新幹線の中で打っている。今日から3日間上京するからである。目的は親友が俳優座という歴史のある劇場でシェイクスピアのロミオとジュリエットのバルコニーのシーンの発表会が明日あるので、それを見届けるためにゆくのである。
上記の3行を打って、結果新幹線のなかで打った一文は結局アップできず、残念ではあった。が過去にはしがみつかない。ここからは次女のマンションのリビングで夕食後打っている。一日の流れ、出来事を簡潔に記しておかねば。
親友とロミオとジュリエットを声に出すとは |
お昼は東京新聞本社の美味しいレストランで親友にランチをご馳走していただき、午後再びレッスンを午後3時までやって、充実した生まれて初めての野外稽古を、交遊歴45年で初めて経験することになった。
記念すべき出来事のほんのさわりだけしかしるすことができないのだが、例え一行であれ、五十鈴川だよりにきちんと打っておかねばという気持ちである。
高齢者である二人が、人目も憚らず声を出して、ロミオとジュリエットのバルコニーのシーンを声に出して遊べたことの意外な面白さは、やったものにしかわからない、路上ライブのような、恥ずかしさも何のその、すっかりなりきって意外や意外何事も案ずるよりも産むが易しとは、まことであると思えるほどに、実に楽しい時間が過ごせたことを、なんとしても五十鈴川だよりに記しておかねばならない。
くたくたに疲れはてているが、親友と日比谷公園でロミオとジュリエットを交互に音読できた幸福な時間は、きっとシェイクスピアが招き寄せてくれたのだと、私にはおもえる。
45年の付き合いで、あんなにも純粋に真面目に恥も外聞もなく、私の要求に素直に体全身から絞り出すように声を出す親友の姿を、まざまざと初めてみた。一心不乱に今現在の親友の姿に私が感動したことを打たずには横になれないのである。親友は老いゆきながら輝いている。気持ちのいい疲れが全身を浸している。
親友の発表会は明日の午後2時からである。その前、早めのブランチをして、もうワンレッスンを急遽やることに決めた。生きている今がすべてである、親友も私もお互い悔いなくギリギリまでレッスンをして明日の本番をむかえる。
(Ps 親友のテキストは三神勲訳、アップした写真は松岡和子訳、時代時代の翻訳者の真摯な 日本語が素晴らしいと声を発してみて随所に覚って繰り返し音読するのが、年を忘れて楽しかった。親友とは声を出しあって遊べる関係性が生まれた。これからが楽しみである。9