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2025-10-22

共に働くkさんから頂いた、渋柿を吊るし終えた後に想う、今日の五十鈴川だより。

 明後日から小さな旅に出るので、今日は準備と急遽吊るし柿を剥く作業のため、労働はお休みした。昨日共に働くkさんから、おもいもかけぬ沢山の干し柿用の西条柿をいただいたからである。毎年のように氏は干し柿用の西条柿をくださるのだが、今年は大豊作とのことで、なんと100個以上くださったのである。

吊るし柿、冬の到来、想う秋。

旅に出る前に吊るさないと、あっという間に熟してしまうので、昨日の午後と今朝頑張って先ほど吊るし終えたところである。一口に100個もの渋柿を剥くという作業は、やってみたものでないと、わからない根気のいる作業なのである。

私が日本の秋の風物詩といえる吊るし柿に魅入られるようになったのは、秋になると働いていた中世夢が原の武士の屋敷の縁側に、毎年のように100個位はつるしていたからである。あれ以来100個もの柿を剥いたことはないのだが、十数年ぶりに、一気に剥いたのだが、くたびれたものの、吊るし終え、えもいえぬ充実感におそわれている。一句、(干し柿を、剥く手くたびれ、日が暮れる)。

剥いたのは私だが、妻が干す作業をてつだってくれた。私一人ではこんなにも早くは、到底むりだったろう。この数日で季節が一気に進み、柿は絶妙のタイミングで我が家に、届いたのだが、柿を収穫し吊るすための枝を剪定して残してくださったkさんの手間を思うと、、、。有難い秋のビッグサプライズとして、五十鈴川だよりにどうして打っておかねばとの気持ちがわいてきたのである。一句、(渋柿を、届けきし友、有り難し)

Kさんとはこの丸三年の労働仲間である。付かず離れずの良い距離感での交友が持続している。先日の猪風来さんのイベントでも奥様共々ボランティアしてくださり、私のやることを側面的にサポートしてくださっている、得難い方である。

現代という世知辛いご時世に、共に働きながら、細やかな晩年老齢関係性が持続している、その事ひとつとっても、私にはそうはあり得ない出来事なのである。これまでの人生では出会ったことのない実直寡黙誠実なお人柄である。私の人生では初めてのことなのである。だからこそ、最晩年を共有する身近な仲間であるk氏との関係性を、ことのほか大切にしたいのである。

ともあれ、五十鈴川は、久しくとどまりたるためしなし、濁りたくはない。動的平衡を保つために、絶えず変化変容する、本質的に大事な事を大切にするためにも。善き距離感で時おり手の届く、風通しのよい関係性を氏とは大切にしたい、と念っている。

2025-10-19

11月2日、新潟県の長岡市で催される縄文シンポジウム(自然と共に生きる未来)にゆくために10日間、旅に出ることにした。

 来週末、25日から久しぶりに10日間の旅に出る。東京二家族に会うのと、新潟の縄文土器遺跡を訪ねたり、なんとか時間をつくって、31歳の時に富良野で出会い、今は栃木県の那須塩原で獣医として働くI氏を訪ねる、ということは決まっているが、それ以外は未定である。

猪風来さんに頂いた資料の一部

5月の故郷帰省旅、8月の東京旅、に続く3度目の旅となる。還暦以後、平均年に4回位、春夏秋冬小さな旅を続けている。旅をしないと、私は窒息してしまう。

今回の旅、いつもとちょっと違うのは、新潟に(通過したことはあるが泊まったことはない)初めて新潟県に泊まる。目的は長岡の馬高縄文館と十日町博物館、埋蔵文化財センターを訪ねることと、、11月2日の縄文シンポジウム(自然と共に生きる未来)に参加することである。

猪風来さんからシンポジウムのことを知らされた。私はこれまで縄文博物館や縄文遺跡を訪ねたことがない。お恥ずかしいほどに私は縄文土器文化や、あらゆる文化全般に関して、無知蒙昧である。(ではあるが、これまでの我が人生に対して、今のところまったくといっていいほどに悔いはない)

おそらく猪風来さんに遇うことがなかったら、火炎土器が出土した縄文遺跡を訪ねることは、ひょっとしたら、私の人生ではあり得なかったかもしれない。俗世をさ迷うことに終始し、人生を終えたかもしれない。そのようなことを真面目に想う。でも、行きたくなったのだから往くのである。

この年齢での猪風来さんの企画イベントに関われたことのご利益は、私の未知(無知)の晩年の扉が開かれたことである。まだワクワクする自分がいる。そこが救いだ。せっかくゆくのだから最低2泊はする予定である。

18歳から(小学校六年生くらいから思春期も含む)折々、主に人、映像、演劇、音楽、書籍、自然との出会い、などなどの集積の上に、かろうじて生き延びてきた私の人生のこれまでに、新たに縄文文化と出会うことになる。オーバーではなく、老いながら、下りながら、縄文世界に導かれてゆくそこはかとない幸福感が今朝の私を包んでいる。

昨日も打ったが、決定的に縄文ワールドへの水先案内人は猪風来さんである。氏の醸し出すとてつもないオーラを私はこの一年の間浴び続けた。その事が私を縄文世界へと誘う。未だ変容する自分を感じる。老いの身に静かな情動が湧いている。どこか不思議でただ嬉しい。なにやらのお導き。もっと打つなら、老いゆくおのれを、縄文の渦に身を浸したい、のだ。未知の細道に触れたいのである。じっとしつつ、時折動く。うちなる感覚に身をゆだねたいのである。


2025-10-18

猪風来ご夫妻、20周年記念野焼き祭り企画を終え、5日後に思う今朝の五十鈴川だより。

 猪風来さんご夫妻の渾身の企画を終え、14日から昨日金曜日まで、7年間続けている、今や現在の私の生活のいちばんの居場所とも言える労働に復帰した。ほぼ一年の間、どこか心の片隅に猪風来さんのイベントが宿っていたので、その事から解放され、普段の私の日常生活に帰れ、ああもう終わったのだという、充実した空虚感を抱えながら、ただ青空の元、体を動かしていた。

孫と共に作った73歳、私の初作品

無事に終えて5日経ち、五十鈴川だよりを打てる時間が持て、私は嬉しい。ようやく普段の生活にもどりつつある。

とはいっても、この一年の間、猪風来さんご夫妻が、古希を十分に過ぎた、老人である私に与えた、感動、刺激は到底言葉では表すことができない。

じんわり、じんわり効いてくる、猪風来縄文ワールドの魅力にはまってしまいそうな私である。それ以上の言及は今朝は控えるが、猪風来さんご夫妻を通じて、縄文世界の引力に引き込まれてしまった、気がしている。

人生の遊行期に入って間もなく、本質的に猪風来さんご夫妻と出合えた奇縁、タイミングを今はただ感謝している。確実に言えることは、自分が変化したからこそ、猪風来ワールド(以下、よし子さん原野さんの作品すべて含む)をささやかに感知し始めたのは間違いない。

自分の中にこれまでの人生で紡いできた、ものの見方、価値観、常識が覆されてゆく、気持ち良さ、変な溜まりに溜まった澱のようなものが、洗い流されてゆくかのような、快感に誘われたのである。とても言葉化不可能な世界の引力に。

年齢的に、直感的にあえて綴り打てば、もう残りの人生時間、元気に動ける間は、あくまでも現代生活の片隅で、縄文世界について少しでも知りたい、学びたい、想像力を養いたいという、我がうちなる老いてなおの力、変化がわいてきたのである。

もっと打つなら、縄文への下る旅がしたくなったのである。よもやまさか、このような変化が自分に訪れようなどとは、一年前には想いもしなかった。あれほど打ち込んでいた(シェイクスピアの音読も止めはしないが、割く時間は必然的に減る)音読も、この一年ほとんどやっていない。が、深い呼吸力、集中力の持続維持のためにも、シェイクスピアのなが台詞ほど、老人の私を鍛え、面白がらせるものはそうはないから、今しばらくは並行して続けたい。企画もである。

今朝の五十鈴川だよりは、とりとめなき様相を呈している気がするが、致し方ない、老人の心は千路に乱れさ迷う。でも私はそれを由とする。新たな一歩を踏み出したい、のだ。可能なら、これまでやって来たことを踏まえ、未知の縄文世界を、猪風来さんを水先案内人、先生として学びたい(のだ)。

2025-10-13

猪風来美術館、開館20周年記念イベント青天に恵まれ、無事に終えた翌日の朝に想う。

 朝の秋の陽光が燦々と我が部屋に射し込んでいる。疲れているが、猪風来さんご夫妻の渾身の企画の裏方スタッフとして、お声かけして頂いてまる一年、この一年の我がうちなるる充実、実りは私がいちばん実感している。(お天気に恵まれ無事に終えることができただ嬉しい)

これはおそらく、大いなる猪風来さんご夫妻のオーラを折々浴び続けたご利益の賜物である。その委細のこまごまを今朝の五十鈴川だよりに打つきはおきない。今はただ、ささやかに満たされている。その気分に浸りたい。

今回、私は写真を一枚も撮らなかった。大場さんや瀬政さんがたくさん写真を撮ったので、それで私は十分、昨日は裏方として駐車場や受付、二部の会場設営、会場の片付けなどに体を動かし、このイベントの一部始終を体に記憶すること(カメラがないとおもって)、に徹した。

猪風来美術館は廃校となった法曽小学校である。支えているボランティアはこの小学校の卒業生である。20年間猪風来さんの野焼き祭りを支えている。今は私とどう年齢である。その方たちと土曜日曜と体をともに動かすことができた喜び、学べたことを、わずかではあるが、五十鈴川だよりにきちんと打っておきたい。

孫七歳、望晃ノアの作品

かっては60人の生徒さんがいたという法曽小学校、今は昔である。皆さん、老いてはいるが黙々と体を動かす。その頃のふるさとへの思い出、郷愁のようなものが、地元のボランティアスタッフを支えている。お昼のカレーその他の飲食販売ボランティアは女性たち。これまた黙々と動き働く。

猪風来さんの野焼きを支える老いた仲間たちと、冗談を飛ばし合いながらの共有時間が、私にはいちばん楽しかった。共に体を動かすことのなかで紡がれる無言の信頼感、連帯感、共に汗をかいた仲間のみが味わえる喜び。

どこか昔の小さな村の、かっては日本の農村のそこかしこで見られた村祭りに突然飛び入り参加下したような感覚に誘われた、これは白昼夢ではあるまいかと。

長くなるのではしょるが、神奈川相模原から長い交友の女性もお友達と来てくれたし、縄文土器造りに情熱を注いでいでいる仲間(女性)とも面識を得、何人もの方とは名刺交換やラインの交換もできた。多くのその場で出会った人達と言葉を交わし世代間交流が弾んだ。場所の力で思わぬ意外な事が続々起きた稀なイベントとなった。

瀬政さんの奥さま、熊岸さんの奥様、猪風来さんのイベントにボランティアで初参加、とても喜ばれ、美術館の作品に感動されていた。瀬政さんの奥様は土器造りに参加したいとおっしゃっり、また猪風来美術館にゆきたいとのこと。思わぬことが起こる。イベントとは出合うことと知らされる。これからの私に何ができるのか未知だが、言えることは今しばらく私より若い世代と共に、何か夢が紡げそうな予感がする。

ともあれ少しはお役にたて、猪風来さんご夫妻の笑顔を見ることができて、わたしはホッとした。

2025-10-11

猪風来、縄文造形20周年野焼き祭り野焼祭り、を明日に控え、もの想う五十鈴川だより。

 土曜日の朝である。今日は午後から明日のイベントの準備があるが、明日は五十鈴川だよりを打つ時間はないので、少し今の心境のようなものを打っておきたい。とはいうものの私の一文は、自然に流れるにまかせる、いい加減ブログである。

バイト先のコスモスと秋の雲

さて、台風23号が接近しているが、予報は晴れ、裏方としてはとりあえず安堵している。今はただ明日、つつがなく20周年野焼き祭りイベントが終わることを祈っている。

昨年秋、猪風来さんからの突然のお電話で、この猪風来縄文造形芸術の集大成企画のお手伝いをすることになって、おおよそ一年、この間、私の生活時間のかなりを割いてきたが、ようやく明日結実する。

今私は、この猪風来さんご夫妻にお声かけしてもらえた幸運を、ただ感謝している。今朝はその一言を打てば事足りる、という心境である。猪風来さんご夫妻のあまりにもの純粋さに、俗物の私のこれまでの人生が、どこか気恥ずかしいほどに、照射され続けた一年tであった事は確かである。(だが私は俗物を全うするつもりである)

この年齢、もうカチカチに固まってしまい、時代のすう勢に飲み込まれ埋没、流されしまいそうな私に、(流されてもいいのである、自覚していれば)一筋の光明をご夫妻は与えてくれたことを、キチンと五十鈴川だよりに打っておく。

ご夫妻と言葉を交わした、この一年で私の生活はかなり変容した。それはうまくは言えないのだが、猪風来さんご夫妻のように、歩んでゆけばいいのだという、老いゆく覚悟の深まりの実感である。

それは、この一年に綴り打った五十鈴川だよりの節々に、その影響のようなものが顕現している。なにか心からふわーっと楽になったととでもいうしかない感覚が、自分の中にわいてきたのである。これから先の私なりの時間の過ごし方の、大いなる当たり前のヒントをご夫妻から頂いた事を打っておく。

それは当たり前を受け入れ、当たり前に訪れる日々の生活に愛情をもちつづける、平凡な真理である。それを実践する。もうそれだけでいい、足りているという気付きである。だから私は今朝も能天気に嬉しいのである。

唯我独尊、前人未到の、あの猪風来縄文造形作品群は、50年ひたすら土の神に祈りを込めた、まさに、俄に縄文人が忽然と時空を越えて蘇り、生成A人類の行く末、困窮カオスI時代、一石を投じたとでもいうしかない、ほどの偉業なのだということが、遅ればせながら、ようようにして今私は感得している、のだ。

私の今朝の五十鈴川だよりを、いつの日にか孫たちのだれかが読んでくれたら、嬉しい。


2025-10-05

日曜日、朝一番一仕事し、先ほど裸足散歩からかえっての今日の五十鈴川だより。

 先日、千住真理子さんの、継続する力を読んで、改めて我が意を得た、というとオーバーだが、還暦以後継続(手術で中断もありけれど、復活している)していることがある。五十鈴川だよりもそうである。古希からの企画再開もそうだし、他には懸垂と裸足散歩、家庭菜園、踵の上げ下ろし、音読、それに筆写もいれれば、、、。かなり還暦以後毎日ではなくとも継続している。今は新聞の購読を止めたが、書評の切り抜きも20年近くやっていた。

絵本読み聞かせお爺になる

考えると、家、及び近所でやれ、企画を除いたらほとんどお金のかからないことばかりである。それでこの年に至るまで、自分でいうのもなんだが、面白可笑しく過ごしてこれたのである。

なぜこのようなことを打つのかというと、中高年の貯蓄率がことのほか我が国では高いということを知らされたからである。お金はきれいさっぱり使うものである。(西郷隆盛の言葉、子孫に美田を遺さず、これも父の言葉、ゼロから始まりゼロで宇宙の塵なるのが理想)守りに入ったときから、人は貧しくなるように私にはおもわれる。

もし私が経済的に余裕のある家庭に生まれ落ち、今現在も自由になる、ある程度の資産があれば、多分惜しみ無く企画を初めとする好きなことに、お金を費やすのではないかと、想像する。そのあげくどうなるのかは神のみぞ知る。

が私はそういう家庭環境には生まれなかった。両親は5人の子供を抱え、父は長男だったので、両親の面倒を最後まで見、戦後北朝鮮から命からがら、 無一文で引き上げてきて、借金して、町中からはなれた(当時は近所に家がなかった)場所に家をたて、ローンを払い一家の主としての生涯を全うした。父は文藝春秋だけ定期講読していた。

その両親の四番目の子供が私である。母は北朝鮮では小学校の先生をしていたが、引き揚げてきてからは、一家の母として、主婦の仕事、子供の世話、両親の世話に明け暮れた。私の記憶の中の母は、家事に明け暮れる母の姿しかない。怖い父と、怒ることのない優しい母、全く対照的というしかない両親に育てられたのである。今おもえば人生に必要なことはすべてあの両親から受け継いでいるのだということが、染みて自覚(わかる)。

結果、私は不必要な出費や、華美な飲食、華美な旅、華美なファッション(ボロでも清潔で、らしく着こなせればいいのである)などなど、身の丈に合わないような生活はとんと送れない生活者、似合わない生活者になってしまったのである。それでいいのだ。

もっと言えば、お金の使い方がわからないのである。高価な衣服や、車、飲食物、ライブや、コンサート、などなど、にはとんと興味がなく、コレクションの趣味もほとんどない。結果、今も私の生活は慎ましく、その慎ましさのなかで、いかに贅沢な時間、一日を過ごせるのか過ごせないのか、にしか頭が動かないのである。

だが、これも父からの教え、お金がなくとも、心が貧しいのは駄目だと。長くなるのではしょるが、心の貧しいケチな人間になるのだけは御免である。貧しくたって夢を見るのだ。夢を見る力がないのが貧しいのである。そういう人生を今も私は歩んでいる。企画の夢にお金が追いつかないとき(ほとんどだが)は、共有してくれそうな仲間にカンパをお願いする。一期一会、その時に集まったお金で企画する。打ち上げは足を運んでくれたその仲間と。これが私がこれまで経験した中で、もっとも愉しく贅沢な時間である。

だがこれからいよいよ私は老いてゆく。体がよぼよぼになる。だから、ゆっくりと私の贅沢時間は変容する。さしあたって、12日の縄文イベントを終えたら、ちょっと長めのお休みをとって、どうしても訪ねておかなければならない人に(会える人にはしっかりと会っておきたい)会う旅に出掛けようと思っている。お伴は、死ぬまでにどうしても読んでおきたい本である。

2025-10-04

二冊め、森永卓郎さんの[身辺整理という]本を読みました。そして想う。

 今日は猪風来美術館にゆく予定であったのだが、雨で作業が取り止めになったので、いつもの休日のように、静かな時間を過ごしている。

今年一月に、おなくなりになった経済アナリストの森永卓郎さんの官僚生態図鑑という本について、先日五十鈴川だよりに打ったのだが、続いて、森永さんが余命宣告されたのちに書かれた[身辺整理]という本を、先ほど読み終えた。

見事な人生、脱帽する


読み終えたばかりなのだが、降ってわいた時間があるのでなにがしか綴りたい。余命宣告をされたことがない私としては、まだまだやりたいことがあり、幸いにして頗る健康そのものなので、私事として、きちんと受け止めるには至難なのだが、打つ。

私は、これまで読書の傾向があまりにも偏り過ぎていたという反省が、古稀を過ぎて俄に強くなってきていたお陰で、森永さんのご本も手にすることができたことを、素直に喜んでいる。

思い込みや、知らぬうちに育まれている苦手意識、偏見が私をして狭い世界に充足させがちになってきていた。

古稀を過ぎたのだ、もっと自由に本に触れようと。だから努めて意見の異なる生き方や、異なる環境を生きた思考の持ち主の本も、意識的に読むようには心かけている。

おそらくそういう心掛けがなかったら、森永卓郎さんの本も手にしなかったのではないかという気がする。そして思う、手にして良かった。私とは全く異なる人生である。人は生まれ落ちた時代と環境のなかで、自分の人生を生き物として、どんなに理不尽であれ、非情な摂理の中を泳いでゆくしかないということを、知らされる本である。

私とは、あまりにも異なる世界を歩まれた方なのだという認識しかもてない、とはいえ一人の人間の、私には想像だにできない世界を必死で生き抜き、結果見事に全うされて、このようなご本を遺された、毅然とした見事な生き方に打たれた。

ちょっと話が逸れる。世は100年時代、総活躍時代などという標語が飛び交うが、私に言わせれば、 虚しい。身近な周りを見渡しても、見るからに幸せそうに生活しているご老人にはそう私はお目にかかっていない。ハッキリと五十鈴川だよりに打っておく、長生きすれば幸せなのか。

まったく私はそうは思わない。心からやりたいことがない人生は虚しい。幸いにして、まだまだやりたいことが私にはある。私は今しばらく生きねばとは、思ってはいる。だが、一寸先は神様にもわからない。だから、無目標でただ漫然と長生き、社会のお荷物的人生だけは御免である。

ボケると、このようなことは打てなくなるので、今のうちにキチンと打っておく。それにしても、 森永さんの余命宣告を受けてからの、あまりにものエネルギッシュなお仕事ぶりには脱帽する。死は怖くないと森永卓郎さんはおっしゃっている。あっぱれというしかない。

このような境地になれるのは、キチンと人生を生ききったもののみにしか、けっして訪れない。そのことは私にも分かるような気がする。臆面もなく打つ、私もまた死を受け入れるための生き方をせねばと。

我が両親も潔かった。あのように生きればいいのだという身近なお手本がある。引き上げ者としての両親を私は尊敬している。思春期から自己嫌悪、不甲斐ない自分をもてあましつつ、戦いつつなんとかいまを生きているが、多分一生頑張っても、あの両親にはかなわない。見習いたいと、ますます思う、この頃である。