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2024-06-09

ラジオ深夜便、6月9日、朝4時からの明日への言葉、高村ようたろう先生のお話を聴いて想う。

夜明けが早くなるのと同時に私自身の起床時間もやはり早くなる。早寝早起きはいまに始まったことではないにもせよ、この季節はいつにもまして早く目が覚める。今朝は午前4時前には目覚めたのでいつものように、ラジオ深夜便で午前4時5分からの明日への言葉を聴く。
音読しながら日本語を学びたい


何度か打っているが、早起きの私は特に古稀を過ぎてからこのコーナーを、時おり楽しみに拝聴するようになっている。特に今朝の高村ようたろう(字がわからない)先生83才のお話(老いの失敗学という本を出された)は含蓄に富、なるほどなるほどと、老いゆく我が身の毎年実感するそれぞれを、ふむふむなるほどと、感心しきりに拝聴し、こうやって五十鈴川だよりに打ちたくなるほどに感心感じ入った。

東大の工学の先生であり、失敗学という学問を創られるほどの大家のお話を、床で静かに耳を傾けたのだがいちいちうなずけることばかりで、そのいまも頭に残るいちいちを記しておくことは叶わないが、放物線状に肉体がピークから老いてゆく、あらゆる肉体の諸器官が緩やかに機能しなくなってゆく老いてゆくという、当たり前のことを、明瞭に分かりやすい言葉でしっかりと伝えてくださり、私は個人的に大いに勇気付けられたのである。

記憶力の低下を始め、つまずく、転ぶ、反射神経の衰え等、自分という存在がこれまであたかも普通にできてきたことが、やがては確実にできなくなるという事実に、気の小さい私などややもすると気が塞ぎがちになるやも知れぬ、のだが先生は、齢83歳であられる。ラジオだからお姿は見えないが、語り口が爽やか、生き生きしていて若さが伝わる。そして論理的で実に説得力がある。

生きている間にこういう先生に学びたかったと、地団駄を踏みたくもなるが、三文の徳早起きのお陰で間接的に先生を知りえたのだからよしとしよう。自力で本は読めるのだから。いまをこそ前向きに。話を戻す。80歳を過ぎ運転が大好きな先生は、家族から免許の返納を迫られる。先生は自分が学び、いまも研究する失敗学を摂理として受け入れ、運転できる、したい自分を押さえ、免許を返納する。

ここに至るあまりにも人間的な矛盾を抱えた顛末の語り口が、大いに人間性を感じさせ、私は愉快になり爽やかに起床し、休日の朝のルーティングをこなし、五十鈴川だよりを打っているのである。

先生は工学、理系のかたなのだが、最近スペインのマドリッドに老いの失敗学の講演にゆかれ、プラド美術館でピカソのゲルニカを視て、息苦しくなるほどに感動した体験をお話しされた。自分は芸術や文化的なことにあまり関心を持たない人生時間を過ごしてきたのに、なぜか老いのみにこれまで味わったことがないような感動を知る自分を突然発見する。そしておもうのだ。数限りない失敗を重ねてきたからこそ、ある日突然これまで使わなかった脳のどこかが開いたのではではないかと、思い至るのである。

ちょっと舌足らずでうまく打てないが、先生のお話から私が勝手に都合よくおもうに、あらゆる思い込みが人を不幸にしたり、不自由を囲うことになるのではないかと。先生は運転免許を返納してから、当初不自由を感じたが、やがて運転するということに関しては全く考えなくなり、手放したことによって、老いの新しい世界を見つけられているとおっしゃっている。個人的なことで恐縮の限りだが、古稀を過ぎていよいよ家庭菜園が面白くなってきた。老いゆくなか全く関心の及ばなかった世界への扉が開く。少しでも苦手を克服、丁寧に一日を過ごしたい。私の老いは未知数である。


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