妻がいけた我が家の玄関の植物 |
私くらいの年齢になると私が影響を受けた方だけではなく、本を読んだことがなくても知っている方が次々とお亡くなりになる。先日亡くなった新藤兼人さんの前に、吉田秀和さん、吉本隆明さん、が。そのほかにもブログには書いていないがつぎつぎと、冥界へ旅立たれている。
40台後半私の両親がなくなり、50代に入りオーバーに言えば、次々と身近な方や、あったこともないけれど身近に感じていた方、昔演劇で共に情熱を出し切った仲間も何人かは他界したりしている。ことほど左様に死は私にとって、遠い世界の出来事ではないことを感じているし、感じるべく生きないと、死者たちに申し訳ない、という思いは年々深まってきているような気がしている。
さて、今朝はほんの少し、吉田秀和さんのことに触れたい。実は私は吉田さんの本は読んだことはないのだが、氏が朝日新聞に書かれていた音楽時評は、東京に住んでいた頃欠かさず読んでいた。クラッシックを聴くような生活を(今は少し聴きます)ほとんどしてなかった若かった私は、ある日音楽時評なのに、ピーターブルックの伝説的な舞台(野田秀樹さんは高校生の頃この舞台を見て演劇の虜になったそうです)夏の夜の夢について書かれていたのを眼にした。
私も見たばかりで大興奮していたので、食い入るように読みました。そしてその記事を切り抜きました。私が新聞を切り抜いた、一番最初の記事だったかもしれないという気がします。(探して出てきたらこのブログにいつか載せたく思います)。
内容もかすかに覚えています。とにかく、べた褒めでした。音楽評論家なのになぜブルックの夏の夜の夢に触れているのか、と思いましたが、そこがやはり並の評論家ではなく、視野が広く、スケールも大きく、吉田秀和という知性の器を感じた最初でした。
劇中、舞台にメンデルスゾーンの結婚行進曲が流れるのですが、あんなにも聴きなれている音が、今まさに初めて聴いたかのように(生まれたかのように)感じてしまうブルックの舞台の魔術について、その素晴らしさについいて、吉田さんは書かれていました。
器の大きい方が、お亡くなりになるということは日本にとっての損失です。なぜなら二度と出てこない人の宝だからです。私ごときですが、とにかく偉大な素晴らしい仕事を成した先人達達から、謙虚に学ばなければという思いです。現実に流されず。
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