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2026-07-11

あの日のウカマウ集団の、自主上映の出来事が、西大寺にもどっても心を占める今朝の五十鈴川だより、

 東京から西大寺に戻った翌日から働き、土曜日の朝が来た。例年より早く梅雨明けし、いきなり夏がやってきた。そのなか昨日までなんとか労働した。古希を過ぎてからの四年間の酷暑の夏を我が体は良く持ちこたえている。先のことはともかく、一年一年しのいでいるだけである。だから今年の夏も、凌ぐだけの心づもりでいる。私の体の塩梅は、私のみが知る、と言ったところである。

しゃくとりむしのように早朝読み学ぶ。

先の上京で、ウカマウ映画集団のフィルムの(4作品)を見ることができた。74歳で、このような未知のフィルムをたまたま見る機会に恵まれ、その事をわずかではあれ、五十鈴川だよりを読んでくださっている方々に、お伝えできることが嬉しい。私が感動したり、知って心が揺さぶられたりしたことを、折々五十鈴川だよりでは書いて、打ってきたつもりである。

その事が、古希を過ぎてからの企画にも繋がっている。今朝は、この歳でまたもやの根元的な無知を、ウマカウン集団のフィルムを観たことで、心がざわついている、その事をとどめる、程度にしたい。のだが、その未だざわつく我が心のうちが花、その事実に素直に反応する、したいという心持ちが、五十鈴川だよりを打たせる。

7月4日、74歳、小平は学園坂スタジオでウカマウ集団のフィルムを観たことは、(後何年我が命があり、五十鈴川だよりが打てるのかは分からないが)おそらく、ラテンアメリカに関する、無知の扉を開く契機になる、そのことだけは間違いない。

私は理屈で動くタイプではない。ほとんど本能と直感でこの年齢まで生きてきた、来れた、平凡な一庶民である。そのような私なのだが、何故か長周新聞の記事に、熱く反応する自分がいたことで、ウカマウ集団のフィルムに出会えたことの幸運を、あれから一週間未だに噛みしめている。

あの日から、チビリチビリ、太田昌国先生のご本、[ボリビア.ウカマウ映画伴走50年]を読んでいる、労働の前、朝の涼しい時間に。あだやおろそかに読める本ではない。心血を注いでのウマカウ集団との交流[監督のホルへ.サンヒネス、プロデューサーのベアトリス.パラシオスとの交流には胸を打たれる]には奇跡的な出会いを感じる。人類の未来をも照らす、黙示録的な出会い、とでも言うしかない、ほどの出会いである。

このようなフィルムに巡りあった、幸運をとりあえず五十鈴川だよりにきちんと打っておく。一昨年の猪風来さんとのイベントを通じての再会、あじくーたー、桑江さんとの再会、沖縄、長周新聞Gさんとの出会い無くして、ウカマウ集団のフィルムを観ることは、決してなかったであろう。その事を思うとき、不思議な感慨に打たれる。

ゴーヤの花、夏がきた。

元気に動き回れる、私の人生時間は有限である。その事に思いを馳せるとき、直感力にすがり、ささやかに岡山でウカマウ集団のフィルム作品を、チビリチビリ、だが確実に自主上映したい、という気持ちを押さえることはできない自分がいる。時間的に思う。学びつつ、自主上映する。思いを箇条書きに書き留めながら、あくまでも冷静にことをすすめる。(信頼できる、私の仲間数人に相談したい、そこからゆっくり真夏の暑さのなか考えたい)

9月に東京、学園坂スタジオで二回めの上映会があるのでなんとか都合をつけゆくつもりである。できれば太田昌国先生ともその際に、再会、お話する時間を持ちたいと考えている。

先日の上映会で、先生のお話を、肉声を聴いたさいに、何かが蠢いたのである。先生は1943年の北海道、釧路のお生まれである。言うに言えぬ修羅場をくぐり抜けてこられた稀な方で在る。だが、その笑顔と、ユーモアに私は引き付けられた。(のである)。時間が無かったが、上映会後、先生の本を求め、著書にサインをして頂いた。未だミーハー老人を自覚している。

2026-07-06

岡山に帰る朝、寸暇打つ五十鈴川だより。

 8泊9日の上京旅は、切れ目なく有意義な時間を過ごすことができ、岡山に帰る日をむかえた。朝食、全員の朝食をレイさんが6時過ぎに起きて、手早く用意してくれたのを済ませ、ノアの国語の音読をちょっと見てあげた。月曜日は一週間の始まり、長女は主婦の役割を、レイさんはもっぱらミアのお相手に余念がない。用意の整ったノアは本を読んでいる。私はリビングで、五十鈴川だよりを打っている。

今朝の朝食後の二人

静かな場所ではない。寸暇打つ癖のようなスキルを身につけたいという老いの心かけである。

昨日のことを少し打っておく。昨日は午前中、全員で多摩センターに行き、娘とノアと私は買い物ほか(書店にも行った)、レイさんとミアは別行動。お昼は全員で、ファミリーレストランで済ませる。

昼食を済ませ、娘とノアはドレスデンでの夏休みに必要な物を買うために、引き続き買い物、私、レイさんノアはマンションにもどった。稲城の駅からマンションまでの道を、ミアは何度も寄り道しながら歩く。レイさんが辛抱強く面倒をみながら同行する。その姿にお爺の私は見いった。

またもやすごい本に巡り会えた

もどって、ミアはお昼寝、レイさんが寝かしつける。私は二階にある図書館で午後4時まで、昨日の上映会で求めた、太田昌国先生の本を読む。正直、この年齢でこのような本を読みたくなる自分に驚いている。

老いつつなりの速度で、好奇心を満たし、無知の扉を開く勇気を、一日でも長く太田昌国先生のご本から学びたい。(帰りの新幹線で読むのが楽しみである)

夕刻、お風呂を洗い、一番先に入り、5時過ぎに長女に頼まれ、餃子40個を包む。包むとすぐに長女が焼いて、夕飯のメインに。ほかにも長女がナムルや、ゆで野菜等々の副食を並べ、最後の夕飯を全員でいただく。

レイさんがハイボールをたくさん買ってきてくれていた。サントリーの白州のハイボールが沁みた。

夕食を終え、ノアと娘私は、ダーウィンが来た、を見る。沖縄の珊瑚の現状のリポートと生態についての知見に驚かされた。ノアがこの番組を気にいっていることが嬉しい。続いて珍しく起きていて、またまた、養老孟司先生88歳のNHKスペシャルを見る。先生は私よりも14歳上である。

14年後、私も生きていればあの年齢になる。画面にみいりながら、これからの未知の年齢ゾーンをいかにすごせばいいのか、答えはない、しかし考えなければと、考える私がいる。レイさんが最後昨日の出してくれた、美味しい国産のウイスキーを出してくれたことを打っておく。


2026-07-05

上京8日目の朝、寸暇打つ長女のマンションの図書館で打つ、あさの五十鈴川だより。

 一昨日金曜日のことと、昨日のことを記録しておこう。一昨日はノンビリ過ごした。午前中五十鈴川だよりを打ってから、家の掃除をし、長女に頼まれたもの、食料を買いにいつものヤオコーにゆく。(物価高、記録しておく4750円買った)。もどって3人分ラーメンを私が作った。リモートワークの娘とレイさん美味しいといってくれた。

かき氷を頬張る未彩

午後2時半学校にノアを迎えにゆく。午後4時過ぎ、ノアとレイさんの菜園場に収穫にゆく。往復二キロはゆうにある。アップダウンの道を孫と歩いた。着いた日にも収穫したのだが、その時はきゅーりがたくさん、今回はミニトマトがわんさか採れた。

たまたまお隣の菜園場で収穫されていた方と、きゅーり二本と枝豆を一束交換した。楽しかった。帰り汗をかいて、ノアが道案内ほか、私をしっかりサポートしてくれたので、コンビニでアイスを買ってあげた。もどって二人ともすぐお風呂、何時ものように夕飯、午後9時過ぎに、ノアとともに床についた。

ここからは昨日の事を時系列に。土曜日なのでいつもより全員遅く7時すぎに起床。朝食後9時前歩いて10分のスイミングプールにレイさんと未彩がゆくのについて行き、しばし保護者席から眺める。

10時からは、プールの近くで、望晃がプログラミング教室に通っているのを少し眺め、一度家にもどって長女が入れてくれたコーヒーブレイク。10時半長女はジムに出掛け、前後して、私は今回の上京の旅の目的である、ウカマウ集団全作品の上映会に出掛ける。

マンションから稲城長沼駅まで二キロ歩く。そこから立川に出て、中央線に乗り換え国分寺へ。再び乗り換え(多摩湖線)最初の駅一橋学園でおり、歩いて3分の所に学園坂スタジオがあった。場所を確認、近くの小さな韓国の家庭料理のお店でビビンバでのランチを済ませ、1時過ぎ開場と共に中にはった。椅子席が30くらい、座布団席が8くらい。ほぼ満席だった。

今回はウカマウ全作品の一部、午後一時半から、革命(10分)、ウカマウ(75分)。午後三時15分から落盤(20分)、コンドルの血(75分)が上映された。私は身じろぎもせず一切の先入観なく作品に見いった。商業ペースにのらない。採算が合わないので自主上映でしかみることができない作品をみることができた。その事実の重さだけを今朝の五十鈴川だより打つに止めたい。高齢ではあるが、岡山から駆けつけてきてよかった、という思いが上映後の私を包んだ。

何事も知ることから始まる

上映後、太田昌国さん(先生)のお話を聞くことができたことも実に私には有意義であった。すべて終了後、先生の本を購入、サインしていただき、次回の上映会にも参加し、ウカマウ集団の映画作品について、少しでもまなびたいとおもう。再会を約束した。

6時過ぎ会場を後にし、逆コースで家に、稲城でお蕎麦での遅い夕飯を済ませ、歩いてマンションへ。午後8時着いた。お風呂を浴び娘たちと団欒タイム、レイさんが、ハイボール、ビールでもてなしてくれる。最後に国産のスモーキィなウイスキーがとても美味しかった。

飲みつつ、娘が夏休みのドイツ里帰り旅行に、私も行くことにしたのだが、ついでにロンドンにも行くことにした。娘がロンドンに同行してくれる(最初の三日間)ことになり、二人が泊まるホテルを、娘とレイさんが遅くまで、私が先に寝んだ後も検討詰めてくれていたことを打っておく。きっと半世紀近く前のロンドンとは様変わり、娘レイさんのサポートがなければ、今の私では、一人旅は家族が許してくれないだろう。老いたら子に従うのである。

2026-07-03

上京旅6日目の朝、長女の住む稲城のマンションで寸暇打つ、日録五十鈴川だより。

 昨日の出来事を時系列で打っておこう。午前中次女のマンションの図書館で五十鈴川だよりを打ち、お昼前病院に行っていた、次女、葉と吉祥寺駅で待ち合わせて、3人で家庭料理のお店でランチを済ませ、駅の本屋に行って、まもなく5歳になる葉に本を買ってプレゼントする。

レイさんの菜園場の花が食卓に。

雨に煙る井の頭公園のなかにある、水生生物、淡水魚の博物館にゆく。平日の雨でほとんど来館者がおらず、ゆっくりと3人で見ることができた。

(デンマークから父親と中学生、高校生くらいの年齢の3人が来ていて、ちょっと言葉を交わした、インターネット時代、人は行きたい所にでかける、ホモサピエンスは移動する)

葉は保育園に行けなかった代わりに、娘といつもとは違う時間を共に過ごせご機嫌だった。ことのほか淡水魚の生態の不思議にみいっていた。淡水魚博物館の中にはタンチョウや多種類の水辺で小魚やミミズなどの生き物を食べる水鳥も多数飼育されていて見ることができた。私もとても楽しかった。

いろいろな生き物の生態を直に見ることができる、大都市の中にオアシスのように存在する井の頭公園は、甚だもって貴重な公園であることを再認識した。老若男女を包み込む、この豊かな公園が次女たち家族のすぐそばに在ることの幸せをおもった。

小雨が降るなか、葉がなんと家まで歩くという。お爺は感動した。娘と3人30分近く歩いてマンションにもどった。最短距離、思い出の雨の散歩となった。着いたとき雨はほとんどあがっていた。娘のマンションで、葉と日本列島のピースを埋めたり、帽子投げ遊びをしたりしていると、あっという間に、時間は午後3時半、娘と葉と3人で保育園に風香を迎えにゆく。

その足で、バスで私は長女の稲城へ。バスを追いかけて走る葉の姿が脳裏にやきついた。ジーンとした。楽しい記憶の時間を、孫たちと持てることの平凡な幸せを、五十鈴川だよりに記しながらかみしめている。

淡水魚に見いる葉と娘

稲城には5時過ぎについた。レイさんはリモートワークではなく今日はお仕事で不在、長女は仕事していたので、すぐにノアとミアを保育園に迎えにゆく。娘ではなく私のお迎えにも自然に対応してくれホッとする。3歳になったばかりのミアは元気ハツラツ、すでに強烈な個性を発揮し、時おり娘をヤキモキさせたりしている。

が、私はほとんど心配していない。どのように4人が成長してゆくのかを、ボケるまで(誰でも最後はそうなるのが自然である)一年でも長く見届けたい。願わくは後10ねん。(叶わなくとも悔いはないことを打っておく)

話を戻す。夕飯前、ノアとお風呂。夕飯は娘がハンバーグほかを手際良く準備してくれたのを頂き、午後9時にはノアと共に、床についた。

2026-07-02

雨の朝、次女のマンションの図書館で打つ五十鈴川だより。

 上京5日目、木曜日の朝である。かなりの雨が降っている。五時半に起きると、葉が続いて起きてきて、さっそくオセロを一勝負、またもや葉に負ける。葉もノアも強い。風香と娘、周さんも起きてきて、娘が風香の面倒を見ながら用意しているのを、手伝う。全員揃って美味しくいただく。

今日は葉がお医者さんにゆく日なので、娘は仕事を休み、葉も保育園はお休み。風香は周さんがいつものように保育園に連れてゆく。娘と葉は9時前に出掛けた。周さんはリモートワーク、私は一階の図書館へ移動し、五十鈴川だよりタイムである。

もうすぐ5歳になる葉


昨日のことを忘れないうちに記録しておく。午前中娘に頼まれていた餃子40個包んで、一人吉祥寺散歩をする。マンションから往復一時間歩いた。吉祥寺では二軒の古本屋さんで一時間くらいただ本を眺めて過ごす。本の背表紙を眺めて過ごすのが、私は好きである。

本は重いし、もうなるべく本は買わないようにしているのだが、2009年に出版された佐藤優さんの功利主義者の読書術を求めた。文庫本として一昨年文庫で復刊されている。パラパラと捲り、ゆっくりよみたくなったのである。極めて新しい本がわずか220円。これだから上京すると私はどうしても神田の古書街を散策したくなる。

これからの数年、元気なうちは、労働、読書、散歩が日常生活の主流、お休みや、今回のような短い非日常旅でも、読書と散歩はかかせない。本を読むと嫌でも何らかの思考を迫られる。知的欠乏症、無知蒙昧を自認している。トラウマといってもいい。

だがこの年齢まで生きると、そのトラウマも消えてゆくかのような塩梅の日々である。自分らしく在りたい、ただそれだけである。(もうないものねだりはしない、諦めた)

話を戻す。本を求め、お昼を(ハンバーグランチ、美味しくいただいた)賑やかな市街地の洒落たお店ですませ、腹ごなし次女のマンションまで歩いた。それから夕刻の葉のお迎え時間まで、求めたばかりの功利主義者の読書術を読む(買って正解)。10年前までだったら、すらすら読めなかったかもしれないほど濃密に読みごたえがある。が今は、知的興奮を覚える。何事も、特に私のようなぼんくらは、書かれている内容の多岐にわたる、あまりの読解力の深さに、驚かされる。老いても本を読める体力を限界までキープしたい。

夕刻四時半、葉と風香を仕事を終えた娘(娘は職場までバスで通っている)と迎えにゆく。もどって何時ものように洗濯物を入れたり畳んだり、お風呂他を済ませる。お仕事で遅くなる周さんは不在、四人での夕飯。餃子がメインでとーもろこしの茹でたの、スープ、ほかの副菜付き。私だけハイボール。食事中岡山の妻に電話を入れる。風香と葉の姿を画面で確認しながら、妻の声が聴こえてくる。喜んでいる。

読書の凄さを知らされる

午後八時、絵本リーディングタイム。鈴木のりたけさんの布団の絵本や、パディントンのおはなしなどを繰り返し読む。絵本のリーディングを終えると、葉が花火が見えると私を呼びに来る。思ったよりも立派な花火が、遠くに次々にうち上がるのを葉と次女の3人で見いった。

葉の喜びようはひとしおで、遠くの花火をスマホで撮っていた。最後の日の夜、思わぬ時間を葉や娘と共有でき、またひとつ五十鈴川だよりに打つことできる事が嬉しい。何気なく同じような生活のなか、時おりきらりと思わぬいいことが起こる。

もちろんいいことばかりではなく、辛いことも起こるのだが、糾える縄、交互を行き交いながら、鍛えられ家族は成長する。その事を雨が上がるのを願っている。肯定的に考えられる側にいたい、とおもう。

今日のお昼は病院へ行った次女からの連絡をまって、葉と次女私の3人で吉祥寺で待ち合わせてお昼をし、しばし葉と最後の時間を過ごしてから長女の住む稲城へ移動する。

2026-07-01

さあ、これからお迎えまで何をしようか、東京旅4日目、6月最後の五十鈴川だより。

 東京旅4日目の朝である。早く寝たのでいちばん早く起き、朝に強い私が乾いている(乾燥機がついている)洗濯物を畳んでいると、葉が六時すぎ起きてきた。すぐにオセロを一勝負、47対27で葉の勝ち。終えていつものように朝食前、葉はドリルを三枚、周さんが見る。朝食はしらす干しをのっけたチーズトースト、スイカとヨーグルトと私は珈琲。

午前8時、周さん(今日はリモートではなく会社へ)、萌は仕事、葉と風香は保育園へ。エレベーターの所まで見送った。私は急に一人に。簡単に部屋の掃除をして、五十鈴川だよりタイムである。

昨日の、ささやかだが、楽しい一日をスケッチしておこう。昨日五十鈴川だよりを打った後、周さんと私のお昼を作った。マンションの一階にスーパーがあるので、生の麺と山形のスープを二種類買い作った。野菜、肉ラーメン。野菜はいんげん豆、モロヘイヤ、小松菜、と白ネギ、肉は冷蔵庫にあった細切れを使った。

周さんが完食して、美味しいといってくれた。簡単男料理は麺類には数種類の野菜、お肉を入れると、俄然美味しくなる。ちょっと一手間かけ、野菜は硬い野菜から時間差をおき茹で、肉は火が通るくらいで茹ですぎないくらい、しかやってない。

6月30日のお迎え風景

お昼を済ませた少し昼寝の後、周さんから電動自転車をかり、三鷹の図書館へ15冊の絵本を返し、新たに15冊の絵本を借りた。15冊選ぶのに二時間(駐輪場が無料)近くかけた。

おかげでずいぶんたくさんの絵本を私も読むことができ、素敵な午後時間が過ごせた。15冊、重いのだが自転車なので問題なし。井の頭エリアを自転車散歩し、マンションに戻って本をおき、その足でマンションの図書館へ。午後四時半まで本を読む。

次女からメールが来て、葉と風香を昨日と同じように娘とお迎えにゆく。戻って少しやすんで、夕刻夕飯前、お風呂をすませる。葉が虫の居所が悪かったのか、お風呂にはいるときちょっとぐずった。私が先に入り待っていると、周さんが衣類を脱がせお風呂につれてきた。

少し泣いたが、観念し静かになり、体を洗っていると泣き止んでご機嫌になった。次女は風香をあやし、私だとぐずるので、抱っこしながら、お魚を焼き、きゅーりの三盃酢などの料理を手早く作る。リモートワークの周さんも時折手伝う。家族である。

すっかりご機嫌になった葉に私も安堵、この年齢の子供の微妙な心理の綾は、いずこの家庭でも避けては通れないのだろう。ともあれ、全員で美味しく夕食をいただいた。風香は静かによく食べ、葉は賑やかに良く食べている。安心食べていれば問題ない。夕食後膝が痛いというので、膝を冷やしてやる。私は偶さかやってくるお爺の努めをやるだけである。

昨日私が作った塩ラーメン

午後7時すぎには風香がお休みし、葉は8時すぎには就寝時間がやって来る。午後八時、私が部屋にいると、葉が鈴木のりたけさん(今日鈴木さんの絵本を6冊借りてきたので)の本を持ってやって来る。

繰り返し読んで聞かせる。真剣に聞いているので、いい加減には読めない。老いた私の音読を真剣に聞いている葉。

もうこの時間は二度とはやってこない。私もエネルギーを使うので、ぐっすり眠りに落ちる。そして思う、死とは永遠の眠りに落ちることだと。だが、いまはまだ眠りから覚め孫に音読できる。役にたつお爺の、これが至福なのである。

2026-06-30

ワールドカップ、日本がブラジルに惜敗した日の朝、次女のマンションのリビングルームで打つ五十鈴川だより。

 日本がブラジルに惜敗したが、その事については触れない。覚めているわけではない、もうまったく別次元のどこかを揺蕩っている老人の私がいて、現世的、世間の常識のような世界には、当の昔おさらばした境地を生きているので、やはりどこか覚めた目で浮き世を眺めながめている。その事がどこか楽しい。そのようなことを臆面もなく打つ、老人の私がいる。

繰り返し4回読んだ絵本

思春期の頃、いかにこの世を生きていったらいいのか、皆目見当がつかず、途方にくれながらも、なんとかこの年齢まで生きてきて思うのは、何はともあれ、生きてきてよかったと思える自分がいる。

そのように思えるのは、おそらく自分が、とりあえず今は幸福感に浸ることができる日々を送れているからだと思える。

さて、東京旅3日目である。昨日お昼は、リモートワークの周さんが外に食べに行ってもいいと言ってくれたのだが、時間があったので、私がニンニク、ズッキーニ、玉葱、豚肉で炒め、即席レトルトスパゲッティを作って、男二人で済ませた。

義理の息子は優しい。あれやこれや私に気を使ってくれるので、意気に感じる古い、時代遅れの九州男子としては、偶さかの時間、ボケ防止もかねて、(このところ我が家でも簡単男料理を作っている、意外や意外楽しい)作っている。段取り力がすべて、後片付けまで。本を読むのと同様時間のかかる男料理だが、幸い働いてない日は、時間はたっぷりある。

老いては食べる楽しみを、作る時間も含めて楽しむように心がけることにしている。妻もそのような殊勝な私を見守ってくれ、手伝ってくれる。彼女のお手伝いが加われば、あっという間に、簡単な一品が出来上がる。

昼食後、少し昼寝、午後二時すぎ三鷹駅方面を約一時間散歩し、三時半戻りロビーで本を読む。午後4時半娘が仕事先から戻り葉を迎えに行くのに合わせ、私もゆく。マンションから葉、風香の保育園まで五分もかからない。戻って、少し休んで周さん以外お風呂に入る。次女が手早く、しゃぶしゃぶでの夕飯、次女が私にだけ、ハイボールを用意してくれている。全員で美味しくいただく。

ちびりちびり学んでいます

食後(真夜中の日本対ブラジル)早めに床につくと葉が約束の絵本を持ってくる。同じ絵本を繰り返し4回読み、最後動物が登山をする絵本で締めとした。葉は本当に聞き分けが良くなってきた。成長している。(爺馬鹿まるだし)夜中、日本対ブラジル戦を静かに見届け再び横に。

今朝、葉に起こされ、朝食(なんと朝食はカレーでした、バナナとヨーグルト付き)前、葉のドリルを見る。爺馬鹿、全部100点、まもなく5歳の葉には簡単すぎるようだが、お父さんは基本を繰り返しやらせている。キャッ、キャッ、ガハハハ、いっときもじっとせず、心と体が躍動し、絶好調。そのような葉にエネルギーを頂く。時折いたずら小僧をしかりながら。

8時すぎ、慌ただしい朝の時間(洗濯物を干したり、お風呂あらいなどなど)がすぎ、次女は仕事、周さんは孫たちを保育園へ。周さんは保育園に孫たちを送ってから、毎朝井の頭公園エリアを30分以上散歩している。

周さんが帰ってくるまでに、頼まれていた雨戸の埃落としを済ませる。私が五十鈴川だよりに向かうと、周さんが冷たいアイスコーヒーを入れてくれた。