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2026-04-15

富良野塾時代に苦楽を共にした、スタッフM氏から忽然と届いた一枚の写真に思う、今朝の五十鈴川だより。

 先日上京した際に、なんと私のラインに突然富良野塾時代のスタッフ、年月的には同期であるM氏から、メールと二人で映っている一枚の写真が送られてきた。まだ私が塾に入って一年後あたりだとおもう。32歳、雪景色の一枚である。42年前の写真、インターネット以前、青春期の写真が極めて少ない私には、貴重な写真である。今日の五十鈴川だよりのなかで、M氏には心からの感謝をお伝えする。

この年齢になると、つくづく若気のいたり、(だからこそ出来たとも言える)苦楽を、あの富良野塾での最初の数年間を共に生活した面々は、理屈抜きで貴重である。よしんば、波長、波動、相性が遠い面々であれ、あの記憶のままなので、皆若い。M氏のメールが届かなかったら、私のなかでの、貴重極まる最後の青春期の思い出の宝として封印していたかもしれない。

花は散り.旧(ふるき)仲間の.声届く

だが、インターネットは運命さえ変えてしまう。一枚の写真は一気にあの時代へとワープさせる。M氏はスタッフだったので塾生とはちょっとスタンスが違っていたし、何よりも田舎育ちの私とは異なり、生粋の東京育ちで、年齢も私が最年長だったので、すべてにおいて異なるところが、お互いを結び付けたのかもしれない。よく酒を飲んで語り合ったものである。

打っていると、あの富良野の大地の風景が忽然と甦る。あの青春の終わりの富良野のでのすべての体験が、その後の我が人生大きく変えたことは間違いない。五十鈴川だよりはブログなので、簡略に記しておくが、卒塾してから、今もだが体を使って働く世界に大きくシフトした。

世の中の流れから逸脱し敢えて逆行、人生の後半は下ってゆきながら思考する。アウトドアで生きる道を選んだことで、現在まで歩を進めて来れたのだと思える。体が喜ぶ事に従事し、お金に振り回されない生活を心がける。その思いが叶った。40歳で中世夢が原で働く事になる。

アウトドア仕事の傍ら、時折企画の仕事をする。だれに教わったわけでもない、自然に企画が産まれた。18歳からの、都会生活での溜まりにたまったエネルギーが(東京生活、 又ロンドン遊学生活でのあらゆるジャンルでの感動体験が)中世夢が原で無駄なくいかされた、と思う。

話を戻す。もうお念仏のように唱える五十鈴川だよりになってきているが、馬耳東風流れるままに、その日暮らしの私に、届いた写真は(氏に会いたいくなっている)、無性に私を北海道に誘う。可能なら、なんとか年内雪が降る前に、運転できる間に数日間時間を見つけ、M氏や一期生の何人かにあえたら、幸せである。

もうすでに他界しているかたも(言葉をほとんど交わしたこともないかたもいる)おられる。M氏のようにわざわざ私の存在を探してくださるかたもいる。私が入塾したのが31歳、何しろ43年前に出会え、苦楽を共にした貴重な仲間である。会える時に会っておかないと後悔する。

そして想う。お互いに元気だから会える、のだ。そのことにおもいを馳せるとき、我が生涯の今に感謝せずにはいられない。

1 件のコメント:

  1. М です 五十鈴川だよりに
    載せて頂き有り難う御座います🤗
    みんなにも 日高さんのプログ
    「五十鈴川だより」薦めますね

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