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2024-08-30

昨日台風余波の最中、我が家で瀬政さんと、ハムレット5幕とハムレットの長台詞ほかを音読レッスン、そして想う。

今日の 降水確率は80%だが雨は落ちていない。風もほとんどなく本当に台風が近づいているとは思えないほどの朝である。我がふるさとの兄や姉に連絡をとったのだが、被害もなく過ごしているようで安心した。が、同じ宮崎でも竜巻やその他の被害が多発している様子なのを報道で知ると、土地勘があるだけに、やはり胸が痛む。

8年前、2016年に求めた本

ところで昨日午後、瀬政さんと二人で、音読のレッスンを我が家でやった。テキストはハムレット。5幕をまず読み、その後、3幕一場のハムレットの有名な長台詞を繰り返し音読したのち2幕2場の最後のハムレットの長台詞やほかの長台詞を音読した。

瀬政さんが音読したい作品にヴェニスの商人の希望があったので、二人でおもにシャイロックが出てくるシーンも、急遽音読、お昼から3時過ぎまで正味2時間、二人でのリーディング稽古をした。

瀬政さんとの個人レッスンは、マイスターに聞け以後3回目だが、今五十鈴川だよりをうちながら想うことは、71才からまったく読んだこともないシェイクスピア作品を、いきなり音読することの何たる大変さを想像勘案すると、瀬政さんの挑戦に私はまさに脱帽せずにはいられない。

山にも登ったことのない高齢者が、いきなり高峰の険しい山に挑むようなことに例えたら理解の想像が及ぶかも知れない。が、しかし氏はゆっくりゆっくりと、私の言葉に耳を傾け、楽しそうに音読を続けている。高齢者同士が、シェイクスピア作品の登場人物を、二人きりで暫し声を出し会う。

静かな、充実した一時が流れる。ハムレットの言葉、此の天と地の間には哲学などでは及ばぬ世界があると。想像を絶する思いもよらぬ悪い出来事も、意外なよき出来事もこの世ではありうるという真実を知らされる。

私は想う、私にもいつなんどき立ち上がれぬほどの出来事や災難が降りかかるかもしれない、その事を想う時、昨日台風余波の最中、二人だけの偶さか音読時間が、限りなくいとおしく貴重な時間であるとの認識を深め、(明日はできないかも知れないのだ)そのことを五十鈴川だよりに打ちたくなるのである。

昔一緒に企画したりした仲ではあるが、晩年、よもやまさかヒトとしての成熟期に再会、一緒にシェイクスピア作品を音読したりするような時間を、二人して過ごすことになろうとは。我が運命の神は、思いもよらないプレゼント、粋な計らいをしてくれるものである。そしてやはり私はシェイクスピアに感謝せずにはいられない。

シェイクスピア作品の、あまりある魅力的な登場人物の言葉が、私を支えている。悪人も善人もまるごと人間としての言葉を紡いでいる。絶対矛盾をいきる登場人物。得たいの知れない自分に振り回される。何度音読しても飽きることがない。昨日打ったチェーホフの作品の登場人物もそうだが他人とは思えないのである。此の10年以上多くの時間音読した、魅力的な登場人物が私のなかに住み着いているかのような気配なのである。

気のおけない仲間との音読は、限りなく楽しい。もうあと一人でも二人でも仲間が増えれば、もう充分である。私はシェイクスピア作品の面白さを伝えたいがために、広報活動をやりたいのは山々だが、過剰なことはもうあまりやりたくはない。

老いゆくなかでの夢がまたひとつ生まれた、河合さんと瀬政さんと3人でロンドンにシェイクスピア観劇の旅に元気なうちに行きたいと言う夢が。夢見る頃を過ぎても、かって青春の最中自転車で徘徊したロンドン、ウエストエンド劇場街を、歩けるうちに歩きたい。(のだ)

2024-08-29

狂ったかのような夏の午後、30数年ぶりにチェーホフ作品を汗を書きつつ読み頭を冷やす。そして想う。

 台風が近づいている。私のふるさと宮崎も心配である。こればかりは静かに過ぎ去るのを待つ以外にないが、あまりにもの台風の進む速度が遅く、長時間に及ぶ雨の量がものすごいので、さすがに心配である。少しでも被害が最小限ですむように祈るしかない。私のすむ岡山はいまのところ、風もなくさほど雨も強くはないが、夜半から雨が降り続いている。

翻訳家によって日本語が楽しめる

ところで、8月は昨日で労働バイトを終え、今日から4連休である。9月になれば酷暑もいくぶん和らぐのを祈るしかないが、この2ヶ月よくも老体の我が体が、悲鳴をあげながらも、なんとかこうやって五十鈴川だよりをうちながら元気に生きていることについて、今更ながら有り難いというほかはない。

暑さに我が体が絶えず反応し、汗がふきでる。自分でもよくもまあ、我が体がこの異常な暑さに耐えていることに、驚いている。正直いつまでこの暑さのなか、いまの労働バイトができるのか、まったくわからない。まるで念仏を唱えるように、一日一日、乗りきってきているだけである。

思考がままならないときは、ままならぬなりに五十鈴川だよりを打ち続け、労働した日は五十鈴川だよりは打たないようにはしている。自分なりのいま現在をしっかといきる、それ以外もうほとんど思考の及ばないような夏を、老人の私は苦行のように耐えている。

働く自分の姿を、俯瞰的に傍観者のように、カッコつけて打てば、修行僧のようにも思えるほどだ。汗が吹き出る我が体をどこかで労りながら(我がバイト先隠れ家には冷蔵庫がある)数種類のドリンクを飲む。そのうまさは汗を流したもののみが、味わえる特権である。命の水そのもの、冷えた水がやはりいちばん美味しい。生き物としての元感覚が研ぎ澄まされる。

人間だから気の進まない日もあるのだが、そこは若いときから様々な経験を積んできた過去の自分が、あらゆる知恵を現在の自分に伝授してくれる。過去の自分がどうやって乗り越えてきたのかを教えてくれるのである。私の場合生きているという感覚は、体を動かしているときがもっとも研ぎ澄まされる。そういう意味では限りなく動物に近い。

草刈り機のエンジンがかかり、無理なくのらりくらり体をゆっくり動かしていると、やがて体が動き始める。体とは不思議な器である。続けているとずいぶんはかどっている。音読ほかあらゆることに通じると想うが、好きなことであればやれるのである。多分このような酷暑の夏を乗りきることができれば、新たな老いのフェーズへとゆけるかもしれないとの、淡い個人的な希望のようなものの芽生えを感じる夏でもある。

ところでいきなり話が変わるが、この酷暑のなか、先日、30年以上読んだことがなかったチェーホフのワーニャ伯父さんと3人姉妹を浦雅春氏の新訳で読んだ。若いときにはさっぱり理解の及ばなかった作品だが、染み入ってくるように読める自分がいた。昼寝のあと、クーラーをつけず、風のない暑い部屋で窓を開け放し扇風機だけで、水分補給しながら、汗をかきながら読んだのだが集中して読めた。一言面白かった。

シェイクスピアとチェーホフ、よその国の作家である。シェイクスピアは400年以上前、チェーホフは150年以上も昔の作家である。いま、翻訳で読んでもなぜかくも染み入ってくるのであろうか。こまごまとした分析は控えるが、登場人物が他人とは思えないからである。まるでこれは自分のことである、とでも言うしかないほどに、登場人物の言葉が昔の人の言葉ではなく、現代人が抱え込んでいる魑魅魍魎複雑怪奇な切なさ、やるせなさ、出口の見えなさが、圧倒的詩情でもって、残酷なまでに描かれている。(と思える)人間の不条理、不毛さ、不可解さが。

だがしかし、私はチェーホフの作品に愛を(ほかに言葉がない)を感じる。1860年に生まれ1904年、わずか44才、肺炎で亡くなっている。私には到底想像の及ばないロシアの広大な大地が生んだというしかない天才作家。作品はすでに1917年のロシア革命を予感させる。その後の社会主義連邦国家となるも、1991年社会主義連邦国家は崩壊ロシアとなり、資本主義国家となる。あれから、33年の歳月が流れ、かっての同胞ロシアとウクライナとの間の戦争は泥沼化している。

老いてゆく体をどこかで慈しみながら、チェーホフ作品を読める間は、汗をかき、働き動き、読み続けたい。


2024-08-25

第56回、筑前琵琶全国演奏大会にゆきました。そして想う。

 昨日大阪、高槻で行われた、筑前琵琶の全国演奏大会日帰りで聴きにいってきた。はじめて筑前琵琶を聴いてから6年になる。きっかけは新聞記事で筑前琵琶の人間国宝、奥村旭翠さんを知ったことに起因する。(6年前の3月、私ははじめての孫に恵まれ、コロナ渦中の3年前二人目の孫、昨年は3人目、はじめての女の子の孫が授かった、生きていることはただそれだけでありがたく、奇跡的なまでに充分である)

祈りの筑前琵琶で生き返る猛暑の夏

6年前と言えばまだコロナ前で、秋、リア王の発表会を終えて、煩悩多く暫し放心状態の時、たまたま奥村旭翠先生の会が大阪であるのを知り、これまで観たことも聴いたこともない伝統芸能筑前琵琶を急に聞いてみたくなって出掛けたのが、きっかけであった。

あれから6年コロナ渦で聴けなかったとき以外、よほどのことがない限り、案内状が届いたら何はともあれ出掛けるようにしている。今年は春にも出掛け2回目である。なんだかとりとめのない一文であるが、ままよこのまま打ち続ける。

猛暑続きの狂ったかのような夏の最中、ちょっと出掛けるには正直躊躇したのだが、結果は出掛けて大正解という以外にない奥村旭翠先生にしか醸し出し得ない芸の真髄のような演奏世界を堪能できたことの幸福感を一行であれ五十鈴川だよりにきちんと打っておきたい。

筑前琵琶 橘流の全国演奏大会 第56回とある。第一部10名、第二部9名(ひとり欠席)。10時半開演、終演は午後4時。途中始めの頃、あまりの気持ちよさに何度かうとうとしたが、演者の生の力量と迫力が私を覚醒させ、長いとはつゆ感じることもなく終演までききいった。

北は東京、南は福岡までの参加者19名の方が、何十年にも及ぶ修練の成果を披露してくださるのをはじめて生で体感できたことの幸運を、いまはただ疲れている、この夏の老いたからだにムチ打ってきちんと打たずには入られない。

とりはもちろん、筑前琵琶ただ一人の人間国宝奥村旭翠先生である。もちろん直接お目にかかったことはないのだが、間接的になんどもお目にかかっているので近しい思いを一方的に抱いている。最後の一曲先生が語り演奏されたのは【茨木】という作品、素晴らしかった。

先生の素晴らしさは一言では到底語り得ぬ、すべていまの私をふくめた人間がなくしたというしかない、日本のうたかたの夢幻の世界がいまだこの世に残っているという現実に喜びに打たれるからである。人工知能AIインターネット世界の片隅で、体ひとつでこのような先人たちが芸術、自国の筑前琵琶の文化を守り伝え、その伝承に心血を注いでおられる、先生の菩薩のようなお姿をしっかと眼底に焼き付けた。

話し方、たたずまい、しぐさ他唯一無二、つま弾き語る。老いてなお、その醸し出す独特さは比類なく美しく、気品が香り、自然で優美、私は暫し釘付けになった。一言いいものに触れた、観ることができた幸福感が私を包んだ。その事さえ打てればもう五十鈴川だよりは充分である。暫し、年齢も猛暑も何もかもが消えたというしかない世界を堪能した。

2024-08-18

妻と日帰り、小さな旅、津山の山奥に涼を求め出掛けました。そして想う。

 日中はともかく、朝夕かすかに過ごしやすくなってきたと私は感じている。妻と二人、先週末の夕刻は玉野の渋沢海岸、そして昨日は津山の奥の黒木という、数年前にいったことのある夫婦滝のある渓谷に涼を求めて、本当に久しぶりに夫婦遠路ドライブ、小さな旅をしてきた。

名前がいい、夫婦滝

還暦を迎え、しばらくして中世夢が原を辞して後、これからは夫婦だけの時間を日々過ごすことが多くなると、五十鈴川だよりに打った記憶があるのだが、あれから12年が過ぎた。

この世に生を受け、12年を6周した今年は、まだあと4ヶ月以上あるので振り返るのにはもちろん早いが、私にとっては元気であれば、次の12年に向かう節目の年となるのではないかという予感がするこの夏である。

夫婦滝までおおよそ我が家から90キロ以上、朝7時20分に家を出て、静かな交通量の少ないエリア、熊山から佐伯を抜け美作に入り、そこから津山を抜け、一度も休まず夫婦滝のある黒木渓谷に9時40分に着いた。まだ誰もいない夫婦滝を二人で詣で、あまりの涼しさに、家とは別世界だねと、二人で再び来れたことを喜んだ。

詣でたあと、清水の流れる岩の多い沢に移動、持参したのり巻き他でブランチ。お腹がすいていたこともあるが、やはりなんといってもアウトドアで、涼しくて気持ちの良い場所でいただくご飯は、つましい有り合わせの食料であれ美味しかった。贅沢ではない贅沢。

食後、夏休みを過ごす家族連れが増えてきたので、場所を少し移動、誰もいないところで二人で水遊びした後、30分近くお昼寝をし黒木渓谷を一時過ぎには後にし、そこから奈義町に抜け、妻は奈義町の現代美術館を見学、私は妻が美術館にいる間は、木陰で本(養老孟司先生とヤマザキマリさんの対談、虫の話になるとほとんどわからないが、二人のお人柄が素晴らしく私を引き付ける、一言面白い)を読んで待っていた。奈義町を後にし、津山を迂回、湯郷から瀬戸町へでて、午後4時前には家に着いた。

小さな夫婦旅、のよさを臆面もなくのうのうと綴るのは野暮である。ただおもうことは、いよいよこれからは、夫婦での穏やかな気持ちのいい時間の過ごし方を大切にしたい、せねばならないということが、くっきりと確認できた小さな旅となったことは、五十鈴川だよりにきちんと打っておきたい。

さて、話は変わる。老いるにしたがって遅読ではあるけれど本を読む楽しみは、60代の頃より増してきているように感じる。自分が変われば世界も変わるというが、その事は的を外れていないとおもえる。若い頃は難解に感じていたいたような書物が、いまは遅遅とではあれ読み進められる。(昨年読んだレミゼラブル原作の翻訳、長い小説を老齢でいま読むことの醍醐味を知った、年を積むことは面白い)

それは多分、死を以前にもまして、よりいっそう感じる力が増しているお陰で、今読まなければという煩悩が深まっているからだと想う。あくまで無理なく自然に読む。とはいっても、どんなに時間があっても、古今東西の叡知の財産の宝を読みきれるものではない。そう自覚しつつ、何百年も未だ読み継がれている書物を読みたいとおもう煩悩を私はいきる。

煩悩は私を活性化させる。若いときには他のことに夢中で読まなかっただけであるが、いまなら読める。嬉しくありがたい。書物は老人である今の私にとってもっとも手軽に、間接的に知的好奇心を満たしてくれるツールである。

世の中に出て、今もだがほとんどお金と言うものに縁がなく、限られたお金の持ち合わせのなか、オーバーではなく半世紀以上もやりくりしながらの生活をし続けているお陰で、お金に頼らない楽しみ方はいやでも自然に身に付いている。(とでもいうしかない)

だから私はお金を使って遊ぶということに関して、まったくといっていいほどできないし、しようとも思わない。中世夢が原で働いていたことが大きいと思うが、現代人的な思考がまったくといっていいほどに、私には欠落しているのである。お金に頼らない生き方というのは、けちであるというのとはまたことなる。今となってはあのようにお金のない暮らしのなか、(20代から40代)よくもまあ、あれだけいろんな国に旅ができたものである。

なぜできたのか、多分見たこともないものをこの体で体感したいという欲望を抑えることができなかったことと、貧しかったからこそ夢の実現のためにお金を大事に使ってきたからだとしか思えない。

仏教の教え、青春、朱夏、白秋、玄冬、で言えば今の私は玄冬の半ばを生きているということになるが、そうくっきりとは分けられないというのが、正直な私の気持ちである。未だ玄冬のなかに、青春も朱夏も白秋も含まれているというのが(72才の)実感である。

私は煩悩を肯定的にいきる。ましてや古稀を過ぎたらなおさらである。晩年父は苦労を共にした母をどこへ行くにも連れ添っていたが、ようやく私もそのような心境がわかるような気がしている。

2024-08-14

狂った夏の暑さのなか、荒俣宏著【福翁夢中伝・上下】を読む、そして朦朧として想う。

 お盆である。たまたま3ヶ月に一回は行っている定期検診(血糖が少し高め、以外はすべて正常値)から戻って来ての五十鈴川だよりタイム。だから今日は労働もお休みである。もう打つのもいやになるくらいの、老人の私に言わせれば狂ったかのような夏の暑さが続いている。

下巻から一気に引き込まれた

冗談ではなく、五十鈴川だよりを打って心身の調節をしないと、私の場合はきっとどこかが変調をきたすのは必定という気がする。それと読書があるから、この狂った夏を辛うじて乗り越えられそうな案配である。

熱中症アラートのなか、午前中だけとはいえ元気に働けているその事に、自分でいうのもなんだが、ありがたさに感涙にむせびそうである。

ところで、69才の3月23日に、私にとっての初めての大きな手術後、3月に一度検診をしまもなく3年と5ヶ月になる。でくの坊の私でもやはり命のありがたさを痛感して後、生活態度を改めて生活しているからというしかないのだが、お陰さまで猛暑の夏をなんとかヒイヒイいいながらも、生き長らえている。

もし本を読み続けるという楽しみがなかったら、たぶん地獄のような暑さのなかで、熱中症でこの世とはお別れしていたかもしれない、とおもえるほどに異常な夏だとおもうのは私だけではあるまい。この暑さのなかでは、読みやすい本を手にすることが多いのだが、今読んでいてまもなく読み終える、荒俣宏著【福翁夢中伝・上下】早川書房、は出色の面白さで、暫しこの夏の狂った暑さを忘れさせ、元気をいただいている。

小説はあまり読まない私なのだが、そして年と共に認めたくはなくとも事実として認めねばならない老人の私であるし、集中力の低下なども、この暑さでより進んでいる最中なのに、その事を失念してしまうほどに面白い読み物なのである。

この暑さで朦朧としている頭で、この本のユニークさと面白さを記すことは到底不可能なので控える。が、ヒトは出会うべくヒトには出会うという伝で都合よく考えれば、あらゆる本もその人生の渦中の今のタイミングで、やはり出会うのである、と思わずにはいられないほどにこの本は今を生きている私に刺激を与える。

福沢諭吉が生きた、成した幕末から明治の、まさに政体が根本から覆る無血革命文明開化時代の、有り様の全貌の一端が、著者渾身の方法でユーモラスに著述されていて、ぐいぐい引き込まれる。

特に私は翻訳された日本語のシェイクスピアのリーディング音読を、生き甲斐にしているので、あの時代に福沢諭吉がいかに庶民にもわかる新しい日本語を産み出してゆくのかに苦心惨憺するその悪戦苦闘身もだえする様は、無知蒙昧の老人の今の私を静かに感動の淵に沈めさせたといっても過言ではない。(これは私のことだが、なんとまあみみっちい日本人に成り下がったことかと、あきれどうしたものかと思案にくれる)

幕末から明治のあの激動期、なんと魅力的な日本人がわんさかいたのであるか、瞠目に値するとはこの事というほかはない。またしてもの無知を思い知らされているが、この本が入口となって、いよいよもって幕末から明治維新にかけて、もっと知り学ばなければならないことを、痛感する猛暑の夏である。

荒俣宏著のこの本、氏の博覧強記と柔軟な多面的筆致に随所で脱帽した。そして何よりも氏ならではの方法で従来の福沢諭吉像に新たな人間味を加え、今まさにこのような私利私欲を越えた燃え立つかのような面白くかつ偉大な人間が日本に存在したことを、物語として著してくださった偉業に心から脱帽し、五十鈴川だよりを打つものとして感謝の他はない。

猛暑の夏が去り、秋が来たら一人静かに慶應義塾大学の図書館に行ってみたい。元気な間、学ぶということに終わりなし、独学したい。

2024-08-10

肉体労働バイト仲間、K氏の娘さんの現代音楽のパフォーマンス演奏を岡山のギャラリー108で聴き、そして想う。

 バイト先で共に汗を流して働くk氏とは、もうまる2年以上共に働いている。昨年企画した多嘉良カナさん、今年6月企画したマルセを生きるでは、裏方として私を支えてくださっている貴重な方である。

いただいたご案内のカード

K氏は私とはまったく異なる人生を歩んで来られたかたで、私が今の肉体労働アルバイトをしていなかったら、まず出会うことはなかったであろう。一言私の印象は、誠実な仕事ぶりで私と違って寡黙な方である。余計なことはあまり発言はしない。信頼できる。

そんな氏に、音楽を学び続け、パリに留学している娘さんがいることは知っていた。この春からはスイスのベルンに居を移し、より新たな音楽世界を学び続けておられることも、聞くともなしに聞いてはいた。

そのような氏にとっての未踏の世界を目指す娘さんの、岡山でのギャラリーコンサートの案内葉書をいただいたのは7月に入ってまもなくであったとおもう。もうすっかり老人の私、夜出掛ける何てことは、古稀を過ぎてからはずいぶんと控えるようになったのだが、昨夜はK氏の娘さんの演奏会ということもあったし、めずらしく好奇心が動いたのと何よりも妻がゆくといっていってくれたのが嬉しかったことも幸いして出掛けた。さて、妻のことはさておき、K氏の娘さんの演奏を、昨夜岡山ギャラリー108で聴き、一言出掛けて本当によかった。

何故なのかを打つと相当長くなる、だから簡潔に打つが、音楽であれ、演劇であれ、美術であれ、およそアートと呼ばれるジャンル一言ではくくれない。その多様で複雑な世界の豊かさは、体感したものでなければ、言葉にしがたいのだが、あえて五十鈴川だよりの記録として打っておきたい。

Nさん(K氏のお嬢さん)の演奏曲目のなかにジョンケージの作品があった。驚いた。半世紀以上も前、二十歳くらいの頃私はジョンケージの名を武満徹(私がもっとも尊敬する作曲家)さんの本で知った。レコードを買って聴いた記憶があるのだが、ビートルズなどとはまるでことなり、それまでの人生では聴いたことがない類いのジャンルの音とでもいうしかない異次元に連れ去られるかのような闇を切り裂くような音が耳に飛び込んできて、一回しか聴くことがなく、その後今に至るも聴いていない。

だが、ジョンケージという現代音楽家の名前は強烈に記憶の淵に深く刻まれた。二十歳の若者は未知の世界への入口で、強烈なパンチを喰らったのである。あれから半世紀以上、ジョンケージはNさんをはじめとする現代音楽家たちに、今もなお燦然と影響を与え続けているのだと、思い知らされた昨夜のギャラリーコンサートライブであった。

知らないイタリアの現代音楽家の作品、即興演奏、(これがよかった、フリージャズとも共通する実力と遊び心がないと難しい、とおもえる)そして最後はNさんの作曲された作品、お話も含めちょうど一時間、Nさんのライブは一途な思いが静かに伝わってきて、ミニのギャラリーでの生音ライブ(繊細、耳をそばだて全身で聴く、生音の繊細な豊かさを堪能した)は、老人の私に改めて好奇心とは高貴心というシェイクスピアの言葉を思い出させた。意味もなく邪念なく出掛ける。偶然性のある夜の出来事はあくまでも自然に紡ぎ出される。

1970年当時18才、宮崎の田舎から飛び出した若者は、小田実の本【何でも見てやろう】を実践、卑猥なものから高貴なものまで、その時期の若者に与えられた青春時代の特権、何も怖いものがなかった。貧しく自由だけがあった。見たこともない、触れたこともない、嗅いだこともない、食べたこともない、ないない尽くし。背伸びし、手当たり次第猟犬のようにありとあらゆるものを体感しようともがいていた。(もがいたからこそ老人になるまで生きてこられた)そのようなもう普段はほとんど思い出すこともない青春のおき火のような記憶が、Nさんの演奏を聴いていたら喚起されてきた、のだ。

十分に老人なのだが、記憶の淵の青春が未だ生きていることを、どこかある種の青春のさてつ的気恥ずかしさと共に思い出されたのである。音楽とは気持ちよくさせるのだけでは全くない。Nさんの息から生まれてくる瞬間のサクソフォンの音は、限りなく自由に想像する力を刺激する。

この事はいろんなことを、私に示唆する。人間は相対的にやすきに流される。年を重ねれば嫌でも体は保守化する。感受性が弱まり紋切り型になる。感性が固くなる。いい音色Nさんの演奏を聴いていて改めて思えたことは、上手さを越え、今この瞬間をともに生きていること、わずかな聴衆と出会えたことへの感謝が、演奏への愛がにじみ出ていて、私は静かに打たれたのである。無理は禁物だが老いつつも遊び心を失ってはならないと、改めて感じた。小さくても大きな豊かさをいただけたライブ。いや小さいからこそ価値があるのだ。

広い意味で世界を変えてゆくのはいつの時代も若いかたたちである。オリンピックもそろそろ終わり、メダルの色ではなく、参加者の一瞬の輝き、人間の素晴らしさを見届け、感じる学ぶで老人でありたい。その一途なプレイ、即興で真摯に遊び、音の豊かさで世界の豊かさを伝えようとしているNさんの姿に、今をいきる私が五十鈴川だよりを打ちたいほどに感動したことを打っておく。

2024-08-05

8月最初の五十鈴川だより、8月5日シェイクスピアなりきり音読に挑戦のフライヤーができました。そして想う。

 うだる暑さが、用もない外出は控えよとのアラートがもう何日続いているのやら、そのようなアラートの中、国民の大多数のヒトが働いているのに違いない、と老人は想像する。私の2階の部屋からはバイパスを行き交うトラックを、夜中でさえ途切れたことはない。

長女が作ってくれたシンプルなフライヤー

世はオリンピック報道真っ盛りであるが、私のような盛りを過ぎた本格的老人は、ひたすら熱々さ対策をしながら、秋がやって来るのを待ち望んでいる。だが暑さにヒイヒイいいながら、最低、自分なりのやりたいこと、やれることは日々こなしながら生きている。

今日も猛暑の中、午前中体動かし労働をやり、たっぷり汗をかき戻ってシャワーを浴び、妻とふたり(妻が家にいるときにはお昼が用意されているので本当にありがたい)おひるをすませ、約一時間お昼寝の後、本当に珍しく平日の午後の五十鈴川だよりである。9月から始めるリーディング音読のフライヤーが今朝届いたので、嬉しいのである。その事を日々の生活の記録のひとこまを、老人の私はただ打ちたいのである。

老人と打つと、どなたかに(名前は控える)あまり老人老人と言わない方がいい、と諭されたことがある。が、その事にことさら反論をするわけではないが、もう十分に老人である。その事をいい意味で自覚しているので、たぶん私は自虐的意味では毛頭なく、真の意味での老人になりたいという、欲求を生きているのだ。私なりの老人世界の追求、お役にたてる老人世界を、今しばらくジタバタやれるのではないかという、いわば肯定的煩悩を生きているのだ。

鶏と卵、労働とリーディングはセットである。家族と友人、本、小さな旅、もう今の私の夏には他に何も不要である。(あと少々のハイボール)

話を変える。フライヤーは1000枚届いた。募集定員は今秋のターム、来年春のターム各10名である。これから一月かけて岡山市内を中心に約80ヶ所くらいに、各10枚配布する予定である。なくなったらいつでも追加できる。

自分にしかわからない小さな喜びが私に五十鈴川だよりを打たせる。まったくいい老人を重々承知してはいるのだが、未だからだのどこかの奥のほうがささやかにワクワクするのである。

先の上京で長女のところを訪ねた際、シェイクスピア音読に挑戦する初心者対象の講座をやりたいという私の思いを伝え、メモを渡したら、仕事の合間にあっという間に作ってくれたのである。シンプルに私の思いが伝わるヒトに伝わればとの思いである。(このような私の思いを受け止めてすぐつくってくれた娘には感謝しかない)

私はどこか楽観主義者である。労働も音読もからだひとつでできる。かけがえのない体ひとつで遊べる。小さい頃、おもちゃも絵本もとにかくなにもなかった。ただ体ひとつ飽きることなく遊んだ。日が暮れてなお遊びたかった頃の黄金時代の、私の幼少期の源体験が未だ私を支えている。老人であれ未だ遊びたいのである。遊びをせんとや生まれけむ。

このような老人と共に遊ぶシェイクスピア音読仲間に私は出会いたい。ただそれだけである。そのために老人はアクターとなり今週末から猛暑のなかフライヤー配布の行脚に出る。

2024-08-04

うだる夏・沙翁(シェイクスピアのこと)音読・老いをゆく、八月最初の五十鈴川だより。

昨日午後、瀬政さんと我が家のリヴィングで、 この夏2回目のシェイクスピア音読個人レッスンをした。午後2時過ぎから5時近くまで、休憩や雑談をはさみハムレットの3幕と4幕を二人で交互に音読した。

うだる夏・裸足散歩で・老いをゆく

瀬政さんは71才にして初めて、今年の3月23日から、松岡和子訳のシェイクスピア作品に挑んでいる。(間違いの喜劇・ロミオとジュリエットに続き3作品目である)もう何度も五十鈴川だよりに打っているので割愛するが、その果敢なアクションには正直、驚かされている。おおよそ氏とのこれまでの交遊では考えられない、といっても差し支えがない。

だが昨日のレッスンでも感じたのだが、氏の本気度はかなりのものである。ピアノやその他の習い事では個人レッスンはあると思うが、シェイクスピア作品のリーディングを個人レッスン、我が家に来てまでやりたいというご仁は、この岡山の空の下ではやはり少数者の極致である、と思う。

本人ではないからもちろん何が氏を駆り立てているのかは私にはわからない。だが事実として続いている。氏のなかに眠っていた情熱の炎が、何かの偶然のタイミングで噴火したのだとしか思えないほどの、私にしてみれば青天の霹靂とでも言うしかないほどの意外性、ありがたさが私を包むのである。

氏の情熱の本気度は小生にも伝わるからこそ、私も真夏の老いのみには堪える暑さのなかでのレッスンを引き受けている。マイスターに聞けの企画をなんとか終えて、自分のなかに明らかな変容がまたもや起きて、専門的な細かいレッスンもさることながら(細かいレッスンをしないというわけでは、もうとうない)まったくシェイクスピア作品を読んだこともない、まさに瀬政さんのような方とのレッスンが、私にこれまではやれなかった(感じなかった)新しい可能性の扉が拓けるレッスンがやれる気がしてきたのである。

長い交遊の河合さん、そして瀬政さん私をいれて3人もいれば、とりあえずは十分である。3人いれば文殊の知恵ともいうではないか。岡山シェイクスピアリーディングカンパニー、なんとも立派な名前だが、何でもやれるうちにやり、無理が利かなくなったら潔く手放すのである。でもやれる間はベストを尽くす。これが今の正直な心境である。

さて、昨日のレッスンでいろいろ感じ刺激を受け足ればこそ、五十鈴川だよりが打ちたくなるのだが、瀬政さんの音読には邪心が限りなくない。登場人物への余計な解釈や感情移入もほとんどない。登場人物の松岡和子訳の台詞をたんたんとただ音読するだけである。その事が私にはとても新鮮なのである。その新鮮さを説明することはできない。

いや、足りぬ言葉で言えるのかも知れないが、それを言葉にするのは野暮、愚か者のすることだという気がして気が進まない。世は主に若者たちの祭典パリオリンピック真っ盛り、かたや世界の片隅で、狂ったかのような暑さの日本の真夏の午後、ハムレットを老人ふたりが音読している。これだけで十分に演劇的である。愉しいし面白いではないか。

9月から始めるハムレットの音読講座、少人数なら家でもやれる。老兵は今だ死せず、面白くそっとリーディングするのである。今日夕刻にはフライヤーが届くはずである。