全作品のなかの8本の舞台に立ちました |
いよいよ、6月16日の朝がきました。まだ塾生はいないものの、いきいき遊悠塾が始まります。馬鹿みたいですが、ひとりでスタート、でもうきうきする自分がいます。
塾生がいないのに始めるというのもおかしな気がしますが、なんとかこれからいろんな方法で、私と共に晩年の時間の一部を共有する、有志に出会いたいとの思いなのですから、そんなにあわてることはないのです。要は私自身の中に、塾を始める自立した根拠がしっかりしていればいいのです。
私の人生観の全てにおいて、多大な影響を与えた(いまも)、ウイリアムシェイクスピアをテキストにしたのは、いくばくかの理由があります。高校3年生の時に見た、フランコゼフィレリのロミオとジュリエット、私は17歳でした、完全にいかれました。主人公たちと同じ年齢だったし、青春のいらだちという意味では、完全に画面の中の青春の苦悩に、共感を覚え、遠い世界のシェイクスピアではなく、今ここに生きているシェイクスピアに出会ってしまったのです。
以来、ロンドンまでシェイクスパアを見に行ったり、青春の終わりをシェイクスピアシアターで芝居の上演に明けくれたりと、私とシェイクスピアは深い関係に人生が彩られているのです。30年近く、現実生活を生きるのに忙しく、久しく封印してきたシェイクスピアを、再び人生の晩年ひもとくことになろうとは、予期せぬことでしたが、運命は再び私をシェイクスピアに巡り合わせたのです。
遊悠塾を立ち上げるにあたって、声を出し、身体を動かす、という基本はすぐに思いついたのですが、基本的なテキストにシェイクスピアを用いるということに関しては、少し悩みました。しかし、私がこれまで演劇に関わってきた中で、最も声に出してきた作品は、まぎれもなく、翻訳文体であるとはいえシェイクスピアだったのですから、高い山ではあるのですが、一番よく知っている(読んでいる)シェイクスピアを基本に始めることにしたのです。
私自身が、シェイクスピアを声に出して読むのが、30年ぶりなのですから随分錆びついていますし、かなりの冒険であることは重々承知しています。しかし英語で芝居はプレイです。全ては遊ぶということなのですから、一度きりの人生の晩年を、シェイクスピアの台詞を声に出すことで、楽しんでほしいのです。
私ももちろん、今日は一人で、大きな声ではなく、ハッキリ声を出す訓練を一時間はやろうと思っています。
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