午前中町内の溝掃除がある。時間まで打つ。昨日、普段は入らない書斎の本の整理、処分(手紙、写真、チラシポスター、アンケートなども)をお昼まで、書斎にとじ込もって進めた。この整理処分は、意を決して今年から始めたのだが、なかなか捗らないのだが、それでもかなり進んでいる。
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| 10ページ綴られている。 |
自分でも部屋に入る気がしないほど、放置されていた部屋である。思いきれたのかは、いまやらなければ出来なくなるからである。思いでは心に遺し、忘れるものは忘れ、そうでもしないと、想い出に耽る自分でも嫌な老人になる。過去とは思い切って決別(そうはとんやがおろせないのだが)する。ギリギリまで身軽になりたいのである。
まあ、そのような気持ちなのだが、これまでの歩みの整理処分は、その年代、その年代の取り組み、試行錯誤の上に現在の自分が在るのだということを、あらためて思い知らされる。
ガラスの扉のある本棚から1997年、1月20日(月曜)から30日(木曜)まで10日間、東インドのカルカッタ(今のコルカタ)から西インドのアメダバードを旅した、旅日記が出てきた。
もし、整理処分をしなかったら、書棚の奥で眠り続けていたであろうこの旅日記を、再び手にすることはなかったかも知れない。そのようなことを思うとき、あらためて思い切って処分を始めて良かったと、心からいま思っている。そして書いておいてよかった、と。
この始めてのインドへの旅、カルカッタまで、今も交友が持続している瀬政さんが同行している。瀬政さんとはカルカッタで別れ(先に氏は帰国した)私は、ガンジス川、聖地ベナレスまで汽車で一晩かけて行き詣で、そこから飛行機でアメダバードに向かった、のである。
45歳、29年前の旅行記録である。やはり書いておいてよかったと、今更ながら思う。単なる自己満足であれ、自分自身が一番一番嬉しい。45歳の時の見聞、感動が新鮮に綴られている。今日瀬政さんに、この旅行記を見つけたことを、知らせようとおもう。
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| 妻丹精の薔薇🌹(8種類が春を彩る) |
話は変わる。昨日、明日から3泊4日桑江良健夫妻を訪ねる旅に行くことは触れた。一月末、長崎でのチョンダラー、お二人の最後の人形劇公演の裏方で参加して以来の再会である。おおよそ4ヶ月ぶりの再会となる。その際の出来事の感動は五十鈴川だよりに縷々綴っている。
綴り打った五十鈴川だよりは、打ち始めて、初めて200以上のかたが五十鈴川だよりを読んでくださった。如何に桑江良健、純子さんのファンが全国におられるかということを私に知らしめた。
また、桑江さんご夫妻の熱烈なファンであられるGさんご夫妻とも長崎でお会いし、Gさんが長周新聞沖縄支局で働いておられるご縁で、長周新聞を購読している、のだ。
そんなこんな、わずか4日の旅なれど、インドへの旅のように、五十鈴川だよりで桑江良健夫妻を訪ねる旅を綴り打ちたいと願う、老人の私がいる。老いてみて初めて覚る下り坂、の喜び。交友歴30年の結びの縁、旅日記が打てれば、との思いがいちだんど湧くのは、インドへの旅行記のせいである。
徒然なるままに、その日暮らし的五十鈴川老人日記に変貌流れてゆきたいのである。そして後は野となれ、山となれ、灰になって五十鈴川から日向灘へと流れ、宇宙に帰依したい、私である。











