東京から西大寺に戻った翌日から働き、土曜日の朝が来た。例年より早く梅雨明けし、いきなり夏がやってきた。そのなか昨日までなんとか労働した。古希を過ぎてからの四年間の酷暑の夏を我が体は良く持ちこたえている。先のことはともかく、一年一年しのいでいるだけである。だから今年の夏も、凌ぐだけの心づもりでいる。私の体の塩梅は、私のみが知る、と言ったところである。
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| しゃくとりむしのように早朝読み学ぶ。 |
先の上京で、ウカマウ映画集団のフィルムの(4作品)を見ることができた。74歳で、このような未知のフィルムをたまたま見る機会に恵まれ、その事をわずかではあれ、五十鈴川だよりを読んでくださっている方々に、お伝えできることが嬉しい。私が感動したり、知って心が揺さぶられたりしたことを、折々五十鈴川だよりでは書いて、打ってきたつもりである。
その事が、古希を過ぎてからの企画にも繋がっている。今朝は、この歳でまたもやの根元的な無知を、ウマカウン集団のフィルムを観たことで、心がざわついている、その事をとどめる、程度にしたい。のだが、その未だざわつく我が心のうちが花、その事実に素直に反応する、したいという心持ちが、五十鈴川だよりを打たせる。
7月4日、74歳、小平は学園坂スタジオでウカマウ集団のフィルムを観たことは、(後何年我が命があり、五十鈴川だよりが打てるのかは分からないが)おそらく、ラテンアメリカに関する、無知の扉を開く契機になる、そのことだけは間違いない。
私は理屈で動くタイプではない。ほとんど本能と直感でこの年齢まで生きてきた、来れた、平凡な一庶民である。そのような私なのだが、何故か長周新聞の記事に、熱く反応する自分がいたことで、ウカマウ集団のフィルムに出会えたことの幸運を、あれから一週間未だに噛みしめている。
あの日から、チビリチビリ、太田昌国先生のご本、[ボリビア.ウカマウ映画伴走50年]を読んでいる、労働の前、朝の涼しい時間に。あだやおろそかに読める本ではない。心血を注いでのウマカウ集団との交流[監督のホルへ.サンヒネス、プロデューサーのベアトリス.パラシオスとの交流には胸を打たれる]には奇跡的な出会いを感じる。人類の未来をも照らす、黙示録的な出会い、とでも言うしかない、ほどの出会いである。
このようなフィルムに巡りあった、幸運をとりあえず五十鈴川だよりにきちんと打っておく。一昨年の猪風来さんとのイベントを通じての再会、あじくーたー、桑江さんとの再会、沖縄、長周新聞Gさんとの出会い無くして、ウカマウ集団のフィルムを観ることは、決してなかったであろう。その事を思うとき、不思議な感慨に打たれる。
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| ゴーヤの花、夏がきた。 |
元気に動き回れる、私の人生時間は有限である。その事に思いを馳せるとき、直感力にすがり、ささやかに岡山でウカマウ集団のフィルム作品を、チビリチビリ、だが確実に自主上映したい、という気持ちを押さえることはできない自分がいる。時間的に思う。学びつつ、自主上映する。思いを箇条書きに書き留めながら、あくまでも冷静にことをすすめる。(信頼できる、私の仲間数人に相談したい、そこからゆっくり真夏の暑さのなか考えたい)
9月に東京、学園坂スタジオで二回めの上映会があるのでなんとか都合をつけゆくつもりである。できれば太田昌国先生ともその際に、再会、お話する時間を持ちたいと考えている。
先日の上映会で、先生のお話を、肉声を聴いたさいに、何かが蠢いたのである。先生は1943年の北海道、釧路のお生まれである。言うに言えぬ修羅場をくぐり抜けてこられた稀な方で在る。だが、その笑顔と、ユーモアに私は引き付けられた。(のである)。時間が無かったが、上映会後、先生の本を求め、著書にサインをして頂いた。未だミーハー老人を自覚している。













