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2024-06-18

6月16日、神楽民族伝承館で実現した【マルセを生きる】公演にお越しくださいましたお客様、そしてスタッフの皆様、心よりありがとうございました。

 朝のラジオで高知県では雨の量で水かさが増していると報じていた。私の好きな労働は雨がやんだら出掛けることにして、それまでは、五十鈴川だよりをこころおきなく打てる。

我が家のリビングで。

さて、一昨日マルセを生きるという、私にとっては生涯の意外な記憶の出来事として記憶に残る企画を無事に終える事ができた。40才から企画者として岡山で人生再出発して、61歳で中世夢が原を持するまで、企画者としての自分はほぼ完全燃焼した。

その後、青春時代やり残したという、悔いを残していたシェイクスピア作品を、音読する塾を61才の春から始め、2020年、コロナ渦でやむ無く塾を閉じ、よもやまさか70才で再び企画をすることになろうとは思いもしなかった。コロナも落ち着き、今年は日々の労働とシェイクスピア作品の音読、松岡和子翻訳での新しい再出発リーディングに専念する予定であった。だが私の人生、そうはとんやがおろさない。

詳細は省くが、昨年末マルセを生きるという本が、梨花さんから送られてきたことで企画者の血が騒いだのである。結果、3月23日から労働、音読、マルセを生きるのフライやーができてから一昨日の公演を終えるまで、抱えたものにしかわからないあれやこれやの老いの精神的な一人旅が始まり、ようやく無事に公演が一昨日実現したのである。

今、小さな規模の公演を終えて想うことのあれやこれやを、一度に記すことはかなわないが、私にとっては大きな出来事の企画をなんとか成し得た喜びと充実感が、老いのみをいまだ包んでいるのである。一言で言えば責任が果たせたことの安堵感、あの日の現場に居合わせた者のみが生で共有できた、言葉では表せない体感空気感、贅沢である。

あのような一期一会の、集えた者のみが醸し出すえもいわれぬ雰囲気、思い付くこと、企画することの勇気と小さくとも高貴な達成感が一庶民老人企画者のギャランティである。それにしても、神楽民族伝承館で実現したことが、かえすがえすもやはりよかった。(中世夢が原のお陰で私は企画者になれたのである。そのことへの感謝の思いはつきない)

今私は一文を打ちながら、改めて企画をなぜするのか、自分に問うている。明らかに40代、50代、そして60代の頃とは異なる自分が存在している。今、【マルセをいきる】を老人直感で企画できたのはきっと、マルセ太郎という矜持志を貫いた不屈の芸能者の魂が幾ばくか私の中にも受け継がれているから(と自負する)だろう。そして梨花さんにマルセ太郎のDNAが見事に花開き受け継がれていることを、この眼で確認した。これからの梨花さんの未来が楽しみである。

PS 当日足を運んでくださった方たちが、実にユニークで、少ない観客なのだが老若男女分けても気骨のあるお客様、(かってマルセ太郎を観たことがある人たち)と、全く初めて知ることになった若い人たちが半々、そのほどのよさが希望である。老人はいまだ死なず、だがやがては去る、希望は若いかたたちに受け継がれる。企画することはバトンタッチである。最後にこの春からシェイクスピア音読リーディングに参加している、30代のマルセ太郎を知らない世代の男女が受け付けから片付けまでボランティアしてくれ(女性のYさんは素敵な感想を私にメールで送ってくれました)たこと、そして今ともに汗を流して働いているK氏ご夫妻が裏方として私を支えてくださったこと、そして我妻に伏して感謝をお伝えします。





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