昨日の夜から長女のところにステイしている。住み慣れた岡山の家とは違って体がどこか住まいにジャストフィットしていないが、この五十鈴川だよりは目の前で娘がリモートワークをしている同じテーブルで打っている。斜め前に娘が座っているそばで打つなんてことはもちろん初めてである。
東京は朝から雨なので、予定を変え午後から動こうと考えている。先程まで娘のマンションの図書室で友人にチラシ同封のお便りを5通ほど書いた。まったくこのような時代に万年筆を使ってわずかな一文ではあるが、それぞれの人に向かってお便りを書くなんてことが、これからますます増えてゆくような気がする。
望晃君が造った作品 |
きっと年のせいだと想うが、これから新しいことに挑むよりは、これまで主にやって来たことをより深めてゆきたいというか、そういう時間の過ごし方をこそ大切にしたいのである。
上京してくる度に会いたいと思う貴重な友人がいるのだが、明日と明後日はその友人に会う予定である。もうこの年齢になると、会えるときにあっておきたいし、会えるのであれば元気に会えるひとときをこそ最優先、大事にしたいのである。
このようなことを打つと年よりじみている、と思われるかもしれないが、老いゆく身にならないと、個人差があるとはいえ、わたしの場合はそうなのである。心から会いたい人がいることこそが贅沢な宝なのである。
話はこつぜんと変わるが、昨日は長女の息子5才tになったばかりの孫と一緒にお風呂に入った。あっという間に孫は成長している。その事に感じ入るちょっとした出来事があった。わたしが肩の凝りで方にサロンパスを貼っていたら、これは何と訊かれたので、説明した後はがしてくれと頼むと、面白がって剥がしてくれた。感心したのは風呂から上がるときに、きちんとぎみ箱にいれないといけないと言ったことである。
爺バカを承知で打たせてもらうが、わたしとの距離感というか接し方も、ずいぶん変化し、ちょっと寂しく感じられるほどに、数ヵ月会っていない間に望晃くんは成長していた。その事をきちんと五十鈴川だよりに打っておかねばならない。
わたしが元気に生きている間は、折々偶さかにしか会えないが孫とのつかの間時間の、極めて個人的な平凡な出来事を記しておきたいと思うのである。だってすぐ忘れるのだから。忘れないうちに時間をピンで止めるのである。
それともうひとつ。娘がわたしと共に歯磨きなさいと言ったら、面白がって二人で歯磨きをしたのだが、何事も面白がってやるところにわたしはフムフムと感心したのである。素直に何でも好奇心が旺盛に育っている。その事にわたしは安堵するのである。
素直さと好奇心が何よりも大切である。この年齢になるとだんだん好奇心が衰えてくる。お爺は孫から刺激を受ける。時に疲れるが、それは楽しい疲れである。孫にたいしてわたしがやれることは限られているが、読み聞かせと、文字の書き方だけはいくらでも教えたいと思う。
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