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2025-11-30

ブレディみかこ著、ぼくはイエローでホワイトでちょっとブルーを読み(七編を読んだところ、)、想う五十鈴川だより。

  11月30日、末日の五十鈴川だより。明日からは師走になるとはとても思えない日差しを我が部屋で浴びながら、本を読んでいたら急に打ちたくなった。

今、2021年11月に発行されている、ブレディみかこ著(ぼくはイエローでホワイトで、ちょっとブルー2)を読んでいる。最初の本を読んだのは、多分最初の孫、望晃ノアが産まれた頃であったと思う。続編である。

最初の本を読んで打たれたことは、五十鈴川だよりに打っていると思う。新聞を購読しなくなって、書評やトピックに触れる機会が激減したことは間違いないし、新しい言葉に触れる機会も減っていることは間違いない。だが私の生活にはほとんどといっていいほど支障はない。


この度のブレディみかこさんの本ももし妻が見つけて来なかったら、読むタイミングを逃していたかもしれない。だが出版されて5年後であれ読めている事実に、素直に嬉しく、五十鈴川だよりにこの本のことを、僅でも打たずにはいられない高齢者の私がいる。ところで、私が高齢者だとか、老人とか五十鈴川だよりに打つと、あまりお褒めの言葉はいただかない。

たんに私の日本語能力の語彙が少なく、他の言葉を持ち合わせていないにすぎない。だが、私は白秋期老人で在ることは事実なのだから。

何か若いということや、健康で元気であることにしがみついている、あるいは重きを置いているご仁があまりにも多い気がするのは、ちょっといただけない。年寄りは年寄りなのだし、あくまでも他人のことには関知せず、自分らしく在りたいだけである。

話をブレディみかこさんに戻す。何故かくも私はみかこさんの本に感動するのかは、長くなるので割愛するが、一言で言えば、カッコいいからである。ブレディみかこさんは1965年福岡県の福岡市の御出身、1996年から英国ブライトン在住とある。

パートナー(ルーツはアイルランド)との間に、本の中では中学二年生であったご子息いて、今現在のブライトンでの3人の庶民生活が、特に弱者に向けられる温かい眼差しが鮮やかに綴られている。端々に息子さんへの愛情が絶妙の距離感で(実父、パートナーにたいしても)みかこさんの独自の文体、一見軽いのり、冷静でユーモアに溢れている。

全11編のエッセイが収められている。いま7編ほど読んだところである。いずれも素晴らしいが、毎年夏休み福岡の実家に息子さんを連れて帰る。80歳近いみかこさんの父親が十数年お母さんの一切合切全てのお世話をしている。(お母さんは精神を病んでいて、近年は認知症も進んでいる)

毎夏の帰省の折々の息子さんの成長と、実父との交流は例えようもない。毎年、福岡空港での来年までの暫しのお別れは、打っていてもお爺さんの私には目頭が熱くなる。初めての日本福岡に帰省した、おそらく小学生の頃、病んでいたみかこさんのお母さんに(おばあちゃんへの)にたいしての接し方にしても、年齢を重ねぐんぐん成長してゆく。家族のそれぞれを、母として、娘として、人間として、作家として、見つめ考え続ける。

随所に、実体験、日々の暮らしの今の裏付けが有って、高齢者の今を生きる私にも共有感覚が鋭く突き刺さるのは、きっと私の長女が旧東ドイツ、ドレスデン生まれの男性を生涯の伴侶、パートナーにし、間に二人の孫が授かっているからなのだと思う。(感動する、何度も目頭を押さえた)

赤裸々にお母さんのこともみかこさんは書かれている。みかこさんのお父さんが一転、お母さんの介護を続ける。凄い。還暦過ぎてからの変身。人間は愛があれば変われるのである。

思い通りにはあまりにもならない、庶民生活の普通の家族の徒然が、みかこさん独自の文体で綴られる。九州人の一人として、お父さんの博多弁が文字化されると私は意味もなく嬉しい。みかこさんの中には脈々と博多女性の血が流れているのが分かる。九州男子という言葉は女子にもあてはまる。あっけらかんと前向き突き進む。いさぎよい、くよくよしない。

同時代、福岡生まれのみずみずしい作家が生まれたことが、同じ九州人として嬉しい。そして英国は(正確には連合王国)ブライトンから、世界の片隅から、庶民目線で発信していることに感動する。

2025-11-28

千住真理子さんが、以前出されていた本を3冊読み終え想う、今日の五十鈴川だより。

 昨日で今月の仕事を終え、またもや今日から三連休である。労働をした日はほとんど五十鈴川だよりを打つ気は起きないのだが、休日は何故か打ちたくなる。ほとんど病のような感じである。高齢者の私は、貴重この上無い一日を出来るだけ気持ちよく過ごすのを最優先で生きている。(といっても過言ではない)

畏怖する五木寛之さん、人生の達人であられる大先輩の言葉を借りるなら、白秋期を生きている私には、その日暮らしの充実こそが、もっかの面白き楽しみなのである。今年も余すところ残り一月となったが、一日一日を大事に過ごすだけである。なにも持たない静かな暮らしが、ことのほか気持ちがいい。気障を承知で充足感に浸っている。

たまたま図書館に在りました

11月3日に千住真理子さんの演奏を聴いたことで、なにやら言うに言えない幸福感に包まれたことが、起因しているのはほぼ間違いない。

たまたま、継続する力、という本を手にしたことで、このようなヴァイオリニストの存在していることを知り、演奏会に、わずかに2回しかでかけていないのに、すっかりファンになってしまった喜びが、このような一文を、きょうは打たせている。

苦手な標語、人生100年時代、白秋期は、25年単位で言えば、50歳から75歳にあたるが、ようやくにして白秋期を生きている実感が、千住真理子さんの演奏を聴いた後から、俄に私のなかで湧いてきたきている。

ということで、このようなヴァイオリニストの存在についてもっと知りたく、珍しくネットでいままでに出されているご本をピックアップ、このところ時間帯によって他の本とも並行しながらすでに3冊読み終えたところである。(家族の素晴らしさに打たれた)

簡略に記しておくにとどめる。産まれた環境のあまりにもの相違に、正直最読むのに、戸惑いも感じたのだが、(あまりにもの純粋さに、私のような俗物には)ご自分のヴァイオリンへの愛の深さの、お母さんとの命の往復書簡、お母さんとの対談、と読み進んだ。いずれも図書館で借りた。読み終えて、素直に読んでよかった。

随所に目頭が熱くなるのを押さえることが出来なかった。何故産まれた環境があまりにも異なるのに、その相違を越えて、感動するのかは自分でもわからない。はっきり分かるのは、演奏される音にも、書かれる言葉、お話にも、究極、打ち込んできた継続した者のみが放射する唯一無二の人間性が素晴らしい、と言うことである。打たれる、反応する高齢者の私がいる。

お母さんの(文子さんが凄い、父上も凄い、二人の兄も凄い、皆純粋で凄い)文子さんも、真理子さんもおっしゃっている。ことヴァイオリニストや芸術家ではなくても、普通人として生きているすべての人間に通低ずる大事なことがある、と私は想えた。人生に立ち向かう構え、覚悟の深さである。凡人の私に、玄冬期を生きる勇気や力が湧いてくる。磨かない石は原石のまま、どのような存在も好きなことを磨き続けないと、輝かない。(高齢者もわずかでも可能性を磨きたい、ものだ)

本能的直感、虫の知らせ、第六感、をフル回転し、なんとか今まで生きてこられ、白秋期から玄冬期へと(一瞬先は分からない、故に余計に)私は向かう。私には千住真理子さんの醸し出す音色は一筋の光とさえ想える。縄文土器も同様である。

2025-11-24

昨日午前中玉葱を植え、今日も菜園場に行く前に思う五十鈴川だより。

 昨日午前中、妻は仕事だったので一人で菜園場に玉ねぎの苗を、マルチをひき300の苗を植えた。もう充分なのだが、友人にも送りたいので、スペースいっぱい今日も植える。

この仕事に廻り合い、お辞めになる方が、よかったらこの菜園場を使ってほしいとのことで、以来有り難く使用している。あれから7年、ささやかに土に触れる生活を持続している。まったく我流、虫に喰われて全滅した野菜も多いが、今年もトマト、なす、ピーマン、シシトウは買うことがなかった。サツマイモはほとんど実が(葉は繁ったのだが)つかなかったが、家で食べるにはことかかない。ストーブで焼き芋をいただくには充分である。

色付く我が家の八朔

今年の中では茄子とシシトウ、ピーマンがひっきりなしに実をつけて、この物価高のなか今も我が家の家計を助けてくれている。 娘たちにも上京する度に持参したり送ったりしている。お米も高くなっているが、共に働くkさんの作っているお米を直接買っている。主食のお米を生産者から直接買えるのは有難い。(kさんからは柿や野菜なども時折いただく、気持ちのよい晩年の友人である。)

ところで、その豊作茄子を、妻がぬかにつけ、私の大好きな漬物にしてくれたのだが、その美味しかったことと、懐かしい母のぬか漬けの味を舌が想いだしたことを、五十鈴川だよりに打っておく。幼少期に食べつけた味の旨さの記憶に、結局私は回帰するのである。

干物、小魚、野菜の煮物、揚げ物などなどの、つまりはあの昭和30年代に、母が作ってくれた手料理の味に、母と父や姉兄弟とちゃぶ台で食べた、黄金の記憶に回帰してゆくのである。

今となっては限りなく、慎ましくも私のなかで甘美な物語になってしまうのである。とにかく私を含む5人の子供はお腹を空かしていたので、食卓のすべてに母の工夫のお料理が染みて脳裡に焼きついている。懐かしいというしかない想い出である。

もう充分に高齢者である私は、小さい頃に食べた味覚の料理が一品有れば充分である。それと主食のお米は八割玄米を頂いている。朝は妻の具だくさん味噌汁を週に5日は食べる。手術後、つましいけれど、ご飯がとても美味しい。したがって体調がいい。高齢者で仕事があり、新しい生命に恵まれ(今年4人めの孫に)言葉がない。4年前、退院したとき、体重は53キロだったが、一年で60キロにもどりいまもほとんど変わらない。

こんなことを打つと、ちょっと面映ゆいが、18歳から、入ってくるお金だけでやりくりしのぎ、今現在も私なりに生きているだけである。追いつめられたら工夫する。辛抱する。精神が鍛えられる。中世夢が原を退職したときに、これからは、両親の晩年生活を見倣って生きることに決めたのである。以後、お金で悩んだことはない。

くどくど打つことは控える。私の少年時代の生活を基本にやりくりすれば、私の場合さほどのお金は不要である。もっと言えばもうこの年齢になると、健康に過ごせる時間がもっとも大切なのである。玉葱を植えるには最低体が健やかでないと、(命が健やかでないと)つちと戯れることは不可能である。千住真理子さんの音色、演奏を聴いたと忽然と幸福感が湧いてきた。これはお金では買えない世界の、見えない世界の音色だと。

うまく言えないが、あの音色の世界の方へと。ただ存在しているだけで、日差しを浴びているだけで気持ちがいい。そのような時間最優先で老いて往きたいとますます念う。年金以外の収入を得るために、私が対価の労働に勤しむのは身に付いた能力を活かせる喜びがあり、そのお金を、私が最優先したいことに使用したいが為である。


2025-11-22

千住真理子さんのデュランティの音色は、高齢者の今の私に限りない、希望とエネルギーを降り注ぐ。

 三連休である。ともに仕事をしているkさんから、今年2回目、たくさんの柿をいただいたので(前回は渋柿)、長くお世話になっているかたがた何人かに、送る段取りをほぼやりおえたので気分転換に、五十鈴川だよりを打つ。

色付く日本に生まれて幸せです。

晩秋の日差しが部屋に満ちていて、我が老いた背中を暖めてくれていて、とても気持ちがいい。なんの意味もなく、綴りたくなるのはもはや、ある種の依存性五十鈴川だよりである。たんたんとした、年よりの呟きとはいえない、いつも過剰なくらいの長めの徒然を読んでくださるかたがいるというのは、有難い。

ゆきあたりばったり、思いつくよしなしごとや、日常のささやか細々を、この世の、わがまま、じいさん雑記録として打ちたいという凡脳(煩悩)が健在なのである。幸い妻も娘たち家族も継続してと、応援してくれる。だから打つ。

話は変わるが、今仕事で植え込みの剪定作業を今週から始めている。11月中はお天気のいい日はやるつもりでいる。この仕事を始めてからまる7年やっている。伸びた枝を刈り込む単純な作業である。私は高齢者でもやれる単純な全ての作業が、ことのほか好きになってきている。今私が高齢者となっても継続している仕事は、全部と行っていいほど、若い時には苦手であったのだ。

肉体労働だけではなく、何度もうっているが、本を読むことも文章を書く、打つことも大の苦手であったのである。そんなこんな振り返ると、苦手を克服したときから、あらゆる事が好転し始めたのは間違いない。もしあのとき克服せず、逃げて無難な道を歩んでいたら、確実に現在の私は存在しない。

出雲大社の
銀杏の紅葉

剪定作業に話を戻す。刈り込み前とあとではまったく植え込みは見違える。年に二度春と秋にこの作業を繰り返す。春夏秋冬の肉体労働、この自然の季節の移ろいに添って我が体を動かす事が、今私にとっての一番の健康法である。

健康法を兼ね、高齢者でもゆっくり作業行程を考えられ、とりくめるこの場が与えられたことの幸運を、誰に感謝したらいいのか、とときにおもえるほどである。そういう有難い労働できる環境で、あと何年働ける、動けるかと、時に思う。

だがはっきり五十鈴川だよりに打っておく。今日一日、とにかく自分なりに体を動かす。その事だけに集中する、そのような心もちで、手術後働いている。あっという間に4年が過ぎている。

臆面もなく打つ。大地の上で、高齢者なりに苦楽しながらこの世の今を、限りなく面白可笑しく生きられている現在がいとおしい。三連休、玉ねぎの苗を調達し、休みの間に植えるつもりである。

話は変わる。今年も余すところ40日となった。いつにもまして静かな秋の生活を過ごしている。11月入って、これまでの人生で聴いたこともなかった千住真理子さんの演奏を、立て続けに2回聴いたことが大きい。何か満ちたりた感覚がある。

千住真理子さんのファンになってしまった。それは千住真理子さんの[継続する力]という本を、この秋読んだからである。プロデヴューして50年、半世紀、全身全霊デュランティ、ヴァイオリンの演奏に人生を捧げている。この様なかたが同時代に存在していることに感動する。(是非本を読んで、演奏に触れて欲しい)。猪風来さんご夫婦と分野は違うが共通する。

この本を読まなかったら、まず演奏会にゆくこともなかったし、ファンになることもなかっただろう。あの音色は高齢者の今の私の生活に、限りない豊かさ、生きるエネルギーを与え続ける。剪定作業をしていてもあの演奏会の音色、声、笑顔、たたずまい、オーラがさす、姿が脳裏で甦る。若さ、年齢を超越している。千住真理子さんに出会え幸福な秋である。

2025-11-19

2泊3日の旅、11月15日、千住真理子さんの50周年記念ヴァイオリン、リサイタルに妻と往ってきました。徒然うちます。

 先週金曜日から二泊三日、妻と共に、下関まで千住真理子さんの、デヴュー50周年記念、ヴァイオリンリサイタルを聴くために行って来た。

昨年から、行けるときに年に数回妻と旅に出掛けることにしている。ネットで千住真理子さんのコンサートが下関の市民会館前であることを知り、二人で旅を組み立てた。旅の目的のメインは千住真理子さんのコンサート。ただ行って帰るだけでも充分なのだが、結果選択したのは本当に久方ぶりの車での二人旅となった。

記録として打っておく。金曜日朝7時前に家を出て、高速は使わず、吉備路を走り、真庭から出雲街道を走る。天気も良く山野の色づく紅葉を、老夫婦眺めながら低速での空いた道を快適ドライブ、妻も私も行ってみたいと思っていた足立美術館に午前10時過ぎについて、お昼までゆっくり過ごした。(ゆく価値あり、日本の山野の素晴らしさを切り取って額縁に入れ、それが毎日変容、移ろってゆく様を堪能できる。日本に生まれたことの幸福を感じた)

出雲教の池で妻が撮る

美術館を出て、出雲に向かう途中のラーメン屋さんでお昼を済ませ、出雲大社に午後2時半に着いた。私は2度目だが妻は初めてである。お詣りしたのち、一時間以上ゆっくり二人で付近を散策した。人っけのないすぐ側の、出雲教の神社が素晴らしく、(小さな滝が池に流れ落ちていて、飛来した二羽の鴨が仲良く浮かんでいた)その時私たち以外誰もいなかった。出雲大社での良き思い出となった。

午後4時妻が予約してくれたホテルにチェックイン、夕飯前、ネットでホテルから10分のところにある天然温泉を見つけ、湯にゆく。戻って午後6時からホテルで夕食を済ませ、9時過ぎ眠りに落ちた。

翌日土曜日、朝食を済ませ7時に下関を目指しホテルを出発、またもや高速は走らず、9号線を走る。出雲から浜田、益田へ。益田から萩までの日本海の海岸線の眺めが素晴らしいのは、故郷への帰省旅で度々走って知っていたので妻に見せたかったのである。(妻はことのほか喜んだ)

萩から山道を横断し宇部に出て、そこから下関に向かって一路走り、午後零時半市内に着いた。市民会館の近くに車を入れ、駅近くで二人してカレーでの簡単なお昼を済ませ、開場の午後一時半市民会館に着いた。午後2時オンタイムで千住真理子さんの、デヴュー50周年記念ヴァイオリン、リサイタルが始まった。

11月3日に、東京八王子で初めて千住真理子さんの演奏を聴いて、びっくりしたことは、わずかだが五十鈴川だよりに打った。あの日から12日後、再び聴くために下関まで足を運んで(すでにチケットを押さえていて)本当によかった、と今も思う。それほどに凄かった、としか言えない。

八王子では東京交響楽団定期演奏会のゲストであったので(それでも七曲フルオーケストラをバックに演奏された)お声を聞くことは叶わなかったのだが、下関はご自分の歩みの、現時点での集大成記念リサイタル、伴奏はピアノだけのシンプルさ。全曲本人の解説やお話があり、なんとも贅沢なリサイタルであったことを、五十鈴川だよりに打たずにはいられない。

萩の近くの海辺の妻

50周年記念に演奏された曲目は、一部バッハのG線上のアリア、ヘンデルのラルゴ、モーツァルトのトルコ行進曲、ベートーベンのヴァイオリンソナタ第5番春。二部、エルガーの愛の挨拶、クライスラーの愛の悲しみと愛の喜び、マスネの瞑想曲、ドビュッシーの月の光、ポンセの小さき星に、サラサーテのツィゴイネルワイゼン。以上11曲 がプログラム。が、カーテンコールに何と3曲演奏されたのである。一番最後はチャルダッシュで締めくくられた。私は立って拍手をした。

長くなるがもう少し打っておく。下関市民会館は2000人が入る大ホール。そこの半分から前の席、1000人位の人が客席を埋めていて、後部座席にはだれも座っていなかった。が聴衆が私を含め、1000人の人間が感動していた。曲、演奏が続く毎にホールがえもいえぬ雰囲気に(幸福感)に包まれてゆくのを、私は客席で実感した。

そこにはクラシック音楽というジャンルを越え、ストラディヴァリウス、デュランティの音を弾きこなし(デュランティとの廻り合いは40歳)50年、名曲を聴いてほしい、演奏を届けたいという念い、祈りの深さである。

凄まじいまでの稽古、デュランティと格闘してでてくる音色の素晴らしさは異次元の音である。ヴァイオリンと共に生きて、人生を捧げてきた、千住真理子さんという存在だけが醸し出せる音の世界である。妻は泣いていた。終演後CDにサインしていただいた。

その夜、関門海峡が眺められるホテルに泊まり、翌日は萩の阿武町の道の駅に立ち寄り、お昼のお弁当などを求め、その後どこにも立ち寄らず、萩から益田までは再び海岸線を走り、そこから山道を走り、広島へ。途中から高速で尾道から山陽道へ入り日曜日夕刻四時半に無事に我が家に帰った。

PS 今、このところ千住真理子さんの書かれた以前の本を生活の合間に、ゆっくりと読んでいる。


2025-11-09

晩秋、午前中雨音を感じながら打つ五十鈴川だより。

 雨である。昨日菜園場に午前中いたので、今日は静かに体を休めようと思う。五十鈴川だよりを休日に打つのは、ほとんど習い性の、体の調節機能、自己満足免疫低下を防ぐ、暗示のようなものである。

私は高校を卒業し、無謀にも(今思うに)演劇を学ぼうなどという、漠然たる寸志を抱いて上京した。当たり前、井の中の蛙を実感し続ける人生を送って来て、よくもまあ、この年齢まで生き延びて来られ、こうやって五十鈴川だよりを臆面もなく打てる今が、時折俄には信じられないほどである。


バカの壁、という言葉がある。世の中に出て、時代に翻弄され、世間の壁に何度も何度も、時に絶望的な気分に落ち込み、凡人であるから悩み深き淵に沈んだことも度々経験してきた。そのような私なのだが、なんとか生き延びてきた(生き延びられた)いちばんの要素は、生活に終われても、時間がなくても、すがるように本だけは読み続けてきたから、生き延びて来られたのだと、今実感している。

世の中には本の虫のような方も居られる。が私はまったく違う。本を読むのもとても遅い。旅をするのもそうだが、旅が旅をよび、本が本を呼ぶ。だから終わりがない。たくさん旅をしたから、本を読んだからといって、身に付いて賢くなったとも思えない。

だが、確実に言える事は、もし本を読み続けることをしなかったら、現在の私は存在していない事は間違いない。私の場合の読書は生きてゆくために必要な読書である。日々の生活のなかで、時に心のエネルギーが枯渇して、根本(本という文字)が脅かされそうになったときに支え、叡智を授けてくれるもの、それが本なのである。

先の旅に持参したのは、佐藤優著[私のマルクス]である。文春文庫で2011年11月のおく付けがある。定価714。私はこの20年、佐藤優さんの書かれた本をかなり読んでいる。長くなるので割愛するが、私の庶民レベルの読書量ではおっつかない、しかも知的レベルが圧倒的に異なる(恐るべき読書量である)巨魁とでも言うにふさわしいようなご仁である。私などには想像を絶する修羅場を何度も経験、潜り抜けて来られた稀な方である。でも今の私には畏れる事など何もない。謙虚に学びたいだけである。

私のマルクス、というタイトルの本のなかに出てくる、佐藤優さんが同志社大学の神学部で学んだ、フロマートカ始め、ズラリ神学者の名前がでてくるが、一冊も私は読んだことがない。ましてや、マルクスもエンゲルスも、聖書も読んだことがない。

だが、私のマルクスを読み終えた。登場人物が魅力的で面白く、一種の青春グラフィティとして読んだ。本音、直球でぐいぐい真理に迫って学んでゆく、記憶力のすごさの文体は、余人の追随を寄せ付けない。10年前に手にしたときは、あまりの知的胆力に圧倒されたものである。

佐藤優さんは、プロテスタント、カルバン派のキリスト教信者である。それも筋金入りの信者、神学者である。このような人が、現在の日本社会に存在しているそのことの、在りがたさを、私は感じる。(私の貧しい頭でも)

先の縄文遺跡を訪ねる旅では、新幹線、在来線、バスなどの乗り物に乗る時間が多かったので、思いもかけない読書旅ができた。今年も余すところ50日、日に日に日は短くなるが、目が疲れない程度に、老人なりに良い本を読む力を養う読書力をキープしたい。若い頃に買って、いまだに読んでいない本がある。生きるための読書、生き延びるための読書、今の精神生活にエネルギーが注がれる読書を私はしたい。

PS 今日の写真は長女のパートナーレイさんが稲城に借りている菜園場で、苗に水をあげる2才半になる未彩の写真です。


2025-11-08

晩秋、立冬を過ぎ、日差しを浴びながらもの思う、五十鈴川だより。

 前回の五十鈴川だよりは、東京吉祥寺駅のマクドナルドで打ち、今日は自宅のいつもの二階の部屋で打っている。3日、午後二時から、八王子の駅の側のホールで東京交響楽団の定期演奏会を聴き、東京駅で新幹線に乗り換え、岡山の我が家に着いたのが、午後9時過ぎだった。翌日から昨日まで、珍しくフルタイム午前も午後も働き、今朝を迎え、五十鈴川だよりを打っている。

細胞に染み入る音色

ちょとだけ、3日の東京交響楽団の定期演奏会にゲストで招かれていた、千住真理子さんの演奏を初めて聴いたことに、触れておきたい。

夏が終わり秋が訪れたいころ、千住真理子さんの[継続する力]と言う本を読んで、チャンスがあれば、是非とも演奏に触れて、聴いてみたいと調べたところ、ちょうど旅の終わりの日に、ゲストだが八王子で聴けると知り、妻の力を借りて、チケットをゲット押さえることが出来、旅の終わり、聴くことができ。

開演、何と一部に、ハープとヴァイオリンの二重奏、千住真理子さんがいきなり登場、ストラディヴァリウス、デュランティというヴァイオリン、名器を演奏する千住真理子さんを、初めて見た。そして聴いた。なんとも形容し難い音色であった。

曲は、[バッハとグノーのアヴェマリア]。この歳で旅の終わりに、体感できたことの喜びを、打っておく。想像おも超えた音色が老いた私の体全身に染みてきた。優しくやさしく、この世の音とは思えない音が降り注ぐ。そのあまりの素晴らしさは、言葉では伝えられない。しずかに老人の眼に涙が。

プログラムノートから、ビターリのシャコンヌ、エルガーの愛の挨拶、クライスラーの愛の悲しみと愛の喜び、マスネのタイスの瞑想曲、モンティのチャルダッシュ、以上七曲。私はこのところほとんどクラシックの演奏会に出掛けたことがないのだが、千住真理子さんの本を、読んだことで、なんとしても、この方の演奏だけは聴かないとという、(一生悔いが残る)気持ちにさせられたのである。

結果、私の直感(直観)は大当たりとなった。期が熟した年齢、縁、タイミング、すべてが私に味方したのだとしか思えない。音色の祝福が、当日居合わせた聴衆全てのかたに降り注ぐのを体感した。あれから5日間の時間が過ぎたが、あのストラディヴァリウス、デュランティを弾く、名曲を奏でる千住真理子さんの、姿、音色が、時折脳裡に浮かぶ。

それは選ばれし者のみしか演奏なしえない音、初めて聴いた音色である、としか言えない。音の女神、ディーバとでもいうしかない、ある種この世のヒトとはおもえないほどの品格、雰囲気を、まぎれもなく、千住真理子さんは湛えていた。

クラシック音楽に関したことだけではなく、あらゆることに関して、素養のなさを今更ながらに折々感じる私である。が、そのような私が千住真理子さんの演奏を縁あって聴くことができ、クラシック音楽の素晴らしさを、今後もっと聴きたくなっている。ストラディヴァリウス(この名器を弾きこなせるのは選ばれしヒトにしか成せない)。千住真理子さんはデュランティと巡りあう運命の選ばれし人である。

今月15日には、下関での音楽会に妻と出かける。勢い、いきなり私は千住真理子さんのファンになってしまったようである。千住真理子さんを通して、クラシック音楽の素晴らしさを老いつつ我が体は、ようやくにしてより深く感知し始めたのである。推し活なんて若い人の言葉だと思っていたが大間違いである。私にだって訪れるのである。猪風来さんご夫妻もわたしの中では、宝である。

今回の小さな旅は、大きな旅になったように思える。今後、これからいかに時を刻んで日々を歩んでゆけば良いのかの方途のヒントが授けられたような。だから、心と体がが動く間は旅に出かけたい。