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2023-06-30

親友と日比谷公園路上にてロミオとジュリエットのバルコニーシーンを音読ライブ稽古、そして想う。

 新幹線の中で打っている。今日から3日間上京するからである。目的は親友が俳優座という歴史のある劇場でシェイクスピアのロミオとジュリエットのバルコニーのシーンの発表会が明日あるので、それを見届けるためにゆくのである。

上記の3行を打って、結果新幹線のなかで打った一文は結局アップできず、残念ではあった。が過去にはしがみつかない。ここからは次女のマンションのリビングで夕食後打っている。一日の流れ、出来事を簡潔に記しておかねば。


親友とロミオとジュリエットを声に出すとは

午前10時親友と待ち合わせ、小雨のなか親友が傘を買ってくれ、雨のなか日比谷公園に移動雨の当たらない場所を探し、荷物を置いて、ロミオとジュリエットのバルコニーのシーンを繰り返し声に出して音読の稽古をした。

お昼は東京新聞本社の美味しいレストランで親友にランチをご馳走していただき、午後再びレッスンを午後3時までやって、充実した生まれて初めての野外稽古を、交遊歴45年で初めて経験することになった。

記念すべき出来事のほんのさわりだけしかしるすことができないのだが、例え一行であれ、五十鈴川だよりにきちんと打っておかねばという気持ちである。

高齢者である二人が、人目も憚らず声を出して、ロミオとジュリエットのバルコニーのシーンを声に出して遊べたことの意外な面白さは、やったものにしかわからない、路上ライブのような、恥ずかしさも何のその、すっかりなりきって意外や意外何事も案ずるよりも産むが易しとは、まことであると思えるほどに、実に楽しい時間が過ごせたことを、なんとしても五十鈴川だよりに記しておかねばならない。

くたくたに疲れはてているが、親友と日比谷公園でロミオとジュリエットを交互に音読できた幸福な時間は、きっとシェイクスピアが招き寄せてくれたのだと、私にはおもえる。

45年の付き合いで、あんなにも純粋に真面目に恥も外聞もなく、私の要求に素直に体全身から絞り出すように声を出す親友の姿を、まざまざと初めてみた。一心不乱に今現在の親友の姿に私が感動したことを打たずには横になれないのである。親友は老いゆきながら輝いている。気持ちのいい疲れが全身を浸している。


親友の発表会は明日の午後2時からである。その前、早めのブランチをして、もうワンレッスンを急遽やることに決めた。生きている今がすべてである、親友も私もお互い悔いなくギリギリまでレッスンをして明日の本番をむかえる。

(Ps 親友のテキストは三神勲訳、アップした写真は松岡和子訳、時代時代の翻訳者の真摯な      日本語が素晴らしいと声を発してみて随所に覚って繰り返し音読するのが、年を忘れて楽しかった。親友とは声を出しあって遊べる関係性が生まれた。これからが楽しみである。9


2023-06-26

ふるさとで【つがれ】という廉価で逗留するにはぴったりの宿に巡り会いました。(また必ず行きます)

 昨日夕刻、帰ってきて、今日は午前中肉体労働アルバイトをいつもどおりにこなして、午後お昼寝をして目覚めたので、少しでも何かよしなしごとを打ちたくなった。

けっこう急な思い付きふるさと帰省旅ではあったのだが、古希を過ぎてからは、毎回これが最後になるかもしれない、というくらいの気持ちを胸に秘め帰っている。

帰ってはいるのだが、今回もまた実に有意義な小さな旅ができ、いつにも増してよき充電が出来た喜びが、私に五十鈴川だよりを打たせる。私が高齢者であるのだから、私を迎えてくれる、兄や姉たちはもっと高齢者である。その彼らが元気に私を迎えてくれなくなったら、悲しいけれど、きっと五十鈴川だよりを打つ元気は起きなくなるだろう。

故郷の旅の宿【つがれ】

でもその時はその時、いまはまだこうやって五十鈴川だよりを打てるのだから、感謝し打っておきたいのである。

何よりも一番ありがたいのは、ガンにおかされている兄が、告知を受けて2年にもなるのだが、治療の効果があって、進行がステージ4のまま、元気に私のわがまま行動のアテンドをしてくれたことである。

木金土と3泊したが最初の一泊は、ご先祖の近くの西郷村にある【つがれ】という前回打ったが素敵な素泊まり民宿に二人で泊まることができ、よき思い出ができた事を、宿の事も含め打っておきたい。

その宿は、木曜日午後2時半日向の駅にについて、そばにあった観光協会で教えてもらった。週末の金土日しか本来は営業していないのだが、木曜日無理を聞いていただき、宿を開けてくださったのである。

私と兄は、兄の家に荷物を下ろし、食料品を買い込み、兄がナビに住所を打ち込み一路その宿に向かった。ナビのお陰で夕方5時に【つがれ】に無事についた。その宿はユーターンした34才の独身男性が経営していて、以前民宿であったところを、自炊ができる客室数(たぶん7室くらい)のゲストハウスに、一年前リニュウーアルオープンしたものであった。

実にさばさばとした感じのいい好男子で、宿の隅々に彼の宿に込めた思いが感じられて、宿に入った瞬間に、いい宿に当たったのがわかった。村の坂道の突き当たりにあり、回りは田植えがすんだばかりで、一面の緑と小高い山々が望める、まさに山里にポツンとたたずむ。その宿は私の心をわしづかみにするのに十分だった。朝早く西大寺を立ち、夕刻にはご先祖の近くの素敵な宿に巡り会えるなんて、あまりの運のよさに、単細胞の私が喜んだのはいうまでもない。

自炊する元気がなかったのだが、なんと歩いて300メートルのところに、これまた古い民家を修復して数年前にオープンしたという素敵な焼き肉屋さんがあり、Mさん(つがれのオーナーの名前)が太鼓判を押してくれたので、兄とオープン時間の5時半ジャストに行き、二人で乾杯し、焼き肉を食したのだが、これまた大正解、ディナーコースと単品アラカルトを二人でいただいたのだが、お手頃の値段で美味しい夕飯を堪能したことの喜びもまたきちんと記しておきたい。

夕食を終えても回りは明るく、すこし棚田エリアを散歩し、宿ですぐ二人してお風呂をいただいた。翌日朝早く宇納間神社に移動し、五十鈴川をくだって歩くために、休養をとらなければならないので、早めに個室に戻り午後8時には床についた。だが目がさえてすぐには眠れない。夢かうつつか。

私の部屋からは、🌙が雲間に姿を表し、田んぼからは蛙の泣き声が聞こえて来た。まさに浄土にいるかのよう。私の幼少期、原風景を思わせる十分な宿に、いきなり巡り会えた幸運に感謝しながら、やがて深い眠りに落ちたのだが、宇納間から門川まで歩けたのはこの宿のお陰かもしれない。(と思える)

2023-06-24

五十鈴川、ご先祖様の源流まで、昨年と今年往還することができました、そして想う。

 

用水路脇の見事なカンナ

木曜日からふるさとの兄貴、(77才喜寿)のところに帰省している。木曜日は荷物を置いてすぐに、車で一時間のところにあるご先祖の宇納間の隣、西郷村にある、【つがれ】(受け継がれに由来する)という素泊まりだが、雰囲気のいい民宿に兄と移動し、そこに貸しきり状態二人でステイした。

いまわたしは、この五十鈴川だよりを兄の家から車で10分のところにある日向市にある、マクドナルドで打っているが、(ここのスタッフの素晴らしい女性の対応でインターネット接続がすぐにできた)この素泊まり民宿のことは、岡山に帰ってまた打ちたい。帰省する度に泊まって数日過ごすには、私のようなやからにぴったりの宿を見つけた。

そして昨日朝4時に起きて、私のご先祖がすんでいた宇納間に兄に移動、兄はそのまま家に戻り、私は昨年の反対に兄の家に向かって、宇納間神社を早朝5時15分に出発し歩き出した。その行程35キロである。

岩の真ん中に見事な松ノ木がある

往還という言葉があるが、昨年の5月往路、そして昨日の復路で70才と71才で、無事に念願を果たすことができた事実を五十鈴川だよりにきちんと記しておきたい。

このような私の思いを汲んで協力してくれた正剛兄貴に、この場を借りて伏してお礼を伝えておきたい。またこの十数年にわたって、私の帰省を、今回もだが暖かく遇してくれている義理の姉にも、心からのお礼の気持ちを打っておかねばとおもう。

結果、兄の家に着いたのが午後一時半、途中4回ほど休んで、ただただひたすら歩いて五十鈴川を眺めながらくだった。要した時間は8時間15分。先祖の住んでいた宇納間はもとより、五十鈴川の周辺にすむ農家は、おしなべてすべて高齢化している。だが辛うじて老いびとたちが必死て先祖伝来の農地を静かに守っており、打たれた。

田植えの済んだばかりの水田の美しさは例えようもなく美しく、その美しさに癒されながら、山の青さ、山の緑に、五十鈴川のせせらぎの音色に、元気をいただきながら歩くことができた。

話は変わるが、69才の時、人生で初めて手術入院をした事をいまだに思い出す。あれから2年以上がたつのだが、あのときの体験がなかったら、五十鈴川を遡って歩くということ、感謝行脚は思い付かなかったかもしれない。昨年、上りを実現したことで、今年は逆に下るという発想は生まれなかったかもしれない。

かなり下流川幅がもっとも広い

まだ歩き終えたばかりで、ゆっくりと反芻する余裕がないのだが、これからの人生事あるごとに、私を励ましてくれるに違いない。

今はただやり遂げた喜びに、唯我独尊的に浸っている。ただ思い付くことに身を委ねる、ただちょっとした自分にとってのアクション実践、無理をしないで無理をする自由を謳歌することの大切さを、今回改めて自分の行為から学んだことのありがたさを、きちんと五十鈴川だよりに記しておきたい。

繰り返す、どれだけご先祖びとたちが築いた無形遺産に導かれたことか、周辺流域の人々が庭先に植えた、紫陽花、カンナ、春のコスモス、山もも、野菜のはな、手入れされた庭先の樹木等々。そして豊かな水流のもとである山々の鮮やかな新緑、偉大な自然の豊かさに導かれるかのように、歩くことができた。もうその事が記せれば大満足である。

ふるさとの五十鈴川に導かれ、大いなるものに抱かれながら、鳥の声、せせらぎの音。清流のたたずまい、すべて私の人生はここから始まったのである。その事の感謝をまるで念仏を唱えるかのように、無為に歩いた。時おり空の青に染まりながら、徒歩徒歩とぼとぼ、子供に還ったかのように歩けたことの幸福を、五十鈴川だよりに繰り返し打っておきたい。

思いの丈を振り絞り、一区切りつけたので、これから先の時間は、もっと自由に存在して、生きて行けそうな気がしている。

2023-06-18

初めて谷本真由美さんの新書版の本を読みました。無知は恐ろしい。そして思う。

 静かな朝の休日のひととき、メルとの散歩を済ませて、穏やかに五十鈴川だよりを打てるなんて、まるで浄土世界に、いったことはないがいるようである。中世夢が原の武士の屋敷の縁側で、夏、誰もいない朝、せみしぐれを聴いていた情景を思い出す。たしか、藤原新也さんが書かれていたかと記憶している(あるいは間違いかもしれないが)この世に天国も地獄もあるのだと。

初めてこの方の本を読みました

さしずめ、私はこの世の浄土に存在しているかのような気分、まさに極楽とんぼである。一転目を転じれば、またはちょっと想像力を働かせれば、この世のあちらこちらで、目をおおいたくなるような、この世の地獄を否応なく生きておられる方が途方もなく存在する。

そのようなことを心のどこかに留め置く感覚をなくしたら、きっと企画することは止める。古希を過ぎて、いちだんと想うことは、ささやかに存在しながら生き続けて今を迎えられていることに対する感謝と、どこか忸怩たる思いである。

この感覚を、日々確認するかのように、五十鈴川だよりを打っているのではないかとおもう。これも記憶にあるのだが、詩人の石垣りんさんの言葉であったと思うが、他者の痛み、もののあわれに、耳を澄ます想像力をなくしたら明日は我が身であると。

作者は失念したが【気がつけば・戦争が廊下の奥に・立っていた】という俳句も新聞で知ったのだが記憶に残っている。年を重ねればあらゆる感覚が鈍くなり、どこかが弱まってくるのは摂理ではあるとはいえ、せめて五十鈴川だよりを打てる間くらいは、世界のあちこちで日々起きている出来事に無関心であってはならない(と私は考える)。(谷本真由美さんの本で知ったがシリアからの難民をのせ、転覆覚悟でたどり着いた島に、そのような報道に全く無関心で、新婚旅行にゆきたいというノウテンキカップルの、世界認識の程度の低さに警鐘をならしておられる)

長いものには巻かれろ的な厭世感が漂い、生成AIに関する記事が見当たらない日はないくらいだが、年寄りとして思うことは嫌な感じの始まりがすでに表面化してきてきているのでは、との危惧である。タモリも戦前の始まりの気配があるとのべていた。なしくずしにあれよあれよと事が決まってゆくことの恐ろしさ。

防衛費の増税が閣議決定された。庶民の一人として思うことは、仮想敵を想定し新しいミサイル防衛構想に巨費を投じるというのは、素直に首肯できない。北朝鮮からのミサイルが飛んできたらどうする。まずはそうならないように外交、叡知を絞って考え詰めるのが大人の方法、態度ではないかと、一庶民としてはごまめの歯軋りである。

風が吹けば桶屋が儲かる。戦争で一番いいおもいをするのは誰なのであるか、子供だってわかりそうな話である。気が遠くなるほどのお値段、超音速飛行機や原子力潜水艦、ミサイルとうの私の関知したくないおぞましき兵器の製造発達には言葉を失う(劣化ウラン弾、レジーカッター、クラスター爆弾、すべて中村哲先生の本で知ったが、先生はこのような武器を造る人間がいることがわからないと書かれていた)地獄の沙汰も金次第のグローバル化である。

思考麻痺、仕方がない、という言葉が私は好きではない。仕方がないということがこの世にあまねくあることは認識しているが、だからといって無関心を装うことはよしとしない。子供を亡くされた母親が泣き叫ぶ様は、生き地獄である。そのような映像はみたくはない。

話は変わる、打つのも気が引けるほどの大惨事、ウクライナの理不尽極まるダムの決壊による平凡な人々の生活がなしくずしにされてゆく不条理、頻発する山火事とうの自然災害。世界の良心のあるジャーナリストの報道に(出来事に)耳を澄ます勇気が私には必要である。

高校3年生の時に田舎で黒澤明監督の映画【天国と地獄】を何度も見た、タイトルが直球である。あれから50数年、戦後78年がたつ、私は71才である。他人事ではない、という感覚をなくしたくはない。

世界の現状はテクノロジーの発達と共にますます悲惨度数が上がっているかのように、私には感じられる。どうしたらいいのか、ひとつ言えることは無関心からは何も生まれないと言うことである。


2023-06-17

岡山の夜間中学で出会ったAさんと、多嘉良カナさんのポスターを創ってくださったNさんが我が家にこられ、そして想う。

 時おり、岡山の夜間中学に出掛け、シェイクスピアの音読レッスンを続けている。

そこで出会った一人の生徒Aさんから、4月23日の多嘉良カナさんの公演直後、長い素晴らしい感想をいただいた。まもなくあの日から2ヶ月がたとうとしている。

【紫陽花の・花が彩る・そこかしこ】

あの日を境に、明らかに何か憑き物が落ちたかのように、楽に生きられるようになってきたような自覚がある。こればかりは自分にしかわからない感覚なのでこれ以上は触れない。ただ言えるのは、何事にもあまりこだわらない、自由自在感が(これが老いるということなのかもしれない)増してきつつある。

話は変わるが、私が夜間中学に教えにゆくきっかけになったのはNさん(ボランティアで素晴らしいポスターを創ってくださった)との出会いからなのだが、Nさんとのことはすでに五十鈴川だよりに書いているので、今朝は割愛する。

そのAさんとNさんが、昨日の夕刻ひょっこり我が家に来られた。AさんとNさんは仲がいい。先日ひょんなことで急遽レッスンができなくなったことのお詫びにわざわざ律儀に来られたのである。Aさん手には2つもお土産を持参で。(妻が驚いて喜んでいました。東京の孫たちに食べさせます。ありがとう❤️)

驚いたのは、急遽レッスン中止のお詫びにわざわざ来られたこともさることながら、一番最初に正座されて、頭を下げて詫びられたことである。あの感想文の律儀という他はない繊細なAさんの長い一文がよみがえった。珍しい方に会えた喜びが一気にわいた。

私は、いまこの一文を昨日の夕刻の出来事を反芻しながら打っている。久しぶりに私にとってよき時間が流れたことの感謝を、この場を借りてAさん、Nさんに伝えたい。

お二人のお顔を眺めながら話していたら、この方たちとなら何か面白いことが企画できそうな気がしてきた。Aさんとはレッスン以外でお話しするのは初めてだったのだが、私にはないそのあまりの無垢な純粋さが、時に眩しいほどであった。(二人とも笑顔がいい)

まだ具体化もなにもしていないのだが、沖縄の友人桑江純子さんの夫である良健さんは画家である。その良健さんの絵画展を岡山でやりたい、と漏らすと、桑江ご夫妻と面識のあるNさんが、桑江さんの個展ならチラシを担当すると即いってくれた。

やる気、情熱を共有できる仲間が7人もいれば、今の私には充分である。やったことがない絵画展の企画動き出した。平行して夜間中学でのレッスンも持続する。

夢が、希望が、生まれてくる対話。風通しのいい関係性、閉塞感をこじ開け新しい風を浴びないと、私のようなやからは萎びてしまう。私よりずっと若い方たちとの共同、共振企画がやりたい。夕刻よき時間が我が家のリビングルームに流れた。


2023-06-14

心身調節機能五十鈴川だより。【梅雨の朝・この世の果ての・ウクライナ】

 雨である。無理はしないで雨が上がるまでは自宅待機、もしくは今日はお休みするるかもしれない。任されている仕事なので、本人の裁量で仕事を進められるのが一番ありがたい。

今年の8月で、このフリーアルバイターになって丸5年になる。私に初孫が授かったのが5年前。コロナのパンデミックから丸3年、そしてウクライナで本格的な戦争が始まって、もう1年4ヶ月が過ぎようとしている。70才で企画したことで、ウクライナという国の名前、言葉は私のなかに染み付いてしまった。

東京の娘のところに送られた紫陽花

時代の未来は誰にも予測がつかない。だがいつの時代も、限りない困難を先人たちは、そして今を生きる私たちも、生きている事実にしがみつき、わたしは五十鈴川だよりを打ちながら、心身を整えている。

想像するのが嫌になるほどの、ウクライナのダムの決壊による、水没災害に困窮する人々の映像には言葉を失う。悲惨というしかない、戦争人災にたいして、長きにわたって平和的な状況しか生きて、経験してこなかった私としては、沈黙、忸怩たる思いである。これから先の未来時間の過ごし方、一人の老人として何ができるのか、できないのか。(考えるしかない)

どこかしら、諦感、といった感じで日々を生きてる。なるようにしかならない。水は流れる方に流れてゆくしかないように、私もまたかそけき日々を流れてゆく。

わすれてゆく器としての私は、だから五十鈴川だよりを打つことにしがみついて、心身の安寧を平衡感覚をキープしているのだろう。もしこの5年間肉体労働アルバイトが、なかったとしたらと考えると、ちょっとゾッとする。

動き、汗をかき、飲み食べ排泄し、新陳代謝を繰り返しながら考え日々を生きる。私の場合読んではいないが、ヤマザキマリさんの本のタイトルのように、動きながらしか考えられない体質なので、このアルバイト先に巡り会えた幸運を毎日のように感謝している。一仕事終えたあとの達成感、充実感が単細胞の私にはあっている。

まるで日々トレーニングするかのように労働できる環境で過ごせていられルからこそ、かそけき流れではあれ、充実した今が生きられているのだ。そして思う、若い頃から今に至るも華奢で肉体労働が苦手で、本を読むことも文章を書くことも大の苦手立った自分が、世の中に出て53年、今ではこの3つが欠かせない自分と化してしまっているのが不思議である。

人間は変化し続ける器である、とつくづく思う。もっと打てば変化し続けないといきられない器である。自分のダメなところ、弱点を克服しながら、尺取り虫のように、確実に一歩一歩歩を進めてゆく面白さは、やはり富良野での3年間と、中世夢が原での22年間で培われたからこそ、今があるのだと梅雨真っ只中の朝に思う私である。


2023-06-11

私はなぜ企画するのか、私を突き動かすものは、情動のゆくへ、梅雨空の彼方に想いを巡らせる朝。

 ほとんど雨が上がっていたので、ルーティンのわずかな時間だが裸足散歩と、懸垂をやって五十鈴川だよりを打つために家に戻ってきた。日曜日の朝の運動公園は、小雨もまだぱらついていたので、運動場には誰もいなかった。

だあれもいない運動場で、早朝裸足でひとり散歩をするのは、誠にもって気持ちがいい。そう、気持ちがいいことしか、可能ならもうやりたくない、というような気持ちが強くなってきている。時間は有限であるということを痛く実感するからである。

多嘉良カナさんの企画を終えてからは、良い意味でますます自然体になって、気持ちよく持続できることにのみ、エネルギーを燃やしたいのである。基本的な家族との日々の暮らし、生活を基点にしながら、音読や企画をやりたいのである。まずは何よりも基本的な生活をし、体調を整えたうえで、体が喜ぶことを自由自在にやりたい。草取り(ますます好きになってきた)をする企画者でありたい。

親友K氏から送られてきた素敵な小鉢

そしてそんな私を理解してくださる、これまでで会えた友人や仲間との関係性が深められてゆけるような企画を実現したいのである。

多嘉良カナさんの企画は、桑江純子さんというオリジナルの沖縄人形劇(沖縄の歴史に深く根差した妖精や芸能者が活躍する、もちろん人形は手作り、この人形が素晴らしい)の尊敬する方との出会いなくしてはあり得なかった。

無謀にも非力を省みず多嘉良カナさんの企画が実現したのは、これまでの人生で私の企画を支援してくださるかたたちの存在があったればこそである。

私は高邁な理念があって企画してるのでは全くない。なにか私の琴線にふれたり、未知のこれまで出会あったことのない人間のオーラを感じ、自分自身がビックりし、偶々出会えたことを寿ぎ感謝し、企画してきたのがほとんどである。

理屈を語る言葉は持たないが、実現しているのが自分でも不思議な位なのである。ごく普通に生活しながら、あくまで生活力をバネにして今後も未知の企画できれば、と願うだけなのである。ただ言えるのはやりたいと心から願えば叶ってきたという事実である。

そういう意味では、私はふわふわした企画者ではないつもりである。軽い企画者では在るが、どこかリアリストでないと企画は叶わない。労力も金銭も絡むのだから。本当に企画したいのか、かどうかが問題なのである。

無理をしてもろくなことにはならない。あくまで私自身の心と体が喜ばないことはやりたくもないしできないのである。たまたま10年ぶりに、能楽堂ホールで2年連続企画をすることが実現したが、今後のことは全く白紙である。

とは言うものの、桑江純子さんの夫くんであられる桑江良健さんは画家である。絵のことには全く門外漢の私である。絵の個展は企画したことがない。(我が家以外では)だが、桑江良健さんの個展は、年内か余裕をもって来年春には企画したい。

何故か。言葉は不要である。人間が、絵が素晴らしいと私が感じルからである。

2023-06-10

親友K氏とかそけき友人I氏との関係性、豊かさとは幸福とはなにかに想いを馳せる梅雨の朝。

 木曜日、予定より一日早く東京から妻が帰ってきた。妻不在で10日ひとりで生活したのは初めてである。いずれも孫が生まれたときに過去2度上京しているが、一週間であった。それより少し長かったにだけなのだが、私があれから二つ年を重ね、古希を過ぎていることもあって、この10日間はある種の思いを巡らすには、よい時間であった。




その思いのいちいちを記すことは、やぼったく気恥ずかしくとてもではないが、ボケが近いのではないかと思われるといけないので、五十鈴川だよりであれ打たない。私は打てることしか絶対的に打てない。ヒトはそれぞれに秘密を抱えて生きるのが、いいのだとの側に私は立つ。

もっと打つなら、秘密を抱えてたんたんと必死に前向きに、体をはって生きているヒトに私は引かれる。安全なところに居てのうのうと生きていられる御仁にはとんと魅力を私は感じない。

さて。話は変わるが私が肉体労働アルバイトをしている先の菜園場で、これまでで初めてと言っていいほど、見事な玉ねぎを収穫した。その玉ねぎを4月の私の企画でお世話になったかたたちに(遠方にすんでいて観にこれなかかったにもかかわらず支援してくれた)少量ではあるが送っている。

まず、我が長い付き合いの親友K氏に送った。と、なんと彼も家庭菜園をやっていて、お孫さんたちと収穫したという見事なじゃが芋がすぐ折り返し届いたのである。今日はそのジャガイモと私の育てた玉ねぎをふんだんに使って、カレーを作るつもりである。

香川に住む大切な14才年下の友人、I氏にも送った。そのことで偶然氏のお誕生日を知ることになった。素敵な奥さまの玉ねぎをまるごと一個使った見事なお料理写真が送られてきた。私は心がほんわかした。そのほんわか感覚は、君子の交わりの深入りしない、長い関係性お付き合いのなかで培われたものである。

I氏から送られてきたお料理写真



K氏からのチキン玉葱ジャガイモオープン料理

K氏とは45年、I氏とは27年の交遊である。日常での交遊はほとんどない、非日常交遊。

だが、私がなにかことを起こすとき、特にこの2年間の企画では物心両面でいの一番に支援してくださる。まさにかけがえのない人徳を備えた人間なのである。(鳥取のM氏もその一人)

そして私は想うのである。この年齢でこのような交遊が持続継続できていることの、言葉には尽くせぬ有り難さを。そしてその嬉しき有り難さ感覚を言葉でもって五十鈴川だよりに打たずに入られない絶対矛盾的な私なのである。

先日写真をアップした福岡伸一先生の動的平衡論に私は深くうなずく。ゆく川の流れはもとの水にあらず、よどみに浮かぶ(私は)うたかた、消えかつ結びて、ひさしくとどまりたるためしなし、なのである。

日々、私は消え、日々私は甦る。老いゆく今も生成流転、生滅を繰り返しながら生きている。しかし関係性が途切れず流れてゆくことの不思議、奇跡性を想うのである。こういう関係性が在るということが、現在の私の宝、贅沢な心境なのである。(食べ物は本当に大切である)


2023-06-04

ウクライナの置かれている子供たちの慟哭に、耳を澄ます五十鈴川だより。

 昨日夕方日没前、運動公園にルーティンに出掛けたら、東の空に出たばかりの白い大きくまあるい月が浮かんでいた。三鷹に住む義理の息子の周さん同じ頃ベランダから眺めている月の写真が送られてきていたのを、今朝知った。

世代も育った環境もまるで異なるが,、私の娘たちの旦那さん二人とは、よき関係性がいい感じで保たれていることに、いいようのない喜びのようなものを感じてしまうのは、報道や身近なニュースで家族のありように関して痛ましさを覚えるような事例が枚挙にいとまがないくらい溢れかえっているからである。

【砲弾が・トラウマを生む・ウクライナ】

だからといって、私にはなすすべもないのだが、せめて自分の家族(自分に家族があり、自分に3人の孫がいる、その事がいまだ信じられないくらいの、小さな幸福感に満たされている)とは、風通しのいい関係性でありたいというおもいが強いからである。

血縁の繋がり、たまたま我が家に生まれたがために、家族としての時間を共有し、積み重ねてきた関係性の強さ、思いでの記憶の集合、その絶対性が私にとってのかけがえのない家族である。言葉には置換できないほど密な関係性、それが私の家族ある。

民族、歴史、言葉は異なるがヒトは本能的に家族を持つ。ウクライナでは終わり無き不毛な戦争がいまだ続き、時おり目を背けたくなるような映像が飛び込んでくる。もう打つのも嫌なのだが、平和を享受していきられる側にいるものとして、あえて打つ。

もし自分がいきなり理不尽な事態で家族の誰かがいなくなったとしたら、どのような心理状態におかれるのだろうかという、内なる問いに対する想像力である。その問いに対する答えはようとしてわからない。きっと経験したものにしか関知し得ない(と思う)。

だから想像しない、無関心というのは、私の場合家族を持ったがためにもはやあり得ないのである。もう高齢者である私には思考する時間は限られている、思考が、ささやかであれ企画となってアクションを生むのであれば、年齢は言わず、わすれ、思考したいのである。思考しないとアクションは生まれず、企画も生まれないからである。

このような事を打つのは、先日真夜中のラジオでウクライナからの現地に住む日本人のかたからのリポートに胸が痛んだからである。たまたま自分は生き延びたが、そばで兄が爆弾を浴び即死し、以来そのトラウマをいきている子供のことなど、あまりの不条理に暗然とし目が覚めたからである。

高齢者ではあるが、ささやかではあれ傍観者ではありたくないという想いが消えない。かといって身の程を越えたアクションは苦手である。生成流転ならば、地上(ここ)から月のエネルギーを浴びながら思考をめぐらさねばと祈るのである。やがてはあらゆる感覚が高齢で麻痺してしまうのは致し方ない、がいまはまだ辛うじて痛みに感応する何かがあるのだから、思考しアクションを起こさねばと念う。

2023-06-03

毎日歯を磨くように、よき言葉に出会い、体を動かしセンサーを磨き、アンテナをたてる。

 昨日とはうって変わった素晴らしいお天気で、すっかりいい気分で朝の光を浴び、掃除洗濯買い物、朝食を済ませての五十鈴川だよりタイムである。報道によると、新幹線が運休していたり、エリアによってこうも違うのが、何やら申し訳ないくらいのお天気である。

ささやかな我が家の新緑の葉が陽光に映えている様は、限りなく目にしみこんで優しい。アジサイの花がほころんできている。歳とともに我が家の庭の花ばなに、なんとはなしに目が向かう。お天気次第でこうも気分が変わるのだから、いいかげんなもの(わたし)である。

妻が育てたハイビスカス

妻に水やりを頼まれている花もあるので嫌でも庭の細部に目がゆくのである。愛でるひとときの味わいは老いの幸徳である。陽光に映える庭を眺めながら飲む休日珈琲タイムは至福である。こういうことを臆面も打てることこそが、平凡な幸せなのだろうと感じ入る。

ささやかな自分の拠点、居場所で誰にも気兼ねせず穏やかな気持ちで過ごせるということのなんという有り難さ、妻は不在だが猫の花と犬のメルが絶えずそばにいるのでひとりぼっちという気がしない。そばにはいないが、妻からはメールが入るので、それもまたよしである。

妻不在でまる5日があっという間に過ぎた。妻が普段の生活でいかにあれやこれやの事をこなしているのかが実によくわかる。この際私は自省して生活雑事を楽しむようにやっている。

話は変わるが、通販大手で知らない人はいないと想うが、ジャパネットたかたの創業者のお話を、先日たまたま早朝(朝4時からの)寝床で聞いていて感動した。私よりも3才年上だが、そのあまりの語り口の若々しさに一驚した。(いいお話を聞くと気分爽快で目覚める)

いちいちはとてもではないが記せないが、一つだけ。パッション・ミッション・アクション、3つが自分には必要だとおっしゃっていた。情熱・使命感・実践の3つである。経済人なので凡ぷの私には理解の及ばないところがあるにもせよ、その後ろを振り返らない、数々の試練困難をひたすら前向きに思考する感性力、行動力に脱帽したのである。

どんなことでもいい、自分を伸ばす力をいくつになっても養う面白がる精神力は、特別な才能とかではなくどのようなヒトにだって与えらていると、信じる側に立つ私としては大いに勇気づけられるお話で、感動した。

ようは自分を信じられるか信じないのか。私のようなものでもこの歳までなんとか平凡に世渡りできてきたのは、比較するのもおこがましいが、感動するバネを見失わないように、自分を信じて決断し、振り返る暇を惜しんで前を向いて歩んできたからだ。(と思う)

早起きは3文の徳という。亡き母が、晩年NHKのラジオ深夜便を聞いていた。私もそのような年齢になり昨年暮れから、特に朝4時からの明日への言葉や、いろんな分野でひとつの時代を築いた方がたのインタビューを聴くように心かけているのだが、実践に裏付けられているヒトの言葉は、やはり素晴らしい。ただで知的活力がいただける。

言霊、言葉の刺激を受ける、共振する体がある間は、老いの伸びしろがあるのだと勝手に思うことにしている。生きてみずみずしい言葉を浴び、体のセンサーを磨かなくては。【梅雨の朝・陽光きらめき・カタツムリ】



2023-06-02

【五月雨を・聴きつつ想う・老いの旅路】珍しい梅雨夕刻の五十鈴川だより。

 台風が近づき、いつもより早く梅雨入りしはや6月、今も小雨が降っている。今日は終日雨だったが、午前中仕事にゆき、2時間ちかくカッパを着て草刈りをした。このような雨の中、この年齢で草を刈るなんてことは妻がいたら、まずやめなさいと言われるのは承知している。だが妻は今週月曜日から娘の所に上京しているので不在なので、一寸迷ったが気分転換に汗をかきたくて出掛けたのである。

文章が素晴らしい

トレーニングのつもりだったので、10時過ぎには帰ってきた。妻が不在ということは当たり前だが、日常雑事をすべてひとりでこなさないといけない。

買い物掃除洗濯、メル散歩、自分のご飯など、一日は瞬く間にすぎてゆく。すべてにおいてルーティン的にやることがまずあるというのがいい。それをやってから自分の好きなことを大事に集中してやる。時間は有限である。

古希を過ぎて、自分で言うのもなんだが、以前にもまして一日一日を大事に丁寧に過ごすようになってきた。60代それなりに悔いなく生活できたので、70代はいよいよ晩年の黄金期ってなな塩梅で過ごしたいと、切に想うのである。

雨の中の草刈り、梅雨のうっとうしさをまるで歌の文句のように、孫がピッチピッチチャップチャップと雨を楽しむように、自分もまた遊びたかったというのが、本音である。

お昼を手頃な感覚で、暖かい肉野菜そばを作り、昼食後お昼寝、夕方雨が小降りになったので、運動公園にゆき、雨の中傘も差さず懸垂と裸足散歩。さすがに裸足で雨に濡れながら散歩しているのは私しかいなかったが、実に気持ちのいい裸足散歩、わずか15分程度なのだが実に気持ちがよかった。

今も足の裏がじんじんしているのは、血行がよくなった証拠である。懸垂は70才で始めてまる8ヶ月だが5回以上できるようになったが、これ以上は無理をしないで2日に一回程度続けようとだけ思っている。この5年間で私は3人の孫たちに巡り会えたのだが、つくづくおもう、いいこともよくないことも、一寸先の未来は何度も書いているが、未知との遭遇なのである。

そういう意味では極めて個人的なことではあるが、ささやかな慶賀が我が人生の下り坂に起きていることを、素直に私は天に感謝し、雨の中草刈りしながら、雨の中裸足で散歩しながら、いまを生きる一日を噛み締めるのである。

上京中の妻から時おりメールが入る。時おりちょっと離れて生活することで、お互いを新鮮に再確認、再認識できる。これ以上野暮なことは控える。自立した老人黄金期が過ごせるか否か、まずは老人生活の自立の基礎ができてもいないのに、企画をするなんてことは慎まねばという自戒の念が深まる。

世阿弥は離見の見という言葉を残している。【五月雨を・聴きつつ想う・老いの旅路(みち)】