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2026-05-06

20代の頃に読んでいた本をかなり処分して想う、今朝の五十鈴川だより。

 昨日も午前中は庭木の剪定、草取り、金柑の収穫(半分ほど収穫し、妻が夕刻ジャムのしていた)を二人でやった。さっぱりし、風通しがよくなり、我が心もにわかにスッキリした。我が家の御神木とも言える八朔の木陰でお茶を飲み、しばしジャスミンの香りと薫風に身を置いていると、憂き世のニュースを遠くに感じる。

孫写真.眺めて過ごす.老いの春。

(アメリカのわがまま覇権主義は眼に余る、心なしか老いの翳り、八方塞がりをトランプに感じる、世界の民は報道以外の見えない世界を感知している)

手の届く範囲を耕し、満ち足りる喜び。要らぬ情報に振り回されずに、目の前の庭先で展開される春の息吹を老夫婦二人で愛でられることの慶賀を、五十鈴川だよりに打たずにはいられない。

混雑時の外出は今後もう出掛けたくない。お金も出かける時間も不要、我が家の内と外で過ごすGW時間を夫婦で大切にしたい。

巨万の富をいくら積んでも買えない。春の息吹、風、空、薔薇の蕾が開く、崇高さは例えようもない。

一杯のお茶を、いただける有り難さ、その喜びをシェアできる人が、身近にひとり存在すれば、幸福である。そういう意味で、臆面もなく打っておく、今年のGWはとてもよき時間がすごせたことを。

さて、昨日も午後二時間位、書斎の本棚の整理処分をした。何事も後回し、先伸ばしにしておくと、つけが自分自身に回ってくる。一昨日処分第一回が成せたことで、徐々に気持ちが落ち着き、暑くなる前に前期の整理処分、後期は秋にやろうと考えている。

つくづく平和の尊さを想う春

80代半ばの頃、中村メイコさんが大事な写真から思いきって処分した旨のエッセイを読んだことが大きい。

女性の平均寿命は男性よりも高いので、男の私がこの年齢で、蔵書(大したことはない)やお手紙や葉書、写真を処分するのは時宜に叶っている、とわたしは思っている。やれる時にやっておく。つまりはそれに尽きる。うじうじするのは苦手である。

悩んだら飛ぶ。身を捨ててこそ、新たな体が生まれる、そのような人生を歩んで来たので、本や、お手紙、パンフレット、チラシ、写真とう(絶対捨てられないものだけを残しつつ)還暦までに溜まっていた物は(娘たちには無縁の物)手を合わせ、処分することにした。

不思議なことに、行方不明になって探していた本が本棚の奥から出てきたり、やはりこの本は元気なうちに読んでおかねばと思える本にも新たに出合え、思い切ることの大事を今さらながら知る。やらずに悔いを残すよりやっておく、のだ。

雑巾で本棚の溜まりに溜まっていた、埃を拭き取るだけでも気持ちがよい。縁有って巡り会えた書物、手を合わせ紐で縛る。時代は流れる。目まぐるしく変容する。感傷にひたってはいられない。

PS 今日の写真は上が長女と次女の息子、望晃(ノアは3月で8歳になったばかり)、と葉(7月で4歳になる)ノアは葉を弟のように可愛がっている。下の写真は5月2日に3歳になったばかりの未彩(みあ)と葉。GWの写真である。可能なら2ヶ月に一度くらいは孫たちに会って、それぞれの成長に立ち会いたい、と考えている。一番新しい生命、風香は次女の許可をもらって、五十鈴川だよりに折々、掲載したい。いましばらく爺バカを満喫したい。

2026-05-05

GW、妻と庭木の剪定そのほかの体動かし手入れ作業、午後はお互い自由気ままに過ごし、夜はお互い早々に眠りに落ちる。

 GWも今日も含めてあと二日である。あたりまえだが一日は、不変である。前回も打ったが、普段手が及ばない、繁った月桂樹やスダチその他の枝木の剪定や片付けなどを妻と二人でやっていると、一日は穏やかに過ぎてゆく。有り難いよきGWを過ごしている。

この年齢になると、休日は妻とやれることを一日に一つでもやれる時間を大切に過ごしたいと、私は考えている。70代になって、(手術したことが大きい)年ねんその思いは深まっている。

不滅のジャスミン

わずかな庭木なのだが、キンモクセイの枝木も数年しないでいると、まるで自分の体の手入れをしていないかのように、なってくる。体の手入れのように、我が家のささやかな庭の手入れ、妻の手だけでは及ばないあれやこれやを、共にやれる時間を大切にしたい、のだ。

久しく剪定していなかった月桂樹(生命力の塊)の枝木を剪定しただけで、すっきり、ずいぶん風通しがよくなった。月桂樹の枝木で見えなかったが、妻が長いこと大切にしていたジャスミン、昨年ほとんど剪定したはずなのに、一部分がしたたかに残っていて、香りとともに見事に咲き誇っていた。早速妻が家の中のあちらこちらに活けたら、なんとも言えない香りが家中に充ちる。

老いゆく二人の春の時間の過ごし方、ささやかに庭木や妻が丹精している数本の蔓薔薇や季節毎に植え替える花ばなの処し方の手伝いも、我が喜びである。妻は明日仕事なので、妻とのGWは今日までなので、今日は午前中庭の草取りと金柑の収穫などをする予定である。

ところでこの二日間、午後もう今となっては、手にする事もない数十年本棚に鎮座していた主に20代から30代のころに買って読んだ本、(重たい写真集なども)50冊位処分した。折をみて、少しずつ処分し、どうしても手放せない本、(もうおそらく読むことはなくても、背表紙を眺めるだけでもおいておきたい本)はいましばらくおいておくことにした。

GW、思いきって幾ばくかではあれ、我がこれまでの人生で手にしてきた本を手放せたことは大きい。演劇雑誌など東京の神田の古書街であれば引き取ってもらえたかもしれないが、ここは岡山、処分した。若い頃の思い出のつまった青春時代の本や雑誌、残しておいても娘や孫たちにはきっと無縁だと思うので、決心がついた。

最初の処分が出来たことで身軽になってきた感がある。思い出、思い入れは大切であるが、娘や孫たちには全く関係ない。あくまでも私のなかでの出来事なので、自分の中で昇華できれば事足りる、そのような心境にようやくなったのである。

この世のお別れまで、囲まれていたい本は、据えおく(処分費用は残しておく)ことにし、今日の午後も本を、少しずつ処分し、可能なら年内に、今の本棚の本を半分位にしたい。そして身軽になりたい。

執着することをやめたい、のである。もっといえば手放したい思いと、手放したくない思いの間をいましばらく揺蕩いたいのである。まことにもって、自分と言う器はやっかい、矛盾そのものの総体である。

そんなこんな、五十鈴川だよりを打ちながら、揺蕩いたいながら、私の5月初旬の今は流れてゆく。

2026-05-02

薫風に誘われ、布団を干し、我が部屋、トイレ、ほか雑巾掛けをした後打つ、今の五十鈴川だより。

 昨日は春の嵐かと思いきや、狐の嫁入りの晴れ間、そして雷を伴うにわか雨、そのようなお天気の中、合間合間なんとかカッパをきて働くことが出来た。

そして今日は一転の五月晴れである。。お隣の家の五月の花が満開である。明日は雨の予報なので晴れの一日を大事に過ごしたいとおもう。

今朝気付いたのだが、郵便受けに今は山形に住むKさんからお葉書が届いていた。2012年東北岩手県の大槌町で未曾有の震災のボランティアを、たった一日ボランティアしただけなのに、淡い交友が続いている。

Kさんからのお葉書、嬉しく有り難い。

今回の山火事で私のことを思い出された様子でのお葉書だった。お葉書にはお葉書で、私もまた近況のお便りを書くつもりである。私には数回しかあったらことがない方なのだが、強い縁を感じる方が何人かいる。

共通するのは、地に足をつけて大人(おとな)しくきちんと生活をされていて、浮わついたところが微塵感じられない、ということである。

私はそういう知人、友人から特にコロナ以後、学びながら生きているといっても過言ではない。コロナ以後、友人知人の関係性が大きく変わったことはまちがいない。体が変われば世界も変わる、との言葉を文字で知らしめたのは養老孟司先生である。人間は不確かな実在で、病気になったり、大切な人を失なったり、孫がうまれたり、との経験、未知の世界をくぐり抜ける度に、流転しながら昨日の自分とは異なる自分になって存在し続けている。

話を戻す。数回しか会っていないKさんにも、お葉書を眺めているうちに、あの日瓦礫の撤去を共にしたあの地区の風景が甦ってきた。元気なうちに会いたくなった。富良野塾の縁切れない仲間もそうだが、体を動かし共に苦楽を経験した間柄は、ただ楽しいことだけの縁とは、やはり異なる。

さて、今日からごGW、五連休である。が、私も妻も何の予定もない。ほとんど家で過ごすつもりである。庭木の剪定、ほかふだんはやれない家の中、外のKとをやってほしいと妻に頼まれている。老いてはよほどのことがない限り、妻優先で事を進める。もう10年以上夫婦二人暮らしである。

今日は、長女の娘未彩(みあ)の3歳のお誕生日である。昨日は長女の旦那さん、レイさんの40歳のお誕生日であった。私が岡山に移住した歳である。あれから34年、まさに光陰矢のごとしである。レイさんにお祝いのメッセージを送ったら、感動的なお返事メールをもらった。

親バカ、爺バカを自認している。このような能天気さは老いてますます顕著であることも自覚している。でももう自然に流れる自由自在五十鈴川は、ある日突然、決壊(うてなくなるまで)するまで、指に任せて打つのである。

PS GW、打つのではなく、久しく会っていない友にお便りが書きたくなった。紛れもなくKさんからのお葉書の影響である。手書き文字の力はやはり凄い。私もKさんにあやかる。



2026-04-30

4月30日、雨の朝、静かに体と心の調節機能のための五十鈴川だより。

私は養老先生のファンである。

 私の好きな静かな朝が来た。自己満足、金太郎飴的なお爺さんだよりにすでになっている。だが当たり前、昨日と今日は、私の体は微妙に異なっている。だから昨日とは異なる五十鈴川だよりになる。

本人は気持ち良く動いているつもりではあるのだが、ひょっとしたときに、歳を感じるときがある。昨日午前中ほっといて気になっていた菜園場の草取りの後、最低の撹拌をし(できるだけ耕さない、だから草がぐんぐん伸びる、でも私はそれでいいのある)2列畝を作り、ピーマン、ナス、トマト、トウモロコシ(三本初めて植えてみた)を、お昼前までやった。

その事も含め、お正月からこの4ヶ月の疲れが、やはり出たのか夕刻お風呂の後、ちょっと外に出て湯冷めしたのか体が重く、夕飯(タケノコご飯と野菜の天ぷら)をそれでも美味しくいただき、早々に床に着いて、午前5時に起きた。

8時間以上睡眠をとったら体が軽く、気持ち良く起きることが出来たので、こうやって五十鈴川だよりが打っている。(なんと有り難いことか、良く食べ、良く動き、良く寝る)

旬のタケノコ満喫しました

精神の調節機能として、私は五十鈴川だよりを打っている(日々の行動生活記録としても)、体調が悪いと、当たり前絶対に打てない。そういう意味で、61歳から打ち始めた、思いつき五十鈴川だよりで、私が私自身にどれほど、(いまもだが)日々の調節がやれているかがわかる。

心身、体と心が連動しないとどのような一文も私は成せない。体が重い、気分がのらない、気分がすぐれない、食欲がないなど、体が発するサインを見逃さないことが大事である。

そういえばこの数年熱を出していない。還暦までは必ずといっていいほど、年に数回は発熱していたのに、古希目前の大手術以降、熱を出した記憶がない。

昨日ひさかたぶりに、体が重かった我が体、これから暑い夏を迎える前に、このGWはゆっくりお休みしろとのサインだと受け止めている。体の声を聞きだらだらすごすことにする。

平生つい夢中になりがちな我が性格はいかんともし難いが、年相応の過ごし方を、五十鈴川だよりを打ちながら見つけたい。

気分がすぐれない時の特効薬は、養老孟司先生の読みやすい本を(中身は濃い)読むことにしている。読む薬として重宝している。要は虫のように存在し、できるだけ静かに、気持ちのいい場所で、気持ちのいい人たちとの関係性を大事に、キープした時間をすごせればもう私は充分なのである。

2026-04-29

4月26日、42回目の春の縄文野焼き祭り無事に終え、スタッフとして参加出来た喜びを打つ、今朝の五十鈴川だより。

 去年の春、秋、今年の春と3回参加して、ようやく自然に当日あの空間に居合わせた人たちの一員の一人になれたかのような安堵感が今も私の体にのこっている。


天候も最後まで見守ってくれ、70点もの縄文造形作品が無事に焼き上がり、その一部始終を見届けることが出来た喜びを、五十鈴川だよりに打つ。

私の猪風来さんご夫妻との関係性の深まりは、一年七ヶ月前の一本の電話から始まった。その折々の事は長くなるので割愛するが、昨年秋の20周年記念イベントにスタッフとして関わったことが起因している。

もし一本の電話がなかったら、きっとここまでの関係性の深まりはありえなかったかもしれない。今となっては有り難い、生涯忘れることのない電話であった。古希を過ぎコロナ渦中から次々と孫が授かり、娘夫婦の役に立つべく静かに暮らすだけで、充分満ち足りていた矢先の一本の電話の声は、私の老いゆく下り坂時間を逆流させた。

有無を言わせない真剣そのものの、猪風来さんの声は静かに私の内部におりて、スタッフになろうと(やれることで役に立つ覚悟)肝をきめた。あれからの時間の私生活の充実は、臆面もなく打つが、猪風来さんご夫妻と関わることで、全てが以前にも増してよき方向に向かい始めたように感じている。

縄文の心と技の修得に全人生を捧げた猪風来さんに、スタッフとしてお声かけしてもらえたことの有り難さは、例えようもない。スタッフとして関わることを決めた後日、よし子さんから、猪風来さんの書籍、原野さんの写真集ほか一切がお手紙とともに届いた。私は感動した。

世の中に出て、右往左往、あたふたと生きてきて、40歳で中世夢が原で落ち着き、自分なりに活動、生きてきたが、猪風来さんご夫妻に信頼された喜びは、老いつつも私の体を復活させたのである。以来言葉には出来ない、縄文的な感覚、感性が少しずつ私の中にしみてくる、のだ。

焼き上がった70点の作品

スタッフとして自分なりにベストを尽くし、20周年記念イベントを終えてから、明らかに私は縄文に誘われる心地よさに身をゆだねたくなっている。現世の、世間の、この世からの逸脱を想像力を駆使して、遊びたくなっている。

先日、猪風来さんからお借りした本のなかに、縄文考古学の大家小林達雄先生が、我々の生活の中に縄文的な視座を取り戻したいと、おっしゃっていた。その言葉の意味する奥深さを、考え続けるその日暮らし、をしたい。

話は変わる。縄文野焼き祭りを20年以上の間、裏方として一貫して支えて来られたkさん(最高に格好いい人である。)から全ての片付けを終え(午後2時前)帰ろうとしたとき、たくさんのタケノコをいただいた。それとビールを。

(タケノコなんと20本以上頂いてご近所、妻の友人ほかに配ったのだが、皆さん笑顔、その日早速妻が手早く湯がいてくれ、口にいれた。最高の春の味覚、kさんにこの場を借りてお礼をお伝えする)

猪風来さんご夫妻との関係性の深まり、そしてこのkさんや、Yさんとの生まれ落ちたところは全く異なるちょっと歳上の先輩方との、縁の深まりは、この情愛の希薄な(体を動かし合える中で、自然に育まれる気付きの関係性の気持ちよさ)現代日本社会の私がこれまで経験してきた、消費イベントの対局に位置する。縄文世界は老いゆくなかでの我が体に喜びを、輝きをもたらす。




2026-04-25

明日の猪風来美術館の春の縄文野焼き祭りの、前の日の朝に想う五十鈴川だより。

 目が覚めたので起きた。この数日、明日の縄文野焼き祭りのお天気が気になっていた。明日のお天気が今日のような予報なら、心配はないのだが、あすは下り坂の雨マーク予報なのでちょっと明日のスタッフとしては不安なのである。

だがこの野焼き祭りを、20年間継続されてきた猪風来さんご夫妻であるから、きっと対策は万全だとは想うけれど、スタッフの一員としてはやはり心を配らねばとおもうのである。

草から学び我が体をしる。凄い本。

夜明け前、まだ暗い。この静けきひとときの休日の朝がたまらなく私は好きである。さあ今日は、どのようなその日暮らしになるのか、しようかと老いた体で思いを巡らせるのが幸せなのである。

平日労働でも、今日はどのエリアを何ラウンドやろうかと、年間通しておおよその予定を立てこなしてゆくのである。同じ事ばかりやるのではなく、エリアによってやることが異なる。

草刈りばかりやるのではなく、分かりやすく言えば、体の動きがことなる労働を継続する。

体に負担を感じたら、直ぐに辞める。一昨日はかなりの雨の中での草刈りをやったのだが、お昼前には切り上げた。決して無理はしなくなった。

だが手前味噌でも何でもなく、先日仲間のkさんと猪風来美術館の裏の斜面の草刈りをやったことはすでに打ったが、この草刈りはこの8年草刈をしたなかで、最も危険で厳しい草刈りであった事を打っておく。(猪風来美術館の草刈りでなければしなかった、ご夫妻の役に立つのが嬉しいのである)

74歳であの斜面の草刈りが出来たことの事実としての喜びは、私の体だけが知っている。(中世夢が原での20年以上の敷地の草刈りが今の私を支えている、冬場の茅刈りを思い出した)今週も草刈り労働が多かったのだが、あの斜面を刈ったことで、現時点での我が体の技能力が良く自覚できた。老いつつも体の使い方の方法を、もっと前むきに(実現すべく究める)面白がる努力がまたやりたくなっている。

楽しく、面白がってやれば、まだまだ我が体は動くということの発見をあの斜面の草刈りは知らしめたのである。あの日美術館の斜面の草刈りをしなかったら、老いを後ろ向きに捉える思考に掬われていたかもしれない。

とはいっても、何人も老いる摂理には抗えず、受け入れるにしくはないのだが、絶対矛盾であれ、老いつつも新しい体の気付きは、ぬるま湯に浸かっている生活の中では、決して産まれてはこないだろう。私自身(いまもだが三つ子の魂がどこかに眠っていて)横着者を自覚している。

だが親元を離れ、社会にでて揉まれ思いつき、ささやかな個人的成功体験を積み重ね、おかげで今を生きられている。一日でも長く(出来なくなる日を見据え)踏ん張って草刈りをやれる体の使い方を追究したい。

2026-04-22

私とは入れ替わりで、上京していた妻が帰ってくる日の朝の五十鈴川だより。

 5泊6日、娘二家族のところに上京していた妻が午後3時過ぎには帰ってくる日の朝である。まもなく洗濯が終わるので、五十鈴川だよりを打ち終わったら洗濯ものを干し、お休みなのでゆっくりブランチをしようと思う。

最初の孫に恵まれてから、年に数回交代で娘たち家族のところに出掛ける生活が、この8年続いている。よほどの時にはペットシッターさんにお願いするが、我が家には妻が愛する、花とメルがいるので夫婦揃っての上京は難しい。

従って諸事万端家事一切を私がせねばならない。当初、メルと花のケアーほか、戸惑ったことも、8年も続けると手慣れてくる。今朝も先ずは洗濯とメル、花のケアーを終えての五十鈴川だよりタイムである。

そろそろ終わり、我が家のモッコウバラ

働いている日は、よほどのことがない限り、五十鈴川だよりを打つ気は起きない。私の好きな労働は肉体を消耗するので、労働した日はしっかりと体を休養する。若くはないのでとにかく8時間は寝る。平日は朝仕事前にしか本も読まなくなった。だから基本的に、休日しか五十鈴川だよりはうたない。(打てない)

話をもどす。古希以前は妻の事に触れるのは、どこか(ややもすると、自慢気に陥る、その愚は避けたい)控えていたのだが、もういつ五十鈴川だよりを打てなくなるやもしれないし、打てる時に、野暮を承知で、打てる気力があるときに、そっと事実のみ打っておこうと思う。

だからといって特段打つこともないのだが。年に数回、妻不在の時間を過ごすことが、この年齢になると、いかに普段妻の献身的家事労働に支えられているのかが、身に染みて分かる。

だから私は嫌でも自分を賄う料理を作らねばならない。お金を使っての外食は基本的にしない。外食は妻と共にする。今回も一度も外食はしていない。とにかく作る。手を動かしながら考える。

老いゆくなかでも状況が変われば体は変化する。8年前よりも台所に立つのが苦にならなくなった。炒める、煮る、焼く、茹でる、刻む、などなど体が食べたいと思う一品を作る。基本的に二品作れば、後は海苔やその他副菜で、年齢的にもう充分である。今の生活力をキープできれば、ありがたやである。凝った料理は一切しない。手間暇かけない。が、手抜きはしない。シンプル、とにかくお腹をすかす。だから何でも旨い。

話を変える。今年も暑い夏が続きそうである。四月下旬、先週辺りから、草がぐんぐん伸び始め、紫外線の量が一気に増してきているのを体で感じている。いくら肉体労働が好きとはいっても、古希を過ぎてからのこの数年の夏の暑さは尋常ではない。

従ってこの夏をいかにやり過ごすのかが、毎年の最重要課題である。秘策というものは取り立ててない。がなんとかこの数年熱中症にもならずしのいでいる。ひたすら体のコンディションを整え栄養をとり寝る、ってなことくらいしかやっていない。一日を凌ぐ、やり過ごす、だけである。オーバーではなく覚悟の夏、我が体は動くのか動かないのか私にもわからないのである。

今日は動いて凌げた。だから明日も動いて欲しい。その為にどう一日をやりくりするのか。私の高齢者生活は冗談ではなく甚だもってスリリングなのである。そのような日々を、私は有り難く面白がっている。出来なくなったらその時はその時、潔く諦めるのである。(摂理に抗わない)

敬愛する養老孟司先生は、死は100%、何人も平等、遅かれ早かれ訪れる。だから恐れてもしかたない、と。とまあ、そのようなことを日々思案しながら草刈りしていると、万物の息吹き、草原の輝き(というタイトルの映画が昔あった)がしみてくる。