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2026-10-17

太田昌国先生の本を、早朝と夕刻、ちびりちびり読み進む、そして想う秋真っ盛り、朝の五十鈴川だより。

 18歳から、いわゆる知的労働とは無縁の、どちらかと言えば肉体労働に従事してきた私は、お休みの日の朝、特に午前中は意味もなく嬉しい。木曜日から来週水曜日まで、妻が娘たちのところに上京しているので、猫の花との生活である。娘たちが家庭を持ち、とくに両家庭に孫が生まれてからは、犬のメルがいたので二人での上京は叶わなかった。

メルの遺影、夜妻は蝋燭を灯す

9月20日メルが召され、妻としては久しぶりの上京である。妻のことを五十鈴川だよりに打つことを、妻は嫌がる。

だからほとんど妻のこと、とくにメルが5月体調をくずしてから召されるまでの、私がそばにいて感じたことを打つことは控える。が、一行どうしても打っておきたいのは、メルに対しての、その愛情の深さである。一言、私は感動した。

共に暮らして40年、メルの最後を二人で見送る事が出来て、本当に良かったと想っている。妻は私の不在の間(夏休みの旅もウカマウフィルム作品を見るための上京も許してくれた)もメルの介護に献身した。共に暮らした生き物を看とる崇高さを私は目撃した。

猫の花も相当に老いているが、今も元気である。メルほどには手がかからない。だから、そんなに長い旅でなければ、これから二人での旅を、生活の範囲でやりたいと私は考えている。が、妻は動き回るのが好きではないので、どうなるかは彼女次第にゆだねたい。別行動をしてはいても、どこか信頼感で繋がっている。それが私には自然である。

夜、いつも側にいる花

さて、話を変える。あくまでも生活をしながら、この秋、まさに読書をして過ごす時間が増えている。7月4日、ウカマウフィルム作品に初めて接して、50年以上ウカマウフィルム作品に伴走して来られた、太田昌国先生と面識をえたことで、30年以上前に書かれた先生の本をちびりちびり読んでいる。先生の本はあだやおろそかに読める類いの本ではない。

この年齢で、あらためての無知を知らされ、どこか愕然とする自分がいる。高齢ではあれ、愕然とする自分にすがり、ちびりちびり読み進む。私の貧しい知的な胆力では、時に読み進むのが険しさがを増すのだが、先生の文章は私を撃つ。

(知らない名前の政治家、文学者、人類学者、宗教家、そして中南米の未知の邦の地名が随分出てくる)自分のあまりの無知にどこかたじろぐ、このような視点での論考を今まで読んでいなかった、こなかった自分が時に恥ずかしくなる。(先生の論考は際立って鋭い、安全な居場所で高所から発言する識者には容赦がない、ストイックなまでに自分にも厳しい)ノンポリの私を撃つ。

が、高齢遅まきではあるが、先生の文章に引き込まれる自分がいる、のが救いである。その感情は何処から湧いてくるのかは謎にしておく。視座を変えれば、かくも世界は相貌を変えるのである。長くなるので控えるが、先住民アイヌの歴史、北米インディアンの歴史、中南米の歴史、パレスチナの作家、ガッサン、カナファニーのこと、などなど、眼からうろこの論考に驚かされる。学ばねばと想う。企画をすることは未知の世界に謙虚に耳を傾ける勇気を養い、現在の自分の総体を問い直すことである。



2026-10-14

ウカマウフィルムフィルム作品に出会えたことで、未知の世界の蒙が拓かれる今朝の五十鈴川だより。

 昨日は、午前中働き、午後ちょっと家庭の事情があり、午後3時から5時まで再び労働した。もう行くのをよそうとも思ったのだが、私の足はバイト先に向かった。午前中やり残した所のつづきの片をつけた。相棒に任せてあまり乗らない大型の草刈り機で広い敷地を刈る。人っ気のない中で、一人機械を動かし予定の面積を刈り終えた。日の入りがずいぶん早くなり、日本人としての私の情緒を、揺れるすすきがくすぐる。


基本普段、午後9時過ぎには床につき、朝4時か5時には起きる私の高齢者生活、日が暮れるととたんに、体もおやすみモードになり、思考力も働かなくなる。が、ぐっすり眠ると、不思議なほどに疲労回復、五十鈴川だよりを意味もなく打ちたくなる。いまやひとつのリズムを刻む健康法と化している。

話は変わるが、私は宮崎の日向の高校を卒業し上京、大学で学んでいないせいかも知れないが、健全な知的コンプレックスのようなものが、未だ私のなかに根強くあるのを否定しない。

おそらくそのトラウマ的な心性が、無意識に今も私を何かに駆り立てる原動力になっているのかも知れない。誤解されても構わないが、この年齢になって大学に行かなかったことが、私の場合よかったのではないかと、最近とみに考える。

学歴が無かったことで、特に世の中にでての数年間、ずいぶん悔しいおもいをしたことがあるのも、今となっては塞翁が馬である。世の中、世間に鍛えられ、何とかいまも生きている。元気なうちに思い出のあれこれを書いておきたいという気持ちもあるけれど、いまはまだ企画したいこともあり、振り返るのは今しばらく先送りしたい、気持ちのほうが強いわたしである。

話が変わるが、来年ウカマウフィルムを自主上映する場所として禁酒会館の予約が出来た。その事の安堵を先ずは五十鈴川だよりに打っておく。40歳から自己満足企画をはじめて、(途中10年は企画していない)70歳から再び企画を再開しているわたしである。

我が家のスダチ

おそらく、ウカマウフィルム作品でなければ、自分でもこれほどの情熱は湧いてこないであろう。厚顔無恥、手前味噌を承知で打つが、7月4日ウカマウフィルム作品を観てからというもの、老いの身に新たなエネルギーが注入されたかのような日々を送っている。

これまで手にしなかった本を、この3ヶ月以上、炎暑の夏も今も、ちびりちびり読む生活を持続している。疲れると、気分転換にウカマウフィルムの存在を知らしめた長周新聞を切り抜く。人工AIデジタルライフとは真逆の生活(絶対矛盾を抱えながら)である。正直、後期高齢者直前、このような知的刺激を受けるフィルムに出会うことになろうとは想いもしなかった。

くどくどながなが綴ることは控えるが、ウカマウフィルム作品は、私の老いの細道の足元を照らす、哲学的希望を示唆する、といっても過言ではない。秋が来て、岡山の県立図書館にゆくようになった。太田昌国先生の本をちびりちびり読みつつ、未知のラテンアメリカに関する本も、限られた時間にちびりちびり読みたい、わたしである。


2026-10-12

天高く、秋晴れのなか猪風来美術館の野焼き祭りにスタッフとして参加、翌日記録を打つ五十鈴川だより。

 昨日は猪風来美術館の秋の野焼き祭りに、終日スタッフとして参加してきた。その細々、一部始終を綴り打つには、今朝の私は限りなく疲れている。やがては高齢者細々、五十鈴川だよりになるであろう。が今は、疲れてはいても、いちぎょうでも五十鈴川だより記録として打っておきたい、わがまま老人の私がいる。

天地に咲く焔

前回、我が相棒と雨の中での草刈りをやった際に、行く手を阻んであまりある蔓の強靭極まるしたたかさに、ある種の恐れを抱いた私は、密かにわずかではあれ、次回の草刈りがいくばくかでもスムーズにできるように、根は採れないににしても、蔓を取るべく、ギザギザの付いた小さな鎌と、手のこぎり、剪定バサミを持参した。

着いたのが8時15分、すでに野焼き場、のろには火が入っていた。私はスタッフ、野焼きが終わり、片付け、撤収まで時間があるので、午前中休み休み、急斜面の蔓とりに勤しんだ。さいわい急斜面にはだれもいないので、ひとりでトレーニングをするような案配で手強い根と格闘した。老人と海ではなく、老人と斜面の蔓である。

バイト先でも何回かフェンスを覆う蔓と格闘した経験があったのがさいわいした。きっと縄文人は生活の中で蔓を重宝し、編んで石を運んだり、あらゆる用途に想像力をフルに発揮していたに違いない。私のような紋切り型現代人には及びもつかないようなやりかたで。

正味二時間程度で作業を終えたが、思った以上に作業が捗り、お腹がすいてのお昼のカレーが本当に美味しかった。法曽焼き同好会の会長kさんが冷えたノンアルコールビールをそっともってきてくださった。その美味しかったこと、快晴の秋晴れの下で、飲むその旨さは、心使いとともに染みた。

午後1時には野焼き作品が焼き上がり、作品を取り出し、何名かの作品が表彰され、最後は参加者の縄文ダンスで野焼き祭りは滞りなく終えた。私はスタッフとして見届け、すぐに会場の片付け撤収に動いた。猪風来美術館を21年間スタッフとして支えてきた法曽焼き同好会の会長他、その場に居合わせた、参加者も含め、皆さんが黙々と動いた。テントを丸め、テントの骨組みをばらして縛る。椅子や机を倉庫にしまう。皆の動きが素晴らしい。

生まれでた縄文スピリット作品

一丸となって動いたので、予定よりずっと早く片付いた。午後3時前、忙しくしていた猪風来さんとよし子さんに、挨拶だけはして(よし子さんがお弁当やお菓子、ブドウをくださった)猪風来美術館を後にし、家には5時前に着いた。妻はまだ仕事から戻っていなかったので、簡単に二人分のパスタを作っていると妻が戻ってきた。お風呂を済ませ二人で夕飯、午後8時夕飯を済ませると、瞬く間に睡魔がやってくる。

ところで猪風来さんは私より年上、来年80歳を迎える。北海道時代、新見の法曽での今回も含め、50年で300回以上の縄文野焼きを継続している。縄文造形世界に神秘的なまでに魅いられている稀人である。手ほどき、教えた人はのべ4000にも及ぶという。

野焼きのクライマックス、炎が十数メートル吹き上がる。猪風来さんの雄叫びが天地に木霊する。そっと見守るよし子さん。スタッフとしてお声がかかる。光栄である。一年でも長くスタッフとして参加したい、私がいる。


2026-10-10

昨日、太田昌国先生から2通のお葉書を頂き、長周新聞に寄稿された、学園坂スタジオ主宰、Tさんの記事を読んで想う、今朝の五十鈴川だより。

 昨日午後、瀬政さんと二人でウカマウフィルム作品自主上映のための、禁酒会館の使用申請に行った。指定用紙に使用日の諸々を二人で書き、確認し、担当のかたは不在であったが所定の場所に置いてきた。申請日は12月8日の午後(機材持ち込み事前に試写をする)と来年の、3月13日、5月8日、7月3、9月4日、11月6日いずれも土曜日午後である。全ての日にち、予約が叶う事を祈るのみである。

Tさんの長周新聞の記事

瀬政さんに、岡山駅まで送ってもらい、家に帰ると、何と太田昌国先生から封書に2通のお葉書と、2027年の上映フライアーが入っていた。また、東京小平の学園坂スタジオで、ウカマウフィルムの全作品を隔月でしている主宰者であるTさんが10月7日に寄稿した、読みごたえのある記事が掲載された長周新聞も届いていて、嬉しい二重の喜びが重なった。

学園坂スタジオを主宰するTさんとは、7月、9月連続2回学園坂スタジオでの上映会で面識を得、ショートメールをやり取りする関係性になっていて、近々長周新聞に記事が掲載されるのを知らされていたので楽しみにしていたのである。一読、このような記事を書けるほどの内実があればこそ、自分のスタジオで、ウカマウフィルム全作品が隔月で上映できるのだと得心した。

有志による岡山での上映会にも全面的にバックアップしてくださっている、のが心強い。相棒瀬政さんとも話し合い、小さいスペースで、学園坂スタジオで上映しているように隔月で岡山でも全作品の上映会を、何とか実現したいのである。沖縄のGさんとの出会いで長周を購読することがなければ、ウカマウフィルム作品をみることは遠退いていた(無かったかも)かも知れない。


そのような偶然性も、都合よく必然的に考えたいと思う、高齢厚顔なわたしである。Tさんのご年齢は存じあげないが、おそらく私よりはずっとお若いと思う。そのような方と世代を越えての連帯、関係性を深められるのは、企画した、行動したものにのみあじわえる果福である。

だが、まだ施設使用申請を終えたばかりである。施設受理の知らせがないと決定した事にはならない。全てはそれからである。が、いずれにせよ、私のなかでは(おそらく瀬政さんも)肝は決まっている。

学園坂スタジオのTさんとの連帯感、信頼感の深まりは、ちょっと言葉にはならない。一滴の輪の(和の)拡がりは、フィルムを上映することでしかない、と考える。

私自身がウカマウフィルム作品をみることを通じて、ちびりちびり、謙虚に学んでゆきたい。よき高齢、晩年時間を仲間と共に過ごしたい。。



2026-10-07

太田昌国先生、1991年刊行の本[鏡のなかの帝国]を、ちびりちびり読み進めつつ想う、今朝の五十鈴川だより。

 水曜日、今年から労働はお休みにした事で、後れ馳せながら、あらためての無知を知らされ、学ぶ読書時間が増えている。一口に学ぶといっても多岐にわたる。経験し、体で学ぶ。例えば先日も打ったが、雨の中で急斜面の草刈りをする、何てのも、私にとっては、実践的な学びと認識している。両方、私には必須である。

雨の中でも働いている方などを、たまさか眼にしたときなど、我が身の想像力が及ぶのは、自分もやった経験がいささかあるからだろう。厚顔に打つが、古稀を過ぎての労働はさておき、知的渇望、本を読み学ぶ悦楽は一段と深まっている気がする。(のろのろ亀のように読む)

狭い範囲の本しか読んでこなかったという反省、気付きが最近とみにしている。読書世界の水先案内人としての先生は、松岡正剛先生である。これはという本は再読する効用を先生は説いている。同じ本を年齢を重ね再び手にすると、以前読んだときには、全く心が動かされなかったとところが、染み入って来る。あたかも脳内ニューロンのシナプスが、老いつつも活性化し、幸せホルモン、セロトニンが分泌される気がする。

下記に記します。

話は変わるが、ウカマウフィルム作品を見たことで、以前だったら手にして、まずは読まなかったであろうと思う、太田昌国先生の本、1991年に出版された[鏡のなかの帝国]を労働の前にちびりちびり読み進めている。草取りするような案配でのバイト先の倉庫での読書である。

今やこの倉庫は私の方丈の庵と化している。家で読む本と倉庫で読む本はことなる。これまで私は、勝手に政治的に思えるような分野の本(先生の本は全く政治的ではない)はほとんどといっていいくらい手にしてこなかった。痛く反省する。

ウカマウフィルム作品に出会ったことで、必然的に先生の本を読みたくなったのである。(今半分ほど読んだところだが、今さらに蒙が拓かれている)手にして良かったというおもいが五十鈴川だよりを打たせる。

私は政治にはアレルギーがある。(世の中に出てから、今もめするこの国の政治家の顔はなんとも魅力に欠けるのだ、多くを語りたくないほどに)。40歳、都会暮らしに決別し、岡山での第2の新しい生活のなかで、気がつくと、主にアフリカ、アジア、エリアの音楽を企画することで、ちびりちびり学んできた、と思える。

先生の本、ページをめくるごとに、自然な人柄がにじみでる真摯な文章に、学ぶことの大切さを深く教えられる。先生は若い頃から埴谷雄高著、[幻視のなかの政治]などを読破しているのだから、恐れいる。世代、生まれは異なるが、出会ったのである。難解な本も読もうと思う。怖れる必要はない。自分が変われば、出会うべき人や本に出会える。そんな風に最近思える。

いずれにせよ、ウカマウフィルム作品を通じて、太田昌国先生と出会えたことで、ラテンアメリカ世界の本を読みたくなったことは確かである。著者の声が、聞こえて来るかのような本、先生推薦の本を読みたい。(時間は有限なのだ)企画をすることは、私の場合学ぶ事と同義である。だが、肩に力のはいった読書は私には出来ない。草刈りと同じように駆り立てる、苦楽の喜び読書である。

PS 太田昌国先生の思考の軌跡が辿れるご本である。岡山で、ウカマウフィルム作品を製作順に、東京小平の学園坂スタジオと同じように自主上映しながら、先生のご本もまた、順次、ちびりちびり読みたい、と考えている。



2026-10-04

猪風来美術館の周りの裏、急斜面の草刈りを相棒kさんと共にやる、そして想う。

 朝7時前、相棒kさんが私を迎えに我が家にやって来る。荷物を積み込み新見の猪風来美術館に向かう。2号線から岡山空港への道を走り9時前に着いた。幸い雨は降っていない。

即挨拶もそこここに、草刈り開始。物凄い蔓と笹が急斜面を覆い尽くしていて、行く手を阻む。それでも、斜面に踏ん張って、捗らないなか、刈り続ける。45分もやったら痩せたからだから、じんわり汗が吹き出してきて、休憩し肌着を取り替え、休憩をちょっとして第2ラウンドに突入する。よし子さんが優しく、お茶お茶と気遣ってくれる。嬉しい。

2ラウンドの終わりくらいからかなりの雨が降ってきたが、相棒も私もひたすら草刈り機を動かす。燃料がきれた。もう30分二人でやればほぼ目処がたつ。即決断、カッパを着て燃料を入れ、3ラウンドに突入する。結果、11時15分頃、ほぼ(きれいには刈れなかった)斜面を終えることができた。

下記に記します

濡れた衣服を全て着かえ、さっぱりして、お昼(よし子さんがお弁当を用意してくれていた)を頂き、少し猪風来さんらと語らい、相棒と美術館をあとにした。相棒と高梁でざるそばをいただき、相棒の運転で、西大寺の我が家に着いた。

家に戻って、再びリラックス、部屋着に着かえ、寸暇五十鈴川だよりを打っている。kさん、我が相棒との二人での、あの後半の雨の中での草刈り、体験したもののみの共有時間の一部始終の、一部を、五十鈴川だよりに刻まずにはいられない私なのである。臆面もなく打つ。あの急斜面の足場の確保が難しい中、よくぞ今回も雨の中刈れたことの嬉しさは、例えようもない。

相棒あっての快挙なのである。決して私ひとりでは無理である。二人とも古稀を過ぎている老人である。普通の今時の感覚では、無謀なのかもしれないが、ある程度の自己満足的な草刈りができたことの、老人の達成感、喜びは半端ではない。まだ三回しかあの斜面の草刈りをしていないのだが、私は一回でも長く、あの急斜面を刈り続けたいと、今思っている。

私の現在を活性化させる、猪風来美術館の縄文の力を私がどこまで理解しているのか、いないのかは私には皆目わからないが、あの急斜面の草刈り位のお役には立てる、その底意地がおそらく私を刈り立てるのである。土器は創れずともである。相棒との草刈りは、文句なしに愉しい。だからこそできる。

平坦な場所と、斜面の草刈りとでは、はまるで体にかかる負荷は異なる。引力、重力との限りない格闘が草刈りの間続く。これは老人の私を限りなく、鍛えるのである。突然考える。この程度で顎が上がるようでは、ウカマウフィルム作品の自主上映はやれない。

PS 午前中、猪風来美術館の斜面の草刈りを相棒とやれ、正直くたくたですが、五十鈴川だよりを打つ、74歳のあまのじゃくの私がいる。このようなときは打ち終えて、ハイボールをのみ、読んでもちんぷんかんぷんの本が読みたくなる。今夜は松岡正剛先生と津田一郎先生の本を読もうと思う。読んですぐに分かる本(だが実践するのは至難)と哲学書、難解な本を交互に読み、老いゆく現在を過ごすのが、一人時間の老いの悦楽なのです。

2026-10-03

読書する秋、老いの悦楽時間を生きる、そして想う五十鈴川だより。

 今週も無事に4日、午前中だけだが労働をしゆっくりと五十鈴川だよりを打つ(打てる)、私にとってのささやかなお楽しみの土曜日の朝がやってきた。似たようなこと、日々の雑録的な、だが私にとっては、大事なことを、まあ飽きもせず綴り打っている。

61歳から始めた五十鈴川だより。もう丸14年以上打っている。単なる自己満足的な、老人よれよれ日録になりつつあるのを、どこかで自覚しつつも、労働ができる間は続けたく思うわがままな私がいる。

何度か打っているとおり古稀以後の炎暑は、私の労働意欲を削いであまりあるが、途中の夏休みをいれ何とかすれすれのところで踏ん張り、大好きな秋を迎え、午前中涼やかな秋空の元での労働は、例えようもなく気持ちがいい。この喜びはやっている、つまり私だけが知る喜びである。それもこれも、体が動くから為せることである。命の物種、森羅万象への感謝は歳を重ねるごとにふかまる。

さて、いつものように話題を変える。本を手にするには最適な季節の到来である。私は全てにおいて、気付きが遅く、自分でも晩熟型であるとの認識を持つ。私が本格的に本を手離せなくなったのは、お恥ずかしくも40歳で岡山に移住、中世夢が原で働き始めてからである。

下記に記します。

西大寺から新倉敷までの往復電車での時間は、私を決定的に本好きに変えてしまった、と今想える。いまもそうだが、私は遅読である。がすう十年の継続で脳内のシナプスがずいぶん反応するようになったのか、 老いつつも、本にもよるが速くなってきている。(錯覚かも知れない)

ますますもって、本好きになってきているのは間違いない。本は次の本を生む。読めば読むほどの無知蒙昧を結果知らされる。老いつつも次々に手にしたい本が現れる。だから私はありがたくも退屈しない。前回日本語の未来について、危惧されている識者の本をアップしたが、拙い私ごときが、五十鈴川だよりを打ち続けられるのは、幾ばくかの身に付いた日本語のお蔭である。

テレビが普及、我が家にテレビがやって来たのは10歳、小学3年生の時である。以来64年、世はますます映像優位時代、本を手離せないような人間は、今や絶滅危惧種といっても過言ではない。映像洪水の中、思考力を養う日本語読書離れは由々しい事態を招くのでは(すでに招いている)ないかと、私ごときでも案じてしまう。

日本の未来を担う、日本の子供たちには(孫たちには)、最低限の日本語の、先人たちが紡いできた、言葉の素晴らしさ、豊かさを伝えねばと、お爺の私は危惧するのである。絶滅の危機にあるのは動植物ばかりではない。私を含めた、日本語力低下の、同世代のあまりの危機感の無さは、時に私を呆然とさせる。(自国の文化を尊重できなくして、他国の文化を尊重できないのは当たり前である。)

日本語で思考する力を日々養うためにも、先人たちの紡いだ鍛え込まれた日本語に触れ、己の日本語を磨ぐ訓練を積まねば、と今更ながらに学びたい私である。(気づきに年齢は関係ない)

PS 最後の碩学、漢字の成り立ちを生涯かけて解明した大家、白川静先生に私淑された方の本、読みやすいのでどなたでも読める。素晴らしい。このような学者が居られたことが日本人として誇らしい。松岡正剛さん(と呼ばせていただく)にも白川静先生について書かれた本がある。