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2012-12-30

お墓の掃除・家の大掃除・書棚の整理の一日

妻とY女史が作ってくれたお正月のお飾り

30日の朝です。今年も余すところあと2日ですが、個人的には極めて落ち着いた、いい感じの年の瀬を、夫婦水入らずで穏やかに過ごせる平凡な幸福を噛みしめています。

 

昨日は温かく、雨上がりの素晴らしいお天気の中、義父のお墓のお掃除に母と妻と3人で出かけ、午後は、ずっとやろうと思っていた本棚のゆがみの修復を妻と二人で(本をいったんだして、隙間と傾きを直し、また本を整理し入れ直した)やった後、夕方まで窓のガラス磨き、床磨きを、つまりは大掃除をしました。

 

私の家は2階建てで、リビングの大きなガラス窓も含め、窓ガラスが多いので、これを全部ある程度きれいにするのは、なかなかに骨の折れることなのですが、夢が原で掃除をするということを、足かけ相当長くやってきたおかげで、なんというのでしょうか、好きというまでは至らないにせよ、掃除を楽しむというくらいに、私は雑巾がけが苦にならないのです。

 

いわゆる健康のバロメーターくらいに、頭のスイッチを切り替えていまして、全身運動という感じで、身体全部を使っての掃除なのです。雑巾を絞り、目線を床の隅々にやると何と多くの綿ぼこりが住みついていることか、手のはいらないところは古い歯ブラシや、ピンでほじくり出すのですが、これがきれいになった時には、思わぬ快感が走るのです。

 

これがいわゆる、遊び心。薪作りや妻が出来ない、危ない箇所の窓磨きなど、男の私がやれることを分担して行う大掃除は、やはり新しい年を迎える準備としては欠かせません。掃除も含め、日常生活の大半は単調なことの繰り返しなのですが、この単調なことをいかに工夫し楽しめるかということが、人生を豊かにできるかできないかという、分かれ目なのかもしれないということを、思うのです。

 

ともあれ、歳と共に掃除を楽しもうと心がける私です。家でも職場でも同じです。無心にやっていると、みるみるきれいになります。すぐ成果が見えます。さっぱりします。庭を掃き清めたり、土俵を清めたり。日本人にとってお掃除は、自分自身のお清めでもあるのですね。だから私は機械にはできるだけ頼らず、いよいよもっての晩年ライフを、身体を使っての掃除を、一年でも長く続けるということを自分に課したく思っています。

 

日が暮れるころにはほぼ終わり、ゆっくりと湯につかった後、ささやかな妻と二人きりの夕飯タイム。夜は一日働いたからだを休める時間です。上京バス旅2を書きたかったのですが、また書きます。

 

 

 

 

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