一月六日から労働開始、昨日まで働いての土曜日の五十鈴川だより。アメリカのベネズエラへの驚天動地の介入を始めとする、世界の(イランほか)予断を許さないニュース、国内の山火事、地震、薄気味悪い事件などなど、年明け早々飛び込んできて、老人の私はすっかりお正月気分は消えた。そのようなニュース報道を横目、斜めに見ながら、私は静かで穏やかな日々を土の近くで生活している。
さて、話題を変える。古稀を過ぎる前くらいから、私は年賀状を書くことをやめた。義理のお付き合い他、儀礼的なことも年々しなくなった。そのような私の生活ぶりは、かなりの人に伝わっているはずと、私の方では一切お年賀の義理を欠いているのだが、それでもどういうわけか、今年も20枚以上のお年賀を頂いた。
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| 2005年に出版されている。 |
私の性(さが)、頂いたお年賀には、例年寒中見舞いのお葉書で済ませている。が今年は、午前中手書きで松の内に、すべての方に拝復お年賀を書いて、先ほど投函してきた。郵便局の年賀状ではなく、妻が持っていた絵はがきと記念切手を使っていいとくれたので、有りがたくもらって万年筆で一気に3時間位かけて書き終えた。私は何事も気がのらないと、一筆たりとも書けない質である。(終えてちょっとホッとしている)
私のお返事年賀は、ほとんど文字でうまっている。小さな絵はがきの半分に文字を書いているだけの短い手書きの一文だけである。頂いたお年賀はプリントされたものがほとんどで、わずかに手書きが添えられているのもあれば、まったくないのもある。
私が年賀状を出す気力が萎えたのは、まず肉筆が消えたことが大きい。上手下手ではなく、指紋、声紋、と同じように、その人にしか書けない癖が、文字には滲み出る。アルファベットは横文字、タイプライター文化、五十鈴川だよりは必然的に、タブレットで打つから横文字日本語である。
だけれども私は日本人である。私の娘たちを含め、すでに直筆でもかなりの日本人は横書きであるし、小説なんかでも横書きがある。今後あらゆる日本語が横書きなるようなすうせいである。だが私は直筆は手が動く間、文字が書ける間は縦書きに徹したい。悪筆我流だが、筆書きを私はこよなく愛す。昔(53歳の時)書家の達人石川九楊先生の[縦に書け]という本を読んで目から鱗が落ち、以来縦に書く事に決めたのである。
今でも気が塞ぐと、父が愛用していた硯に墨をすり文字を書いているとあら不思議、気持ちが落ち着く。作用、私の老人ライフはデジタルには程遠く、未来に向かっているのではなく限りなく過去にむかっている。人生の持ち時間がすくなくなっているにもかかわらず、敢えて時間のかかることをこそ、楽しみたいとという、絶対矛盾を私は生きている。
生成AIに頼めばあっというまに(生成AIは敵ではない。最後は私も多岐にわたってお世話になるかとはおもう。老いては便利にまかせる他ない)やってくれるだろう。だがまだ私は自分の手で書く幸せを手放したくはないのである。手間をかけて事を為す喜び、達成感、を私は、富良野塾と中世夢が原で見つけたのである。そして今もアウトドアバイト先で、自分で言うのもなんだが、その延長線上で、日々の達成感、幸せな晩年が送れている。苦あれば楽あり、楽あれば苦あり、は至言だとおもう。
再び話は変わる。いよいよ厳冬期にはいる。この連休、私は職場に我が家の薪ストーブ用の薪作りにゆく予定である。冬、昔のお爺さんは山に芝刈りにの体(てい)で、2000年に家を建て替えて以来、冬の薪の調達は私の必須仕事なのである。もう25年にもなる。継続力。
私のバイト先には常緑樹の枝が伸びて邪魔(風通しよく枝落とす、伐る)になったり、枝が枯れたりしてしているのがあるので、休日に行って薪作りに励むのである。直径十センチ以内位の枝をノコギリで30センチ位の長さに伐り、葉っぱ、細い枝は焚き付けにする。3時間もやると、かなりの薪が出来る。(薪ストーブでお湯を沸かし、湯タンポにする、したがって灯油は少ししか使用しない)
大空の下での運動を兼ねて、ノコギリを引き束ねる。もう何十年もやっているので体がコツを体得している。全身労働はお腹がすく。労働を終え帰宅、暗くなってストーブに火を入れ、冷えた体をお風呂にひたしたときの愉悦、例えようもない。身の丈に合う生活、そして健康に体が動くからこそ成せる事実に、ありがたやと、ただ呟くわたしである。






