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2012-06-17

遊悠塾一人で始める

いきいき遊悠塾を始めた百花プラザの横からの眺め

60歳、6月16日の昨日は、私にとっては記念すべき一日となりました。遊悠塾の塾生はまだ一人もいないのに、塾を始めたからです。塾生がいないのに始めるなんて、なんか変な感じもしますが、とりあえず私自身が身体を動かし、声を出すことから始めようと決めたので、一人でもできる8畳の和室を借りているのですが、参加者が3人になったら、もっと広い部屋を借りることにしています。



この、8畳の空間で、昨日一人で2時間を過しました。約一時間身体を動かし、その後声を出し、シェイクスピアのロミオとジュリエットの台詞を30年ぶりに口に出してみました。若いころに打ち込んだことは、やはり時がたっても身体の奥深くに活きています。人間の不思議なところですね。飽くことなく台詞を口に出していた頃の自分が、甦ってきました。



はたから見ていたら、自分の姿がどのように見えたことでしょう。でも、そんなことは全然気にならないのです、自分ひとりしかいないのですから。このブログで何回も書いた記憶がありますが、生きてゆくことは恥をかくことでしか見つけられないというのが私の考えなのです。無知蒙昧の私がなんとか生きてきたのは、満座の中での稽古の中で、繰り返し恥を書いてきたからではないかと、最近思えるのです。



遊悠塾は、家族のように、恥をさらけ出しあえる仲間を育む塾でもあります。シェイクスピアの登場人物の台詞を生きるためには、恥ずかしさを克服しなければならないのです。変換ミスの多いこのブログだって、恥ずかしいことこの上ないのですから。



間違うことによって、間違わないようにするということが、稽古をする、声に出すということなのだと思います。だから長いセリフがすらすら言えるようになるとうれしいのです、変化する自分の不思議。



それから体、ストレッチをやるのですが、60歳の自分の限界がおのずと見えてきます。この現在の自分自身の身体と向かい合い、無理をせず、呼吸をゆっくりしながら、対話しながら、伸ばします。のばしては休み、伸ばしては休みの繰り返しです。一ミリずつ進むような感覚です。



このようなことをやっていると、時間はあっという間に経つのです。しばらくは一人でも続けます。そのうちに参加者が現れることを祈りながら。

1 件のコメント:

  1. 申しわけありませんが あと10年 おまちいただけませんでしょうか。まだ 生活のために 働かないといけませんもんで。

    シェークスピアは よく 存じ上げませんが
    詩編の
    「春にして 君を離れ」は 一度 きちんと 勉強したいかな、と

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