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2025-11-24

昨日午前中玉葱を植え、今日も菜園場に行く前に思う五十鈴川だより。

 昨日午前中、妻は仕事だったので一人で菜園場に玉ねぎの苗を、マルチをひき300の苗を植えた。もう充分なのだが、友人にも送りたいので、スペースいっぱい今日も植える。

この仕事に廻り合い、お辞めになる方が、よかったらこの菜園場を使ってほしいとのことで、以来有り難く使用している。あれから7年、ささやかに土に触れる生活を持続している。まったく我流、虫に喰われて全滅した野菜も多いが、今年もトマト、なす、ピーマン、シシトウは買うことがなかった。サツマイモはほとんど実が(葉は繁ったのだが)つかなかったが、家で食べるにはことかかない。ストーブで焼き芋をいただくには充分である。

色付く我が家の八朔

今年の中では茄子とシシトウ、ピーマンがひっきりなしに実をつけて、この物価高のなか今も我が家の家計を助けてくれている。 娘たちにも上京する度に持参したり送ったりしている。お米も高くなっているが、共に働くkさんの作っているお米を直接買っている。主食のお米を生産者から直接買えるのは有難い。(kさんからは柿や野菜なども時折いただく、気持ちのよい晩年の友人である。)

ところで、その豊作茄子を、妻がぬかにつけ、私の大好きな漬物にしてくれたのだが、その美味しかったことと、懐かしい母のぬか漬けの味を舌が想いだしたことを、五十鈴川だよりに打っておく。幼少期に食べつけた味の旨さの記憶に、結局私は回帰するのである。

干物、小魚、野菜の煮物、揚げ物などなどの、つまりはあの昭和30年代に、母が作ってくれた手料理の味に、母と父や姉兄弟とちゃぶ台で食べた、黄金の記憶に回帰してゆくのである。

今となっては限りなく、慎ましくも私のなかで甘美な物語になってしまうのである。とにかく私を含む5人の子供はお腹を空かしていたので、食卓のすべてに母の工夫のお料理が染みて脳裡に焼きついている。懐かしいというしかない想い出である。

もう充分に高齢者である私は、小さい頃に食べた味覚の料理が一品有れば充分である。それと主食のお米は八割玄米を頂いている。朝は妻の具だくさん味噌汁を週に5日は食べる。手術後、つましいけれど、ご飯がとても美味しい。したがって体調がいい。高齢者で仕事があり、新しい生命に恵まれ(今年4人めの孫に)言葉がない。4年前、退院したとき、体重は53キロだったが、一年で60キロにもどりいまもほとんど変わらない。

こんなことを打つと、ちょっと面映ゆいが、18歳から、入ってくるお金だけでやりくりしのぎ、今現在も私なりに生きているだけである。追いつめられたら工夫する。辛抱する。精神が鍛えられる。中世夢が原を退職したときに、これからは、両親の晩年生活を見倣って生きることに決めたのである。以後、お金で悩んだことはない。

くどくど打つことは控える。私の少年時代の生活を基本にやりくりすれば、私の場合さほどのお金は不要である。もっと言えばもうこの年齢になると、健康に過ごせる時間がもっとも大切なのである。玉葱を植えるには最低体が健やかでないと、(命が健やかでないと)つちと戯れることは不可能である。千住真理子さんの音色、演奏を聴いたと忽然と幸福感が湧いてきた。これはお金では買えない世界の、見えない世界の音色だと。

うまく言えないが、あの音色の世界の方へと。ただ存在しているだけで、日差しを浴びているだけで気持ちがいい。そのような時間最優先で老いて往きたいとますます念う。年金以外の収入を得るために、私が対価の労働に勤しむのは身に付いた能力を活かせる喜びがあり、そのお金を、私が最優先したいことに使用したいが為である。


2025-11-22

千住真理子さんのデュランティの音色は、高齢者の今の私に限りない、希望とエネルギーを降り注ぐ。

 三連休である。ともに仕事をしているkさんから、今年2回目、たくさんの柿をいただいたので(前回は渋柿)、長くお世話になっているかたがた何人かに、送る段取りをほぼやりおえたので気分転換に、五十鈴川だよりを打つ。

色付く日本に生まれて幸せです。

晩秋の日差しが部屋に満ちていて、我が老いた背中を暖めてくれていて、とても気持ちがいい。なんの意味もなく、綴りたくなるのはもはや、ある種の依存性五十鈴川だよりである。たんたんとした、年よりの呟きとはいえない、いつも過剰なくらいの長めの徒然を読んでくださるかたがいるというのは、有難い。

ゆきあたりばったり、思いつくよしなしごとや、日常のささやか細々を、この世の、わがまま、じいさん雑記録として打ちたいという凡脳(煩悩)が健在なのである。幸い妻も娘たち家族も継続してと、応援してくれる。だから打つ。

話は変わるが、今仕事で植え込みの剪定作業を今週から始めている。11月中はお天気のいい日はやるつもりでいる。この仕事を始めてからまる7年やっている。伸びた枝を刈り込む単純な作業である。私は高齢者でもやれる単純な全ての作業が、ことのほか好きになってきている。今私が高齢者となっても継続している仕事は、全部と行っていいほど、若い時には苦手であったのだ。

肉体労働だけではなく、何度もうっているが、本を読むことも文章を書く、打つことも大の苦手であったのである。そんなこんな振り返ると、苦手を克服したときから、あらゆる事が好転し始めたのは間違いない。もしあのとき克服せず、逃げて無難な道を歩んでいたら、確実に現在の私は存在しない。

出雲大社の
銀杏の紅葉

剪定作業に話を戻す。刈り込み前とあとではまったく植え込みは見違える。年に二度春と秋にこの作業を繰り返す。春夏秋冬の肉体労働、この自然の季節の移ろいに添って我が体を動かす事が、今私にとっての一番の健康法である。

健康法を兼ね、高齢者でもゆっくり作業行程を考えられ、とりくめるこの場が与えられたことの幸運を、誰に感謝したらいいのか、とときにおもえるほどである。そういう有難い労働できる環境で、あと何年働ける、動けるかと、時に思う。

だがはっきり五十鈴川だよりに打っておく。今日一日、とにかく自分なりに体を動かす。その事だけに集中する、そのような心もちで、手術後働いている。あっという間に4年が過ぎている。

臆面もなく打つ。大地の上で、高齢者なりに苦楽しながらこの世の今を、限りなく面白可笑しく生きられている現在がいとおしい。三連休、玉ねぎの苗を調達し、休みの間に植えるつもりである。

話は変わる。今年も余すところ40日となった。いつにもまして静かな秋の生活を過ごしている。11月入って、これまでの人生で聴いたこともなかった千住真理子さんの演奏を、立て続けに2回聴いたことが大きい。何か満ちたりた感覚がある。

千住真理子さんのファンになってしまった。それは千住真理子さんの[継続する力]という本を、この秋読んだからである。プロデヴューして50年、半世紀、全身全霊デュランティ、ヴァイオリンの演奏に人生を捧げている。この様なかたが同時代に存在していることに感動する。(是非本を読んで、演奏に触れて欲しい)。猪風来さんご夫婦と分野は違うが共通する。

この本を読まなかったら、まず演奏会にゆくこともなかったし、ファンになることもなかっただろう。あの音色は高齢者の今の私の生活に、限りない豊かさ、生きるエネルギーを与え続ける。剪定作業をしていてもあの演奏会の音色、声、笑顔、たたずまい、オーラがさす、姿が脳裏で甦る。若さ、年齢を超越している。千住真理子さんに出会え幸福な秋である。

2025-11-19

2泊3日の旅、11月15日、千住真理子さんの50周年記念ヴァイオリン、リサイタルに妻と往ってきました。徒然うちます。

 先週金曜日から二泊三日、妻と共に、下関まで千住真理子さんの、デヴュー50周年記念、ヴァイオリンリサイタルを聴くために行って来た。

昨年から、行けるときに年に数回妻と旅に出掛けることにしている。ネットで千住真理子さんのコンサートが下関の市民会館前であることを知り、二人で旅を組み立てた。旅の目的のメインは千住真理子さんのコンサート。ただ行って帰るだけでも充分なのだが、結果選択したのは本当に久方ぶりの車での二人旅となった。

記録として打っておく。金曜日朝7時前に家を出て、高速は使わず、吉備路を走り、真庭から出雲街道を走る。天気も良く山野の色づく紅葉を、老夫婦眺めながら低速での空いた道を快適ドライブ、妻も私も行ってみたいと思っていた足立美術館に午前10時過ぎについて、お昼までゆっくり過ごした。(ゆく価値あり、日本の山野の素晴らしさを切り取って額縁に入れ、それが毎日変容、移ろってゆく様を堪能できる。日本に生まれたことの幸福を感じた)

出雲教の池で妻が撮る

美術館を出て、出雲に向かう途中のラーメン屋さんでお昼を済ませ、出雲大社に午後2時半に着いた。私は2度目だが妻は初めてである。お詣りしたのち、一時間以上ゆっくり二人で付近を散策した。人っけのないすぐ側の、出雲教の神社が素晴らしく、(小さな滝が池に流れ落ちていて、飛来した二羽の鴨が仲良く浮かんでいた)その時私たち以外誰もいなかった。出雲大社での良き思い出となった。

午後4時妻が予約してくれたホテルにチェックイン、夕飯前、ネットでホテルから10分のところにある天然温泉を見つけ、湯にゆく。戻って午後6時からホテルで夕食を済ませ、9時過ぎ眠りに落ちた。

翌日土曜日、朝食を済ませ7時に下関を目指しホテルを出発、またもや高速は走らず、9号線を走る。出雲から浜田、益田へ。益田から萩までの日本海の海岸線の眺めが素晴らしいのは、故郷への帰省旅で度々走って知っていたので妻に見せたかったのである。(妻はことのほか喜んだ)

萩から山道を横断し宇部に出て、そこから下関に向かって一路走り、午後零時半市内に着いた。市民会館の近くに車を入れ、駅近くで二人してカレーでの簡単なお昼を済ませ、開場の午後一時半市民会館に着いた。午後2時オンタイムで千住真理子さんの、デヴュー50周年記念ヴァイオリン、リサイタルが始まった。

11月3日に、東京八王子で初めて千住真理子さんの演奏を聴いて、びっくりしたことは、わずかだが五十鈴川だよりに打った。あの日から12日後、再び聴くために下関まで足を運んで(すでにチケットを押さえていて)本当によかった、と今も思う。それほどに凄かった、としか言えない。

八王子では東京交響楽団定期演奏会のゲストであったので(それでも七曲フルオーケストラをバックに演奏された)お声を聞くことは叶わなかったのだが、下関はご自分の歩みの、現時点での集大成記念リサイタル、伴奏はピアノだけのシンプルさ。全曲本人の解説やお話があり、なんとも贅沢なリサイタルであったことを、五十鈴川だよりに打たずにはいられない。

萩の近くの海辺の妻

50周年記念に演奏された曲目は、一部バッハのG線上のアリア、ヘンデルのラルゴ、モーツァルトのトルコ行進曲、ベートーベンのヴァイオリンソナタ第5番春。二部、エルガーの愛の挨拶、クライスラーの愛の悲しみと愛の喜び、マスネの瞑想曲、ドビュッシーの月の光、ポンセの小さき星に、サラサーテのツィゴイネルワイゼン。以上11曲 がプログラム。が、カーテンコールに何と3曲演奏されたのである。一番最後はチャルダッシュで締めくくられた。私は立って拍手をした。

長くなるがもう少し打っておく。下関市民会館は2000人が入る大ホール。そこの半分から前の席、1000人位の人が客席を埋めていて、後部座席にはだれも座っていなかった。が聴衆が私を含め、1000人の人間が感動していた。曲、演奏が続く毎にホールがえもいえぬ雰囲気に(幸福感)に包まれてゆくのを、私は客席で実感した。

そこにはクラシック音楽というジャンルを越え、ストラディヴァリウス、デュランティの音を弾きこなし(デュランティとの廻り合いは40歳)50年、名曲を聴いてほしい、演奏を届けたいという念い、祈りの深さである。

凄まじいまでの稽古、デュランティと格闘してでてくる音色の素晴らしさは異次元の音である。ヴァイオリンと共に生きて、人生を捧げてきた、千住真理子さんという存在だけが醸し出せる音の世界である。妻は泣いていた。終演後CDにサインしていただいた。

その夜、関門海峡が眺められるホテルに泊まり、翌日は萩の阿武町の道の駅に立ち寄り、お昼のお弁当などを求め、その後どこにも立ち寄らず、萩から益田までは再び海岸線を走り、そこから山道を走り、広島へ。途中から高速で尾道から山陽道へ入り日曜日夕刻四時半に無事に我が家に帰った。

PS 今、このところ千住真理子さんの書かれた以前の本を生活の合間に、ゆっくりと読んでいる。


2025-11-09

晩秋、午前中雨音を感じながら打つ五十鈴川だより。

 雨である。昨日菜園場に午前中いたので、今日は静かに体を休めようと思う。五十鈴川だよりを休日に打つのは、ほとんど習い性の、体の調節機能、自己満足免疫低下を防ぐ、暗示のようなものである。

私は高校を卒業し、無謀にも(今思うに)演劇を学ぼうなどという、漠然たる寸志を抱いて上京した。当たり前、井の中の蛙を実感し続ける人生を送って来て、よくもまあ、この年齢まで生き延びて来られ、こうやって五十鈴川だよりを臆面もなく打てる今が、時折俄には信じられないほどである。


バカの壁、という言葉がある。世の中に出て、時代に翻弄され、世間の壁に何度も何度も、時に絶望的な気分に落ち込み、凡人であるから悩み深き淵に沈んだことも度々経験してきた。そのような私なのだが、なんとか生き延びてきた(生き延びられた)いちばんの要素は、生活に終われても、時間がなくても、すがるように本だけは読み続けてきたから、生き延びて来られたのだと、今実感している。

世の中には本の虫のような方も居られる。が私はまったく違う。本を読むのもとても遅い。旅をするのもそうだが、旅が旅をよび、本が本を呼ぶ。だから終わりがない。たくさん旅をしたから、本を読んだからといって、身に付いて賢くなったとも思えない。

だが、確実に言える事は、もし本を読み続けることをしなかったら、現在の私は存在していない事は間違いない。私の場合の読書は生きてゆくために必要な読書である。日々の生活のなかで、時に心のエネルギーが枯渇して、根本(本という文字)が脅かされそうになったときに支え、叡智を授けてくれるもの、それが本なのである。

先の旅に持参したのは、佐藤優著[私のマルクス]である。文春文庫で2011年11月のおく付けがある。定価714。私はこの20年、佐藤優さんの書かれた本をかなり読んでいる。長くなるので割愛するが、私の庶民レベルの読書量ではおっつかない、しかも知的レベルが圧倒的に異なる(恐るべき読書量である)巨魁とでも言うにふさわしいようなご仁である。私などには想像を絶する修羅場を何度も経験、潜り抜けて来られた稀な方である。でも今の私には畏れる事など何もない。謙虚に学びたいだけである。

私のマルクス、というタイトルの本のなかに出てくる、佐藤優さんが同志社大学の神学部で学んだ、フロマートカ始め、ズラリ神学者の名前がでてくるが、一冊も私は読んだことがない。ましてや、マルクスもエンゲルスも、聖書も読んだことがない。

だが、私のマルクスを読み終えた。登場人物が魅力的で面白く、一種の青春グラフィティとして読んだ。本音、直球でぐいぐい真理に迫って学んでゆく、記憶力のすごさの文体は、余人の追随を寄せ付けない。10年前に手にしたときは、あまりの知的胆力に圧倒されたものである。

佐藤優さんは、プロテスタント、カルバン派のキリスト教信者である。それも筋金入りの信者、神学者である。このような人が、現在の日本社会に存在しているそのことの、在りがたさを、私は感じる。(私の貧しい頭でも)

先の縄文遺跡を訪ねる旅では、新幹線、在来線、バスなどの乗り物に乗る時間が多かったので、思いもかけない読書旅ができた。今年も余すところ50日、日に日に日は短くなるが、目が疲れない程度に、老人なりに良い本を読む力を養う読書力をキープしたい。若い頃に買って、いまだに読んでいない本がある。生きるための読書、生き延びるための読書、今の精神生活にエネルギーが注がれる読書を私はしたい。

PS 今日の写真は長女のパートナーレイさんが稲城に借りている菜園場で、苗に水をあげる2才半になる未彩の写真です。


2025-11-08

晩秋、立冬を過ぎ、日差しを浴びながらもの思う、五十鈴川だより。

 前回の五十鈴川だよりは、東京吉祥寺駅のマクドナルドで打ち、今日は自宅のいつもの二階の部屋で打っている。3日、午後二時から、八王子の駅の側のホールで東京交響楽団の定期演奏会を聴き、東京駅で新幹線に乗り換え、岡山の我が家に着いたのが、午後9時過ぎだった。翌日から昨日まで、珍しくフルタイム午前も午後も働き、今朝を迎え、五十鈴川だよりを打っている。

細胞に染み入る音色

ちょとだけ、3日の東京交響楽団の定期演奏会にゲストで招かれていた、千住真理子さんの演奏を初めて聴いたことに、触れておきたい。

夏が終わり秋が訪れたいころ、千住真理子さんの[継続する力]と言う本を読んで、チャンスがあれば、是非とも演奏に触れて、聴いてみたいと調べたところ、ちょうど旅の終わりの日に、ゲストだが八王子で聴けると知り、妻の力を借りて、チケットをゲット押さえることが出来、旅の終わり、聴くことができ。

開演、何と一部に、ハープとヴァイオリンの二重奏、千住真理子さんがいきなり登場、ストラディヴァリウス、デュランティというヴァイオリン、名器を演奏する千住真理子さんを、初めて見た。そして聴いた。なんとも形容し難い音色であった。

曲は、[バッハとグノーのアヴェマリア]。この歳で旅の終わりに、体感できたことの喜びを、打っておく。想像おも超えた音色が老いた私の体全身に染みてきた。優しくやさしく、この世の音とは思えない音が降り注ぐ。そのあまりの素晴らしさは、言葉では伝えられない。しずかに老人の眼に涙が。

プログラムノートから、ビターリのシャコンヌ、エルガーの愛の挨拶、クライスラーの愛の悲しみと愛の喜び、マスネのタイスの瞑想曲、モンティのチャルダッシュ、以上七曲。私はこのところほとんどクラシックの演奏会に出掛けたことがないのだが、千住真理子さんの本を、読んだことで、なんとしても、この方の演奏だけは聴かないとという、(一生悔いが残る)気持ちにさせられたのである。

結果、私の直感(直観)は大当たりとなった。期が熟した年齢、縁、タイミング、すべてが私に味方したのだとしか思えない。音色の祝福が、当日居合わせた聴衆全てのかたに降り注ぐのを体感した。あれから5日間の時間が過ぎたが、あのストラディヴァリウス、デュランティを弾く、名曲を奏でる千住真理子さんの、姿、音色が、時折脳裡に浮かぶ。

それは選ばれし者のみしか演奏なしえない音、初めて聴いた音色である、としか言えない。音の女神、ディーバとでもいうしかない、ある種この世のヒトとはおもえないほどの品格、雰囲気を、まぎれもなく、千住真理子さんは湛えていた。

クラシック音楽に関したことだけではなく、あらゆることに関して、素養のなさを今更ながらに折々感じる私である。が、そのような私が千住真理子さんの演奏を縁あって聴くことができ、クラシック音楽の素晴らしさを、今後もっと聴きたくなっている。ストラディヴァリウス(この名器を弾きこなせるのは選ばれしヒトにしか成せない)。千住真理子さんはデュランティと巡りあう運命の選ばれし人である。

今月15日には、下関での音楽会に妻と出かける。勢い、いきなり私は千住真理子さんのファンになってしまったようである。千住真理子さんを通して、クラシック音楽の素晴らしさを老いつつ我が体は、ようやくにしてより深く感知し始めたのである。推し活なんて若い人の言葉だと思っていたが大間違いである。私にだって訪れるのである。猪風来さんご夫妻もわたしの中では、宝である。

今回の小さな旅は、大きな旅になったように思える。今後、これからいかに時を刻んで日々を歩んでゆけば良いのかの方途のヒントが授けられたような。だから、心と体がが動く間は旅に出かけたい。

2025-11-03

小さな旅、最後の日の朝、吉祥寺駅のマクドナルドで打つ五十鈴川だより。

 昨日午後新潟日報で催された縄文シンポジウムに参加し、午後五時すぎの新幹線ときに乗り午後7時東京につき、中央線特別快速で三鷹に、そこからバスで次女の住むマンションの前で降りると、午後九時だった。

次女のところでぐっすり寝て、朝食を頂き、今日午後八王子での音楽会に参加する前、つかの間リヴィングルームでうっている。そばで4才の葉と次女がポケモンカードを楽しんでいる。風香は明日で生まれて3ヶ月、バウンサーでいい子している。でないと次女はカード遊びは出来ない。今回の小さな旅も今日が最後である。(とここで中断)

周さんが撮ってくれた、お散歩写真。

ここからは、吉祥寺駅のマクドナルドで打っている。あまりにお天気がいいので、葉と次女はお留守番しお別れ、周さん、風香と私の3人で、井の頭公園を散歩しながら吉祥寺駅に向かった。ひっきりなしに落ち葉が、バウンサーで眠る風香の上に降ってきた。周さんがその落ち葉を何回も取り除いた。

おおよそ30分以上、義理の息子の周さんと世代を越え密度の濃い、親子の会話をしながらのお散歩をすることが出来た。最後に思い出の3人でのお散歩がかなって、いい時間が過ごせ、ほんわか私は幸福感に浸った。周さんとはマクドナルドでお別れしたが、すぐに五十鈴川だよりが打てるように設定してくれた。

今回の旅を総括するのには、気持ちが熟成しないととても無理だが、午後の音楽会まで時間があるので、思い浮かぶ徒然をうつ。10泊11日の最後に音楽会にゆけるなんて幸せである。千住真理子さんがゲストで出演する、だけでたまたまチケットを求めただけである。

24日に家を出て、結局東京に6泊、那須塩原に1泊、新潟に3泊した今回の旅は、小さな旅ではなく、現在の私の年齢では、大きな旅となったような気がしている。そのことをうまくは綴れないのだが、事実の行動、実践を記すべく、五十鈴川だよりを打つ。

昨日までは越後新潟にいたのに、今は吉祥寺駅のマクドナルドで、五十鈴川だよりを打っている自分がいる。やはり新潟は長岡での縄文遺跡博物館を含めた、現地での体感気分が濃厚に体に残っていて、にわかにはこの都市空間に体がおっついていない。だが、百聞は一見に如かず、と言う以外にはない嬉しさ、充実感が今の私の内面を彩っている。臆面もなく打つ、老いる老人の燃える秋を感じている、のだ。

未知の縄文世界への一人旅、寒さ対策もあり、最低限の衣類ほか本など、中型リュック満杯の荷物を担いでの旅は、それをものともしない体力が必須である。今しばらく、日本列島、この世に生まれし在りがたさを、春夏秋冬愛でる旅を続けたいと言う一念が、湧いてきている。いよいよこれから、そのためにはどう生活すれば良いのか、思念している。


2025-11-02

11月2日午前中、新潟駅前のホテルのロビーで寸暇打つ五十鈴川だより。

 一昨日、猪風来さんの宇宙創世のモニュメントがある、長岡の馬高縄文館を訪ね、昨日は新潟歴史民族博物館と、十日町にある縄文博物館(火炎土器がいちばん多く出土している)をゆっくりと見学した。その事をまずはキチンと打っておく。

猪風来さんの作品に遇いました

31日は午後からかなりの雨で、一ヶ所しか行けなかったが、昨日は夕刻まで雨が落ちてこなかったので、2ヶ所なんとか行くことが叶った。縄文博物館は新潟市内からはかなりはなれている。

今日午後新潟日報のホールで行われる縄文シンポジウムは市内中心部にある。そこの近くにホテルをとったため、2日間、長岡に行き、そこからバスや在来線を利用したのだが、本数が少なく、大変ではあったが、その分よけい記憶に刻まれた。

今日、予報では雨模様だったのに起きると日が燦々と照っており、この2日間とはうって変わってのお天気なので、私の気分もすっかりいい気分ある。未知の新潟わずか3日間ではあるが、来て本当に良かった。そのいちいちを五十鈴川だよりに、今は打たないが、これから数年間、元気な間、新潟含めた東北エリアを、旅往きたいとのおもいがつのっている。

ところで昨日、朝いちばん歴史民族博物館を訪ねたとき、なんと猪風来さんのドキュメンタリーを撮っている、パイプラインのTさんや監督にばったりあったのには向こうも私も驚いた。時間が無かったので早々に別れたが、意外なことが起こるのが旅なのだから、これもまた思い出となった。

一年間、猪風来さんご夫妻と親密に過ごす事がなかったら、まず間違いなく、新潟の縄文博物館を訪ねる旅は生まれなかった。そして、自分でも思いもよらない老いの情熱が湧いてくることもあり得なかった。契機になる出来事に未だ反応する自分がいる。要は自分に正直に生きているだけである。昨日まで打ち込んでいたことを、止めたわけではない。昨日までの自分に、新たな時間を生きる自分が加わっただけである。

だが、これからの新しい時間生きるのに、縄文世界はゆうに言えない何か眼には見えないある種の豊かさを、もたらしてくれそうな予感がしている。もっと打てば、これまでの私とはおさらばしそうな、出来そうな予感なのである。今朝はこれ以上は打てない。

昨日十日町まで長岡から在来線で越後川口を経由、飯山線に乗り換え、往復した。信濃川流域、これまで眼にしたことがない風景、家々、水田地帯に生きる人々を目の当たりにした。あまりの雪国の奥深さ、長い雪の季節と、全く異なる夏の季節を、今もこの地に住む人々は生きている。厳しい大自然と共に、一万五千年以上生活した縄文人の末裔たちの遺伝子は、今も生きている。

宮崎でノホホンと少年期まで生きてこられた私には、想像も及ばない世界、生活である。縄文火炎土器はこの地に、長く長く生き生活した縄文人が創造した、傑出した土器なのだと府に落ちた。

日本と言う国も言葉もなかった、遥かな昔々も大昔、縄文人は生活を創造した。すごい世界に誇れる人々、この地で縄文人は大地と共に生きていた。そのことに想いを馳せるとき、なにやら偉大な御先祖たちの叡智の光を浴びたい、と旅に出掛けたくなったのである。。