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2025-09-15

敬老の日、最後のフライヤー配布に出掛ける前の朝の五十鈴川だより。

 今日は最後のフライヤー配布に出掛ける。その前に頭が新鮮なうちに、ちょっと五十鈴川だよりを打つ。

今日は敬老の日だそうだが、私にはいまだピンとこない言葉である。確かに年齢的にも、外見的にも十分に老人ではある。しかし、普通に生活して歳を重ねてきただけで、うやまれるようなことは何ひとつしてきたことがないので、面映ゆい。ただお休みがもらえるのは正直嬉しい。嬉しいのは、フルタイムは無理だが、いまだ現役で働いているからだろう。これが毎日が日曜日なら、嬉しいという気持ちも半減するに違いない。

遺言の書である

話は変わるが、今年1月、67歳で亡くなられた森永卓郎さんの本(官僚生態図鑑)という本を読んだ。随所に怒りがわいてきた。詳細は割愛する。

テレビでお顔は拝見していたが、本を読んだことはなかった。昨年秋に上梓され、すい臓がん末期の治療中に書かれている。森永さんが40年にわたって官僚と共に働く中で見つめ続けてきた、官僚の生態があけすけに綴られている。

(事実であればこのような、エリート偏差値を世間知らずバカが、国を司るポストでのうのうと、血税を貪っているかと思うと、暗然暗澹、この国が没落するはずである)

読んでみて、余りにも庶民とのずれ、感覚のずれに言葉をうしなった。とくに天下り他の、既得権益に巧妙、狡猾にしがみつき、甘い汁を吸い続ける財務省官僚の生態はおぞましいのイチゴ一語に尽きる。一般国民との感覚のズレに呆れかえって、いかんともしがたい感情を抑えられず読み終えた。(大多数の他のこの国のエリート官僚はしっかりと仕事をしていると信じたい)

森永さんの官僚への遺言のような本である。この国の行く末を想うとき、森永さんはいてもたってもいられないような、お気持ちで病と格闘しながら、書かずにはいられなかったのだろう。その真摯さがつたわってきた。だから五十鈴川だよりを打っている。

この国の行く末、少子化をはじめとする、余りの多岐にわたる問題山積、閉塞感、どん詰まり感、を何とかするべく、官僚への愛と憎しみ、叱咤激励の書である。以前の私だったら、手にしなかったような本を、意識的に読むようになってきた。昨日も打ったが、老成ということについて、敬老の日の今日、じっくりと物思いに耽るのも一興である。

森永さんは私よりも五歳年下である。命は何時なんどき奪われるか、死が訪れるのか未知である。何かで読んで記憶に残っているのだが、中島敦という若くして亡くなった作家の言葉、やることがいっぱいある人の人生は短く、やることがない時間を生きる人の人生は長いと。

18歳で世の中にでて、あっという間にこの年齢を迎えている。そのような感慨が私にはある。一方、あっという間ではあったが、ずいぶんいろんな事を、じたばたやってきたのだと、そしてよくぞやれたものだとの感慨にもおそわれる。

誰かがいっていた、いつ何時召されようが、それがその人の運命、寿命であると。ただ長生きすればいいとの側には、私はたちたくはない。これは幻想的願望に近いが、可能ならギリギリまで動く心身を、と敬老の日の朝に想うのである。



2025-09-14

昨日、お昼を猪風来さんよし子さんとご一緒し、その後真庭のkさんを訪ねた日の、翌日の五十鈴川だより。

 昨日9日ぶりに猪風来さん、よし子さんを訪ねた。火急の用事があったわけではないのだが、野焼き祭りまであと一月をきったし、これから本番まで週末の土曜日はとりたてての用事はなくとも行くことにしたのである。

着いたのが11時半、早めの昼食を3人でゆっくりとする。対面すればお自ずと会話が自然に流れる。私の文章力ではお伝えできない悲しさなのだが、縄文末期から渡来人がやってきてからの、日本列島のそこかしこに棲んでいた、つまりは縄文人のあの長きにわたる、土偶や生活土器に象徴される穏やかで豊かな文化が、滅ぼされた。縄文人には所有するという概念がなかった、と。事実に基づいての貴重なお話に私は聞き入った。

(人類が破滅、死滅しかねないせとぎわを、戦後80年、世界は何とか生き延びてはいる。だが明日は、未知である。核弾頭を誇示し会う為政者がひきもきらない。老人の私にはまるで理解が及ばぬことがあまりにも多すぎる。もう十分過ぎるほどに、この惑星は悲鳴を上げているように私にはおもえる。気候変動で命の源、食物が脅かされることがないことを祈る。飢えが一番恐ろしい。

人類の歴史は殺戮の歴史でもある。私がもの心つく頃からも、戦争したがる為政者は一向に減らない。領土を広げ、資源を漁り、口実をつくり、宗教の相違、イデオロギーの相違、大義を掲げ、戦争をいまも繰り広げ、罪のない人まで殺戮し巻き込む。あらゆる命を育む、唯一無二の母なる大地、水の惑星を汚し続ける。命を生む水が汚染される。命はつながっているのに、現代物質文明は暴走を止めない。何故か。

プラスチックの目に見えない分子はめぐりめぐって食物連鎖、全人類の人体にはいりこむ。魚や肉をいただくどのような人間にも入り込む。一人の今を生きる愚かな人間の一人として、愚かな一歩間違ったら取り返しのつかない、この世にだけはしたくない、と、わたしは勝手に考える側にいる。

私は今まで十分に生きることができたが、これからをこそ、しっかりと生きなければならない、すべての人にとっての大切な未来、一番必要な物は食い物と水である。人類が生き延びるための母なるヒントが、あの長い縄文時代を生きた人々の叡知にはあるように想える)

ゆく度に、繰り返し聴いたお話しばかりではなく、新しいお話を聞くことにもなる。それが楽しい。無知な私にはすべてが新鮮なのである。ふだん余計なことには一切口を挟まないよし子さんが、時おり会話に入ってくる。それもまた新鮮である。表裏一体、一心同体の二卵性双生児のようなご夫婦である。

気になっていた観客席作りのことなどもクリアされていた。追加のフライヤーも届いていた。よし子さんが500グラム量れる量計で、てきぱき用意してくれた300枚のフライヤーを預かった。

別れ際、原野さんが10歳の時に書いた貴重な岩手県への旅行記をお借りし、午後一時に猪風来美術館を後にし、その足で真庭の落合に向った。8月のフライヤー配布でパンクした際に大変ご迷惑をかけ、お世話になったkさんを訪ね、一言御礼を伝えたかったからである。

それにしても、あのような奇特なご仁に、災い転じて遇えるとは。世知辛い人の世で浴びた一陣の爽やかな風に私は心から癒された。お家がまた素晴らしい。離れに囲炉裏の空間があり、お茶でのおもてなし。まさにわびさび、賢者とはかくのごとしを実践されている稀人にわたしは助けられたのである。おん年80歳、あのように歳を重ねたいと私は意をつよくした。

バイト先で見つけた10センチ位の幼虫

時間がなく、ゆっくりとお話はかなわなかったが、私が運転出来る間は、年に一一度でもいいからお訪ねし、お顔にあやかりたいと思っている。別れ際、kさんは何と秋の猪風来さんのイベントをご夫婦で申し込んだと私に告げた。

嬉しい。単なる音楽会ではない、猪風来さんご夫婦の心血が込められた祈りの、集大成企画である。kさんご夫婦が来てくださる。動いたからのご褒美である。時間があったので、その足で真庭の農産物直売所と、 もう一ヶ所フライヤーを配布し、五時前に家に戻った。

ps 老成という有難い言葉がある。体が思うように動けなくなってきて、嫌でも死の気配のおとずれを意識するようになってきた。老いないと見えてこない、湧いてこない感覚、感情だとおもう。老醜ではなく老成感を少しでもあやかれるには、といったことを想う。ようやく森羅万象の小さな生物や植物の生態にも見いるようになってきた。

2025-09-13

4ヵ月近く続いた酷暑の夏、肉体労働を持続しながら、乗り切った我が体に感謝する五十鈴川だより。

 5日も五十鈴川だよりを打たないとずいぶん打っていない気がする。すべてなるようにしかならない。五十鈴川は流れるようにしか流れない。泰然自若には程遠いが、わたしもまた自然に流れてゆきたい。(ある日突然五十鈴川だよりが打てなくなるまで)

学ばないと、当たり前、まずい。

今日から3連休である。嬉しい。ようやく朝夕涼しくなり油断はできないがほっとしている。この4ヵ月近く続いた 猛烈な暑さのこの夏を、この年齢で、我が体があの肉体労働をよくぞ乗り切ったくれたものである。古稀を過ぎてからは、毎年一年一年をしっかり生きる、との思いしか私にはない。

さて、今の労働、老いらくのアルバイトを66歳の夏から始めて、この夏の終わりで、まる7年が経った。

昨夜外で夕飯を妻としたのだが、よくこの夏を乗り切ったね、と労いの言葉をもらった。私は春夏秋冬、自分のやり方で任せられているこの労働バイトがことのほか気に入っている。

それは年間通してやることがあり、工夫しながらあれやこれややることが尽きないからである。つまりは面白いのである。だからきっと続いているのだ。

激しいあめのときはやらないが、少々の雨なら、炎天下よりもずっとはかどる。着かえる肌着をたくさん持参して着かえる。着かえた後の気持ち良さはやったものだけが味わえる。つまり、苦あれば楽ありである。何度か打っているが、このよう肉体労働の喜びのような感覚を体得したのはやはり富良野塾である。自分の人生で限界に近いところまで体と心を、青春のおわりに追い込まれ鍛えられた経験が今の私を支えている。

健康に体が動いてくれるからこそなのは言うまでもない。体に感謝。能天気にこのようなことを打てる在りがたさなのだが、夏の労働を乗りこえた(また一つ知恵がついた)ので、これから涼しくなる秋の労働は、きっと楽しい。企画をすることも草刈り他の労働も、限りなく私のなかでは連動している。

草取りを持続するには、スクワット、立ったり座ったり足腰が、老人の我が体の筋力が鍛えられる。いつまでこのバイトが続けられるのかはわからないが、ハッキリとわかっているのは、出来なくなるその日まではやる、ということだけである。

10日も労働をやらないでいると、筋力はよわまる。体は正直である。相撲で言うところの三年先を見据えて、1日1日を怠らない暮らしを、(老いの稽古を持続)臆面もなく打つが古稀を過ぎてからは、なんとか実践している。AIに聞けば、いろんなことを教えてくれるだろうが、教えてもらったことを、実践するのはあくまでも自分の体である。


2025-09-07

キーボード無しで打つ、近づいてきた、10月12日の縄文野焼き祭りに想う、今朝の五十鈴川だより。

 キィーボードをコーヒーで濡らして使えなくしてしまったので、金曜日から3日連続画面に直接打っている。まだ慣れず時間はかかるが、慣れればキーボードは不要になるので、このまま画面に直接打つ訓練を続けることにした。

ところで、同年齢の他の方はいざ知らず、当たり前だが老眼が進み、運転には眼鏡は必要ないのだが、本を読むのには必須である。老眼鏡さえあれば、今のところまったく生活には支障がない。が、確実に眼は衰える。眼だけではなく肉体のあらゆる機能が上向くことはない。冷厳な摂理である。だが、その事への心の配慮はできるだけ先伸ばしにしたい、というのがいまの私の心境である。(現状維持、今日やれたことを明日もやる)


今日、今やれることにのみ集中して(よく休みながら)1日を過ごす、その事にのみ重きを置いて生活することにしか、志行、思考しないように心かけている。

ある日突然のアクシデントが起こるのが、人生の摂理と受けとめ、その時に対処(出来るだけ受け入れる)するためにも、今日を悔いなく生きることが肝要なのだと、我が身にいいきかせる。

話は変わる。この2日10時間近く良く睡眠をとったおかげで、夏の疲労が取れたのか、今朝はすこぶる体が軽く感じられる。日中は今だ暑いが、朝夕はいいくぶんしのぎやすくなってきた。

さて、いよいよ猪風来さんの10月12日の縄文野焼き祭りまで、一月とちょっとに、迫ってきた。

野焼き祭り実行委員会の一人として、無い袖は触れないし、やれることしかやれないのだが、出来るだけやれることをやって当日を迎えたいのだ。来週から、土曜か日曜の1日、毎週末猪風来美術館に行こうと思う。

そのために考えたのだが、五十鈴川だよりを読んでくださっておられる方で、ボランティアしてくださるかたが、(もし一緒に行ってくださる方が)いればありがたい、のである。募りたい。ただそれを思い付いたので打つ。(直接ご連絡いただけると嬉しい)

私ひとりでも行けば、なにがしかの事は出来る。片付け、草刈り、などなど、動けば老人であれ、祭りの一員になれる。私は縄文野焼き祭りに参加し、その一員になりたいのである。うまくは言えないのだが、猪風来さんからのお声かけをいただいてから、いわく言いがたい老いの情動の発露が、猪風来縄文の風が、微風が私の体を吹き抜けるのである。

この爽やかな縄文の風は、これから先の老いゆく我が道程を、照らし導いてくれる確信がある。その事が私を美術館に向かわせる。

ps 縄文野焼き祭りをお祝いすべく、250人の参加を実行委員会の一人として、達成したい。

2025-09-06

4人の孫たちに、私が伝えたいこと、今朝はこのような五十鈴川だよりになってしまいました。

 休日は五十鈴川だよりを打つことから始める、ということがルーティンになってきている。66歳の夏からいまの高齢者バイトを始めてまる7年になる。一言7年、そして昨日も元気に午前中だけとは言え労働ができて、ぐっすり寝て起きて、静かに五十鈴川だよりを打てる、ただそのことに言い様のない喜びを覚える。

そしてこの7年のあいだに、今年の8月5日、私は4人目の孫に恵まれた。もし、私が年金生活のみであったなら、きっとこのような穏やかな高齢者生活は送れていない。そのことに思いをいたすとき、この労働アルバイトに巡り会えた事の幸運に、ただただ感謝するほかはない。

この間の、コロナ禍で世間が騒然としている四年前、次女は最初の子供をまさに命がけで生み、私は初めて大きな手術を短期間に3度も経験した。あの体験がやはり大きい。術後すでに4年がたちすっかり健康である。次女は今年二人め女の子が授かった。長女も2年前二人め女の子を授かった。いろいろな思いが去来する。

術後4年が経つ、70歳で企画を再開、私はもう年齢のことは忘れることにした。命が、体が動き、労働意欲がある間は、企画も続けることに決めたのである。すでに打ったことがあるのだが、年金生活だけでは企画はなせないし、よしんば幾ばくかのお金に恵まれていたとしても、体と心が連動しなければ、企画は生まれない。他の方はいざ知らず、私はそうである。

忌憚なく打つが、あくまでもギリギリのところで、基本、汗をながし稼いだお金で生作費を考える。これが楽しい。したがって高額なギャラが必要なアーティストは企画しない。アーティスト自身も土取さんのように、コマーシャルベースに重きを置かない活動を基本にされている、芸能者や音楽家を自ら探す。

企画者とアーティストは対等関係である。お金を有効に、大切に使うからこそ、必死になれるのである。もっと打てば、必死にならない、なれない企画は私にはできない、面白くない。きわめていい加減、わがままな企画者なのである。

知の巨人から繰り返し学ぶ

40歳で企画をすることになったときに、実現できる目算があったわけでは毛頭なったのだが、実現したらお面白いだろう、というワクワク感だけが私を支えていた。あれから33年の歳月が経ってはいても、いまだかろうじてワクワク感がある。だから企画が成せる。

話は変わるが、私が孫たちに伝えたいことは、ただひとつである。生まれて来たのだから、健康に、一回個っきりの人生、自分がワクワクする時間を見つけて欲しい、ただそれだけである。あくまで自分のリズムで、体が気持ちのいい、没頭できる時間を過ごして欲しい、のだ。

そのためには、お爺である私が、労働であれ、音読であれ、企画であれ、何であれ、できるだけ愉しそうに存在している、お爺でありたいと念願(おも)うのである。

2025-09-05

昨日9月4日、新見市役所で行われた、10月12日の記者会見と実行委員会ミーティングを記録として五十鈴川だよりに打っておく。

本を読むのも体力がいる。

 雨台風が過ぎ去った日の夕刻、寸暇うっている。7月31日、10月12日のフライヤーが出来てから、今日9月5日まで、老人の私にはなにかと多忙な日々が続いている。だがその多忙な日々は、何ものにも代えられないほどの充実感を今を生きるにもたらしている。

さて、昨日は新見市役所で、あさ10時から猪風来美術館20周年記念記念特別企画、秋の縄文野焼き祭りの記者会見がおこなわれた。事実だけを簡略に打っておく。台風の影響もあり、こられているメディアは備北新報と吉備ケーブルテレビの2社、参加したのは猪風来さん、20年野焼きを裏方として支えてきた小林さん、土取さん側から大鹿さん、野焼き祭り実行委員会から大場さんと私が参加した。

猪風来さんが、新見の法曽に来られての20年の歩みの、お礼と感謝の言葉に始まり、20代のおわりから、縄文にとりつかれ、北海道での自給自足での、家族で建てた縦穴式住居での縄文人の心と技を修得する前人未到の、20年の生活含め、おおよそ半世紀、結果、今ようやく自分の縄文造形アート世界への評価が高まり、とくに今年は、開館20周年の節目に、猪風来さんドキュメンタリー映像作品が撮られることも同時進行で進んでいることにも言及、また、先日お亡くなりになった縄文考古学の大家小林達雄先生との交友についてもかたられた。

わずか、一部分をスケッチ擦るにとどめる。そばで、実行委員会の一人として、せつせつ訥々と語る姿を、その壮絶一途な歩みをそばでききいって、感動を新たにした。猪風来さんのお話しの後、おのおのこの稀な企画に参加することになった契機を一言ずつ述べ、記者会見はスムースに予定よりも早くおわった。

その後は、猪風来美術館ではなく、市役所の綺麗な会議室で、各々仕事を抱えながらこの企画に実行委員会として参加しているメンバー、小林さん、大場さん、大鹿さん、Nさん、猪風来さん、私、新見市役所からkさん、Hさん8名で、お昼を挟んで、午後2時時まで有意義なミーティングが行われたことを、記録として五十鈴川だよりに打っておく。

ミーティングを終え、私はよし子さんへの報告をかねて、美術館に立ち寄り、猪風来さんと3人で珈琲たいむ、高齢者ミーティング、いつもよし子さんが珈琲淹れてくださる。この珈琲のおかげで、眠くもならず安全に帰路についている。朝6時過ぎに家を出て、夕刻6時半に家についた。

ps 昨日に続いて佐藤優さんの10年前の本、忘れていることが多いので、新鮮に読める、チビリチビリ、シャクトリムシのように、気分転換の読書が私には必須dある。

2025-09-03

三鷹の下連雀、次女のマンションから西大寺に戻り、夕刻打つ五十鈴川だより。

9月1日夜10時過ぎ東京から我が家に戻り、昨日今日午前中、暑さのなか何とか働き、妻が仕事でなのでお昼を自分で作り(納豆野菜うどん)食べ、お昼寝をして、夕刻、珍しく寸暇五十鈴川だよりを打つ。

次女のところで、岡山での生活とはまったくことなった時間を過ごし、なんというのか時差ボケのような、まだ体のどこかに、あの孫と過ごした時間が濃厚に残っている。が、翌日から2日働いたので、ようよう普段にもどりつつある。

それにしてもいつまでも暑い、8泊9日三鷹の下連雀で過ごしたのだが、東京も暑いとはいえ、次女のマンションが快適だったし、用のないときはほとんどマンションの図書館で過ごし、夜は充分に寝ることが出来たので、事のほか体調がよい。体調が悪かったら、まず五十鈴川だよりを打とうという気にはならない。

東京では持参した3冊の本を、読むことが出来た。いちいち読んだ本のことを書いていない。(写真にアップしているのもあるが)この年齢になっても、本を読まねば、ますます知的好奇心は劣化してゆくとの、思いに駆られる。6月から既に3ヶ月以上の暑さが続いているが、チビリチビリ、本を読むことだけは持続している。

前回、今後は孫たちに読み聞かせるための絵本を探すという、新たな読書意欲が灯ったのも幸運である。五十鈴川だよりを打つことも、草刈りをすることも、音読をすることも、あらゆることに通低(私の場合)するのは、あまり気が進まなくても、とにかく始めるということである。

それくらい、私の体はいい加減である。そのことを私は知っている。何事もやっているうちに、自然に捗ってゆくということを老いつつも我が体は知っている。これは決して自慢話を打っているのではない(そう思われても、もう古稀をすぎているのだからまったくとんちゃくしない)。

18歳から世の中に出て、お金に不自由する暮らし、お金にはまったくといっていいほど、今もだが縁のないない生活をしている私である。だが、なんとか生きている。その秘密はたぶん、おかねが無くても、お金には依存しない、 身の丈に合う、ヤドカリのような、その日が何とはなしに、生活できれば良しとしようってな、くよくよしない能天気さが、私を救ってくれているように思う。

老いるにしたがって、目も耳もよわくなり、そうなると根気も、持続力も今後はすべては下り坂、初めて経験する未知のゾーンを日々生きるしかない。自然の摂理を生きるにしても、私なりの方法の様なものを見つけたいという、いわば一日でも長く前向きの姿勢で在りたいと願うのである。


さて、いきなり話は変わるが、明日は猪風来美術館 20周年記念特別企画、縄文野焼き祭りの記者会見が新見市役所で行われる。私も参加することになっている。この年で初めて経験する未知の記者会見、ちょっと緊張するが、仕方がない。

それもこれもヶセラセラ、猪風来さんと出遭ってしまったからである。猪風来さんは私の老いゆく体に、縄文の新鮮な風を吹き込む稀人である。昨年秋よもやまさかのお電話を頂いてこのようなことに成ろうとは、正直思いもしなかったが、事実は小説よりも奇なりである。


ps 今日の写真は2008年に求めた、この20年近く私が最も読んでいる佐藤優さんの本、新しい本ばかりではなく、繰り返し読んで学ばせて頂いている。無学、無知蒙昧、井の中の蛙を、今も思い知らされる。