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2023-05-20

稲城最後の朝、リビングルームで打つ五十鈴川だより。

 土曜日、稲城最後の朝リビングルームで打っている。日曜日の午後についてまる6日が過ぎた。昨日最後のランチを私が用意したのは、サワラの焼いたのと、ニンジンキュウリ入りのポテトサラダ、サラダお味噌汁は娘。お昼ノア君は保育園なので、この3人での昼食。

まる5日間、お昼のメインを用意したことで、すでに書いたが古希をすぎて、遅蒔きに失したかもしれないが調理への関心が出てきた。遅すぎるとは思わない。あとはいかにこれから持続できるかにかかっている。古希をすぎたらもう一切これまでのことにはこだわらず、だれになんと言われようが、自分に与えられている時間を、わがままに過ごしてゆきたい。

赤いのはクワガタのゼリー

私のつたなくもささやかな手料理を、娘とレイさんが喜んでくれることがなかったら、このような気持ちは芽生えなかったかもしれない。親子といえども他者である。娘たちや孫たちのお陰で我が人生の晩年は、ありがたいという他に言葉が見つからないほどの充実感を覚える。

人生訓などはわたしには似合わないのだが、歳を重ねるなかでしか感知し得ないような感覚のふかまりを個人的に覚える。ネガティブでもポジティブでもなくあるがままのいまを面白がる。この5日間は、毎日五十鈴川だよりを打たせずにはおかないほどのものだ。

夕飯は金曜日の仕事を終えたレイさんが、粉を発酵させて美味しいピザを作ってくれた。もちろんすべて手作り、お世辞でもなんでもなく、これが年よりの私にも旨いのなんの、一行なんとしても打っておきたい。ピザに合わせてノア君が大好きなポタージュも、娘が未彩のケアの合間に手作りした。そのことも書いておかねば。

私が五十鈴川だよりを打っている合間、レイさん、娘、ノア君3人での会話がリビングルームに響きわたっている。おくるみの中で、未彩がその声を聴いている。平和である。

ともあれ何だかんだと、普通に生活するなかでの、楽しい思い出の締めくく五十鈴川だよりをわずかでも打ちたいお爺なのである。今日はこれから三鷹の次女のところに移動する。今回の最後の一日はどのような一日になるのか。老いゆく未知が待っている。

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