K氏、この友のことは折々打っている。出会ったのは26才の時のロンドンのアールスコートのユースホステル。以来のお付き合いだから、もうまる45年になる。こうも長く関係性が継続持続している年齢が近い友は氏一人である。
何度も疎遠になりかけたのだが、私のような人間と長きにわたって交遊を絶たずにいてくれることに関して、私としては感謝の言葉しかない。その事をまずはきちんと、彼に五十鈴川だよりに記しておきたい。
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K氏が参加しているワークショップ |
ひとくちに45年、どんな人間であれ青春期から古希を過ぎるまでには、風雪の数々、試練が訪れ、それを乗り越え、その中で絶えず関係性を確認しつつ、お互いの家族を大切にしながら君子の交わりが、今もこうやって五十鈴川だよりを打たせるほどに、持続していること、その事実に私は素直に驚いている。
なぜなのか、なにゆえなのかを分析する趣味は私にはない。ただ言えることは、この友に関してもだが、私は自分の中にある、人には見せたくないというか、いわゆる恥ずかしい部分を結構臆面もなくさらしてきた。もうこれで関係性が途切れてしまうかも、というような言葉も何度か浴びせてきた。(申し訳ない)。
だが時間がたつと、まるで傷が消え、より深い関係性が以前とは異なる感じで年輪を刻むかのように揺るぎない感じに深まってきているのである。なぜか。分析ではなく私なりに思うことは二つである。ひとつは先ず家族を大切にしていること、もうひとつはささやかに夢を諦めない、夢を育む努力を彼なりに続けている、その二つが私との共通項として挙げられるのではないかと思える。
私が自由自在に、この年齢でも企画ができるのは、一も二もなく夢の共有ができる友人に恵まれているからなのだが、彼はその筆頭なのである。昨年と今年連続して企画が叶ったのは、彼の純粋な応援が勇気を与えていることはまず間違いない。家族を含めた無私の理解者、応援なくして私の場合企画は絶対的にまず不可能である。(2回ともK氏は諸般の事情で見にはこれなかったにも関わらず多大な支援をしてくれた)
そのような我が友の、この10年の間の人間としての変化は実に私を驚かせる。授業料を払って映画俳優の勉強を始めたり、映画のオーディションを受けたりと。(実際映画にも出ている)昨年は釜山国際映画祭に自費でいったりして、学んでいていよいよ私を驚かせている。
特にウクライナでの戦争が始まって以来、一気に社会的な事柄にもアンテナを広げ、LINEでしょっちゅう自分が見つけた新聞記事や素敵な本を私に知らせてくるのだ。絶えずささやかな好奇心を失わない感性を持続、磨いているのである。それがゆっくりと彼の中で発酵して育ってある日突然、芽を出すのである。(と思える)普段の一日の丁寧な積み重ねしかない。
我が友は今年の12月が来れば69歳を迎える。私より二つ年下である。そのような彼がまたもや私を驚かせる出来事が先日起きた。長くなるのではしょるが、東京新聞主催のシェイクスピアのロミオとジュリエットの(毎週土曜日3ヶ月)音読ワークショップに5月13日から参加しているのである(講師は俳優座の森一氏)。全8回のコースで参加費は3万9000円である。
その心意気たるや、見上げたものであるという他はない。我が友は向学心が一気に目覚めた感じで意気軒昂、そのような友人がいるという事は、いよいよこれからの私の人生を明るくさせる。人生この歳になって思うのは、夢を共有できる友の有り難さである。なんといっても一番嬉しいのは彼がシェイクスピアに関心を持ち、持っただけではなく実践音読に挑んでいることである。
シェイクスピアが大好きな私にとって、彼との共通の話題ができることになろうとは、予想だにできないことだったので、この先の展開が実に楽しみなのである。シェイクスピアで共通の刺激を持ち、啓発し会える関係性が交遊45年めから、またもや始まるなんて夢のようである。
贅沢とは、ワクワクすること(できる体があるということ)である。18才で世の中に出てからこの年齢まで、かろうじて今現在もささやかにワクワク感があるいまを生きている。その事を五十鈴川だよりに臆面もなく打てる事がありがたく嬉しい。
PS K氏とできるだけ早い機会に、企画か、音読会か、45年の交遊を祝してなにかやりたい。