いま読んでいる本 |
特にブログを書きはじめたころからだから、テレビのニュースというものをほとんど見なくなったように思う、新聞も若いころのようには読まなくなった。本当に大切なことは、残念ながらほとんど伝えていない、そのようにおもえるからだ。
自分の人生の時間というものを考えると、受動的な行為ではなく、身体を動かすことをまず基本にして、本を読むとか、文字を書くとか、観るのではなく聞くとか、テレビが現れる以前の時代にやっていた、つまりは、少年時代に情熱を注いでいたことが、今はとてもやりたい私だ。大切なことは自分で考えて探すしかないのだ、とつくづく思う
考えて、探す、自分で動き、考えた中でしか、企画の情熱は生まれてこない、つまりはそれが、今私が生きているということなのだと思う。
おそらく、遊悠塾をやりたいのも、おそらくそういうところに、起因しているのではないかと考えている。根の無い情報に振り回されるのではなく、自分であらん限りのアンテナを張り、自分自身の身体で、直接何かビビッドな情報を得たい。
土取さんを企画する事により、明治大正時代の演歌について書かれた、添田知道さんの、演歌師の生活、という本を今読んでいるのだが、知らないということは情けないくらいにつまらないことである、との思いにとらわれる。いかに自分自身が無知であるかということを、思い知らされるのである。
私が、この20年山登りのように、未知なる世界を企画したくなるのは、おそらく新鮮な気づきが、発見の喜びが、おそらくは止まないからだろう。読めば読むほどに読まねばなら本はふえるけれども、謙虚に知ることの大切さを、感じる自分の感覚を無くしたくはない。
本を読んだり、書いたり、身体を動かしたり、お友達とお話をしたり、つまりは健康であれば、お金に頼らなくても、充実した人生は送れるはずなのである。いま、私はささやかな試みを、4月から始めている。始めざるを得ないという現実があるのだが、それは、いかにお金を使わないで生きることが可能かという試みだ。根本からライフスタイルを、見つめ直そうと考えているのだ。おかねが使えないことを、楽しむ方法。実践して、ときおり、ブログでお伝えします、ね。
CMで流される、健康食品などを否応なしに眺めさせられるために、私はテレビを見ているわけではない。
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