5月2日長女に二人目の子供が授かった。女の子である。義理の息子のレイさんから母と生まれたばかりの子供の写真が送られてきた。暫し、写真に見いった。兄となった望晃(のあ)君は5才、次女の葉君は7月が来れば2才となり、私にとっては3人目の孫となる。
このような我が家にとっての慶賀をわずかであれ、記録としてのわが思いをつたなくても記しておくことが、歳と共に大切なことではないかとの思いが深まっている。レイさんからの写真で特に印象的だったのは、生まれたばかりの未彩(みあ)を宝物のように抱いているレイさんの姿と、娘の表情である。
妻が挿し木から育てたうららと言う薔薇 |
自分が初めて父親になった(させてもらった)ときのことがにわかに甦ったのである。
さずかった子供をある年齢まで育て上げることの道は万人が等しく人間が背負ってゆく運命である。これは我が身を振り替えって想うことだが、子供という新しき命と対面したとき、ようやく私は人間としての本質的な入口にたたされた責任を、遅まきながら自覚したのをついこの間のことのように思い出す。
あれから34年の歳月が流れ、71才で3人の孫に恵まれたというのは、感慨もひとしおという言葉しかない。与えられた一日一日を積み重ねるしかないのである。再来週から産後の娘のお手伝いに8泊9日出掛ける。嬉しく楽しみである。再三爺バカのように打っているが、晩年のこれから、爺の役割というものに静かに思いを巡らすということが、改めて大事になってきた。
それを言葉にするのは野暮の極み、行動実践あるのみである。役に立つお爺であるためには、まずは私自身が健康で、孫と遊べる体を一年でも長くキープすること、それ以外にはない。それは孫に恵まれて初めて思いしったことである。
こればかりは授かったものにしかわからないし、他の人はともかく私にはそうなのである。物質的にはほとんどなにもしてやれないが、読み聞かせ始め、幼少期に大切なことの幾ばくかは役に立てるのではないかと自負できることがあること。健康体であればこそ、つつましくいま心からそう思えること、それは言い尽くせない宝、ありがたい新しい時間なのである。
これまでの生きてきた軌跡がお役に立つということ、孫という新しい存在の役に立てるということの循環性の持続、言わばこの事のためにこそ、私という年よりは存在しているのではないかとさえ思えるのである。
多嘉良カナさんの企画を終えて9日めに授かった3人の孫の存在は、陳腐に埋もれそうになっている【平和】という言葉の尊厳、かけがえのない重さを老いの身に突きつける。平和というありがたさをややもすると慣れきって忘れがちである。改めて孫の命の輝きから、平和の尊さを確認する企画をこそやりたい。企画者として、多嘉良カナさんを企画できたことでその念いは深まる。
(昨日、中世夢が原の武士の屋敷の縁側で午前9時過ぎから、午後3時までGWのボランティアに10年ぶりに出掛けたのだが、その事はまた明日書こうと思う)
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