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2026-08-10

ドレスデン3日目の朝、目が覚めゆったりと打つ五十鈴川だより。

 ペーターさんの家、2階の個室、私に与えられている部屋から外を眺めながら打っている。夜明け前の静かな時間である。もう外は明るい。青いそらが大きな松ノ木の向こうに広がっている。ドレスデン3日目の朝である。2日間ぐっすり寝たので、ようやく時差ぼけも無くなりつつあり、早寝のおかげで早く目覚めたので、記録五十鈴川だよりを、とにかく打てる時に打っておく。

一番奥がヘルダさん

昨日は午前11時半近く、近所のバス停まで歩き、レイさん家族と私は10年前、娘の結婚式で泊まったホテルのガーデンレストランへ向かった。約15分位で懐かしいレストランに着いた。

そこに、レイさんのおばあさん、なんとお年92歳のヘルダさん始め、お母さんのシルビアさん他、ご兄弟、親戚(所用で来れない人以外すべて)が待っていて、レイさんの2年ぶりの帰郷を祝う、昼食会の為に待っていたのである。ノアやミア、子供の数も入れると総勢20名以上が。

最長老のヘルダさん主宰で、昼食会のすべてがまかなわれたとレイさん聞いて、改めてヘルダさんの凄さを垣間見た。宴は午後3時まで続き、再びバスでペーターさんの家まで戻り、くたびれて、横になって休んでいると、レイさんが起こしに来たのが午後4時半、昨日に続いてペーターさんのガーデンに行くと、そこには再びヘルダさんがいて、レイさんの弟さん、妹さん家族と、お昼の歓迎昼食会に参加でできなかった親戚のかたが終結しての連夜の、夕食会の準備が整っていてのである。

ペーターさん、アンケさんがほとんど家で準備してくださってくれていた。その数15名以上。ミアと同じ年の妹さんの男の子もいて、ミアは水遊びをしたり、大喜びでラグビーや、サッカーボールを蹴って無心にキャアキャアと走り廻っていた。

左からヘルダさんペーターさんアンケさん


私も夕食会の前、ミアや妹さんの息子と共に、年齢をしばし忘れて遊びに興じることができて、楽しいひとときを過ごすことが出来たし、何よりも最長老のヘルダさんが眼をほそめて、そのひい孫たちが遊ぶ姿を眺めていた。その事をきちんと五十鈴川だよりに打っておきたい。

私の返事を打つと長くなるので控えておくが、あにはからんや、昼も夜もほとんど退屈することなく、この10年ぶりの、ご家族との再会パーティーの間は(レイさんと娘が通訳してくれたとき以外)一人一人のお顔や表情、仕草を、観察し皆さんの会話を異国の音楽のように聞いていたので、全く問題なかった。時折娘やレイさんペーターさん他、親戚の人生を感じさせるかたがたが、あらんかぎりの英語で話しかけてくれたことも忘れずに打っておく。

ドイツといえばビール、白ワインをペーターさんがタイミングよくサービスしてくれ、大勢で飲むお酒の醍醐味を74歳で私は久しぶりに堪能した。娘が縁逢って、結ばれし10年後、このような一期一会的な、異国の親戚との痛快な偶さかの夢の宴時間に遭遇する事のできた事実の嬉しは、格別と言うしかない。言葉を越えて人間はアイコンタクトで通じ会えるのである。案ずよりも飲食をともにし、共に遊ぶことである。

2026-08-09

8月9日、ドイツ、ドレスデンのペーターさんの家のリィビングルームで寸暇打つ五十鈴川だより。

 7日夕刻、17時半成田を発ち、10時間フライト、カタールのドーハ(素晴らしい初めて経由する未来を感じる空港でそのあまりの広さ、斬新なデザインに、浦島太郎はびっくり、やはり旅をしないといかんと思いました。体感しないと始まりません、あっという間に時間が過ぎました)で、四時間ストップオーバー、再びフライト、昨日ドイツ8日、現地時間朝の7時15分ベルリンに無事に着きました。レイさんとお父さんのペーターさんが迎えに来てくれていて再会、抱擁し、ドレスデンまでアウトバーンを二時間半ドライブお昼ジャストにペーターさんのお家に着きました。(ドレスデンまでの両側の松林が強く印象に残りました)

ガーデンでくつろぐ娘と子供

奥さんのアンケさんとも再会のご挨拶を済ませ、早速私とペーターさん、レイさんはビールで祝杯をあげ、無事の到着、久方の再会を喜びあいました。ドレスデンは快晴で涼しく、しばしの間、2階の部屋でお昼寝をさせて頂きました。

夕刻四時過ぎ、レイさんに起こされて、庭のペーターさんの菜園ガーデンに移動すると、すっかりバーベキューの準備が整っていてびっくり、詳細に綴る時間がないので、簡単に記しておきます。ペーターさん、アンケさんがあっと言うまに、人数分の椅子をテーブルに配置、ペーターさんが炭の火を起こして、手際よく肉やソーセージを焼いて、参加者のお皿に盛ってくれた。(夕食後は薪の炎にすっかり癒されました。ペーターさんが白ワインに氷を入れた🍷が最高のアフタードリンクとなり、睡魔がやってきました)

参加者は我々家族5名、ペーターさん、アンケさん、アンケさんの息子さんと、ガールフレンド、遠くアメリカから娘の大学生時代からの友人(結婚式にも参加してくれた)美藤ご夫妻、計11名での、日本語、英語、ドイツ語が飛び交う、静かな語らい、稀なバーベキュー最初の夕食会となったことを、一行五十鈴川だよりに記しておきたい。

菜園ガーデン、これの倍あります
しみじみ、じんわり、まさに夢のようなひとときでした。

この菜園場には、リンゴやラズベリーなどの果樹はもちろん、たくさんの野菜が植えてあり半分以上は芝生で幼児ようのプールもあり水遊びもできて、庶民の暮らしとは思えないほどに、住宅事情が異なっている、事を痛感した。楽しい時間は瞬く間に過ぎて、一番先午後9時過ぎに私がダウン、ノアをお風呂にいれ、午後10ノアと共に眠りに落ちた。

今朝は朝8時までゆっくり寝て起きると、レイさんが既に美味しい朝ごはんを準備してくれていた。頂いているとペーターさんが起きてきて、スクランブルエッグを作ってくれ、もちろん美味しく頂いた。朝食後レイさんがネットを繋いでくれたので、旅の第一弾をうっている。

リビングで打っているのだが、ノアはお勉強、ミアはそばで何かしらして遊んでいる。娘はノアのお勉強を見ている。レイさんは食器を洗っている。11にはお出かけする。後30ある。ベルリンについての最初の印象、当たり前、岡山とは文字から、町並み、風景全く異なる。文化的な背景、歴史が異なる国、人達の暮らしへの旅が本格的に始まる。時間を見つけて、寸暇打ち続けたい。

2026-08-07

8月7日、午前中、再び打つ孫たちへの遺言、五十鈴川だより。

 7日の7時過ぎ、紅茶、焼きポテトサンドイッチ(最高の美味しさだった)の朝食を終え、洗濯物を干しミアを保育園まで送って行きもどってコーヒーブレイク。娘は仕事をしている。12時前には成田に向かう。それまでちょっと時間があるので打つ。

先日も打ったが、わたしは仕舞い支度の人生時間を迎えているという、いい意味での自覚、意識がしっかりしていて、娘夫婦の役に立つお爺で在りたいし、なおかつ、心からやりたいと想える企画がやりたいという情熱がある間は、旅をしたい。(意味もなく日本とは異なる環境に身を置いて思想したい)

そう言う情動が、ドレスデンへの旅に同道したいという行為に表れている。娘の手が及ばないことを手伝う。共有時間を過ごす。ただそれだけで、老人であるわたしは嬉しいのである。話は脈略がないが、企画をすることも、全て、今、私の年齢で自然に振る舞えることに(労働が私の根底の生活を支えている、だから旅も企画も叶うのである)エネルギーを集中している。

飛行機の中で読む為に持参した文庫本

二十代、三十代、四十代、とそれぞれに私にとっての、大きな旅をしてきたが、五十代、六十代はいろいろな事情で(娘たちが巣だつまで)余裕がなく、大きな異国へ旅は叶わなかった。

それでも、三つ子の魂は止むことがなかったおかげで、今回の旅が実現する。その事の有りがたさは、例えようもない。いい歳をして私の心は成田の国際線ロビーに行くのが嬉しいのである。

最初のロンドンへの旅で私は国際線の空港が大好きになった。空港でいろいろな国の飛行機、異国の移動する人々の姿を見ることがなんともたのしい。それもこれも、やはりめったなことでは訪れない、偶さかな久方の旅であるがゆえの、旅人感覚が久しく忘れていた感覚を呼び起こして、年齢には不似合いな青春への回帰へとしばし誘うのだ。

が、明かに私は若くはない。きっと10年後は、五十鈴川だよりも打てないくらいに老い、大きな旅はできないかもしれないし、それよりも何よりも、妻には叱られても生きてはいないかもしれない。安心して老いる為にも、全力で今旅をするのである。そんなこんな想うと、今回の旅がいかに大事な旅であるのかが自覚できるのである。

少年老いやすく、夢叶わず終わる。が臆面もなく打っておく。18歳で小さな夢を抱いて日向灘の近くの小さな海辺の町を飛び出して、時代の荒波の中を息も絶え絶えに泳ぎ、あらゆる幸運に支えられて、生活しながら、埋没の危機を凌ぎつつ、未だに夢を(どんなに小さくささやかでもその人らしい他の人と比較しない)見ることが出来る事実に、諦めながらも、諦めなかったことが、結果実現化の運びになったのだと、おもえる。

よしんば実現しなくてもいいのである。要は挑戦しなかったら、何事も無し得ないし、扉は永遠に開かない。田舎者丸出しの私がチビリチビリ、脱皮するかのように、自分の眠っていた能力が開花、あるかないかわからない才能を信じて、今も歩んでいる。つくづく厳粛な綱渡り生活を持続してきた往生際の悪さが、幸運を招いたと思う。勇気は若いうちにこそ養える。その季節をないがしろにしたら、絶対に幸運は訪れないと断言する。

要は肝をくくる覚悟がないと、決して幸運は訪れない。孫たちに伝えたいことは先ずは生まれて来たことに、感謝することさえ見失うことがなく、自分のなかにコツコツと自信を、人と比較せず貯蓄(ため)込んでゆけばきっと、面白い自分の道が待っていてくれるのだと言うことを遺言しておきたい。


8月7日、長女のマンションで朝一番綴り打つ五十鈴川だより。

 昨日午前中、四時間ほど働いて午後1時過ぎの新幹線で上京し稲城の長女のマンションsに、18時半に着いた。駅前にタクシーがなく、久方ぶりに重い旅のキャリーケースを緩やかな坂道引きずって歩いたら、老いの体から汗が滴り落ちた。頑張って10分位歩くと、マンションの近くで娘とミアが待っていて、ミアは私を視界でとらえると、裸足で駆け寄ってきた。

ベランダに吊るされていたミアの靴

ミアは非常に警戒心が強く、好奇心が半端ではなく、ノアへの対抗心ももりもり、しかし邪心のない愛くるしさは(爺バカなのでお許しあれ)仕草はなんともいえない。ようやく会う機会の少ない私にも慣れてくれ、なんと一緒にお風呂にはいってくれた。裸足で汚れた足の裏を丁寧に洗った。

さて、娘はギリギリまで仕事をしている。今日も午前中仕事をしてから成田に向かう。昨日ゴーヤチャンプルー他の夕飯をテキパキと用意し、ミアは特性メニュー、3人で食事したのだが、レイさんとノアがいないのが、なんとも言えず、どこかつまり寂しくおもえた。(娘が私にハイボールを用意してくれていた、たった一本で酔った。朝労働したから疲れていたのだ)

私は午後九時ノアのベッドにそうそうに横になった。寝る前、ミアに本を読んで寝かそうと試みたのだが、やはりそこまでは無理で、最後はやはり娘が寝かしつけていた。朝の早い私はあっという間に眠りに落ちた。今朝は午前6時に起きて寸暇五十鈴川だよりを打っている。娘とミアはまだ寝ている。

さて今日は夕刻五時半、カタール航空で成田から、カタール経由でベルリンに向かう。私、娘、ミア3人でのベルリンまでの旅が始まる。どのような旅が待っているのか、私の高齢者旅が始まる。努めて時間を見つけて、いつもとは異なる印象に残った出来事を五十鈴川だよりに綴りたい、と思っているがさてどうなりますか。

2026-08-02

ドレスデン、ロンドンへの旅を前に想う、今朝の五十鈴川だより。

 老いては子に従い、妻に従う頻度が古希をすぎて多くなっている。その事を私は自覚している。そしてその事実をどこかで楽しんでいる。自分のエゴでずいぶん迷惑をかけたであろう、と思える申し訳なさと、もう充分に、我が能力を越えたチャレンジ、薄氷を踏むかのような(振り返るとよくもまあ、よく実現したものである)イベントをこれまで企画出来たことの満足感が、そう言う心境に至らせている。

映画のパンフレットにあった地図

61歳、中世夢が原退職で企画は一応の終わりを自覚し、それ以後は、やり残したシェイクスピアの音読に再挑戦、コロナで音読に終止符、古希から企画を再開したが、家族、娘たちには迷惑をかけてはいない。最近は精神的には応援してくれている位である。その事だけで私は充分に有難い。

もう充分に、時代の流れに置いてきぼりにというか、目まぐるしさについてゆく気もないし、つい行けない体と心で、あまり他者に迷惑を掛けず(喜んで賛同してくれる生き生きした高齢者の友人のみで)私の企画を、純粋に応援してくれる奇特なメンバーとチームを創り、今の年齢ならではの、小さくて意義のある企画を夢見る。

さて、ドイツはドレスデンから、飛行機でロンドン往復、ロンドンには一週間滞在する。40年ぶりのロンドンである。(妻との初めてのアフリカ、ケニア、タンザニア旅行で数日ロンドンにストップオーバーして以来)一口に40年、人生のおおよそ半分である。この年齢でロンドン再訪が叶うとは思わなかったが、ドレスデンに娘家族が里帰りしなかったら、一人でのいきなりのロンドン旅は実現しなかったのではと思う。

実現するのは、やはりレイさんと娘のおかげである。簡略に記す。今やあらゆることが電子決済である。移動、宿泊、買い物などロンドンは日本以上にデジタル都市社会に移行している。日本の浦島太郎の私では苦労するのが目に見えているので、航空券やホテルの手配の一切合切をやってくれたから、安心して行けるのである。

ほぼ旅立つ準備は終えている
(その上最初の3日間娘が同行してくれる。昔の杵柄、少し案内が出来るかも)

そう言う意味でも、老いたら子に従うのである。高齢者の一人旅、韓国や近い国ならばともかく、とおくの異国への旅は健康に動く体がないとまず楽しめない。

そう言う意味でも今回の高齢者での旅、どのような気分になるのかが、実に楽しみなのである。この8年間の高齢者労働のおかげで行ける。

心の底で、よしんば行けなくても行きたいという目的意識を持ち続けたことが大きい。私の場合、あらゆる事に目標、目的がないと情熱の持続が難しい。

それはイベントの企画でも同じである。心底企画したいという腹落ち感覚がないと情熱の持続がまず無理である。話は変わる。昨日ウカマウ集団のフィルム上映会を最後の企画にしたいと打ったが反省する、まだ実現化していないのだから。実現化したときにどのような気持ちになるのか、ならないのかにゆだねたい。

と言うのは、私はアフリカには何度も足を踏み入れ企画がなったたが、ラテンアメリカ世界は未踏である。一日でもいいから中南米の(ボリビアかペルーかアルゼンチン、または高齢者に負担のない低地国への)どこかの国へ旅をしたいという欲求が湧いて来たのである。そのためにも、叶うことならば、後数年額に汗して労働したいと想うのである。実現を夢見る高齢者の私である。

2026-08-01

酷暑の7月から8月に入った朝に想う、徒然五十鈴川だより。

 今の年齢で、大災害にあったら私はどういう心境になるであろうか。悲しいかな人間は当事者にならないとわからない。2012年わずか一日、東北の大槌町に瓦礫の撤去作業ボランティアに(生まれて初めて)出掛けたことがある。また我が家の側を流れる砂川の上流が決壊し、浸かった家の片付けにも、2018年7月、一日暑いなか出掛けたことがある。最初の孫が授かった年でもある。

ありがたや.ありがたやでの.老いの夏

この度の熊本地震は故郷の隣の県でもあり、若かったらきっと出掛けていたと思う。熊本には何度も訪れている。今年3月孫のノアと、私妻の3人で泊まりはしなかったがそこでレンタカーを借りて3泊4日旅をしたし、かなり復旧がなった熊本城も車のなかから眺め、市内をドライブした。

何年か前には長兄と、いつかは行かねばと思っていた、水俣病の展示施設を訪ねたこともあり、いずれにせよ、胸が痛む。

この酷暑のなか、被災されたかたがたの生活を想うと、言葉がない。だからただ黙って、自分の生活をするしかない。

この年齢になると、嫌でも死を、より身近に感じながら生活するようになる。若い頃よりも、体の諸機能が衰えてくると、眼にみえない世界への、想像力が、増して来るように思える。それは私個人の勝手な思い込みに過ぎないかもしれない。がその思い込みの深さを頼りに未知の世界に分けいってみたいという、老いのわがままを慈しみたい私がいる。

話は変わる。酷暑は続いているが、今日から8月である。明らかに季節は動いている。今週の金曜日には、ドイツ、ドレスデンに向かうので、思わぬ夏休みがすごせるのが楽しみである。今を生きる重要な仕事場をしばし離れ、まったくの精神の自由時間がいただける事の幸堪は、滅多には訪れないが故にしみいる。

何事もコツコツ意味もなく打ち込んでいると、思わぬことが起こるのを、私はこれまでの歩みの中で何度も経験している。

物やお金、名声、出世などの現世的な執着や欲望(もともと生特的に少ない)には、古希前の手術以後、ほとんど無くなり、ただ存在している有り難さに、想いを馳せる牧歌的庶民で、ただ在りたい。ただそれだけで充分という、現世的価値とは真逆の過ごし方を楽しんでいる。

下記に記します。

手前味噌だが、だからこそウカマウ集団のフィルムに、この年齢で自分でも驚くほど反応しているのだと想う。

ウカマウ集団のフィルムは、今の世をあまねく覆う、恐ろしく命を無慈悲にもて弄ぶ価値観の対極に位置し、私の身に付けたこれまでの価値観を根底から見直し、ひっくり返してしまうほどに、衝撃的なのである。(だからこそやりたいのだ)

もうこの未知のフィルムの上映会が元気なうちに企画できたら、もう他にやりたいことはない。7月4日、東京小平の小さなスタジオで、ウカマウ集団のフィルムに出会ってからというもの、以前と以後でまるで生活の時の流れが変わってしまった、と思える。(ほどに)

またもや変節してしまった。無知を照らす希望、中米、カリブ、南米、ラテンアメリカの国々のこの500年の歴史を、太田昌国先生のご本でほんの少し学んだだけで、何やら未知の世界に誘われ、老いてなおわくわくする。それもこれも、世の中に出て56年の歩みの上でたどり着いたのだと(たどり着けた)と思うと、感無量である。

PS 写真は次兄に、お前が持っていろと十数前帰省した際に預かった、亡き父が生前身に付けていた時計。動かないが捨てられない一品。整理していたら久しぶりに眼に止まり、これからは机の目に入る所に置いておく事にした。無言のエネルギーがいただける。私は引き揚げ者の末裔である。私が元気に生きていられるのは、父母をはじめとする死者と孫達をはじめとする生者のおかげである。

上の写真は長女が小さいころ植えたスダチの樹、すでに30数年今年も立派に実をつけている。

2026-07-29

酷暑を生き延びるための、労働と読書と昼寝で凌ぐ、そして五十鈴川だよりを打つ。

 私は生きている。亡き父が80歳をすぎ、ローカル新聞に26回、連載したときのタイトルである。思わず、このようなことを打つ五十鈴川だより、この年齢で、この暑さのなかの労働は体に堪える。だが私は堪えている。何故か。きっと希望、ガソリンのようなものが、一滴一滴、老いゆく体に、蓄積されてゆくかのような、いわく言いがたい自己暗示的満足感があるからである。

下記に記します。

高校二年生から演劇部に所属、18歳から20代のほとんど(生活費を稼ぐ以外)を演劇を学ぶ事に費やした私は、自己劇化というのか、どう考えても一回生の人生を、いかに劇的に生きればいいのか、いけないのか、というような、永遠のハムレットの問いの謎に、いまだ取りつかれている。そのような気がする。

人は時代や環境を選べず、生まれ落ちた場所から生き始める。千差万別の、各々の生を生きるしかないという宿命を追っている。だからあたりまえなのだが、日々自分に与えられし、今の体でのベストを尽くすしかない。今日は今日の体で、おのれを運ぶしかない。宿命である。

話は変わる。長女と未彩と私は7日の夕刻に成田をドイツはベルリン(そこからドレスデンに向かう)へ発つが、レイさんと息子の望晃(ノア)は、24日から一足先に発って、すでにドレスデンでの夏休みを過ごしている。レイさんは、ドレスデンでリモートワークが出来るので、少しでも長く、ノアにドレスデンでの夏休み、お父さんやお母さんとの時間を、と考えている、のだ。

すでに向こうでのノアの様子が写真で送られてきている。ノアは8歳にして、ドレスデンを始め、宮崎の私の故郷など、すでに多様な世界を垣間見ながら成長している。井の中の蛙的な世界しか知らず、18歳まで過ごした私とは大違いである。最初の我が孫がどのような人生を歩んでゆくのかが楽しみな私である。

(後何年、私にノアとの健康時間がすごせるのかはわからないが、こうやって少しでも綴っておけば、後年、お爺の気持ちが遺せる)

下記に記します。

話を酷暑の労働に戻す。雨が降らないので、草も成長が遅い。そのような今、私が炎熱のなか、ちびりちびり無理せず、集中力を持って勤しんでいるのが、屈んだ姿勢(時折這いつくばって)の草取りである。

正直数年前までは、苦手な作業(本格的にやろうともおもわなかった)だったのだが、達成感の喜びを体が覚えてからというもの、苦が楽に転じてしまったのである。(呼吸を整え、スクワット健康法くらいのつもりで取り組んでいる)

あくまでも無理せずなのだが、どこにどんな喜びが転がっているのか、わからない。退職された先輩、Tさんに特注で作ってもらった、特製の草取り道具が必需品、ワンラウンド50分位集中し、体調によって、4、5ラウンド、ラウンド毎に、休憩をたっぷりととる。季節によってやることは変わるのだが、ラウンドはほとんど変わらない。

この環境での労働が、よほど今の私に合っているのか、もうまる8年以上高齢者労働が続けられている。この熱暑もお盆を過ぎれば、と願う。熱射を避けての対策を講じながら、日々しのいでいる。

家では、昼寝と水浴びである。さっぱりした体で、ちびりちびり草取りのように本を読む。この繰り返しである。本読む集中力をキープするのには、草取りは特効薬である。

PS 上のの写真は10年前、レイさんが娘との結婚式のときに、西大寺の我が家のハッサクの種を持ち帰って植えたものである。10年後見事に育っている。家族が健やかに根をはるのも時間がかかる。レイさんは、ノアが昨年猪風来さんのところで作った縄文の小さな土偶も庭に置くと持ち帰りました。レイさんは、義理の息子であり、私の世代を越えた友達でもある。

下の写真は、太田昌国先生の現代企画室出版の、インディアス群書一巻、ドミティーラ.M.ヴィーゼル著、唐澤秀子訳、[私にも話させて](アンデスの鉱山に生きる人々の物語)です。岡山市の図書館にあったので、旅の空でじっくり読もうとおもう。

海堂尊著、[ゲバラ漂流]POLARSUTAR 491ページ、230ページを読み終えた所、無知を感じながら、読み進めている。著者が一冊の小説を顕現かするのに、どれ程勉強されているのかを、巻末に記されている参考図書群をみると、粛然とした思いになり、一行一行しっかりと読みたくなる。