一昨日、10年ぶりに中世夢が原にわずか一日だがボランティアに出掛けた。元気なうちにいま行かねば後悔するとおもったからである。
子供たちが多いのだが(もちろん大人にも)弓の持ち方や引き方を教えたり、竹トンボを作らせたり(ナイフの削り方を教えたり)独楽回しをしたりしながら、10年前GWにやっていたこととほぼ同じことをし、来園者の老若男女と交流した。
我が家のご神木ハッサクの花が満開 |
10年ぶりではあったが、おもった以上に体が動いて、楽しい時間が過ごせた。まるで本当に時間がタイムスリップでもしたかのように、武士の屋敷の縁側に自分の体が自然に馴染んでゆくのがよくわかった。
一期一会の多様な来園者との交流もスムースに過ごせ、何よりも子供たちとのつかの間の交流はなんとも言えず、世代を越えて人間同士、まるで体を血の電流が流れるかのように、みるみる子供の顔に生気がみなぎってゆくのが感じられ、思い付いてボランティアにゆき、本当に良かったと何度も一人ごちた。
熱中して弓を引いて遊ぶ神戸からきた男の子5年生と、女の子6年生、(この二人は的に命中するまで熱中した、プレゼントに竹トンボもして、仕上げは私が。きっと一生忘れられない思い出が)他にも何人もの子供の姿が脳裡に残っている。大人でもフィリピン人女性と日本人のカップルが強くいまだ印象に残っている。笑顔や歓声にまさる悦びはない。
交流しているうちに、40才から離職するまでの22年間、この武士の屋敷の縁側でいったいどれだけのヒトと言葉を交わし、交流したのだろうかと、ふと考えたのだが、いまはっきりと言えること、想うことは、わが人生の黄金時代をこの武士の屋敷の縁側で過ごせたことの有り難さである。その事をきちんと五十鈴川だよりに打っておきたい。その事を噛み締めた一昨日のいわば予期せぬ出来事、ボランティア思い付き体験となった。
多嘉良カナさんの企画を終え、いうに言えない自由自在感覚が一段と増してきている、おそらくそのいうに言われぬ感覚の発露が、私を武士の屋敷の縁側に赴かせたのに違いない。
ボランティアに行く前日、孫の未彩が生まれたのも大きい。10年ぶりの武士の屋敷の縁側ボランティアは私に新たなエネルギーをもたらしている。
住んでいる西大寺から中世夢が原まで、往復するのは距離的に時間がかかるるけれど、月に一度くらいなら無理なくボランティアできるような気がしてきた。現在の自分の体力の許す範囲で無理なく実践したい。
昨年、中世夢が原は開園して30年を迎え、今年31年目に入っている。この年齢になってみて改めて想うことは、私はこの場所で22年間、鍛えられ育てられたのだということである。多嘉良カナさんを企画できたのは、中世夢が原での22年間があったからこそである。
10年ぶりに武士の屋敷の縁側に座って思ったことは、ここは天然の【夢が原能楽堂】であったのだと気付いたことである。夢が原は、私に限りない夢のような企画を実現させてくれた、わが人生の飛びきりの【場所】なのだと、多嘉良カナさんを企画できて気付いたのである。
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