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2026-09-09

今、ウカマウ集団フィルムを(短編2本、長編4本)見終えて想う、今朝の五十鈴川だより。

 7月4日、ウカマウフィルム作品を、初めて見てから2ヶ月以上があっという間に過ぎた。(こんなに五十鈴川だよりを打ったことはない)2回目の学園坂スタジオでの上映会にも参加し、短編二本、長編4本を観た。9月5日に観た[人民の勇気]と[第一の敵]について、正直、いま語る言葉が私にはない。それほどまでに、私にとっては、衝撃的な映像が、高齢者の痩せた体に重くのしかかってきたことを打っておくことに留めたい。


この年齢で、手間隙かけて上映会に参加し、見ることができた幸運を記しておくに留めたいのだが、40歳で中世夢が原で、ささやかに企画を手探りで始めて(61歳から69歳は企画していない)から34年の歳月が流れている。

この間いろいろなジャンルを企画してきたが映像作品も自主上映している。長くなるのではしょるが、いずれもこの眼で、体で見て揺さぶられ、感動した作品ばかりである。フィクションもドキュメンタリーもである。

ウカマウフィルムの作品は、一言で言えば、フィクションであり、まるでドキュメンタリーでもあるかのような、不思議な映像体験をもって、私の体の奥深い自分でも久しく忘れていた、記憶の底に封印していたような、ある種名状し難い感覚を覚醒させる。

(何故このような作品群が創られたのかを知るためにも上映会をやりたい、全登場人物の存在感は、私を圧倒する)

この感覚がなければ、きっと自主上映をする、やりたいという気持ちは湧いてこなかったと思う。高齢者の私を、こうまで駆り立てるウカマウフィルム作品を、他の見知らぬ人達と共に見てみたい、というのが自主上映の原動力である。

直に講義を受けたかった

人民の勇気(1971年)、第一の敵(1974年)、いずれも真実の声、光景が、時空を超えてよみがえってきたかのような作品である。創られて半世紀以上にもなるのだが、フィルムが有る限り決して古くなることはない作品である。特に第一の敵は今、現在のグローバル資本主義の醜悪さを、照らす。語り部が素晴らしい。

学園坂スタジオでの自主上映会は、製作順に全作品の上映が来年も続く、出来れば私も製作順に、岡山での自主上映会をやりたい、気持ちになってきている。何故こういう気持ちになるのかを、もっと深く認識するためにも、見知らぬ多くの他者とともに見ることが必要なのである。

絶望的な程に、現在も争いが収まらない人類の歴史である。けれどもウカマ集団のウフィルムには、死者の魂が込められている。その魂はけっして消滅しない。繰り返し生き返る。そして私に語りかける。太田昌国先生の穏やかな語り口は、いかにして成ったのか。感受する力を養いたい。

PS 上下、松岡正剛先生の本、身近に置いて時折手にしている。私は企画も誰かに特に習ったりしたことがない。しかし、勝手に観たり、聞いたり、読んだり、(先人たちが遺した素晴らしい本の数々に打たれる)人にあったり、旅したり、そして働いての循環を繰り返し、(今も生きてささやかに企画がやれる)お陰でウカマウフィルム作品に出会えたのだと、思える。

2026-09-08

忘れないうちに、上京3泊4日の行動記録を時系列で打つ、五十鈴川だより。

 5日午前中、次女の所で打った後、昨日午後2時に家に戻るまでの出来事などを(行動記録)忘れないうちに打っておきたい。あれから葉を、次女の所から小田急バス、京王線と乗り継ぎ稲城駅の改札口まで連れてゆく。駅にはレイさんが葉を迎えに来ていた。

フライヤーの表

その足で、京王稲田堤まで引き返し、登戸からJRに乗り換え立川へ。そこから中央線で国分寺に出て、多摩湖線で一つめ、一橋学園駅から歩いて1分そこにウカマウフィルム作品の上映会が開かれる学園坂スタジオがある。お昼過ぎ着いて、時間があったので付近の商店街を彷徨き、とあるベトナム料理のお店で簡単にお昼を済ませ学園坂スタジオへ。

簡略に記す。13時30分、[人民の勇気]上映スタート、(1971/白黒/93分)、休憩後続いて、15時15分[第一の敵](1974年/白黒/98分)の上映、終えて暫しの休憩後、太田昌国先生のトーク。全て終えた時、時計の針は6時15分を回っていた。

二本目の[人民の敵]が始まる前に何と、Kちゃんがたまたま成田に仕事で来ていて、五十鈴川だよりを読んで駆けつけてきて意外な場所での対面となった。7月4日の上映会以降、五十鈴川だよりで度々ウカマウフィルム作品のことに触れていたので、気に留めていてくれたのである。

学園坂スタジオの上映会後、太田昌国先生と直接お話する時間を事前に、お願いしていたので、先生を囲む打ち上げ会に、いちばん早く先生とKちゃんと共に近所の中華料理のお店へ移動した。全員で(15名くらい)が参加、あわただしいなかではあったが、女子大学生他、若い方、中年の方、私を含めたご年配の方など、魅力的な面々が集い、久しぶりに、思わぬ楽しい飲食打ち上げ会に参加させてもらったことを五十鈴川だよりに打っておく。

岡山での上映会に向けて、最低お目にかかって、直接先生に私のおもいを伝えたかったのである。対面でビールで乾杯し一時間とちょっと、食べ飲み、お話が出来た。Kちゃんは何時ものようにさりげなくお金を残し、一足先にお店でお別れ、私も8時15分頃お店を後にし、長女の住む稲城へ。10時前に着いた。すぐにシャワーを浴び、レイさんと美味しいチーズとハイボールを頂き、歓談した。ノアと葉はぐっすり寝ていた。二人の孫とともに私も眠りにおちた。

フライヤーの裏

ここからは、一昨日日曜日のことを少し記しておく。朝食を済ませ、9時過ぎ、かなりの雨の中稲城の駅まで歩き、京王線で京王永山へそこで小田急線に乗り換え唐木田へ。そこから又もや雨の中唐木田のプールまで歩いた。8歳のノアはともかく、5歳になったばかりの葉が良く歩いた。約二時間二人は水と戯れていた。

ウカマウフィルム作品を見た余韻が駆け巡る体での、翌日孫との雨のプールあ遊び、まるで白昼夢のようであった。 お昼ジャスト、プールをでる。周さんが車で迎えにきていた。着かえに手間取り少し待たせてしまって悪いことをした。そのまま長女のマンションへ。帰ると、次女と風香も着ていて先に焼き肉の昼食を済ませていて、すぐにレイさんが我々のを手際よく焼いてくれたので、私、ノアと葉はパクついた。昼食後久しぶりに娘二人とレイさん、周さんがいろいろ話をしているのを側で聞いていた。割愛するが、子供たちの今後について真剣に語り合っていた。感心した、ことだけは記録として打っておく。午後3時雨の中、三鷹下連雀に帰る。葉は疲れてすぐ寝入った。午後4時着いて、荷物(風香が小さいので多い)を抱え七階の部屋に。周さんはレンタカーを返しに行った。 葉は起きて少しぐずったが、すぐにお風呂に私と入ってさっぱりするとご機嫌が直った。夕飯前、絵のない絵本を読んでやる。すごく面白がる。夕飯はしゃぶしゃぶとやきとり。美味しく頂く。午後7時半、風香を娘が寝かしつける。葉は30分ゲームタイムを終え私の部屋にやってくる。大ピンチ図かんを抱えている。大笑いしながら読んでやる。お休みの時間が迫ってくる。葉はまだ寝ない。料理のレシピカードを全員で二回やると9時をまわった。娘がもうダメと葉に宣告する、と葉は素直にに寝室に消えた。私もぐったり疲れがでて、歯を磨いて眠りに落ちた。 そして昨日は朝6時半、葉が私の部屋に入ってきた。葉は私と同じで朝に強い。早速お決まりの朝ドリルをやる。それをしばしみていると、朝ご飯タイム。風香が私が近づくと泣いていたのだが、昨日の夜寝入る前くらいから、ハイタッチしてくれるようになりときおりはにかんでくれるようになって、お爺としては一安心。朝食後、保育園にゆくまでの時間、又もや、レシピのカードを葉と二人でやる。一回だけの約束は守られない、結局出発ぎりぎりまで続ける。最後葉に負けた。しかし楽しいじかんふぇあった。 8時、葉と風香を周さんと保育園まで送って行き、そこで葉とお別れした。2ヶ月後、(ウカマウフィルムの上映会がある)また来るからと伝える。葉頷く。その足でバスで三鷹へ。岡山までのチケットを買い、中央線で東京へ。九時半ののぞみで岡山へ。家には午後2時に着いた。午後5時前、メルを吉井川の土手に連れてゆく。しばし三人での時間を過ごす。雨が降ってきたので家に帰る。妻に上京の話をしながらメルも側にいて三人で夕飯。妻がワイルドターキーのハイボールを買ってくれていた。僅か一個で酔ってしまい、午後9時、仕事に必要な衣類(雨の予報なので着かえる衣類をたくさん用意する)を用意しすぐに眠りに落ちた。 PS 葉が日曜日の夕飯のとき、長女の所に一晩お泊まりしただけなのに、ひさしぶりの我が家は良いなあ、と呟いた。その事を打っておく。ウカマウフィルムの作品上映会のことは、また日を改めて打ちたい。/p>

2026-09-05

次女のマンションで、寸暇打つ五十鈴川。

 昨日午後10時、次女のマンションについてすぐに寝て、今朝起きたのが6時半すでに葉は起きていてドリルをしていた。久しぶりの再会、はにかみながらも嬉しそうであるので、こちらも嬉しい。風香は依然としてひとみしり、私をうらめしく眺めている。ある程度の距離感をキープをしないと泣く。致し方ない、一才になったばかり、立って歩き、周さん、娘の愛情を浴びてすくすく成長している。


7時過ぎ全員で朝食、8時娘は今日仕事で出掛けた。私は今日午後ウカマウフィルム作品を観にゆく。その前に葉を稲城の長女のところに預け、その足で小平の学園坂スタジオにゆく。その前に、寸暇時間があるので、打っている。

向こうの部屋で、周さんが葉と風香の相手をしている。私は周さんの仕事用の机を拝借して、寸暇五十鈴川だよりというわけである。外は霧雨のような雨である。分厚い雲に覆われている。

秋雨前線のせいで、一気に秋の気配となり、あの暑かった夏のことも、あっという間に、季節は移ろう。それにそって私の生活も移ろう。しかし、移ろう中で、移ろわぬ何かしら人間としての大切な事を、確認しなければという微かな願いが、老人の私を小平の学園坂スタジオに向かわせる。

いずれ秋がもっと深まり、思考がいきいきしたら、夏の旅の事、私にとっての家族について、今想うこと書いておかねばという気がしている。ウカマウフィルム作品を観ることで、人間にとっての尊厳、他者の存在についての、根源的思考が少しでも深まれば、との淡い願いが、足を小平に向かわせる。

PS 写真は今朝の周さん、風香、葉の一枚、先ほど撮った。何気ないスナップです。

2026-09-04

今日夕刻から3泊4日、明日東京小平の学園坂スタジオでのウカマウフィルム作品上映会に参加するために上京する、寸暇打つ五十鈴川だより。

 雨で被災されているかたの事を想うと誠に申し訳ない気持ちになるが、岡山は本当に雨がこの夏少なかったので、昨夜からの雨でほっと一息ついている。雨がひどかったらお休みしようと思っていたが、朝ほとんど降っていなかったので、午前中働いてきた。約2ヶ月以上の炎暑の中での労働に耐えていたので、今日は本当に凌ぎやすく作業がかなりはかどった。

縦横無尽の思考に感嘆する

さて、今夜は次女の所、明日は長女の所に一泊するのだが、メインはウカマウフィルム作品の上映会に参加するためである。7月4日に続いて2回目の上映会である。40年ぶりの異国への旅から戻って、又もやの上京、私にしては、目まぐるしい行動力である。  

が、これもまた、自然の流れなので、しっかりとウカマウフィルム作品を見てみたい。今回の作品は人民の勇気と第一の敵、楽しみである。一人DVDを見るのではなく、数十人であれ、ウカマウフィルム作品に関心のある方たちと共に観たいのである。

そして何よりも、上映後の太田昌国先生のトークがいちばんの楽しみなので、出掛けるのである。私はヒトと出会うことで、己を活性化してきたので、いよいよこれからも、体が動く間は動きたいと思う。理屈ではない。それでは行って来ます。

PS  写真は松岡正剛先生の本、読む度に無知と、考え無いことの恐ろしさを痛感する。信頼できる人から間接的に教えてもらえる事の幸運、知的興奮を頂く。いささか遅きに失した感は有れど、大丈夫まだ学べる。太田昌国先生からも、ラテンアメリカ、中南米の、この500年の歴史を学びたい、高齢者の私である。



2026-09-02

9月に入り、普段の生活に戻って、物想う五十鈴川だより。

 9月に入った。ようやく普段の生活者に戻った勘がしている。昨日夕刻、猪風来さんに電話を入れ、(お電話をいただいていたのになかなか電話をする気にならなかった)気持ちの切り替えがようやく出来たのである。五十鈴川だよりも打ちたくなってきている。

下記に記します

とはいっても、もどってきてからというもの、ただ労働に勤しんでいただけで取り立てて打つほどの事はないのだが、虚空に向かって想いを馳せていると、何やら一文が流れ始める。

さて、昨日太田昌国先生にいきなりお電話をした。9月5日のウカマウフィルムの上映会に参加する旨お伝えし、その際に少しお話する時間を設けて頂きたいとお願いしたのである。上映会後お会いできることになった。本当はお葉書を書かないといけなかったのだが、日にちが迫っているのでお電話にした。

電話を終えて、前日不在着信があった番号に電話を入れると、学園坂スタジオの、Tさんからであったのも奇遇であった。5日上京する旨お伝えし、いずれにせよ、今後とも折々会って、関係性を少しでも深めて行きたいので、意味もなく直接お会いする機会を大事にしたい旨お伝えした。Tさんも心良く賛同して下さった。

何故企画をするのか、ましてこの年齢になってまで、その事は7月4日以降、何度か打っているので割愛するが、究極言葉にはならない。何故旅に出かけるのかにも似ている。行きたいからゆく。企画したいからする。それに尽きる。というわけで、2ヶ月ぶりに学園坂スタジオに行き、先生に会えるのが、楽しみである。今はただ、拡がりの輪が深まる上映会にしたい。


とここまで、打ったら他に打つことがなくなってしまった、が改めて、私にとっての旅の重さを知ることになった今回の旅である。

この年齢で、それもドレスデン、ロンドンを各一週間旅できたことの幸運は何度打っても、そうはめったに訪れる機会はないのだという厳然たる事実である。

ヒースロー空港でも打ったと思うが、無謀と挑戦は異なる。最低限の荷物だけで、10日から、2週間程度の旅をこれからも、毎年特に夏休みに、国内外問わず、続けたいというおもわぬ情動が湧いてきた。毎日、日本語だけが聞こえてくる環境に身を置いて生活していると、確実に平和ボケ(私のことです)してしまうという事実を確認したことである。


一年に最低一度、全く環境が異なる空間と場所に移動し、出来れば異国の多民族の坩堝の中に身を置いて思考する時間が持てれば、嫌でも精神と肉体は活性化する。その事の重要さをひしひしと感じている。その貴重な時間を捻出するための方法は、日々労働し 動く体と心を養生する事、それしか私には方法がない。

PS 上の写真は娘と行ったロンドンのノッティングヒルゲイトのポートベロー市場の一枚、凄い人でごった返していた。異国を旅したら市場は必ず行きたい所である。

下の写真はノアがデンマークのコペンハーゲンで、娘がロンドンから到着するのを待っている際に拾ってきた石の写真である。バイキングも異国で見たこともない大きな石を持ち帰ったらしいから、8歳の子供であるノアが稲城まで、重いのに持ち帰ったという事実を五十鈴川だよりに一行打っておく。いちばん下の写真は旅の最後、宿の近くのベルリンの川の側の公園で過ごす、レイさん、ノア、ミアです。

ベルリン、東西に引き裂かれ過酷な運命の歴史の街、娘は東西の壁が壊れた1989年の生まれである。僅か一泊だったが朝のベルリンの静けさがひときわ印象深い。








2026-08-30

太田昌国先生に頂いたお葉書を前に、もの思う疲労蓄積老人の今朝の五十鈴川だより。

 旅から戻ると、太田昌国先生から、お葉書(絵はがきカード10枚が同封されていた)が届いていてビックリした。投函した日付が8月13日となっている。私がドレスデンで打った五十鈴川だよりを愉しく読んでいる、と書かれてあった。その一行に驚かされ、どれだけ嬉しかったことか。お葉書で、五十鈴川だよりを愉しく読んでいる、と頂いたのは初めてである。

先生から頂いたウカマウフィルム作品のカード

文字、文体には自ずと人柄がにじみでる。7月4日初めてウカマウのフィルムを観て心が揺さぶられたことのお礼を葉書で出したら、お返事を頂いたのである。7月4日、受けた印象をを五十鈴川だよりに打ったので、読んでほしいと、お電話も、いきなりしたのだが、きちんと読んでくださっていたのである。誠実で大人である。

その事実に私は驚くと共に、7月4日先生から受けた直感的印象が、間違いなかった事を確信したのである。正直今私の体は、思考がままならいほどに、心地良い疲労が蓄積しているのだが、先生のお葉書を繰り返し眺めていると、何やら打たずにはいられなくなるのである。大人の先生から、よもやまさか久しく感じた事のないような温かさを、人格を私はお葉書に感じてしまったのである。

もうちょっと涼しくなったら、ウカマウフィルムの自主上映会に向けて、頭と体が動き始めると思う。それまで今しばらく、労働しながら頭と体が錆び付かないようにただ生活したい。9月5日には東京学園坂スタジオで、2回目の上映会があるので、上映会もだが、先生に会いにゆく予定である。

生活者が演じている、そこが凄い。

話は変わるが、この年齢で、何ゆえ、ウカマウフィルムの自主上映会を企画したいのかを、つらつら労働しながら朦朧とした頭で考えている。

自分にウカマウフィルムの作品を企画できるだろうかと(資格があるだろうか)言う、単純素朴な問いである。もっとうてば、皮膚感覚では理解が及ばない世界を企画する重さである。

だが体の中で、理解が及ばないからこそ企画する、企画しなければならないのだとの内なる別の声が、ほうはいと湧いてくるのである。そしてこれまでもそうしてきたように、遠くに感じてはいても、だからこそやらねば、遠くに感じたままで人生を閉じることになる。そちらのほうがずっと私には恐ろしい。(のだ)

まだ先生の本と、ウカマウフィルムの作品を僅かしか観ていないのに、何やら企画するのも面映ゆい。が、残された私の人生時間を慮ると、もうそんな事は言っていられない、やらねばという気持ちが抑えられないのである。とはいっても、この暑さがもう少し収まらないと、何ともならない。

その間ちびりちびり老骨を冷やしながら、我流で学ばねば(情熱をキープするために)と思う。いずれにせよ近々上京先生にお会いするのが楽しみである。

PS ネパールの氷河の大崩落、能登の水害、ベネズエラ、熊本の地震、、、。鴨長明の方丈記を夏休みの異国旅に持参ししたが、世はまさにあの時代を彷彿とさせる。







2026-08-29

旅の最後、ベルリンでの様子と無事に帰国出来たことの喜びを、西大寺の家で打つ五十鈴川だより。

 良く寝てすっきりと起きた。丸4日働いて、ようやく普段の生活にもどりつつある。昨日打った続き、という感じで、旅の最後、ヒースローからベルリン、ベルリンからカタールドバイ、ドバイから成田、成田から稲城のマンションにたどり着くまでを、記録として綴っておきたい。

22日朝の散歩、パンを買いにゆく

21日、午後七時半の便でベルリンに着いたのが、(時差が一時間ある)10半、入国審査を終え外に出たら11時半、雨は降っていないものの路面が濡れている。ロンドンに着いたのも真夜中、ベルリンに着いたのも真夜中、だが今回は一人である。

外は真っ暗、荷物を抱え、スーツケースを引きずり、タクシー乗り場に急ぐ。幸いすぐにタクシー乗り場はみつかった。ドイツ語がまるで出来ないので不安である。娘から送られている宿の住所をドライバーに示す。中年のドライバーはすぐに、判ったといって走り出す。一安心、娘にタクシーに乗った、と伝えたつもりが送信していなかった。ドジである。

約20数分で宿の住所に着いて支払いをカードで(38ユーロだから6000円位)で済ませ家に入ると真っ暗、何とか着いたと知らせる。娘は空港からの知らせと勘違い。エントランスの暗いなかで10分ほど待つ。この間の長さは同じ時間とは思えない。ながーく感じた。スマホの明かりが染みた。時計は午前0時を回った。何と部屋の前でずっと待っていたのである。

結果、娘の機転で真夜中、娘と再会出来た時の安堵感は言葉にならない。娘のみ起きて私の到着を待っていて、レイさん、子供たちは寝入っている。娘がお父さんはここに寝てと示された部屋は、天井高く、大きなベッドががあった。疲れがどっと出て私はすぐに横になった。


翌日、朝8時前、ノアとミアが私の部屋に乱入してきた。起きてカーテンを開けると、目の前は何と大きな川、昨夜の真夜中の景色とは一変していた。レイさんはもちろん、娘も起きていて、朝のお散歩がてらパンを買いにゆく。散歩から戻って、全員で朝食を済ませ、全員お風呂にはいる。午前11時、荷物のパッキングを終え、車に積みこみチェックアウトする。空港に行くにはまだ時間があったので、娘が買いものをしている間、私とレイさん子供たちは、川に面した小さい公園で帰国前の一時をすごした。午後2時レイさんの運転でベルリンの空港へ。レンタカーを空港で返し、帰国の途についた。ここからは簡略に記す。入国審査を無事に終え、カタール航空の機内の人となる。私とノア(真ん中の席が空いていて、ラッキー)、後ろにレイさん、娘、ミア、飛行機の後部席でトイレが近くたすかった。カタール航空、もちろん初めて乗ったが、サービスがのんびりしていて、私は好印象を持った。楽しみの食事も全て美味しく、完食した。約五時間半のフライトでドーハに着いた。約四時間ストップオーバーの時間があった。行きのフライトで、このドーハの空港の斬新さには瞠目していた。一言で言えば、オアシスのような空港であった。世界中の人びとが乗り降りする中継地としての機能を余すところなく備えている。何よりも驚いたのは横になって仮眠ができるスペースが、キャンプ場のように設けられている。そこには本物の樹木が植えられていて水が流れているのである。もちろん我々もそこでしばし横になったのだが、後10分起きるのが遅かったら、危うく乗り遅れ、帰国出来なかったかもしれない。出発ゲートは反対側、何しろドーハの空港はビックリするほど広いのである。テキパキとした空港職員の誘導で事なきを得たが、あの時の間に合った嬉しさ、を五十鈴川だよりに打っておく。ドーハから成田に無事に着いたのは、日本時間23日午後七時半であった。出国審査を終え、手荷物を受け取り、荷物を抱え、ごった返す成田で京成線で日暮里に出る。時計は午後9時回っている。そこからはタクシーにした。親切なたタクシードライバーが大人三人、子供二人、手荷物全てを車に積んでくれた。日曜日の都内、首都高は空いていて10時過ぎに、全員無事に稲城のマンションにたどり着いた。全員すぐにお風呂にはいり、娘が近くのコンビニで求めてきた夜食(蕎麦やうどんなど)を手早く済ませ、早々に、時差なんのその、無理やりノアのベッドの下に体を伸ばした。翌日8時近く娘に起こされる。朝食を済ませ、改めて無事の帰国を喜びあった。朝食を終え、あわただしかったが、日本のいきなりの暑さの中、スーツケースを引きずり、私は岡山に向かった。ノアが稲城の駅まで見送ってくてた。40年ぶりの、2週間に及ぶ夏休み、74歳の我体は無事に乗りこえてくれた。その有り難さ嬉しさは、格別である。共に旅出来たこと、わけてもレイさんのあらゆるアレンジに何度も感心した。その事を最後に打っておく。PS 上の写真、前は娘とノア、後方はレイさんとミア。下の写真はレイさんとノアとミアの三人が鴨にパンくずを与えている。部屋の窓からの一枚。