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2012-12-29

土取利行さんとエリックのデュオを聴くためのバス旅・1

ライブの前馬食町で親友のK氏とともに

24日深夜から27日早朝まで慌ただしくはあったけれども、やはり上京してよかったと思える充実した時間を過し、戻った日の午後、今年最後の遊心塾のレッスンをし、昨日雪の夢が原で仕事納め、29日朝ようやっと落ち着いてのブログタイムという按配です。

 

この極めてわがまま、あるがまま、個人的ブログ、五十鈴川だよりは、日々の日録的な色彩がいよいよ来年から濃くなってゆくようなきがしているので、上京中の出来事を、短く記しておきたく思います。

 

今回の上京はこれまでの上京とは全く異なり、朝に着き、夜に去るという、変則的な還暦おじさんにはいささか過酷なバス旅となりましたが、年の瀬の今という時代の雰囲気が、特に東京では感じることができ、やはりときおり、岡山を脱出しなければ、こういう思いにはいいたらないということを感じました。

 

お金をかけなくても旅は出来るし、全く見知らぬところに身をおいてみると言うだけで、身体は非日常に包まれ、なにがしかの新鮮な感覚が生まれてくるということがやはりあるのですね。それは年齢に関係なく、感じるものには感じるというしかないのですが、一言でいえば遊び心、自由な心、風の向くまま、気の向くまま、冷たい師走の風に身をさらす中で感じる、今の何かなのです。

 

幸いというか、雀100まで踊り忘れずと言いますか、生来のそういう性格というものが、私の中にはあるのだなあ、ということを今更ながら感じてしまう、年の瀬バス旅となりました。

 

今回の目的の土取さんと、エリックの即興ライブは、私自身の還暦プレゼントということで、何としてでも聴きたかったのです。短く記します。私の拙い短い言葉では記すのを控えたいほどに、素晴らしいデュオ、まさに百聞は一聴にしかずというしかないライブを体感しました。心底行ってよかったです。土取利行という、枠にはまらない(はまれない〉異能のパーカッショ二ストの年齢を超越した神髄を、耳底眼底に焼き付けました。彼のこれまでの人生、そして現在の全てが、一音一音、エリックとの即興で生まれてくるのを体感しました。60歳の聖夜を素晴らしいオーディエンスと共に過ごせました。(観客とアーティストの共演でもありました)

 

両者でしか生まれてこない、音の世界に身をゆだねる、音が体に与えるエクスタシーというしかない快感。2003年以来、久々に眼の前で、全身シャワーのように音を浴びましたが、今更ながらあらためて、彼と巡り合えたことの幸運を噛みしめた夜となりました。その夜は、馬喰町(すっかりこの街が気に入りました、歴史があります)で親友のK(は飲まず)と二人で過ごし、幸せな記憶に残る還暦の夜を過しました。

 

本当に素晴らしい音楽会や、観劇体験をすると、しばらくは全くそういうことがない生活で充分なのです。今年に関していえば、自分が企画したものは別にして、ライブでは、ピーターブルックの魔笛と今回のデュオだけでしたが、もうそれだけで十分堪能しました。

 

心から渇望するということが、見えなくなっているかのような時代状況が、この数十年続いているそのような認識を私自身は持っています。だからわたしは東京を離れたのかもしれません。根の無い生活の虚しさ。

 

心から、自分が何を渇望するのかを、今しばらく考えられる時間を過すべく、来年から思索的渇望の60歳代へと覚悟を決めて歩めそうな予感を、今回のデュオはプレゼントしてくれました。

 

 

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