机の上にチラシを置きとってみました |
4月1日、日曜日今年から、夢が原には平日のみ通うことになります。20年ぶり土日が休みになるということはやはり嬉しくありがたいことです。自分という存在は変わりようもないのですが、還暦一周りの人生を終え、これからは内省の時間を多く持ちながら、可能な限り精神的に自由に過してゆきたく思いますし、何よりも私的な時間を大切に、新しく経験するこれからの未知の時間を前向きに生きながら、日高事務所をゆっくり始めたく思います。全ては一から始めるそんな心境です。
そのような四月一日、私は小倉にある北九州芸術劇場まで、私が最も尊敬する世界的演出家・ピーターブルックのオペラ魔笛を観に出かけました。今年86歳になるというブルックの演出作品、もうこれが最後の演出になるかもしれないという魔笛を、退職したばかりで、たまたま見ることができた私の人生の幸運に、ただ感謝しました。
魔笛は、埼玉と滋賀と小倉でしか上演されず、滋賀と小倉は2日間の公演のみ、いずれも全部売り切れでしたが、たまたま小倉だけは少しだけ当日券が用意されているとのことでしたので、販売開始前一時間からロビーで並びました。着いた時にはすでに10人くらいが並んでいました。若いころロンドンの劇場で安いスタンドバイチケットを買うために良く並んだことを思い出しました。
私が演劇の舞台を見るのは2001年のこれもブルックの作品、滋賀のびわ湖ホールで見た・ハムレットの悲劇・以来である。その当時11歳だった長女を連れて観に行った。娘は演劇を観るのは初めてだったと思う。何もわからなくても、ブルックの演出したハムレットを観た記憶はおそらく残っていると思う。
あれから11年の歳月が流れ、またブルックの魔笛が観られるなんて、これは私にしかわからない深い思いがあるのだ。21歳のとき、私は日生劇場でブルック演出の・夏の夜の夢・を観た。この舞台から若い私が受けた衝撃は今にして思うと、やはり人生を変えたと思う。この作品を観なかったら、英国に自費留学する決心は起きなかったと思う。何の自信もなくふらふらと生きていた若い私に、冒険する勇気を奮い立たせてくれた、まさに記念碑的作品がブルックの演劇だったのだ。
あれから40年、しばしの感慨におそわれる。此の間、私は英国で、1978年ユビュ王(アルフデッド・ダリ作)・以後日本で、1987年・カルメンの悲劇・1988年インドの古代叙事詩を10年かけて演劇化した・マハーバーラタ・1989年チェーホフの桜の園・1991年シェイクスピアのテンペスト、そして今回の魔笛も含め、私は幸運にも8本のブルックの演出作品を私の人生で観ることができた幸運をしみじみと噛みしめている。
ブルックの名著・何もない空間・は私の宝の本である。一つの作品を演劇化するのにリサーチを含めブルックはとてつもない時間をかける。だからそんなに演出作品は多くはない。人間にとって演劇とは何かを探求する前人未到の演劇界の哲人、あの年齢で、21世紀に入ってもその活動、輝きは止まない。奇跡的というしかない。その舞台の光を私は、この眼で、全感覚で体感した。ピアノ一台と、8人の途上人物でオペラ魔笛が進行する、90分、舞台上にはわずかな竹と、何種類かの布が効果的に使われるのみ。他には何も余分なものはない。
そぎ落とした簡素な中から浮かび上がってくる、何という豊饒で豊かな魔笛の世界、人間の身体の動き、人間の楽器としての声、沈黙、闇、炎、ふだんわれわれが、あまりの慌ただしき現代の暮らしの中で、見過ごしている世界の素晴らしさを、ブルックは魔術的とも思えるさりげなさで提示する。美が舞台にあふれていた。
演劇だからこそなしうる深い感銘を受け、ラスト涙を抑えることができなかった。カーテンコール、見えない、その場にはいない、出演者の背後の影のブルックに向かって、私は立ち上がり感謝の拍手を捧げた。
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