我が家のチューリップ |
穏やかな春の朝、窓から我が家の緑の中に、いま8本のチューリップが満開、いい感じです。ガーデニングはもっぱら妻任せで、ときおり土を耕したり、肥料を買いに行ったりするのを手伝うくらいしか、今は時間が取れないのですが、来年からは企画のつかれた身体や、精神のリフレッシュのためにも、妻との時間を楽しみたいと思っています。
ところで、結局150通以上、日高事務所、年間企画支者を募るための案内を出しました。最初に投函して10日あまり、最後に投函したのは3日前です。あの案内は一気に書き上げ、私の手帳の中から気分で選んでだしました。やはり、20年間の私の仕事をきちんと受け止めてくださる方が、こんなところにもいたのだなあ、という素朴な驚きが私を包んでいます。
お話したこともない、アンケートを見て、この方はという方にも20通くらい案内を出したのですが、その方々からも、支援が(今後は毎年最低大小4本企画し、毎年支援会員を募ります)あるのです。
これが、五木さんのいうところの、他力の風なのかもしれないという、感慨が私を襲っているのです。今後あと何年企画者としての人生の時間が残されているのかはわかりませんが、知恵絞り、こうやって書きながら、持てる能力を出し切りながら、与えられた責任を全うしたいと思います。
五十鈴川だよりは、極めて個人的な、いわば前例のないような企画、すでに名の知られた方ではなく(そういう方は他のどなたかがやられています)無名で知られてはいないけれども、私自身がこれは面白いと思える、感動する、アーティストを探し企画します。
これからは独立、黒字、プロの企画者なのですから、出来なくなったら廃業です。お金というものは、有効に使うということに意味があるのですが、企画者も含めて、人間が最もお金を使わなければいけないのは、見えないものに対してだというのが、私の個人的認識です。豊かになるということを根本から再考する時代が来たのだと、直感しています。
高校生のころから見始めた、未知の国の映画、聴きはじめた未知国ぐにの音楽、絵、踊り、演劇、10代、20代に体感した全てが、私という企画者としての存在の核をなしているということを思うのです。本物と偽物を嗅覚で感じ分けるためには、眼力を養うしかありません。
企画者が、やせ細っては企画できないいのです。一円たりとも無駄にせず、見る、聞く、読み、書く。1996年、アサヒビールの広告出演ギャラで念願の西アフリカのセネガルに往くことができました。過酷な旅でしたが(先日旅の手帳に書いたメモが出てきました)現地から受けたアフリカ音楽の感動が、企画の原動力になりました。
ともあれ、自己資金と、協賛者と、支援者であせらず、ゆっくり高い山を目指します。
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