今日は最後のフライヤー配布に出掛ける。その前に頭が新鮮なうちに、ちょっと五十鈴川だよりを打つ。
今日は敬老の日だそうだが、私にはいまだピンとこない言葉である。確かに年齢的にも、外見的にも十分に老人ではある。しかし、普通に生活して歳を重ねてきただけで、うやまれるようなことは何ひとつしてきたことがないので、面映ゆい。ただお休みがもらえるのは正直嬉しい。嬉しいのは、フルタイムは無理だが、いまだ現役で働いているからだろう。これが毎日が日曜日なら、嬉しいという気持ちも半減するに違いない。
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遺言の書である |
話は変わるが、今年1月、67歳で亡くなられた森永卓郎さんの本(官僚生態図鑑)という本を読んだ。随所に怒りがわいてきた。詳細は割愛する。
テレビでお顔は拝見していたが、本を読んだことはなかった。昨年秋に上梓され、すい臓がん末期の治療中に書かれている。森永さんが40年にわたって官僚と共に働く中で見つめ続けてきた、官僚の生態があけすけに綴られている。
(事実であればこのような、エリート偏差値を世間知らずバカが、国を司るポストでのうのうと、血税を貪っているかと思うと、暗然暗澹、この国が没落するはずである)
読んでみて、余りにも庶民とのずれ、感覚のずれに言葉をうしなった。とくに天下り他の、既得権益に巧妙、狡猾にしがみつき、甘い汁を吸い続ける財務省官僚の生態はおぞましいのイチゴ一語に尽きる。一般国民との感覚のズレに呆れかえって、いかんともしがたい感情を抑えられず読み終えた。(大多数の他のこの国のエリート官僚はしっかりと仕事をしていると信じたい)
森永さんの官僚への遺言のような本である。この国の行く末を想うとき、森永さんはいてもたってもいられないような、お気持ちで病と格闘しながら、書かずにはいられなかったのだろう。その真摯さがつたわってきた。だから五十鈴川だよりを打っている。
この国の行く末、少子化をはじめとする、余りの多岐にわたる問題山積、閉塞感、どん詰まり感、を何とかするべく、官僚への愛と憎しみ、叱咤激励の書である。以前の私だったら、手にしなかったような本を、意識的に読むようになってきた。昨日も打ったが、老成ということについて、敬老の日の今日、じっくりと物思いに耽るのも一興である。
森永さんは私よりも五歳年下である。命は何時なんどき奪われるか、死が訪れるのか未知である。何かで読んで記憶に残っているのだが、中島敦という若くして亡くなった作家の言葉、やることがいっぱいある人の人生は短く、やることがない時間を生きる人の人生は長いと。
18歳で世の中にでて、あっという間にこの年齢を迎えている。そのような感慨が私にはある。一方、あっという間ではあったが、ずいぶんいろんな事を、じたばたやってきたのだと、そしてよくぞやれたものだとの感慨にもおそわれる。
誰かがいっていた、いつ何時召されようが、それがその人の運命、寿命であると。ただ長生きすればいいとの側には、私はたちたくはない。これは幻想的願望に近いが、可能ならギリギリまで動く心身を、と敬老の日の朝に想うのである。