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2025-12-13

わずか一週間弱妻が不在、時折一人での生活を哲学する、師走半ばの五十鈴川だより。

 土曜日の朝がきた。今年も余すところ2週間である。東北北海道の太平洋側では、今も地震が続いており、その地で暮らす人たちは、緊急避難に備えて、心の休まる時のない不安な師走を過ごされている、。

一方の私の老人の日々は、こうやって五十鈴川だよりをうてる、穏やかな日々が過ごせている。この例えようもない、あまりの相違を想うと、言葉がない。

気を変えて、普段の五十鈴川だよりに戻る。10日水曜日から来週火曜日まで妻が娘たちのところに上京している。したがって私一人ですごしている。娘たちが独立し、所帯を持ち、子供が授かってから、老夫婦交代で上京するようになってから、長いときは10日位は一人での生活を余儀なくされているので、今のところ、もう老人一人暮らしにも不都合はない。

実体験レポートエッセイ、凄い。

炊事、洗濯、買い物、掃除、 メルと花のケアなどなどをそつなくこなせれば問題はない。敢えて打てば、 年に数回このような老いの一人時間があったほうがいいのだと思うことにしている。

ことほどさように、来年で巡り逢って40年、もう十分に夫婦としての歳月を過ごしていると、とくに私の場合、その有り難みに無感覚になりがちだから。

このようなときに、夫婦といえどもやがては離れ離れの宿命は逃れようがない。どちらが先に逝くとしてもである。考えても仕方がないとはいえ、面と向かってはなかなか口にしては言えないことに関して、結論はさておき、時に立ち止まり嫌でも考えておかねばと、自省するのに一人時間は有効である。

さて、話題を変える。もう金時飴のように、代わり映えのしない身の回り老人五十鈴川だよりである。だが毎年新しい初めての白秋期を生きているのだから、出来ることなら、その老いゆく未知のゾーンをしっかりと見つめながら、活きたいものだと、凡人なりに考える。哲学する。オギャアと生まれしわが命の行く末を。

古稀直前の私にとっての大手術から、来年の3月23日で、まる5年になる。退院日を忘れることは、もっと老いて、脳が萎縮するまでけっして忘れることはない。コロナで世の中てんやわんやのなかでの三度の手術。このまま死んでゆくのかもと、うすらぼんやり考えたことがある。

私の場合、ほんとうにうすらぼんやりとしかのおもいだせないが、覚悟するしかない、いわば諦念感覚に委ね、M先生にお任せしたのである。結果、再び命を与えられ、退院後3ヶ月に一度、M先生の定期検診受けながら、お陰さまで元気に日々を過ごしている。(お陰さまで血糖以外全ての数値が正常である)

やはりあれほどの手術をすると、ただ生きているだけで、存在しているだけで充分にありがたく幸せであるとの、感覚は深まる。このような敢えて言葉するなら哲学感覚、いよいよ老いる哲学を学びたい。そのような叡、智賢者の書物で老いの体を磨きたい。このようなことを打つとどこか気恥ずかしいのだが、年寄りの妄言だと思われようと、もう十分に年寄りなのだからいいのである。

老いを哲学する。もっと打つなら哲学的に老いを思考しつつ、答のない人生を、脳が許容してくれる時間、思考し続けたい、のである。だから五十鈴川だよりを打つことも、そのような私の営為の一部なのである。

話は変わるが、青春の終わり(31歳から33歳まで)、簡略に記す。富良野で大地にへばりついて、知的な本を読むような時間を持てず、ある意味で、もっとも不自由な、自分の時間が限りなく少ない中での集団生活というものを経験し、私はほんとうに体を動かし、地に足を付けた生活を志向するようになった。

以来、ほぼ40年、今も体を動かし、ささやかに思考し活きながらえている。今の私の生き甲斐の一つである肉体労働、まる7年続けている。毎日自然は変化する。季節にあわせ労働内容も自然に合わせる。老いゆく労働哲学実践ずる。日々流転し変化する雑草を始めとする植物と、対話をするかのように、天を仰ぎ我が老いゆく体を動かす、限りなき単純労働が、面白いのである。

先日も打ったが強制労働ではなく、依頼されて、自分のリズム、責任の範囲でやれ、評価される。好きなことなので発見があり、続けられる。(私が宇宙の塵となっても雑草植物は生成流転する)一事は万事に通ず。細部に手を抜かない、細部をこそキチンと完遂することの気づきの悦びである。それもこれも全ては健康なればこそである。


2025-12-07

[なるようになる。]という養老孟司先生の本を夜中の3時半から読み始め、読み終えて思う五十鈴川だより。聞き手‥鵜飼哲夫。

 昨日も打って、今朝も打ちたくなったのは[なるようになる。]副題、僕はこんなふうに生きてきたという養老孟司先生の本を読んだからである。いまも売れ続けている、バカの壁という本が出版されたのはもう20数年前だとおもう。何度読んでも面白いし、学べる。私の書棚には唯脳論ほか先生の本が僅かではある(手放せない本)が収まっている。直に講演会も二度聴いている。

岡山に移住してのち、つまり40歳から折々今も対談集も含め先生の名前が図書館で目に入ると、必ず手にし読んできた。今回の本は2023年の11月に発行されている。先生は1937年のお生まれなので86歳の時の本である。

聞き手の鵜飼哲夫さんが素晴らしい

第一章、幼年時代と戦争。第二章、昆虫少年医学部へ。第三章、章解剖学者の奮闘。第四章、バカの壁と愛猫まるとの出会い。最後、養老先生への50の質問で構成されている。敗戦の時8歳、3歳で父上が亡くなる。記憶の始まる回想、父とのお別れは目頭が熱くなる。

読売新聞に32023年1月から3月まで、全35回にわたって連載した[シリーズ、なるようになる]が本に成ったものである。聞き手の鵜飼哲夫さんは読売新聞編集委員である。読んでいてすっきり、正直で、どこか漱石の坊っちゃんを思わせるような語り口が痛快で一気に読み終えた。

一貫して虫、自然の側からの視点が揺るがない。ヒトも自然の一部、現代人は死体を怖がるようになっているが、生きている人間のほうがはるかに怖い。私もこれからは死者の側から、死者の声に耳を傾ける読書時間を増やしたい。

養老先生は、自分に正直に物事を突き詰めてしつこく考え続けてきたからこそ、養老孟司先生の現在が在るのだと知らされる。難しい論文ではなく、私のような者でもすーっと、読める語り口で、分かりやすく説得力があり、その上面白く府に落ちる。

長くなるのではしょる。が、私のような田舎者が18歳から東京都市生活にウンザリ、身も心も消耗、内面がカサカサに渇いて、これでは駄目になると直感、娘が生まれ、岡山に移住する。結果、その決断で中世夢が原で自然に囲まれ体を動かし生き返る。私は再生することができた。

古稀直前、人生で初めて大きな手術をしたが、再び生き返る。自然に委ねて、あれから4年生き延びている。それが何故なのかを、こんなにも分かりやすく言葉で説いてくださったかたはいない。マイノリティであれ、自分の感覚が求めるところ、気持ちが安らぐところで、これからを虫のように過ごすのだ、との思いの深まりが五十鈴川だよりを打たせる。

それにしても、目からうろことはこの事である。書きとめたい、膝を打つ先生の言葉が染みてくる。。随所で深く頷く自分を発見する。強制労働ではなく、体と遊ぶ工夫、体動かし労働がかくも気持ちいい事を、岡山に移住して33年、私は見つけたのである。やがてはできなくなる、とはいえ今は気持ちよく働ける。続けてきたからこそ見つけられたのである。

長くなるが、もう少し。五十鈴川は流れる。流れないと水は澱む。どのような原石も磨くことで何らかのその人らしい光を放つ。唯一無二の自分自身という授けられた存在を在りがたく、生涯かけて見つけてゆく営みをこそ大切に生きる。そこに生まれてきた理由が在り幸福が在ると先生は言う。

もっと打ちたいのだが、これ以上打つと野暮になる。が、夢なんか持たなくてもいい。希望なんか持たなくていい、と先生は言う。現代の価値観とは真逆になるようなことを、あっけらかんと語る先生は、私にとっての坊っちゃんである。サイコーにカッコいい。爪のあかでも先生のように存在したい。

2025-12-06

2025年12月、師走最初の五十鈴川だより。

 昨日夕刻、運動公園で東の空に、浮かんでまもなくの大きなまあるい月を眺め、朝老犬メルの散歩で西の空に同じ月を眺めて、休日、師走最初の五十鈴川だよりである。数日前から一気に気温がさがり、俄に日本列島はいよいよ冬に入ったかんがある。

いま2階の寝室で、冬の日差しを背中に浴びながら打っている。寒いが暖房は入れていない。膝にはダウンをかけ、上半身に温かい衣類を羽織って打っている。中世夢が原という職場で私がほとんどの時間を過ごしていた園内には、 武士の屋敷の囲炉裏しか暖房がなかったので、おそらく22年間の痩せ我慢生活で、自然に鍛えられたのであろう我が体は、このくらいの寒波には耐えられる。

もっと痩せ我慢を綴れば、敢えてこのくらいの寒さを感じながらのほうが、頭が冴えて五十鈴川だよりも打てるのだと思いたい、あまのじゃく思考の私である。

未知の世界をいつも案内してくださる

さて、世の中、高市総理の台湾有事に関しての発言が、日中間に軋轢をもたらしている。そのほか佐賀関の火事、香港の火事、インドネシア、スリランカ、タイなどでは水難災害、国内では物価高のニュースなど、など(もうほとんど書物からしか情報を得ていない)が頻繁に報じられている。

あらゆる報道されているニュースに、諦感のような感覚におそわれる。今日一日無事に過ごせることのなんたる在りがたさをおもう。私は自分がそのような目に遭わない限り、決して身に染みては分からない、のだ。

だが、一切合切をなくすほどのことの経験を我が両親はしている。いきなりの敗戦、北朝鮮からの引き揚げで体験している。3歳の姉と生後半年の兄を連れてである。30代、両親とも若かったから再生、出発ができたのだ。持たないものは強い。

私が今このような目にあったら立ち直れるだろうか。高齢者である私がこのような事故、アクシデントの状況にいきなり置かれたらと想うと、私のような軟弱なものは想像を絶する。

私を含めた多くの庶民は、それどころではない現実をそれなりに耐えて生きているのだと思う。心に余裕がないのである。世の中あらゆる格差がまかり通って差はますます広がっている。そのような世相のなか、いかにお金をやりくりし、そのなかでいかに生き延びてゆけばいいのかを考えるのか、私は私なりに考え続ける。貧すれば鈍す、にならないための方法である。

私の場合、やはりお手本は我が両親にある。老いるにしたがって両親の小さい頃の教えが甦ってくる。今時辛抱なんて言葉をほとんど聞くこともなくなったが、私は今も折りにつけ、辛抱辛抱と呟く。両親がよく辛抱しなさいといっていた声色が耳に残っている、のだ。

念仏をとなえるようにである。もうひとつ、ひとのやりたがらない事をやれ、と父は言っていた。小学生の頃、父は肥くみを私に兄たちと共にやらせた。私はこれが大嫌いだった。が思えばこれが下地になっている。

今の私を支えているのは肉体労働と読書である。小さい頃の生活水準から考えると、十分に私の生活は足りている。先日も打ったが今の私の日常生活には読書時間がもっとも大切なのである。

一番安価で、才能のない私を育て助けてくれたのは本である。本が行動を促し、旅を促す。そして日常生活、日々高齢者の私に生きるエネルギーを与えてくれる。10月の半ばから11月、師走の今までほとんど人に会っていない。労働し、本を読む生活で足りているのである。面白いから読める。ただそれだけである。

本は次の本を授けてくれる(暮れる)、師走の夜長、冬の読書は(夏の読書とは比較にならない)私には老人生活一番の悦びである。

2025-11-30

ブレディみかこ著、ぼくはイエローでホワイトでちょっとブルーを読み(七編を読んだところ、)、想う五十鈴川だより。

  11月30日、末日の五十鈴川だより。明日からは師走になるとはとても思えない日差しを我が部屋で浴びながら、本を読んでいたら急に打ちたくなった。

今、2021年11月に発行されている、ブレディみかこ著(ぼくはイエローでホワイトで、ちょっとブルー2)を読んでいる。最初の本を読んだのは、多分最初の孫、望晃ノアが産まれた頃であったと思う。続編である。

最初の本を読んで打たれたことは、五十鈴川だよりに打っていると思う。新聞を購読しなくなって、書評やトピックに触れる機会が激減したことは間違いないし、新しい言葉に触れる機会も減っていることは間違いない。だが私の生活にはほとんどといっていいほど支障はない。


この度のブレディみかこさんの本ももし妻が見つけて来なかったら、読むタイミングを逃していたかもしれない。だが出版されて5年後であれ読めている事実に、素直に嬉しく、五十鈴川だよりにこの本のことを、僅でも打たずにはいられない高齢者の私がいる。ところで、私が高齢者だとか、老人とか五十鈴川だよりに打つと、あまりお褒めの言葉はいただかない。

たんに私の日本語能力の語彙が少なく、他の言葉を持ち合わせていないにすぎない。だが、私は白秋期老人で在ることは事実なのだから。

何か若いということや、健康で元気であることにしがみついている、あるいは重きを置いているご仁があまりにも多い気がするのは、ちょっといただけない。年寄りは年寄りなのだし、あくまでも他人のことには関知せず、自分らしく在りたいだけである。

話をブレディみかこさんに戻す。何故かくも私はみかこさんの本に感動するのかは、長くなるので割愛するが、一言で言えば、カッコいいからである。ブレディみかこさんは1965年福岡県の福岡市の御出身、1996年から英国ブライトン在住とある。

パートナー(ルーツはアイルランド)との間に、本の中では中学二年生であったご子息いて、今現在のブライトンでの3人の庶民生活が、特に弱者に向けられる温かい眼差しが鮮やかに綴られている。端々に息子さんへの愛情が絶妙の距離感で(実父、パートナーにたいしても)みかこさんの独自の文体、一見軽いのり、冷静でユーモアに溢れている。

全11編のエッセイが収められている。いま7編ほど読んだところである。いずれも素晴らしいが、毎年夏休み福岡の実家に息子さんを連れて帰る。80歳近いみかこさんの父親が十数年お母さんの一切合切全てのお世話をしている。(お母さんは精神を病んでいて、近年は認知症も進んでいる)

毎夏の帰省の折々の息子さんの成長と、実父との交流は例えようもない。毎年、福岡空港での来年までの暫しのお別れは、打っていてもお爺さんの私には目頭が熱くなる。初めての日本福岡に帰省した、おそらく小学生の頃、病んでいたみかこさんのお母さんに(おばあちゃんへの)にたいしての接し方にしても、年齢を重ねぐんぐん成長してゆく。家族のそれぞれを、母として、娘として、人間として、作家として、見つめ考え続ける。

随所に、実体験、日々の暮らしの今の裏付けが有って、高齢者の今を生きる私にも共有感覚が鋭く突き刺さるのは、きっと私の長女が旧東ドイツ、ドレスデン生まれの男性を生涯の伴侶、パートナーにし、間に二人の孫が授かっているからなのだと思う。(感動する、何度も目頭を押さえた)

赤裸々にお母さんのこともみかこさんは書かれている。みかこさんのお父さんが一転、お母さんの介護を続ける。凄い。還暦過ぎてからの変身。人間は愛があれば変われるのである。

思い通りにはあまりにもならない、庶民生活の普通の家族の徒然が、みかこさん独自の文体で綴られる。九州人の一人として、お父さんの博多弁が文字化されると私は意味もなく嬉しい。みかこさんの中には脈々と博多女性の血が流れているのが分かる。九州男子という言葉は女子にもあてはまる。あっけらかんと前向き突き進む。いさぎよい、くよくよしない。

同時代、福岡生まれのみずみずしい作家が生まれたことが、同じ九州人として嬉しい。そして英国は(正確には連合王国)ブライトンから、世界の片隅から、庶民目線で発信していることに感動する。

2025-11-28

千住真理子さんが、以前出されていた本を3冊読み終え想う、今日の五十鈴川だより。

 昨日で今月の仕事を終え、またもや今日から三連休である。労働をした日はほとんど五十鈴川だよりを打つ気は起きないのだが、休日は何故か打ちたくなる。ほとんど病のような感じである。高齢者の私は、貴重この上無い一日を出来るだけ気持ちよく過ごすのを最優先で生きている。(といっても過言ではない)

畏怖する五木寛之さん、人生の達人であられる大先輩の言葉を借りるなら、白秋期を生きている私には、その日暮らしの充実こそが、もっかの面白き楽しみなのである。今年も余すところ残り一月となったが、一日一日を大事に過ごすだけである。なにも持たない静かな暮らしが、ことのほか気持ちがいい。気障を承知で充足感に浸っている。

たまたま図書館に在りました

11月3日に千住真理子さんの演奏を聴いたことで、なにやら言うに言えない幸福感に包まれたことが、起因しているのはほぼ間違いない。

たまたま、継続する力、という本を手にしたことで、このようなヴァイオリニストの存在していることを知り、演奏会に、わずかに2回しかでかけていないのに、すっかりファンになってしまった喜びが、このような一文を、きょうは打たせている。

苦手な標語、人生100年時代、白秋期は、25年単位で言えば、50歳から75歳にあたるが、ようやくにして白秋期を生きている実感が、千住真理子さんの演奏を聴いた後から、俄に私のなかで湧いてきたきている。

ということで、このようなヴァイオリニストの存在についてもっと知りたく、珍しくネットでいままでに出されているご本をピックアップ、このところ時間帯によって他の本とも並行しながらすでに3冊読み終えたところである。(家族の素晴らしさに打たれた)

簡略に記しておくにとどめる。産まれた環境のあまりにもの相違に、正直最読むのに、戸惑いも感じたのだが、(あまりにもの純粋さに、私のような俗物には)ご自分のヴァイオリンへの愛の深さの、お母さんとの命の往復書簡、お母さんとの対談、と読み進んだ。いずれも図書館で借りた。読み終えて、素直に読んでよかった。

随所に目頭が熱くなるのを押さえることが出来なかった。何故産まれた環境があまりにも異なるのに、その相違を越えて、感動するのかは自分でもわからない。はっきり分かるのは、演奏される音にも、書かれる言葉、お話にも、究極、打ち込んできた継続した者のみが放射する唯一無二の人間性が素晴らしい、と言うことである。打たれる、反応する高齢者の私がいる。

お母さんの(文子さんが凄い、父上も凄い、二人の兄も凄い、皆純粋で凄い)文子さんも、真理子さんもおっしゃっている。ことヴァイオリニストや芸術家ではなくても、普通人として生きているすべての人間に通低ずる大事なことがある、と私は想えた。人生に立ち向かう構え、覚悟の深さである。凡人の私に、玄冬期を生きる勇気や力が湧いてくる。磨かない石は原石のまま、どのような存在も好きなことを磨き続けないと、輝かない。(高齢者もわずかでも可能性を磨きたい、ものだ)

本能的直感、虫の知らせ、第六感、をフル回転し、なんとか今まで生きてこられ、白秋期から玄冬期へと(一瞬先は分からない、故に余計に)私は向かう。私には千住真理子さんの醸し出す音色は一筋の光とさえ想える。縄文土器も同様である。

2025-11-24

昨日午前中玉葱を植え、今日も菜園場に行く前に思う五十鈴川だより。

 昨日午前中、妻は仕事だったので一人で菜園場に玉ねぎの苗を、マルチをひき300の苗を植えた。もう充分なのだが、友人にも送りたいので、スペースいっぱい今日も植える。

この仕事に廻り合い、お辞めになる方が、よかったらこの菜園場を使ってほしいとのことで、以来有り難く使用している。あれから7年、ささやかに土に触れる生活を持続している。まったく我流、虫に喰われて全滅した野菜も多いが、今年もトマト、なす、ピーマン、シシトウは買うことがなかった。サツマイモはほとんど実が(葉は繁ったのだが)つかなかったが、家で食べるにはことかかない。ストーブで焼き芋をいただくには充分である。

色付く我が家の八朔

今年の中では茄子とシシトウ、ピーマンがひっきりなしに実をつけて、この物価高のなか今も我が家の家計を助けてくれている。 娘たちにも上京する度に持参したり送ったりしている。お米も高くなっているが、共に働くkさんの作っているお米を直接買っている。主食のお米を生産者から直接買えるのは有難い。(kさんからは柿や野菜なども時折いただく、気持ちのよい晩年の友人である。)

ところで、その豊作茄子を、妻がぬかにつけ、私の大好きな漬物にしてくれたのだが、その美味しかったことと、懐かしい母のぬか漬けの味を舌が想いだしたことを、五十鈴川だよりに打っておく。幼少期に食べつけた味の旨さの記憶に、結局私は回帰するのである。

干物、小魚、野菜の煮物、揚げ物などなどの、つまりはあの昭和30年代に、母が作ってくれた手料理の味に、母と父や姉兄弟とちゃぶ台で食べた、黄金の記憶に回帰してゆくのである。

今となっては限りなく、慎ましくも私のなかで甘美な物語になってしまうのである。とにかく私を含む5人の子供はお腹を空かしていたので、食卓のすべてに母の工夫のお料理が染みて脳裡に焼きついている。懐かしいというしかない想い出である。

もう充分に高齢者である私は、小さい頃に食べた味覚の料理が一品有れば充分である。それと主食のお米は八割玄米を頂いている。朝は妻の具だくさん味噌汁を週に5日は食べる。手術後、つましいけれど、ご飯がとても美味しい。したがって体調がいい。高齢者で仕事があり、新しい生命に恵まれ(今年4人めの孫に)言葉がない。4年前、退院したとき、体重は53キロだったが、一年で60キロにもどりいまもほとんど変わらない。

こんなことを打つと、ちょっと面映ゆいが、18歳から、入ってくるお金だけでやりくりしのぎ、今現在も私なりに生きているだけである。追いつめられたら工夫する。辛抱する。精神が鍛えられる。中世夢が原を退職したときに、これからは、両親の晩年生活を見倣って生きることに決めたのである。以後、お金で悩んだことはない。

くどくど打つことは控える。私の少年時代の生活を基本にやりくりすれば、私の場合さほどのお金は不要である。もっと言えばもうこの年齢になると、健康に過ごせる時間がもっとも大切なのである。玉葱を植えるには最低体が健やかでないと、(命が健やかでないと)つちと戯れることは不可能である。千住真理子さんの音色、演奏を聴いたと忽然と幸福感が湧いてきた。これはお金では買えない世界の、見えない世界の音色だと。

うまく言えないが、あの音色の世界の方へと。ただ存在しているだけで、日差しを浴びているだけで気持ちがいい。そのような時間最優先で老いて往きたいとますます念う。年金以外の収入を得るために、私が対価の労働に勤しむのは身に付いた能力を活かせる喜びがあり、そのお金を、私が最優先したいことに使用したいが為である。


2025-11-22

千住真理子さんのデュランティの音色は、高齢者の今の私に限りない、希望とエネルギーを降り注ぐ。

 三連休である。ともに仕事をしているkさんから、今年2回目、たくさんの柿をいただいたので(前回は渋柿)、長くお世話になっているかたがた何人かに、送る段取りをほぼやりおえたので気分転換に、五十鈴川だよりを打つ。

色付く日本に生まれて幸せです。

晩秋の日差しが部屋に満ちていて、我が老いた背中を暖めてくれていて、とても気持ちがいい。なんの意味もなく、綴りたくなるのはもはや、ある種の依存性五十鈴川だよりである。たんたんとした、年よりの呟きとはいえない、いつも過剰なくらいの長めの徒然を読んでくださるかたがいるというのは、有難い。

ゆきあたりばったり、思いつくよしなしごとや、日常のささやか細々を、この世の、わがまま、じいさん雑記録として打ちたいという凡脳(煩悩)が健在なのである。幸い妻も娘たち家族も継続してと、応援してくれる。だから打つ。

話は変わるが、今仕事で植え込みの剪定作業を今週から始めている。11月中はお天気のいい日はやるつもりでいる。この仕事を始めてからまる7年やっている。伸びた枝を刈り込む単純な作業である。私は高齢者でもやれる単純な全ての作業が、ことのほか好きになってきている。今私が高齢者となっても継続している仕事は、全部と行っていいほど、若い時には苦手であったのだ。

肉体労働だけではなく、何度もうっているが、本を読むことも文章を書く、打つことも大の苦手であったのである。そんなこんな振り返ると、苦手を克服したときから、あらゆる事が好転し始めたのは間違いない。もしあのとき克服せず、逃げて無難な道を歩んでいたら、確実に現在の私は存在しない。

出雲大社の
銀杏の紅葉

剪定作業に話を戻す。刈り込み前とあとではまったく植え込みは見違える。年に二度春と秋にこの作業を繰り返す。春夏秋冬の肉体労働、この自然の季節の移ろいに添って我が体を動かす事が、今私にとっての一番の健康法である。

健康法を兼ね、高齢者でもゆっくり作業行程を考えられ、とりくめるこの場が与えられたことの幸運を、誰に感謝したらいいのか、とときにおもえるほどである。そういう有難い労働できる環境で、あと何年働ける、動けるかと、時に思う。

だがはっきり五十鈴川だよりに打っておく。今日一日、とにかく自分なりに体を動かす。その事だけに集中する、そのような心もちで、手術後働いている。あっという間に4年が過ぎている。

臆面もなく打つ。大地の上で、高齢者なりに苦楽しながらこの世の今を、限りなく面白可笑しく生きられている現在がいとおしい。三連休、玉ねぎの苗を調達し、休みの間に植えるつもりである。

話は変わる。今年も余すところ40日となった。いつにもまして静かな秋の生活を過ごしている。11月入って、これまでの人生で聴いたこともなかった千住真理子さんの演奏を、立て続けに2回聴いたことが大きい。何か満ちたりた感覚がある。

千住真理子さんのファンになってしまった。それは千住真理子さんの[継続する力]という本を、この秋読んだからである。プロデヴューして50年、半世紀、全身全霊デュランティ、ヴァイオリンの演奏に人生を捧げている。この様なかたが同時代に存在していることに感動する。(是非本を読んで、演奏に触れて欲しい)。猪風来さんご夫婦と分野は違うが共通する。

この本を読まなかったら、まず演奏会にゆくこともなかったし、ファンになることもなかっただろう。あの音色は高齢者の今の私の生活に、限りない豊かさ、生きるエネルギーを与え続ける。剪定作業をしていてもあの演奏会の音色、声、笑顔、たたずまい、オーラがさす、姿が脳裏で甦る。若さ、年齢を超越している。千住真理子さんに出会え幸福な秋である。