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2025-12-26

昨日、年の瀬、今年お世話になった方々にご挨拶最後猪風来美術館に行きました。そして思う。

 昨日、ちょっと特に、今年お世話になった方のところに、久しぶりに拝顔がてら、直接ご挨拶に伺った、午前中10時過ぎから動いてお昼を挟み、最後は猪風来美術館へ。猪風来さんは所要で不在であった。短い時間、原野さんの作品をみて、猪風来さんのことしの新作もあらためて、見た。(何度みても新鮮、命が宿っている)

すぐ帰るつもりだったが、よし子さんが、お茶、続いてコーヒーを淹れてくれて、思わぬお話時間をよし子さんと持てた。この2ヶ月、妻以外の人とは言葉を交わしていなかったので、お思わぬ、予期せぬ話が、二人っきりでよし子さんと出来たことができて嬉しかった。

ゆっくり学びます。
(気持ちのいい話相手をこの年齢でもてるのは幸福である)

長くなるし、割愛はしょるが、すでに五十鈴川だよりでも書いたので、重複するし、論旨も脈絡もままならず、でも少し打つ。今年一番の私の予期せぬ出来事は、猪風来さんご夫妻の渾身の企20周年企画に、側面から裏方として、黒子に徹して関われたことである。

関係性の深まりは、昨年の秋、すでに何処か遊悠隠居気分で生活していたところに猪風来さんからの一本の電話で、始まった。以来今年10月12日の、イベント当日までこの一年の私の内面の変化は、そうは簡略に言葉化できない。

それほどに密度の濃い、老いゆくなかで、かけがえのない未知の、時に苦しくも、楽しい愉快な時間が過ごせたことを、五十鈴川だよりになんとしても打っておきたい。

これほど穏やかな年の瀬を、我が人生で過ごせているのは、おそらくほぼ一年間、猪風来さんご夫妻との密な時間を共有したからこそ、私のなかにこれまでは感知しなかった、脳のニュウ―ロンシナプスが、老いつつも繋がって、見えてきたのかもかもしれない。

そう思わざるをえないほどに、臆面もなく打つが(初めて経験する)、静かに足りた、私の年の瀬である。猪風来さんご夫妻を通じて、しっかりと縄文という言葉が、体の深いところ、脳のシナプスに定着したからではないかと、想えるのだ。

現代生成AI魑魅魍魎世界、生活する私のなかに、どこか縄文世界の経済という観念、所有するという観念のない、文字のない豊かさ、見えない生命そのものの豊かさが、まさに大いなる何かが見守っていてくれるかのような、安らぎに満たされているからである。(としかおもえない)、ジョン、レノンのイマジンの歌詞のように、縄文世界を自由に想像する。

このような感覚は一年前はなかった。だからなのである。足が年の瀬に猪風来さんご夫妻のいる法曽に向かうのは。二階の展示室の原野さんにもご挨拶した、来年も会いに来るから、と。

29日次女家族、30日長女家族が帰省する。今年夏生まれた4人目の孫も初めて帰ってくる。二つの家族によし子さんに頂いた来年の縄文カレンダーをプレゼントしようと思う。

2025-12-23

立花隆著、[いつか必ず死ぬのになぜ君は生きるのか]、を年の瀬に読んだ。そして思う。

 立花隆さんが亡くなられて来年の四月でまる5年になる。この年齢になると、全てはあっという間の歳月であることを実感する。

さて、昨日立花隆さんの膨大な著作から、東大の立花ゼミで、立花隆さんから講義を受けた方が、立花隆さんが残した珠玉の言葉を新書版の形で、読みやすくまとめた[いつか死ぬのになぜ君は生きるのか]という本を一気に読み終えた。(解説を池上彰さんが書いている)

成長したら孫たちには是非とも読んでほしい。

五十鈴川だよりを読んでくださっておられる方には、年の瀬に読むには、高校生から、私の年齢以上であれ、この世を生きるすべてのヒトにおすすめする。

立花隆さんは齢80歳で他界されている。巻末に記されている、出典書籍一覧60冊から引用された、苦悩格闘の果てにつむぎだされた言葉が、今という時代を生きる、老人の私に限りない勇気を授けてくれる。

本物の書籍は著者が不在でも、今を生きる人間が手にとって、立花隆さんの遺した言葉に、ある種の啓示を感じるのだから、あらためて氏の多方面への関心、好奇心のおもむくままに、青春からお亡くなるまでの、知的好奇心の果ての膨大な著作を知ると、脱帽、頭を垂れるしかない。

私のわずかな一庶民生活者の本棚に、氏の本が思索紀行、エーゲ、佐藤優さんとの対談本など10冊位ある。上下二巻の天皇と東大は、晩年読もうと思って買っておいたのだが、すぐに読みたくなった。

第一章、人間とはなんだろう(抜粋27)。第二章、死とはなんだろう(抜粋25)。第三章、人はなぜ生きるのか(抜粋10)。第四章、人はどういきるのか(抜粋26)。第五章、考える技術(抜粋26章)。第六章、今を生きる人たちへ(抜粋16章)で構成されている。

私のような一庶民俗物生活者には、目も眩むかのような一途な学究者である。が、この本を読んで思春期から大いなる悩みを抱えながら、必死で独自の活路を拓かれ、全うされた人生であられたことが実によくわかった。徐々に認知され、単独行動で大きな組織の闇の部分に(よくわからないから切り込んで行く情動は、氏以外にはなしえない)果敢に挑んで行く。

私のような俗物生活者であれ、高齢者になり、ややもすると安易きわまりない、面白味のない、安逸な生活にどっぷりはまって、知的刺激をまったくと受けないような輩にはなりたくはない、と思うので、この新書版の小さな本は、これからの私の未来時間の、大きな支えになってくれるのは間違いない。

話は変わるが、このところますます本を手にする時間が増えている。年の瀬世の中の流れとは別世界を、遊読旅、次々と良書、体が喜ぶ本に巡りあっている。心なしか種類にもよるが、集中力も読む速度も以前よりも、老いに逆らって早くなってきているように、(錯覚かもしれないが)感じる。外見は全く驚くほどお爺さんである。が信頼できる人の言葉で体が反応する。私は言葉で生きている、のだ。

時間は一定、二つの本を同時には読めない。立花隆さんも言っている。本を読む時間は限られている。とはいってもご本人が言っている、どうでもいいような本もつい手にして、時間をすごし(知の巨人であれそうなのだからちょっとほっとする)反省し、相当集中力なくしては読めない本に挑んでゆく、そこが凄い。

遊び心。正直。他にやりたいことがない。養老孟司先生、佐藤優さん(他にもいる)私がこの十数年、(分野は違うが千住真理子さんとも通ずる)刺激うける方の本を時に難しくても、読み続けられるのは、ご自分が見つけた言葉、本気の息づかいが行間から伝わってくるからだとおもう。

そして未知の世界に(生きて在ることの、生きることのワンダーを言葉、音で伝えてくださるからである)連れていってくださるからだと思う。それと、どことはなく感じる、自然さ。つまりは唯一無二の人間性、相性だと思う。いくら世間の評価が高くても、体が反応しなかったら、私は読めない。




2025-12-21

年の瀬、ゆったりと老いゆく流れのなかで、もの思う今日の五十鈴川だより。

 もう労働は年内あと1日だけで、もうほとんど私のなかでは終わっている。年末長女家族が帰ってくるまで、老夫婦だけでの静かなことこの上ない穏やかな師走時間を、私は有り難く過ごしている。

冬至の夜明け前

激変する世界の動向には(決して無関心ではない)低みの見物といった程度で、超保守的に老夫婦最優先時間の日々をおくっている。当たり前である。

出会って40年、妻の的確なサゼスチョン、支えがなければ、現在の私は存在していない。今だって然りである。私と同世代、もしくは上の世代は、このようなことを、臆面もなく打つのが苦手のようである。

だが、ほかのひとのことはともかく、こと私に限っては面と向かっては言えないような、気恥ずかしいことは、五十鈴川だよりに打てるのでそのてんでは有り難い。

私の父が亡くなったのが83歳である。先のことはわからいにもせよ、もし父の年齢まで私が生きると仮定して思うことは、妻と過ごす時間を(家族全員でも含めて)、日常、非日常まるごと大事に過ごしたいのである。後は実践するだけである。父が実践していたようにである。

この一年は、もし私が元気にあと10年も生きて、現世に存在し、意識がしっかりしていれば、今年が大きなターニングポイントポイントになったのだと、クリアに振り返れるようなきがする。

先のことはわからいが、岡山に移住して33年、企画や、音読に重きをおいた(ある種急き立てられるかのように)時間を生きてきたのだが、それを手放す覚悟が出来てきたのである。

時期に従う。老いをいい意味で受け入れ、これまで執着していたことを手放し、そこから感じる、見えてくる内面風景に身を委ねたい、とでもいうような。もっと言うなら、これまで執着していたことには無縁な世界に身を委ねて、静かな内面的世界、見えない世界に耳をすます、自身との対話時間を大切にしたいのである。(そのことがとても楽しみなのである)

このようなことが、あきっぽい私に出来るかできないかは、ようとしてわからないが、明らかに、一年前までは思いもしなかったことが、今年の年の瀬に起こっている。その事実を冷静に受け止めている。

還暦を過ぎて、五十鈴川だよりを打ちながら、あちらこちら蛇行を繰り返し、その果てにこのようなおもいに結実している自分がいる。男、なによりも私という性格は飽きっぽくも諦めが悪い。だがやるだけやって、限界だと察知したら、その都度諦め、新しい未知の世界に身を投じて(身を捨ててこそ浮かぶせもあれ)現在まで生き延びてきた。

いつわらざる、いまの思い。これからは木の葉が舞うように、限りなく欲望から遠く、自由にただ存在したいのである。私にとって永遠に未知の人である妻との時間を、同じ空間で過ごしたい。新しい夫婦時間を見つけたいのである。


2025-12-20

師走、12月20日、もの思う土曜日の五十鈴川だより。

 土曜日の朝である。本来なら昨日からふるさとに例年通りお墓参りに帰省していたのだが、ちょっと帰省できなくなり、自宅で静かな時間を送り、生活をしている。古稀を過ぎてからというもの、ゆっくりゆっくり、執着していた、情熱を打ち込んでいたもろもろをかなり手放し、随分身軽になれた自分自身を感じている。長くなるので割愛するが特に今年はその感が深い。

69歳の手術後から、命の有限さをかなり意識し生活するようになってから、これで最後というおもいで予期しない企画を続けられた。改めて人生とは思いもかけぬ、自分の意思ではどうにもならないという、あたりまえの事実を今年も、余すところ10日おもい知らされつつ、振り返っている。文脈があちこちするが、老人なのでお許し願いたい。

超シンプル生活が、手放すことでくっきりはっきりとしてきて、板につきつつある。手放したことで、どうしても手放せない事柄が明確になってきたのである。そのような個人的な老人生活を、いよいよもってこれからの人生時間を、(妻との時間を最優先に)オネスティに体のおもむくままに過ごしたいと念っている。

年の瀬、今年一年を振り返るには、いろんなことが思い浮かび、整理しきれないので、今朝の五十鈴川だよりでは打つのは控える。ただ新見の猪風来美術館に10月12日のイベント当日まで、何度も通った日々、私のなかで何か言葉にしえない、ある種の幸福感におそわれ、その後2ヶ月を過ぎても、あの豊かな時間が、現在のしっとりと落ち着いた師走時間を彩っている。(のは間違いない)

一言、言葉で縄文時代、だが私にとってのとてつもなく長きにわたっての縄文文化の、全ての水先案内人は猪風来さんご夫妻である。今年の私にとっての大きな、それもこの年齢で出逢えたからこそ、かすかに実を結べたのではないかと言う気がするのである。10年前の私だったら、こうまで耳を傾ける体と心をを持ち合わせていなかったかもしれない。

そのようなことを思うとき、やはりあの三度の手術体験の大きさを、今更ながら噛み締めるのである。無くすことで感じる、見えてくる世界があることを。生命の輝き、讃歌、大いなるものへの畏怖、祈り、感謝が、猪風来縄文造形作品には籠められている。よし子さんの作品にも。

だからなのだと思える。このようにゆったりとした師走時間を過ごすことができているのは。もっと言えば、ただ存在しているだけでもう十分に足りているのである。新見、法曽に往けば猪風来さん、よし子さん、原野さんの作品にあえる。その事が私にあたえる安寧は秘事的でさえある。

読書の幅が広がってきた。

話は変わるが、猪風来さんと出会い、初めて新潟は長岡エリアをわずか旅することができた。猪風来さんと出会わなかったら、先ずこのような旅は、この年齢でできなかっただろう。

旅の最後、11月3日、八王子で千住真理子さんのヴァイオリンを聴いた。10月12日までの日々の、あれやこれがや脳裏をかけめぐった。ご褒美の音色が老人の私の体を隅々まで慰撫してくれた。

猪風来さんご夫妻との出会いは、手放したからこそ、見えないものが与えてくださった、千住真理子さんとも巡り遇わせていただけたのだと、私は思っている。

2025-12-13

わずか一週間弱妻が不在、時折一人での生活を哲学する、師走半ばの五十鈴川だより。

 土曜日の朝がきた。今年も余すところ2週間である。東北北海道の太平洋側では、今も地震が続いており、その地で暮らす人たちは、緊急避難に備えて、心の休まる時のない不安な師走を過ごされている、。

一方の私の老人の日々は、こうやって五十鈴川だよりをうてる、穏やかな日々が過ごせている。この例えようもない、あまりの相違を想うと、言葉がない。

気を変えて、普段の五十鈴川だよりに戻る。10日水曜日から来週火曜日まで妻が娘たちのところに上京している。したがって私一人ですごしている。娘たちが独立し、所帯を持ち、子供が授かってから、老夫婦交代で上京するようになってから、長いときは10日位は一人での生活を余儀なくされているので、今のところ、もう老人一人暮らしにも不都合はない。

実体験レポートエッセイ、凄い。

炊事、洗濯、買い物、掃除、 メルと花のケアなどなどをそつなくこなせれば問題はない。敢えて打てば、 年に数回このような老いの一人時間があったほうがいいのだと思うことにしている。

ことほどさように、来年で巡り逢って40年、もう十分に夫婦としての歳月を過ごしていると、とくに私の場合、その有り難みに無感覚になりがちだから。

このようなときに、夫婦といえどもやがては離れ離れの宿命は逃れようがない。どちらが先に逝くとしてもである。考えても仕方がないとはいえ、面と向かってはなかなか口にしては言えないことに関して、結論はさておき、時に立ち止まり嫌でも考えておかねばと、自省するのに一人時間は有効である。

さて、話題を変える。もう金時飴のように、代わり映えのしない身の回り老人五十鈴川だよりである。だが毎年新しい初めての白秋期を生きているのだから、出来ることなら、その老いゆく未知のゾーンをしっかりと見つめながら、活きたいものだと、凡人なりに考える。哲学する。オギャアと生まれしわが命の行く末を。

古稀直前の私にとっての大手術から、来年の3月23日で、まる5年になる。退院日を忘れることは、もっと老いて、脳が萎縮するまでけっして忘れることはない。コロナで世の中てんやわんやのなかでの三度の手術。このまま死んでゆくのかもと、うすらぼんやり考えたことがある。

私の場合、ほんとうにうすらぼんやりとしかのおもいだせないが、覚悟するしかない、いわば諦念感覚に委ね、M先生にお任せしたのである。結果、再び命を与えられ、退院後3ヶ月に一度、M先生の定期検診受けながら、お陰さまで元気に日々を過ごしている。(お陰さまで血糖以外全ての数値が正常である)

やはりあれほどの手術をすると、ただ生きているだけで、存在しているだけで充分にありがたく幸せであるとの、感覚は深まる。このような敢えて言葉するなら哲学感覚、いよいよ老いる哲学を学びたい。そのような叡、智賢者の書物で老いの体を磨きたい。このようなことを打つとどこか気恥ずかしいのだが、年寄りの妄言だと思われようと、もう十分に年寄りなのだからいいのである。

老いを哲学する。もっと打つなら哲学的に老いを思考しつつ、答のない人生を、脳が許容してくれる時間、思考し続けたい、のである。だから五十鈴川だよりを打つことも、そのような私の営為の一部なのである。

話は変わるが、青春の終わり(31歳から33歳まで)、簡略に記す。富良野で大地にへばりついて、知的な本を読むような時間を持てず、ある意味で、もっとも不自由な、自分の時間が限りなく少ない中での集団生活というものを経験し、私はほんとうに体を動かし、地に足を付けた生活を志向するようになった。

以来、ほぼ40年、今も体を動かし、ささやかに思考し活きながらえている。今の私の生き甲斐の一つである肉体労働、まる7年続けている。毎日自然は変化する。季節にあわせ労働内容も自然に合わせる。老いゆく労働哲学実践ずる。日々流転し変化する雑草を始めとする植物と、対話をするかのように、天を仰ぎ我が老いゆく体を動かす、限りなき単純労働が、面白いのである。

先日も打ったが強制労働ではなく、依頼されて、自分のリズム、責任の範囲でやれ、評価される。好きなことなので発見があり、続けられる。(私が宇宙の塵となっても雑草植物は生成流転する)一事は万事に通ず。細部に手を抜かない、細部をこそキチンと完遂することの気づきの悦びである。それもこれも全ては健康なればこそである。


2025-12-07

[なるようになる。]という養老孟司先生の本を夜中の3時半から読み始め、読み終えて思う五十鈴川だより。聞き手‥鵜飼哲夫。

 昨日も打って、今朝も打ちたくなったのは[なるようになる。]副題、僕はこんなふうに生きてきたという養老孟司先生の本を読んだからである。いまも売れ続けている、バカの壁という本が出版されたのはもう20数年前だとおもう。何度読んでも面白いし、学べる。私の書棚には唯脳論ほか先生の本が僅かではある(手放せない本)が収まっている。直に講演会も二度聴いている。

岡山に移住してのち、つまり40歳から折々今も対談集も含め先生の名前が図書館で目に入ると、必ず手にし読んできた。今回の本は2023年の11月に発行されている。先生は1937年のお生まれなので86歳の時の本である。

聞き手の鵜飼哲夫さんが素晴らしい

第一章、幼年時代と戦争。第二章、昆虫少年医学部へ。第三章、章解剖学者の奮闘。第四章、バカの壁と愛猫まるとの出会い。最後、養老先生への50の質問で構成されている。敗戦の時8歳、3歳で父上が亡くなる。記憶の始まる回想、父とのお別れは目頭が熱くなる。

読売新聞に32023年1月から3月まで、全35回にわたって連載した[シリーズ、なるようになる]が本に成ったものである。聞き手の鵜飼哲夫さんは読売新聞編集委員である。読んでいてすっきり、正直で、どこか漱石の坊っちゃんを思わせるような語り口が痛快で一気に読み終えた。

一貫して虫、自然の側からの視点が揺るがない。ヒトも自然の一部、現代人は死体を怖がるようになっているが、生きている人間のほうがはるかに怖い。私もこれからは死者の側から、死者の声に耳を傾ける読書時間を増やしたい。

養老先生は、自分に正直に物事を突き詰めてしつこく考え続けてきたからこそ、養老孟司先生の現在が在るのだと知らされる。難しい論文ではなく、私のような者でもすーっと、読める語り口で、分かりやすく説得力があり、その上面白く府に落ちる。

長くなるのではしょる。が、私のような田舎者が18歳から東京都市生活にウンザリ、身も心も消耗、内面がカサカサに渇いて、これでは駄目になると直感、娘が生まれ、岡山に移住する。結果、その決断で中世夢が原で自然に囲まれ体を動かし生き返る。私は再生することができた。

古稀直前、人生で初めて大きな手術をしたが、再び生き返る。自然に委ねて、あれから4年生き延びている。それが何故なのかを、こんなにも分かりやすく言葉で説いてくださったかたはいない。マイノリティであれ、自分の感覚が求めるところ、気持ちが安らぐところで、これからを虫のように過ごすのだ、との思いの深まりが五十鈴川だよりを打たせる。

それにしても、目からうろことはこの事である。書きとめたい、膝を打つ先生の言葉が染みてくる。。随所で深く頷く自分を発見する。強制労働ではなく、体と遊ぶ工夫、体動かし労働がかくも気持ちいい事を、岡山に移住して33年、私は見つけたのである。やがてはできなくなる、とはいえ今は気持ちよく働ける。続けてきたからこそ見つけられたのである。

長くなるが、もう少し。五十鈴川は流れる。流れないと水は澱む。どのような原石も磨くことで何らかのその人らしい光を放つ。唯一無二の自分自身という授けられた存在を在りがたく、生涯かけて見つけてゆく営みをこそ大切に生きる。そこに生まれてきた理由が在り幸福が在ると先生は言う。

もっと打ちたいのだが、これ以上打つと野暮になる。が、夢なんか持たなくてもいい。希望なんか持たなくていい、と先生は言う。現代の価値観とは真逆になるようなことを、あっけらかんと語る先生は、私にとっての坊っちゃんである。サイコーにカッコいい。爪のあかでも先生のように存在したい。

2025-12-06

2025年12月、師走最初の五十鈴川だより。

 昨日夕刻、運動公園で東の空に、浮かんでまもなくの大きなまあるい月を眺め、朝老犬メルの散歩で西の空に同じ月を眺めて、休日、師走最初の五十鈴川だよりである。数日前から一気に気温がさがり、俄に日本列島はいよいよ冬に入ったかんがある。

いま2階の寝室で、冬の日差しを背中に浴びながら打っている。寒いが暖房は入れていない。膝にはダウンをかけ、上半身に温かい衣類を羽織って打っている。中世夢が原という職場で私がほとんどの時間を過ごしていた園内には、 武士の屋敷の囲炉裏しか暖房がなかったので、おそらく22年間の痩せ我慢生活で、自然に鍛えられたのであろう我が体は、このくらいの寒波には耐えられる。

もっと痩せ我慢を綴れば、敢えてこのくらいの寒さを感じながらのほうが、頭が冴えて五十鈴川だよりも打てるのだと思いたい、あまのじゃく思考の私である。

未知の世界をいつも案内してくださる

さて、世の中、高市総理の台湾有事に関しての発言が、日中間に軋轢をもたらしている。そのほか佐賀関の火事、香港の火事、インドネシア、スリランカ、タイなどでは水難災害、国内では物価高のニュースなど、など(もうほとんど書物からしか情報を得ていない)が頻繁に報じられている。

あらゆる報道されているニュースに、諦感のような感覚におそわれる。今日一日無事に過ごせることのなんたる在りがたさをおもう。私は自分がそのような目に遭わない限り、決して身に染みては分からない、のだ。

だが、一切合切をなくすほどのことの経験を我が両親はしている。いきなりの敗戦、北朝鮮からの引き揚げで体験している。3歳の姉と生後半年の兄を連れてである。30代、両親とも若かったから再生、出発ができたのだ。持たないものは強い。

私が今このような目にあったら立ち直れるだろうか。高齢者である私がこのような事故、アクシデントの状況にいきなり置かれたらと想うと、私のような軟弱なものは想像を絶する。

私を含めた多くの庶民は、それどころではない現実をそれなりに耐えて生きているのだと思う。心に余裕がないのである。世の中あらゆる格差がまかり通って差はますます広がっている。そのような世相のなか、いかにお金をやりくりし、そのなかでいかに生き延びてゆけばいいのかを考えるのか、私は私なりに考え続ける。貧すれば鈍す、にならないための方法である。

私の場合、やはりお手本は我が両親にある。老いるにしたがって両親の小さい頃の教えが甦ってくる。今時辛抱なんて言葉をほとんど聞くこともなくなったが、私は今も折りにつけ、辛抱辛抱と呟く。両親がよく辛抱しなさいといっていた声色が耳に残っている、のだ。

念仏をとなえるようにである。もうひとつ、ひとのやりたがらない事をやれ、と父は言っていた。小学生の頃、父は肥くみを私に兄たちと共にやらせた。私はこれが大嫌いだった。が思えばこれが下地になっている。

今の私を支えているのは肉体労働と読書である。小さい頃の生活水準から考えると、十分に私の生活は足りている。先日も打ったが今の私の日常生活には読書時間がもっとも大切なのである。

一番安価で、才能のない私を育て助けてくれたのは本である。本が行動を促し、旅を促す。そして日常生活、日々高齢者の私に生きるエネルギーを与えてくれる。10月の半ばから11月、師走の今までほとんど人に会っていない。労働し、本を読む生活で足りているのである。面白いから読める。ただそれだけである。

本は次の本を授けてくれる(暮れる)、師走の夜長、冬の読書は(夏の読書とは比較にならない)私には老人生活一番の悦びである。