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2012-06-09

来週の16日から悠々塾はスターートします

遊悠塾のテキスト(写真が横ですみません)

雨上がりの休日の朝、夜が明けて間もない外に目をやると、ナンテンの葉に水滴が、しっとりとした何とも静かな、そして穏やかな気持ちで、ブログを始める私です。



昨日は昨日、今日は今日、この果てしのない悠久の流れの中の、たまさかの生を、ブログを書ける間は、意識したいと、私自身は考えています。いつかは終えるにせよ、もうそんなことは考えず、今日だけに集中するという感じのこの頃です。



続ける中での、蓄積の大切さ、その中でしか見えてこないことが、確実にあるということを、実感しています。例えばキィを打つ指の動きなんか、始めたころに比べたら、比較できないほどに早くなりました。年齢を重ねても、脳は発見を喜び、その喜びはまた新たな喜びを見つける引き金になる、そのような気がしています。



苦手なことを、あえて克服(あくまでも無理せず自分らしく、やれる範囲で、あきらめず、細く長く)してゆくことの中にしか、喜びというものは、見出し得ないのではないかというのが、最近の私の認識です。



ちょっと気障ですが、自分というわけのわからない存在と、日々悩みつつも生きてゆくしかないというのが、現時点での私のささやかな思いです。水滴を眺めていたら、内省的な文章になってしまいました。



さて、来週からいよいよ遊悠塾が始まります。まだブログでしか伝えていないし、参加者はいなくても、スタートします。これからいろんな告知をして、来年の春までには、なんとか15名の心ある参加者に巡り合いたいと思っています。



とりあえず、2時間部屋を押さえていますので、私一人でも2時間を過しておりますから、もし行ってみたいと思われる方いらしたら、お越しください。



テキストの、シェイクスピアの・間違いの喜劇・を、30年ぶりに読み返しているのですが、いやあ、台詞が頭の中を駆け巡ります。私は本公演で父親のイージーオンを演じたのですが、その当時の記憶がまざまざとよみがえってきました。私にとっては最初の大役、冒頭のあの長い台詞を声の出なかった私が、よくもまあ語ったものだと。



帰り来ぬ青春ではなく、やっとやってきた老春を、ゆっくりでいいのだから、思いもかけないセリフを口に出して、笑いあえる遊悠塾を目指します。

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