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2026-03-21

草取り作業の、面白さにハマり、そしてもの想う、今朝の五十鈴川だより。

 昨日はお彼岸、春分の日であった。日の出が早くなり、今日もお天気が良さそうで、午前中義父のお墓参りに出掛けるまで時間がある。起きて数時間が、今の私の頭がもっともニュートラルですっきりしているので、ほとんどの五十鈴川だよりはこの時間帯に打っている。

中世夢が原から移植した水仙

さて、5年前のこの季節、私は病院に入院していた。いつ入院したのかは覚えていないが、退院した日は忘れることができない。23日である。69歳になってまもなくコロナ渦中の大変なときに、高熱が引かず緊急入院、運よく陰性で即手術となった。

簡潔に打つ。三回手術し、入院していたのはわずか3週間である。敗血症も併発していたので、生まれて初めて死が頭をよぎった、が幸運にも私は生き延びた。

退院した時の体重は53キロ、妻の迎えで、別人、弱々しい姿で家にもどった。退院後、先日退職されたTさんから、再三お電話をいただき、3週間もしないうちに肉体労働に復帰した。

Tさんから無理せず体を動かし、職場でリハビリせよとの言葉にしたがったのである。初日一時間、徐々に時間を増やし、一月後には元のように体が動いていた。あれから丸5年、極めて平凡な日々を、有り難き日々と感じ続けられている。退院後一年間お酒を絶っていたが、先生からビール、日本酒はだめだが、蒸留酒なら飲んでもいいとのお達し、すっかりハイボールが好きになった。

臆面もなく打つ。存在できているだけで足りている。この5年の間に、手術した時には一人だった孫が、4人になった。体重も61キロに。

さて話は昨日の続き、退院後の生活に生気を頂いた肉体労働、3年前から相棒が(それまでは一人でやっていた)加わった。すこし余裕ができたこともあるが、特に冬場、アスファルトの隙間から間断なく伸びてくる草を採る作業を、相棒と共に昨年の冬から、腰を入れて取り組んでいる。

正直、このような難儀な姿勢での根気のいる作業に、年齢的にも自分の体が喜びを覚えるなどとは想いもしなかったのだが、今私はこの地道な作業をどこかで楽しみ面白がっている。単なる目の錯覚で(草は決定的にまた生えてくる)あるにもせよ、採取.before.after ではまったく様相がことなる。

手入れがゆきとどいている、という自己満足感に浸れる、のだ。だが決して無理はしない。尺取り虫の要領、休んでは動きを繰り返すだけである。

この難儀作業、よもや相棒も加わるとは、期待も思いもしなかったのだが、相棒も根気よく従事している。お互いあうんの呼吸、だから必然的に関係性も深まる。何事も続けていると、体が自然とコツを知らせてくれる。

日本語には座る以外にも、しゃがむ、這いつくばる、という言葉がある。目線は大地に根をはる草に集中する。雨の翌日はTさんにお願いして特注で作ってもらった、草かき棒がことのほか役にたつ。作業が捗る。この面白さは、薪割りを体得した面白さと同じである。

重機や草刈り機がない昔、人々は腰を屈め、稲、根菜類の収穫など、直立歩行人間には難儀な姿勢での労働に、なん百年も従事していたはずである。もちろん私のご先祖も例にもれない。

富良野で初めて大地に這いつくばり、中世夢が原でも薪割り等の普段現代生活ではやらない体の動きを、何十年も続け、66歳から今に至るも、体を動かし続けて来なかったら、きっとこの草取り作業の面白さを、体得することはなかったともう。

そして想うのである。昔から人は苦しい生活や、労働のなかにも、なにがしかの喜びを見つけていたのに違いないと、私はおもいいたったのである。一見単調な動きの繰り返し、だが体は老いても、未だつつうらうらまで活性化する。気付くとずいぶん捗っている。老人の私には、安全でぴったしの仕事、何より天ノ下で思い通りに春の訪れのなか、地中のミミズが動くように、大差かわらず、私も動く。

夜、日中動いてくれた体を休め、就寝前体の手入れ、20分程度の体操を電気をつけず闇の中でする。暗いなか、これもはまっている。今年から始めた。千住真理子さんがやられていることを、私も真似している。おかげで以前にもまして、ぐっすり眠れる。寝て起きて働いて、合間合間に好きな時間をすごす。限りなく昔人にあやかりたい、というのが今の私の元気の元である。


2026-03-20

古い落丁のある、ボブ・ディランの詞を(詩集)の書写を(全部ではない八割程度)終えて思う、春の朝の五十鈴川だより。

 ちらほら桜の開花が告げられる季節の到来、等しく万人に春はやってくる。ウキウキ嬉しい。今日から三連休である。五十鈴川だよりを打つ気はなかったのだが、休日でも、ほぼいつもの時間に目が覚めたので、ゆっくりとコーヒーを飲み、ボーッとしていたら、なにやら綴り打ちたくなった。

私のことだから、いつまで続くかはわからないが、今年は年明けから、真面目に気に入った文章や、歌などを書写している。2月の中頃図書館でボブ・ディランの歌詞集を見つけた。長くなるので、簡潔に打つ。私はボブ・ディランの熱いファンではまったくない。

だが、思春期にライク、ア、ローリングストーン、風に吹かれて、時代は変わる等の、ハーモニカをぶら下げ、あの独特の声と歌いかたに、直感的に引かれ、影響を受けたことは間違いない。見果てぬ世界への誘い、とでも言うしかないなにかに、田舎者の私は連れ去られたのである。

学ばせていただきました

あれから55年以上の時が流れ、まさに時代は代わり、あの当時の生活にはなかった品物(武器を始め、世はまさに隔世の感)が溢れ、音楽も、小説もAIが(まったく私はその方面に疎いが)作れる、私には理解の及ばない、奇異な時代を、お爺さんになった私は生きている。

そのようなときに、たまたまボブ・ディランの詩集にであったのである。52年前、1974年に出版された本で、かなり落丁がある本であったのだが、書写をしたくなったのである。一月位かかると踏んで始めたのだが、結果3週間とちょっとで終えることができた。(ノート一冊とちょっと)

ボブ・ディランの詞を、翻訳日本語で読むことは、限りなく別な作品を読むことなのだと思いながら、書写を続けた。終えて思うことはやって良かったということである。

(今の日本にボブ・ディランのようなソングライターがいるのかいないのか、浮世離れの老人の私は、寡聞にしてしらないが、多くの名もなき弱き人々の声を、救いとる歌人の不在が、時代の不幸なのだと思える)

そして、岩波から出版されている新しい翻訳を手元に欲しくなったこと、この年齢で再びボブ・ディランを聴きたくなったことである。(千住真理子さんをきっかけに、何十年ぶりにわたしは好きな音楽を再び聴きたくなっている)

話は変わる。私は好事家的に本を読んだりはしない。あくまでも本を読むのは生きるためであり書写を始めたのも、そうなのである。五十鈴川だよりを打っていると自己満足の安寧がやってくる。書写もそうなので続けられる。もっと打てば、日本語の文字を手で書いていると、この老いゆく体が言霊に癒され安らぎ、気持ちが良くなるのである。

昔の人が詠んだ、俳句や和歌なども書写していると、なにやら昔人と交信しているかのような心持ちになる。枯れつつも微かな想像力の翼にたゆたい、荒涼とした潤いのない現世から逸脱時間が過ごせる(のだ)。

自己満足以外の何物でもない。しかもまったくといって良いほど自己完結、他者に迷惑をかけない。お金が不要、ノート、紙、インク代位である。書写以外に最近私がはまっていることがもうひとつある。それは明日打つことにする。

2026-03-18

84歳、草刈を終え颯爽と軽トラで帰ってゆくIさんの後ろ姿に打たれた、今朝の五十鈴川だより。

 昨日ちょっと嬉しいことがあった。私のバイト先は広いので、私と相棒の二人では手が及ばないエリアを、年に4回、シルバー人材センターの方たちが5~6人位やってきて(今回は数週間、高く伸びた枯れたすすきや葦を刈っていた、大変骨の折れる労働である)草を刈っている。その中の一人のかたが午後突然私のところにやってきて、今回は今日で終わりだと、わざわざご挨拶に見えたのである。

今日の五十鈴川だよりはkさんとの共作

何故ご挨拶にみえたのかはわからない。その方があまりにしゃきっとされていたので、思わずおいくつですかと訊いたら昭和17年生まれだという。私よりも10歳年上84歳である。

小柄だが背筋がしゃんとしていて、かっこよかった。久々、私よりも歳上で、草刈仲間で、話し方も含め、気持ちの良い老人に、昨日私はであった。笑顔が素敵でまた会いたいと思ったので、お名前を伺ったら、向こうも私の名前を訊いたので応えて、再会を約束した。

五十鈴川だよりは、その日暮らし、年寄り通信になっている。老いゆく一日をいかに気持ちよく過ごせるかに、重きをおいた生活を心掛けている。が正直、日々の生活の中で、爽やかで清々しい老人に出会うことは、私の場合稀である。

そのような日々の中で、出会えたIさん、今も打ちながら先輩の笑顔が浮かぶ。果たして10年後、Iさんのように草刈ができるだろうかと、自分に問う。私の答は、比較はしないで自分なりに一日を積み重ねてゆくしかない、という結論になった。ただ限りなく積み重ねてゆく希望を私はIさんの後ろ姿にみた。

これからの年齢を刻むお手本を、身近に見つけることができた喜びはひとしおで、そのことが私に五十鈴川だよりを打たせる。80歳を機に退職されたTさんしかり、今私が日々の足元生活で生き甲斐ともなっている労働仲間は、バーチャルなお付き合いではない。体を動かし、ともに寒さ暑さ、苦楽を共有するかけがえのない仲間である。

そのような仲間と、気持ちよくアウトドアで、バカな冗談を交わし晩年過ごせるなんて、私は至福である。皆、紆余曲折それなりに人生を歩んできた高齢者なので、都合の悪い時には支えあえる。(家庭の事情や長期のお休みなどで)

前回の五十鈴川だよりで打ったが、音楽会などの企画を止めるというのではなく、老いゆく仲間と、愉快に過ごす、少人数での終を見据えた(よしんば実現しなくとも)、自分でも思いもつかなかった、ようなひとときを演出する企画が、可能かもと夢みる。私ごとき、この世はつかの間の、夢のまた夢、だからこそ現実我が体を動かし、思いを共有できる仲間を大切に生活したい。私はすべての今を生きるすべての仲間と存在しているのである。

PS 今朝の写真は山梨に住む、女性の友達kさんから昨日送られてきた写真(昨年、数十年ぶりに再会を果たすことができた、73歳で企画しなかったら再会はかなわなかったかも、あれやこれや物語かしたくなるほどに、偶然を必然かしたくなる)

Kさんへ。妻同様私も富士山が歳と共に好きになり、老い先をみつめるとあらゆる生き物、つまりは森羅万象がいとおしく、慈しみたたくなる。よい写真ありがとう。(日本に生まれてよかった)上京した折、タイミングが合えば、ハイボールを飲みましょう。また写真送ってください、写真友達でいてください。(富士山の、写真いただき、春がきた)


2026-03-15

岡山の奥座敷、猪風来美術館、吹屋探訪、高齢者3人日帰り和気あいあい旅、翌日の五十鈴川だより。

 五十鈴川だよりを打てる朝がきた。昨日、共に働いているkさんに運転してもらって新見の猪風来美術館、吹屋を訪ねるワンデイトリップに出掛けてきた。

元仲田邸の離れの風雅な2階のお部屋での3人

[私は66歳から、今に至る(この夏で丸8年)この間パートタイム肉体労働を続けている。当初こんなにも長く働けるとは思いもしなかった。

今では単なる労働という概念を超えて、動ける喜び、働けることの在りがたさのような感覚が、大きな手術の後、古希を過ぎてますますふかまっている]

その労働環境で出会った、私より6歳年上のTさんが80歳を機にこの春、退職(週に3日来られていた)することになり、ご苦労様昼食会ワンデイ日帰り旅をしてきた。私をいれて3人での気まま旅を記録として、五十鈴川だよりに打っておく。

朝8時、kさんが私をピックアップ、続いてTさんを乗っけて、そのまま2号線バイパスに入り、岡山を抜け、総社から高梁川沿いを走り、猪風来美術館に10時半頃到着した。

紅やの主大場氏と。

約一時間村上よし子さんの解説付きで、館内展示作品を観賞した。村上よし子さんの新作タペストリーも展示されていて、作者のお話も聞くことができた。

(新作タペストリー、原野さんへの祈りが余すところなく、織り込められていて打たれた、新作の絵本も頂いた。これまでにも絵本を頂いた、近々ご本人のサインを頂きたいと思っている)

齢80歳で、いきなり異次元縄文、猪風来、村上原野作品を体感したTさんは、子供のようにあれこれよし子さんに質問をされていた。嬉しかった。年齢関係なく感じる人は感じる。案内して本当によかった。

あっという間に時間がたち、短い時間だったが猪風来さんよし子さん含めて、五人でお茶を頂き、そこから宇治の元仲田邸へ。12時20分着。地元のおばあちゃんの手作りお弁当を、趣のある江戸時代に建てられた家の和室で3人で頂いた。美味しくてあっという間に平らげた。Tさんもkさんも笑顔であった。

元仲田邸の管理人であるO氏は、中世夢が原で私が働いていた頃からの知り合いで、私の企画のほとんどに足を運んでくださっている。その彼に予約を入れておいたのだが、昼食後離れの風雅な趣のある建物(カフェで)で庭と宇治の山、田園風景を眺めながら、1950年代のレトロなアメリカ音楽を聴きながらしばし珈琲たいむ。

O氏が心込めて淹れてくれた。サイコーのおもてなしビスケット🍪付き(大きめのこれまたレトロのカップに)なみなみコーヒー。つかの間の至福感に浸った。kさんはこんなところで昼寝したいといっていた。しかりである。

O氏のカフェ、元仲田邸の建物の熱い説明に、Tさんもkさんも聞きいりつつ、二階からの眺めにいたく感動していた。桜がいい季節に、妻を伴いまた行きたい。珈琲タイムの後、Oさんが経営するカフェ、紅やがある吹屋に移動(元仲田邸から6キロ)し、ベンガラの里をしばし3人で散策した。紅やのすぐ近くで札幌から移住し、釜戸ご飯店を営む女性とも談笑できてほんわかした。(このような場所で富良野の話をするとは、まさに小説より奇なりである。)

Oさん含め、最後は70代男カルテットで、和気あいあい写真を撮り、愉快なひとときが過ごせ、小さな幸福感に包まれた。午後3時過ぎ、再会を約束し吹屋を後にした。復路は高梁から賀陽を抜け、岡山市内を迂回、2号線バイパスに入り側道をおり、朝とは逆Tさんをおろし、6時前に我が家へ。その後、kさんから無事に着いたと連絡があった。

おおよそ10時間の、岡山奥座敷探訪、高齢者男3人での日帰り旅、音楽会とかのイベントを、企画することばかりが企画ではない、その事を私自身が思い知らせれた、日帰り和気あいあい旅となった。今現在を共に生活し多くの時間を共有している、身近な仲間との交友をこそ大事にしたい。(大事な仲間との数人での和気あいあい旅は、私にとって老いゆくなかで、新たな気付きの啓示の予感、滅多にないからこそ素晴らしく思える)

2026-03-11

昨日は母の命日、東京大空襲、今日は東日本大震災の日に思う、五十鈴川だより。

 水曜日は労働OFFにしたので、五十鈴川だよりを打てるのが嬉しい。昨日は母の命日、そして東京大空襲の日、そして今日は東日本東北大津波、原発事故大災害の日である。あれから15年の時間が流れた。五十鈴川だよりを打てる間は、この日のことは忘れない。すべての死者の冥福を祈る。(やがて私も死者になる)

桑江さんご夫妻に出会え幸福である。

個人的に1月、2月、3月は両親、義父の命日が続く。また家族のだれかの誕生日が続くので、例年いやでも死者を悼んだり、生きてこの世に在り、穏やかに健康に平凡に生活出来ていることにたいする感謝の念は、私の場合老いとともに深まる。

近年、私にとって春が来るまでの冬の季節は、五十鈴川だよりをうち始めて以後、死者へのおもいを深める時間であり、またこの間に授かった孫たちとの出会いで、あらためて命の摩訶不思議さに気づかされ続けている時間でもある。

人生の持ち時間は有限である、ということを、今年からかすかに実感しつつある。還暦までは、頭では理解はしていても、限りなく実感がともなわなかったのだが、元気に思考、動ける時間は有限である。

とはいえ、ありがたいことに、いまだに肉体労働がパートタイムでできる体力が在り、五十鈴川だよりも打てる。だからこそ時間を大切に生きたい。何人も歳を重ね、程度の差こそあれ老いる。厳粛な自然の摂理に私は抗いたくはない。老いは哲理、病気ではない。体力が無くなってきたら、きっと気力も萎える。だからこそ今が、一日が大切になる。

世の中、人生100年時代とのたまうが、あくまでもその人らしく、生をまっとう出来ることをこそ、私は望む。自然に抗うのは不自然である。生まれたばかりの赤ちゃんがなにもできずお母さんの手を借りるように、何人も最後はどなたかの手を借りるのである。その自然哲理に私はあやかりたい。でもギリギリまでは命を(思考する楽しみ)みつめられたら、言うことなしである。

話は変わる。私が生の有限をかすかに実感し始めたのは、やたらと昔のことを懐かしがる、というか、その懐旧の念の深まりが、日に日に濃くなってきているのを感じるからである。現世に生きている喜びもさることながら、昔の思い出(善きことばかりではない)によって、(故郷回帰願望はその最たるものである。)再び生き直しをしているかのような感覚(錯覚であれいいのである)を感じるからである。

その事で打てる(書ける)打てないは別にして、打てる範囲で打てるうちに、孫たちにお爺の思い出を残しておきたいという気持ちが湧いてきている。今はまだ、生きるのに忙しいけれど、五十鈴川だより(のなかで、タイトルは未定だが、孫たちへ)、なにがしかの文章を遺したい。明らかなことは体力がなくなったらうてない、からだ。

老いると昨日できていたことが、突然できなくなる。なき父が26回連載していた新聞記事を遺してくれていたことで、今、私がどれほど日々生きるエネルギーをもらっているか計り知れない。また、母が晩年病をかかえ、病床からの葉書が手元にある、宝である。

PS 今日の写真は昨日送られてきた、桑江良健さんの回顧展のお知らせ。最後の個展になるとのことである。出会えて30年の関係性。このような人物と出会えて言葉がない。幸福である。

2026-03-08

2月から、長周新聞の購読を始めました、そして思う、3月最初の五十鈴川だより。

 3月最初の五十鈴川だより。国際法無視、アメリカ、イスラエルによるイランへの空爆ほかの報道映像、ガザ、ウクライナ、終わりの見えない戦争地獄エリアの映像に、老人の私の感覚は麻痺している。想像を絶する。編集され切り取られた映像をいくら流されても、ごく普通に生活している民衆の痛み、苦しみ、慟哭は、哀しいかな実感できない。そして深い深い世界の真実は巧妙に隠蔽されているようにしか思えない。


だが、80年前のこの日本で3月10日、何百機の(正確な数はわからない)B29による焼夷弾の一晩の空爆で、東京都内の死者はなんと10万人に及んでいる。一晩でである。

そのあまりのすさまじさを、作家の永井荷風や谷崎潤一郎、半藤一利、太宰治、向田邦子、山田風太郎、北杜夫などなど、また芸人の徳川夢声、古市ロッパ、などが日記に残している。

西川清史著、[荷風たちの東京大空襲]を読むと、そのあまりの生き地獄、阿鼻叫喚の、まさに言語を絶する様子が、赤裸々に綴られている。齢74歳の私がいま読んでも、この世の地獄絵が彷彿と想像できる。人は極限状況におかれたら、豹変することでしか生きられない。誰がその事を非難できるであろうか。ただあの極限のなかでも、自ずとそのひとらしさは 文章から浮かびあがってくる。自問、自分が極限状況におかれたら。やりきれないが、きっと豹変する。だからこそ、平和で生きられる今をこそ大事にしたい、のだ。

この歳になって、というのは、老い先が短くなって思うことは、孫たちや未来の日本を担う人たちにも平和。穏やかな日常生活が送れる平凡な日々を、と願わずにはいられないからである。

私を含めた、戦後生まれ、平成生まれの娘たちには、皆目そのような艱難辛苦世界は想像だに出来ないことである。が、80年前、とくに東京ほか日本の大都市は空爆され、今のイランやウクライナやガザでの悲惨極まる阿鼻叫喚地獄絵を、都会にすむ人びとは経験したのである。

戦争エリアの人々の、想像を絶する苛酷な生活状況の理不尽さに、老人の私など思考停止に陥りそうになるのだが、老いてはいても無関心だけは勉めて避けたい、という気持ちが五十鈴川だよりを打たせる。

話は変わるが、2月から購読を始めた地方発、下関の長周新聞(一週間に数回郵送され、見開き四ページ、読みやすい)、老人の私には読みやすい。大都市の新聞社とは全くといっていいほどスタンスが異なる。庶民生活者の視点が揺るがない。そこがいい。じっくり目が通せる。

ほとんどが世界の大都市(政治、経済、文化、メディア、テレビ、ネットフリックス等の娯楽番組含め)からの、映像情報に対して、活字好きの私には長周新聞は新鮮である。軽重浮薄な人生歩んできた私には、教えていただくことが多い。

先の大戦で知らされた日本人の、大きな流れに染まり易い体質(私などご多分にもれない)は、ゆめゆめ油断してはならない。幸い言論の自由が国是として憲法で保証されているので、五十鈴川だよりを打ちながら、一人のお爺さんとして、何よりも穏やかで平凡な、マイナー日常生活の有り難さを金太郎飴のように打ち続けたいと、念う。

PS 私の両親は、北朝鮮からの引き揚げ者なので、一面の記事、すぐに読ませていただきました。あまりにも読むのが辛い。


2026-02-28

2月最後の土曜日の朝、千住真理子さんの(続ける力)という本にエネルギーをもらい、ボブ.ディランの詞の書写を始め、思う五十鈴川だより。

 土曜日、もう2月が過ぎる。今年は、その日暮らし老人生活を、今のところいい感じで過ごせている実感がある。打てる時に打っておく五十鈴川だより、日々感謝、ただそれだけである。当たり前、ある日突然五十鈴川だよりは終わる。だがその日までは打ちたい。打ち続けたいという願望が消えない。


さて、いまだ労働者として、副業で日々の生活の幾ばくかの糧を得ている身としては、健康こそが全て、そのコンディション調整こそが、今を生きるその日暮らし生活者としては、第一義である。健康が損なわれたら、五十鈴川だよりは打てなくなる。

統計というものによれば、いま男性の健康寿命は73歳あたりであるとのことである。私はすでにその年齢を過ぎている。そういう意味ではありがたき日々を私は送っている。

ところで、昨年秋千住真理子さんの、続ける力(その事は書いている)という本を読んで、痛く感動した。(今も手元にある)

長くなるので簡略に打つ。真理子さん(と呼ばせていただく)は私よりも10歳年下である。生まれ落ちた時代も環境も、すべてのことがあまりにも異なる。私はヴァイオリンに触れたこともない。だが事実打たれた。別世界を生きておられる方の本を読んで、何故私が感動するのか、を縷々説明するきはおきない。

本を読んだことで生まれて初めて、千住真理子さんの演奏を、昨年11月8日東京の八王子で聴いたときの私の驚きは、すでに五十鈴川だよりに打ったので割愛する。日々謙虚に修練する、続ける、続けられるその泉のようなエネルギーの源を、続ける力のご本のなかで、赤裸々に吐露されている。

私は若い頃から、持続力が、限りなく乏しく、世の中に出て飽きっぽい性格の自分を時にもて余し、苦く暗い青春の日々を送っていて、20代の終わり、このままでは駄目になるという、言うに言えない感情におそわれたことをいまだに私は忘れない。割愛するが、自信が湧いてきたのは富良野での労働体験以後、30歳を過ぎてからである。

ところで、千住真理子さんは一度ヴァイオリンを二十歳の頃手放されたことをご本で知った。天性のヴァイオリニストにしても数々の試練、挫折を乗り越えて現在がある、のである。

今現在も智力、体力を研ぎ澄まし、鍛えておられ、プロの水面下での日常がユーモアをもって綴られている。真理子さんのご本は、今を生きるすべての人に開かれている。その日暮らしの老人にも、限りなく勇気を与える。

その日暮らしの充実を図るために、一日でも長く肉体労働従事者で在りたい、との覚悟が深められたのは、千住真理子さんの本を繰り返し読んでいるからである。その本に触発され、この数年、折々続けていた、好きな言葉や文章の書写を、本格的に2月16日から始めた。

2月20日から時間を見つけて、ボブ.ディランの詩、歌詞を書写している。200以上はある歌詞を書写するのにはかなりの時間がかかる。だがもう決めて、手は動き、すでに全360ページの130ページまで進んでいる。わくわくすることは続けられる。

全く未知の、別世界の方のご本から、このような刺激を受けるとは思いもしなかった。そのような体、いまだどこかわくわくする心を老いてますます大事にしたい。さて、思い付いて始めたボブ.ディランの書写、いまの時代を予見するかのような、歌詞の内容のそのすごさは時代を鋭く撃つ。そして時代をこえる。書写しなかったらボブ.ディランの詩にも出会うことはなかった。

PS 今朝の写真は三鷹の娘のマンションの入り口に聳えるヒマラヤ杉の写真です。撮影者は長女の旦那さんのレイさん。彼は写真のセンスがいいので、時折五十鈴川だよりに載せたいとおもいます。