ページ

2026-08-16

8月16日午後、朝の続きの五十鈴川だよりをロンドン中心部、レスタースクエアのパレスシアターの側のマクドナルドで打つ。

 ここからは、パレスシアターの側のマクドナルドで打っている。昨日の大英博物館からの続き。やく25分、博物館から中華街まで歩いていたら、娘が観る予定のハリー・ポッターが上演中のパレスシアターが偶然みつかった。(おかげで今日すんなり来れた)娘はすっかり安心して喜んでいた。午後5時過ぎ、中華街のレストランで、早めの夕食をとる。(春巻き、レンコンの炒めもの、酢豚、チャーハン、飲み物は娘が暑いお茶、私はビール)、美味しく完食、食べ物はシェアした。半分ずつで十分足りる量である。

グローブ座の雰囲気青空が見える

食べ終えて、腹ごなしをかねてウエストミンスターまで歩く。娘は初めてのロンドンを良く歩いて、観光を楽しんでいる。ウエストミンスターを見上げ、ウオータールー橋に出て、しばしテムズ川を眺める。思い出のウオータールー橋、ウエストミンスター界隈は、私の思い出をまたもや打ち砕くのに十分なほどに、観光客でごった返しており、高齢者の私を驚かせた。

でも移り変わるのが、世の習いと厳粛に受け止め、そこウエストミンスターから地下鉄で、昨日の最後の目的、シェイクスピアの[お気に召すまま]が、上演中のグローブ座へ移動した。シェイクスピアが生きていた当時の劇場が忠実に復元されている。

その劇場で、娘とW.シェイクスピアのお気に召すまま、を観劇した。たまたま運良く、56年ぶりにお気に召すままを娘と共に、観劇出来たことの幸運を記しておく。開演午後7時半、幕間休息20分、終演午後10時15分。外に出ると、夜の帳が降りて、対岸のセントポール寺院がライトアップされ、娘とロンドンの夜景を川辺りを歩き、橋を横断し地下鉄の駅まであるいた。地下鉄の終点がアーリングブロードウェイ、ホテルに着いたら午後11時半を廻っていた。午前0時過ぎ、ロンドン初日の旅をおえた。

グローブ座の夜の外観

PS 現在16日午後1時、娘の観るハリー・ポッターの一部の開演時間である。終演は3時40分、それまで私はぶらぶら過ごす。娘は第二部、夜も観るので、一部と二部の間にお茶をする。娘が言葉に不自由しないので、老人の浦島太郎は大助かりである。

が、明日から5日間は一人なので、ちょっとさみしいが、これもまた老いの身から出た修養の、仕舞い支度の旅と覚悟を決め、その日、その日を綴りうちたい。明日からは気持ち中心部に近い、ハマースミスに宿を変える。基本、昔よくいったところを散策し、夜は何本か芝居を見たり、思い思いの一人時間を過ごしたいと思っている。

これをアップしたら、娘が観劇しているハリー・ポッターの第一部が終わるまで、レスタースクエア界隈をぶらつくことにしている。

ロンドン2日目の朝、寸暇アーリングブロードウェイの宿で打つ五十鈴川だより。

 ロンドン時間午前7時半を廻った所、日本との時差は八時間だから日本は、午後3時半である。こちらは朝の気分で打っても、受けとる側は午後なので、多分に気分はズレるのは致し方ない。


さて一昨日、夜中ブリティッシュエアーの手荷物の不備で、(長くなるので略す)、ヒースロー空港からホテルのあるアーリングブロードウェイにタクシー着いたのは、昨日の夜中零時過ぎ、寝たのが遅く、昨日は朝9時まで寝ていた。でも無事に着いて2日目の朝を迎えている。

ロンドンには娘が私を心配し3泊同行している。今は二児の母の娘のおかげでロンドンへの旅が実現している。昨日は午前10時半、ホテルを出て、午前0時ホテルに戻るまで40年ぶりのロンドンを、娘と二人で、あちらこちらぶらついた。今日はこれから娘と近所のカフェで朝食を済ませ、明後日は朝早くロンドンから、コペンハーゲンに飛び立つ娘とは実質今日一日しか時間がない。だが、昨日の娘との行動記録だけは、ちょっと打っておく。

ノッティングヒルゲイトの家並み

昨日は地下鉄でホランドパークまで行き、ポートベローのストリートマーケットを散策(56年前良くいったところ、映画の影響で土曜日すごい人混みだったが雰囲気はそこかしこに残っていた)、娘は初めてのロンドンのストリートマーケットを楽しんでいた。

二人でパエリヤで立ち食い昼食をして、ノッティングヒルゲイトから2階建てバスで中心部ピカデリーにでて娘とティータイム。しばしの休息のあと、地下鉄で大英博物館見学、物凄い人混みとクーラーがない暑さで蒸し風呂のような暑さにまいったが、それでも娘と一時間駆け足で館内を廻った。またもや56年前のあの静かで落ち着いた大英博物館の思い出が消えてしまった。

2026-08-14

ドレスデン7日目、ロンドンへ向かう日の、朝に想う五十鈴川だより。

 ドレスデン7日目、最後の朝である。74歳にして、12年ぶりドレスデンのレイさんの両親の住むフラットに6日間ホームステイさせてもらえた幸せが、老いた体を嫌でも感傷的にさせる。

春、妻とノアと三人で門川、故郷を旅した時、不意に今行かないと、と急にドレスデンに往くことを決めた。今、元気に五十鈴川だよりを打てるうちにこれた喜びに私は浸っている。娘が異国の男性を生涯の伴侶に選んだことで、結果このような意外性の連続、とでも言うしかない老人時間の旅がかなった。(私の人生は意外性の連続である)

長女と未彩(ミア)3歳

そのいちいちはとても記せないが、わずかでも打っておかねばという老人の煩悩が、五十鈴川だよりを打たせる。今回の目的の旅の半分が過ぎようとしている。ほぼ一週間、有意義に過ごせた有り難さを、きちんと刻まずにはいられない。

12年前、娘の結婚式の時には、ただ嬉しかった喜びしかなかった。あれから12年の歳月の重みを今回の旅で染々、随所で、今も感じている。もう十分に老いているので、厚顔無恥を承知で打つが、老いてもやはり希望、夢をコツコツと貯める、心に水をやり続けることの大事さを想う。(実現する、しないではなく希望の根を養い続ける)

何事も伏流水のように、いきなりは湧水は生まれない。厳粛な事実である。人間は死をあらかじめ観念的には知っている動物である。が、私を含めその死を深く見つめつつ生きることは至難である。

だが、ようやくにして、ほんのわずかだが生きていることの、生き続けて来たことの哲学的な想いの一端が、この旅で初めてちょっとだけ府に落ちたような気がしている。

レイさんはカメラが趣味である。

昨日は午前11時前から、路面電車で10分くらいのところにある多機能プールのある施設で、夕刻四時過ぎまで、娘家族と私の水入らず時間を過ごした。このプールで過ごせたことで感じた事は、(多国籍の、おそらく宗教も言語も歴史も異なる老若男女の水着姿は絶対に日本では見ることが出来ない)いずれ日本に戻ってゆっくり打ちたい。

ただ、8歳のノアが繰り返し繰り返し、プールに頭から飛びこむ練習を嫌と言うくらい続けたことを一行記しておきたい。当初泳ぐつもりはあまりなかったのだが、ノアの無心な情熱が爺の心に伝わってきて、指導する手前、実演するはめになってしまったのである。

古希を過ぎて、頭から初めて飛びこんだのだが、意外に簡単に飛び込めたし、まだ25メートル泳げた。一年でも長く旅をするためには体力が必須である。

プールを後にし路面電車で家に。娘と私は近所のスーパーで買い物をして家に。夕刻7時最後の晩餐、もちろんペーターさんのガーデンで、アンケさんの妹さんの家族も加わり、11名での夕食。娘はソーメンを茹でお味噌汁を作ってふるまい、昨日行けなかったギリシャ料理をアンケさんがテイクアウトして各自にご馳走してくれた。

言葉の壁は随所に感じたが、要所要所での配慮に私は打たれた。午後9時前、夜の帳が降りて宴はおわった。食器の片付けを手伝うとアンケさんが日本語でありがとう、といってくれた。ペーターさんは暗くなる前、庭の植物に散水していた。その後ろ姿を眼に焼きつけた。レイさんと娘は子供たちのケアー。私は連夜、ノアを待たずさっとシャワー、歯磨きを済ませいちばん先に横になった。

2026-08-13

ドレスデン6日目の朝の、五十鈴川だより。

 朝である。同じ場所、同じ机の上で朝の窓からの眺めに、ドレスデンに居るのだなあと思う。6日連続の快晴、朝は肌寒い位の気温である。西大寺の机の上で打つのとはやはりまったく気分が異なるのは、異国情緒が高齢者の私の体に感傷的な気分に浸らせるのである。これは旅人の特権である。その気ままな気分が五十鈴川だよりを私に打たせる。

見事に復活した中心部

さて昨日は取り立てて予定がなかった。レイさんがどこか行きたい所があるかと問われたので、市内をブラブラしたいと応えたので、私はレイさん家族とドレスデンの中心部を、ほぼ半日散策、ちょっとショッピングにも立ち寄った。(カード一枚で全て足りる、現金不要)

家を出たのが、午前9時半、近くの路面電車停まで歩く。おおよそ20分。ドレスデン中央駅で降りる。第二次世界対戦で無惨なまでに破壊され、今は見事なまでに復興が市民の努力で成され、ドレスデンの古い都の素晴らしい古い教会、多くの由緒ある建物がひしめき合う、中心部を、多くの観光客と共に陽射しを避けながら、堪能したした。12年前よりもはるかに街並みが染み入ってきた。

歴史が絵で示されている。

エルベ河を望みながら、古い建物のテラスで、娘が作って持参したハンバーガーで簡素な昼食を済ませた後、再び市内散策、頂上からドレスデン市内が一望できる古い教会があったので上る。

階段の数は260、高齢者には堪えたが、ここいちばん、不断の労働の脚力がでた。

いちばん驚いたのは3歳のミアが上りも下りも完歩したことである。そのことをきちんと打っておく。その教会には第二次世界の写真展示館があったのでしばし見いった。文字が読めないのが甚だ残念だったが、レイさんが一点だけ写真にとって、何が書かれているのかを、翻訳しスマホで送ってくれた。その一文を、掲載する。

シモーヌ.ヴェイユの言葉。根こぎ(デラシヌマン)は人間社会にとってはるかにもっとも危険な病である。根を失った者は、根を失ったままである。根づいている者は、根を失うことはない。根づくということは、人間の魂にとってもっとも重要で、もっとも見過ごされてきた欲求である。[シモーヌ.ヴェイユの著作、根を持つことからの一節です]。


ぞの教会を見学の後、カフェでアイスクリームタイム(私はビール)ミアが頑張ったのでご馳走した。人混みの多い最先端のデパートで、娘がちょっと日用品の買い物をしたのに付き合い、午後2時半路面電車に乗ってペーターさんの家にもどった。少し休んで、午後5時、路面電車に乗って、ギリシャ料理のレストランに向かったのだが、あいにく予約でいっぱい。急遽近くのドイツレストランでの夕食となった。

娘家族、ペーターさん、アンケさん、私の7人で。私は魚のフライとブロッコリーのフライに白いマカロニソースをあえた一品を注文、美味しく完食した。(お世話になりっぱなし、私が馳走した)

夕食を終えると午後7時すぎ、路面電車の高架まで歩き、何とそこで全員で日蝕に見いった。欠け始めておおよそ一時間、レイさんが用意したサングラスをかけて、最後レイさんの幼なじみみの親子も一緒に記念撮影。またもや忘れられないエンディングの一日となった。高架からはペーターの車で家に。いちばん先にシャワーを浴び、早々に私はひっくり返り、ノアを待たずに横になった。



2026-08-12

ドレスデン5日目の朝に想う五十鈴川だより。

 静かなドレスデンの朝がやって来た。昨日は午前10時過ぎにトラム(路面電車)でペーターさん、レイさん家族、私の6名で近くの小学校に隣接する、子供の遊具がたくさんある公園でノアとミアが小一時間遊ぶのに付き合い、そこから歩いて対岸に渡れる船着き場のある、エルベ河まで全員で歩いてゆく。

エルベ河、チェコエリアが源流ハンブルグまで流れる

その船着き場には古い建物のレストランがあり、もちろん夏なので外でも飲食できるようにテラスが用意されている。

そこで大人はビールをのみ子供はジュースとポテトフライなどでお昼小休憩をして、対岸の目的地、昔、ドレスデンの王様が住んでいた広大な森となって一般に公開されている、

レイさんが大学生の時によくかよった野外博物館に向かった。対岸までの時間は5分程度、ドイツ人は簡単に橋などをかけないところが素晴らしい。まったく風情も情緒もが台無しになる、と私は想う。

対岸は別世界であった。大木、大樹が広大な敷地を埋め尽くしていて、そのなんとも言えない、日本ではなかなかおめにかかれない景観に浸った。無数の多種類の大樹が良き間隔で整然と植えられていて、木陰がたっぷり、陽射しがきつくても施設の見学、散策にまったく問題はなかった。エルベ河からの風が気持ち良かった。レイさんが植物のことや歴史について要所要所を説明してくた。

王さまの館へと続く路

王様は特に世界の樹木や柑橘類、植物に関心、造詣が深かったみたいである。でないとこのような野外博物館は生まれ無かっただろう。後世の人々が気持ちよく多彩にくつろげる。ドレスデン市民にとって、エルベ河とこの博物館は、特に夏場心のオアシスなのだと、深く感じ入った。

二時間以上有意義な時間を過ごし、3時のティータイム(レイさんがコーヒーと是非食べて欲しいとチーズケーキをご馳走してくれた)を済ませ、エルベ河に沿って歩き、川が氾濫したときの年代の水位の高さの記録なども興味深く見いった。近年では24年前、2002年、レイさんが高校生の頃の大氾濫ではドレスデンの街が水没したそうである。

日本も水害が多いのだが、いずこの邦もいろんな歴史をくぐり抜け、その事実を後世に伝えている。

午後四時過ぎ再び船で渡り、なんとそこから約30分、レイさんと娘が12年前(訂正する、ドレスデンは12年ぶり)2014年結婚式を挙げたレストランまで歩いた。そこでエルベ河を見ながら、ゆっくりと早めの夕食をレイさんがお膳立てしてくれていた。5時過ぎ仕事を終えたアンケさんも合流し、家族水入らず美味しい料理をいただいた。ちなみに私はニシン酢付け料理を食べたのだが、美味しく完食した。 またもやレイさんにご馳走になった。(孫たち二人は食後レストランで飼っている二匹のウサギの餌やりに夢中であった)

食後アンケさんの運転で孫と娘と私は家に。レイさんとペーターさんは路面電車で家に。午後7時戻ってそのままガーデンに直行、レイさんのお友達男女がチェコのプラハから訪ねて来たからである。

しばしドリンクタイムに私も仲間入り、言葉の壁も何のその、最後は9時過ぎまで私も参加した。レイさんが用意してくれた焚き火の炎にみいりながら、この数日のあまりにも日本とは異なる、非日常生活に私は酔った。午後10自前、シャワーを浴び、ノアと共に眠りに落ちた。



PS いちばんしたの写真はペーターさんのガーデンの真ん中にある大きな冷蔵庫のあるキッチン小屋、日が暮れると灯りが点る。一気に夜の帳が降りて、星が瞬き始める。昨夜は最後までいたので、夜のガーデンを初めて満喫出来た。ペーターさんとアンケさんが丹精込め20年以上造り続けているガーデン、季節の花が彩る。果物も今はブドウが。家族、親族、友人、ふいの来客、異邦人がやって来ても、温かく迎えてくれる、魔法のガーデンである。家庭と言う言葉には庭が入っている。まさにペーターさんの家、庭である。この庭を一日一回は必ずゆく。最高の居場所、おもてなし場所である。

2026-08-11

ドレスデン4日目の朝に想う、五十鈴川だより。

 三泊し、ドレスデンでの旅生活にも、慣れてはいないが、ほんの少し、昨日の出来事を忘れないうちに、打っておく。昨日は車で片道二時間弱のところにある、二エベ川、向こうはポーランド、こちらはドイツ、国境を接する所に位置する、森の中にある子供の国のようなテーマパークへいって、お昼まえから午後5時までを過ごした。

部屋からの眺め。

出掛けたのは、娘家族4人運転はレイさん(レンタカーをかりた)、ペーターさん運転の車に奥さんのアンケさんと私が乗り、7人で出掛けた。往復お年多分70歳のペーターさんが運転、ベルリンの空港にもペーターさんがお迎えに来られ、その運転の技術にはまったく問題がなく、安心して、彼の運転にゆだねた。

往復ドイツポーランド間の風景をひたすら眺めたが、平原がひたすら続く、山がなく時折の樹木の林と牧草地や今の季節、トウモロコシ畑が続く。まさしくここはヨーロッパの邦である。

ドイツのアクセス、道路網の整備は素晴らしい。いちばん驚いたのは、ドイツのトラックの多さとその見るからに頑丈そうな車体である。時速100キロ以上、ガンガン飛ばして走る。ペーターさんは多くのトラックを追い越しながら突っ走る。日本であればまさに暴走老人である。が、ペーターさんはサングラス姿もも格好よく、年齢を超越した運転ぶりで行きも帰りも一回も休憩せず運転した。静かな物腰に、生きてきた風格存在感がにじみ出る。大人の人格(私とは大違いだ)その驚くタフネスぶりを一行打っておく。(レイさんが信頼しているのがよくわかる)

五時間以上遊んだテーマパークは、子供であれば大満足の森の物語(その地方の昔の物語)のテーマパークであったことを打っておく。暑かったので、ひっきりなしに水分補給をしながら、広い敷地を移動しながら孫たちが遊ぶ姿を(ケガをしないように)、追いかけた。最後、二エベ川の向こうはポーランドという国境地帯を眺めて、その森のテーマパークを後にした。

屋根裏に干した洗濯物

無事に帰り着き時計は午後7時、すぐに屋根裏部屋に娘が朝早く干した洗濯物を取り入れ、畳んだ。レイさんはレンタカーカーを返しに行き、ペーターさんとアンケさんは手早く夕食の準備、娘は寝ていて起きたミアのケアーに。ノアはマイペース。

ペーターさんは料理が上手である。アンケさんと二人であっという間に、有り合わせの品々、多種類のパン、多種類のチーズ、パンに塗るソース、サラミ、細いニンジン、果物、ブドウ、瓜など。ペーターさんが作ったトマトとチーズのサラダは抜群に美味しかった。夕食を終え、いちばん先にシャワーをいただくと9時、午後九時半ノアと共に眠りに落ちた。

PS わずか3日過ごして思う。本当にヨーロッパ、ドイツにいるのだと実感している。単なる観光旅行ではなく、レイさんの家族を訪ねる旅。異邦人を随所に感じる。普段レイさんとはほとんど日本語で意思疎通しているので問題はないのだが、ペーターさんやアンケさんと、三人での時間は本当に言葉の壁のもどかしさを感じる。こういった我が思いの複雑さも記しておく。きれいごとばかりではゆかない邦、文化的背景が異なる男女が結婚し10年後、いろんな諸々の問題を抱え込みながら、レイさんと我が娘は果敢に人生を歩んでいる。残りの時間可能な限り、娘夫婦の役に立ちたい。

2026-08-10

ドレスデン3日目の朝、目が覚めゆったりと打つ五十鈴川だより。

 ペーターさんの家、2階の個室、私に与えられている部屋から外を眺めながら打っている。夜明け前の静かな時間である。もう外は明るい。青いそらが大きな松ノ木の向こうに広がっている。ドレスデン3日目の朝である。2日間ぐっすり寝たので、ようやく時差ぼけも無くなりつつあり、早寝のおかげで早く目覚めたので、記録五十鈴川だよりを、とにかく打てる時に打っておく。

一番奥がヘルダさん

昨日は午前11時半近く、近所のバス停まで歩き、レイさん家族と私は10年前、娘の結婚式で泊まったホテルのガーデンレストランへ向かった。約15分位で懐かしいレストランに着いた。

そこに、レイさんのおばあさん、なんとお年92歳のヘルダさん始め、お母さんのシルビアさん他、ご兄弟、親戚(所用で来れない人以外すべて)が待っていて、レイさんの2年ぶりの帰郷を祝う、昼食会の為に待っていたのである。ノアやミア、子供の数も入れると総勢20名以上が。

最長老のヘルダさん主宰で、昼食会のすべてがまかなわれたとレイさん聞いて、改めてヘルダさんの凄さを垣間見た。宴は午後3時まで続き、再びバスでペーターさんの家まで戻り、くたびれて、横になって休んでいると、レイさんが起こしに来たのが午後4時半、昨日に続いてペーターさんのガーデンに行くと、そこには再びヘルダさんがいて、レイさんの弟さん、妹さん家族と、お昼の歓迎昼食会に参加でできなかった親戚のかたが終結しての連夜の、夕食会の準備が整っていてのである。

ペーターさん、アンケさんがほとんど家で準備してくださってくれていた。その数15名以上。ミアと同じ年の妹さんの男の子もいて、ミアは水遊びをしたり、大喜びでラグビーや、サッカーボールを蹴って無心にキャアキャアと走り廻っていた。

左からヘルダさんペーターさんアンケさん


私も夕食会の前、ミアや妹さんの息子と共に、年齢をしばし忘れて遊びに興じることができて、楽しいひとときを過ごすことが出来たし、何よりも最長老のヘルダさんが眼をほそめて、そのひい孫たちが遊ぶ姿を眺めていた。その事をきちんと五十鈴川だよりに打っておきたい。

私の返事を打つと長くなるので控えておくが、あにはからんや、昼も夜もほとんど退屈することなく、この10年ぶりの、ご家族との再会パーティーの間は(レイさんと娘が通訳してくれたとき以外)一人一人のお顔や表情、仕草を、観察し皆さんの会話を異国の音楽のように聞いていたので、全く問題なかった。時折娘やレイさんペーターさん他、親戚の人生を感じさせるかたがたが、あらんかぎりの英語で話しかけてくれたことも忘れずに打っておく。

ドイツといえばビール、白ワインをペーターさんがタイミングよくサービスしてくれ、大勢で飲むお酒の醍醐味を74歳で私は久しぶりに堪能した。娘が縁逢って、結ばれし10年後、このような一期一会的な、異国の親戚との痛快な偶さかの夢の宴時間に遭遇する事のできた事実の嬉しは、格別と言うしかない。言葉を越えて人間はアイコンタクトで通じ会えるのである。案ずよりも飲食をともにし、共に遊ぶことである。