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2024-06-15

いよいよ明日、マルセを生きるの公演前日の朝に想う、五十鈴川だより。

 老いのバイト、フルタイムではないとはいえ、好きな労働とはいえ、やはり人間暑さは堪える。そのような暑さがこの連日続いている。この夏が来ればこの高齢者労働もまる6年を迎える。あと何年やれるかは神のみぞ知るというところだが、企画をする間、音読がやれる気力体力がある間は継続したい。

13日朝日新聞岡山版

ところで、人生を振り替えるには早いも遅いもないが、先日森岡毅さんのビジネス書(実はこのかたの本しか読んでいない、2冊目)を初めて読んで思ったことは、実に自分は狭い分野の読書しかしてこなかったのだということを思い知ったのだが、だからといってその事を、全く後悔はしていない。ただこれからはもっと自由自在に限られた生活時間のなかで、精神が気持ちよくなる人が書いた本に巡りあいたい。考え方が異なる方の本も。そういう意味で今年は素晴らしい本に次々と巡り合えている。

高齢者になり、時間がかかったとはいえ、何かのお導きで出会える本には出会えるし、出会える人には出会える。18才から出会えた人、出会えた本、ささやかなれど未知なる国々への旅、主にこの3つの螺旋状の時間の過ごし方で現在の自分は存在しているという認識があるのでいまのところ、我が人生に悔いはないといったところである。

街中で見つけたユリの花


さて、話はいきなり変わるが、明日はマルセを生きるの公演本番である。チケットの売れ行きは芳しくない。が私の心は、平静である。70才で企画者として復活してからは、入場者の多い少ないという企画は、とうの昔に卒業したからである。今現在40名程度、私が手売りしたり予約が来ている。もうそれだけで私はどこか満たされているのである。よもやまさかではあるが、当日もう10名のかたがどこからともなく来てくだされば、もうどこかサンショウウオ的隠居企画者としては言うこと無しである。

私は66才からのバイト先で、これまでの人生では出会ったことがないようなタイプの人生の先輩方や同輩と日々汗を流しているのだが、このかたたちのほとんどは私がこれまで企画してきたものには無縁の人生を歩んでこられたかたたちである。

今回の企画で私が一番嬉しいのは、中世夢が原に行ったこともないし、もちろんマルセ太郎も全く知らない人たち、日々汗をかく仲間、そこで出会った方々が(6名)来てくださることである。(そのうち密に共に働いているK氏はアンケートを印刷したり当日ボランティアもしてくださる)

それともうひとつ嬉しいことは、シェイクスピアの音読リーディングに参加してくれている、言わば生徒さんが3名来てくださり、一人は当日ボランティアもしてくださる。もう一人の女性のかたは、当日アクセスの悪い夢が原まで一人の高齢女性をピックアップして連れてきてくださる。

今私が手売りしている半分は、この5年間に出会えたまれな人たちである。その方たちがマルセ太郎を知ってくださる。その事だけで私はどこか満たされるのである。そして想うのである。なぜ高齢者になってまで企画をするのかは自分でもよくはわからないが、手の届く範囲での日々の生活者、とくに私とご縁があった方々が愉しんでくれるような企画がささやかに打てたら、これ以上の贅沢はないのである。


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