは悲観的な意味合いではなく、世間に起こるよしなしごとに、一喜一憂することは、もうだんだんと少なくなるだろうという、ある種の達観が、私の中にあがらい難く育ってきているのは、事実です。
眼に見える世界や、人間が創りだす世界のあれやこれやに、散々心をとらわれて還暦まで生きてきたのですから、これからはちょっとこれまでとは異なる、単刀直入にいえば、眼に見えない世界を、より意識的に生きてみたいというような心持なのです。(何故こういういわば精神性が芽生えつつあるのかということについては、いつか時間をかけてゆっくり自己検証し、文章化したいという気持ちもあります)
こんなことを書くと、何やら世俗を脱するかのごとき印象をもたれるかも知れませんが、全くそうではなく、世俗の中に在ってこその。まだまだ煩悩もいかんともしがたく抱えつつ、その煩悩を見つめつつ市井に暮らしてみたいという、感じなのです。
そういう心境でニュースなどを眺めていると、なんというのでしょうかすぐスイッチを切りたくなるような、自分の心が冷え冷えとしてくるような、事象のなんと増えてきたことか、この時代の趨勢には、いささか辟易暗澹とはいたします。が、その時代の渦中を冷静に過ごせるものなら過してみたいのです。
時代はさておき自分自身にとっては、これ以上は望めないほどに充実した21年だったという思いに浸れる自分がいます。天を仰ぎ静かに感謝する自分がいます。
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