ページ

2024-06-23

およそ一年ぶりわが故郷に3日間帰省し、兄と二人旅、1泊2日旧き友鹿児島の隼人市に住む京ちゃんを訪ねました、そして想う。

 ずいぶん帰省していなかった。今年は年明けから何かと忙しく、余裕がなかったのだが、この機をのがすと、という思いが私を故郷へと向かわせた。水曜日朝6時に家を出て午後0時25分に日向市駅に着いた。いつも通り兄が迎えに来ていた。

登紀子さんの手料理


お昼は家で義理の姉が懐かしい冷や汁でもてなしてくれた。その日の夜は兄夫婦と姉夫婦がお寿司屋に連れてってくれ私をもてなしてくれた。72歳の私が一番若く、兄は78才、義理の姉は74歳、姉は80歳、義兄は83歳、5人での会食、みんなそれぞれに歳を重ねたとはいえ、まだそれぞれに気を回しながら、ジョークを飛ばし合いながら、お互いに元気に再会夕食会をすることができたことの幸せをきちんと五十鈴川だよりに打っておく。

翌日朝一番朝食前にお墓参りをいつものように済ます。義理の姉の美味しい朝食を済ませ私と兄は雨の中、鹿児島県の隼人市に単身赴任している旧きわが友人京ちゃん(詳細は省くが知り合って37年ほどになる)を訪ねるべく8時20分に兄の運転で家を出た。おおよそ170キロの距離、高速を避けて一般道を走った。

ここでちょっと兄この事に触れておく、兄は今から2年8か月前腎臓癌を宣告された。それもステージ4である。だが治療と薬の相性が良かったのと、若い頃野球で鍛えた肉体のお陰か、今もってあちらこちら運転して行けるほどの体力をキープしているのには、ある種の感動を覚える。

兄、京ちゃんと岩戸温泉で。

国道10号線をのんびり走って都城へ。途中私が中学校を3年間通った四家という田舎町を行きも帰りも通過したが、夢のあととでもいうほかはないほどに寂れはてていた。(儚いというほかの言葉を思い付かない)都城で道の駅とは思えないほどのモダンなNICOLEという名の道の駅でどしゃ降りのなか見学がてら一休み、(一個450円の名物牛肉メンチできたてをどんなものかと兄と頬張った)お昼には早かったのでもう少し走って都城の市内のとあるラーメン屋さんでシンプルな醤油ラーメンでお昼をとった。とにかくこの日は一日雨雨雨、傘をさしてもかなり濡れた。

午後2時過ぎ、ちょっとナビの住所が違って京ちゃんとすんなり会えるのに手間取ったが、仕事中の京ちゃんが、てきぱきと住んでいるマンションに案内してくれ仕事を終えるまで横になって休ませてもらった。我々二人が泊まってもゆったりできる広さのマンション。京ちゃんは5時前に仕事から戻り、京ちゃんの車で10分のところにあるお気に入りの岩戸温泉へ。

ひなびた由緒ある温泉、何と400円の湯浴び料、ほどよい大きさでちょっと熱めの湯がぬるぬるしていて肌触りが抜群、すっかり気に入った。小さな水風呂もあり、外は温めの露天風呂、人生で初めてザアザアぶりのなか天井がなかったので、風情満点の隼人の旅情を兄貴、京ちゃんの3人で楽しんだ。兄はこの温泉で一気に京ちゃんと打ち解けあったようだった。やはり裸のお付き合いが一番なのである。

以後事実を簡単に記録として綴っておく。戻ってマンションから歩いて1分のところにある午後6時開店の居酒屋へ。本当に久方の再会なので私も少し飲み、何と兄貴も少し飲んだ。京ちゃんゆきつけのお店で一品一品すべて美味しくいただいた。お腹が満たされよほど気分が良かったのか、兄がどしゃ降りのなか、カラオケに行きたいと言い出し、気持ちの優しい京ちゃんが、癌に侵されている兄を気遣い自分は絶対に歌わないのにカラオケスナック、マドンナに代行で移動。よもやまさかカラオケにゆくことになろうとは。ステージ4の兄は8年ぶりくらいにカラオケを歌ったとのことで、ご満悦。癌の宣告から2年8ヶ月、憧れのハワイ航路から始まり、故郷まで10曲くらい兄は歌った。私も4曲くらい。(カラオケは苦手なのだが)兄の嬉しそうな顔を私は決して忘れないだろう。

日向灘を望む若山牧水の歌碑

あっという間に愉しい時間は過ぎ去り、京ちゃんは雨のなか訪ねていった私と兄の二人を大歓待してくれた、このような友にわが人生で出会えたこと、全く利害関係なし、伏して感謝を伝えきちんと五十鈴川だよりに記しておく。

翌日、雨のなか京ちゃんが仕事に出掛けたあと、(年内の再会を誓った)我々も帰路に着いたが、雨は都城に入るとすっかり止みあっというまに快晴となった。帰りはちょっとルートを変え綾、佐土原、高鍋から日向灘を望みながらのドライブ、途中お蕎麦でお昼を済ませ午後2時に兄の家に着いた。往復兄が一人で運転した。すごいと言う他はない。よもやの思い付き京ちゃんを訪ねての旅。マルセを生きるを終えて、今年前半のいい意味でのあれやこれやの疲れが、すっかり気分一新できた。

その日最後の夕食前、姉夫婦を訪ね一時間ほど歓談した。もう毎回一期一会のお茶会歓談。私は義理の兄の前で姉をハグした。姉は私の思わぬ行動にきゃあきゃあと騒いで照れていたが嬉しそうであった。私としては無事に傘寿を迎えた姉を祝福したかったのである。そして私は決めたのである。生きている間は帰省の度に姉をハグすることに。

歳を重ねないと感じることが叶わぬ世界が厳然とあると言うことの気付きが、より深まったことの喜びが私に五十鈴川だよりを打たせる。それがどのような気付きであるのかは、おいおい実践しながら老いてゆきたいのである。賑やかなことや派手なことにはいっさい心が動かなくなりつつある。シンプルこのうえなく心の赴くままに、今回は実りのおおい帰省旅となった。(昨日朝7時46分に日向を発ち午後2時我が家に着いた)

PS 義理の姉の登紀子さんにはまたもや旨い家庭料理を4食いただきました。感謝します。

2 件のコメント:

  1. 久しぶりの再会、嬉しい限りでした。
    大雨の中でしたが温泉、居酒屋、カラオケと楽しい時間でした。
    しかし、お兄さんは元気ですね……!
    年内のお二人との再開を心待ちにしております。

    返信削除
  2. 京さん
    この度は奉文叔父並びに父のお相手をして頂き誠に嬉しく存じ上げます。奉文叔父の甥の者です。私は神戸にてこの五十鈴川便りを読みながら少しハラハラしながらも、叔父と父がとても良い時間を過ごさせて頂いたのだととても感謝致します。また機会がありましたら是非2人の事をよろしくお願い致しますm(_ _)m

    返信削除