昨日は、午前中働き、午後ちょっと家庭の事情があり、午後3時から5時まで再び労働した。もう行くのをよそうとも思ったのだが、私の足はバイト先に向かった。午前中やり残した所のつづきの片をつけた。相棒に任せてあまり乗らない大型の草刈り機で広い敷地を刈る。人っ気のない中で、一人機械を動かし予定の面積を刈り終えた。日の入りがずいぶん早くなり、日本人としての私の情緒を、揺れるすすきがくすぐる。
基本普段、午後9時過ぎには床につき、朝4時か5時には起きる私の高齢者生活、日が暮れるととたんに、体もおやすみモードになり、思考力も働かなくなる。が、ぐっすり眠ると、不思議なほどに疲労回復、五十鈴川だよりを意味もなく打ちたくなる。いまやひとつのリズムを刻む健康法と化している。
話は変わるが、私は宮崎の日向の高校を卒業し上京、大学で学んでいないせいかも知れないが、健全な知的コンプレックスのようなものが、未だ私のなかに根強くあるのを否定しない。
おそらくそのトラウマ的な心性が、無意識に今も私を何かに駆り立てる原動力になっているのかも知れない。誤解されても構わないが、この年齢になって大学に行かなかったことが、私の場合よかったのではないかと、最近とみに考える。
学歴が無かったことで、特に世の中にでての数年間、ずいぶん悔しいおもいをしたことがあるのも、今となっては塞翁が馬である。世の中、世間に鍛えられ、何とかいまも生きている。元気なうちに思い出のあれこれを書いておきたいという気持ちもあるけれど、いまはまだ企画したいこともあり、振り返るのは今しばらく先送りしたい、気持ちのほうが強いわたしである。
話が変わるが、来年ウカマウフィルムを自主上映する場所として禁酒会館の予約が出来た。その事の安堵を先ずは五十鈴川だよりに打っておく。40歳から自己満足企画をはじめて、(途中10年は企画していない)70歳から再び企画を再開しているわたしである。
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| 我が家のスダチ |
おそらく、ウカマウフィルム作品でなければ、自分でもこれほどの情熱は湧いてこないであろう。厚顔無恥、手前味噌を承知で打つが、7月4日ウカマウフィルム作品を観てからというもの、老いの身に新たなエネルギーが注入されたかのような日々を送っている。
これまで手にしなかった本を、この3ヶ月以上、炎暑の夏も今も、ちびりちびり読む生活を持続している。疲れると、気分転換にウカマウフィルムの存在を知らしめた長周新聞を切り抜く。人工AIデジタルライフとは真逆の生活(絶対矛盾を抱えながら)である。正直、後期高齢者直前、このような知的刺激を受けるフィルムに出会うことになろうとは想いもしなかった。
くどくどながなが綴ることは控えるが、ウカマウフィルム作品は、私の老いの細道の足元を照らす、哲学的希望を示唆する、といっても過言ではない。秋が来て、岡山の県立図書館にゆくようになった。太田昌国先生の本をちびりちびり読みつつ、未知のラテンアメリカに関する本も、限られた時間にちびりちびり読みたい、わたしである。










