3月4日の朝である。ポスターはまだだが、チラシがNさんのご尽力で3月1日午後4時にできた。3000枚のチラシはずしりと重い、その足でまずは能楽堂ホールがあるRSKに向かい、ホヤホヤのチラシを届け、その近所に住んでいて、私の企画を物心両面で変わることなく支援してくれている、ジャラン(いつもありがとう、いつかあなたのことを五十鈴川だよりに書きます)に届け、他にも午後5時半まで何ヵ所かに届けることができた。
そして昨日、一昨日と、仕事を終えて家でゆっくりと昼食を済ませ、チラシ配布に動いた。本格的な歩き行脚のチラシ配布は10年以上やっていない。岡山の中心部に点在する、文化施設やギャラリーカフェ等にチラシを置いてくれるように頼むのだが、中世夢が原時代にやった経験が、ずいぶん長いことやっていないにも関わらず、想像以上にはかどり、わずか3日間で、800枚近く配布を終えることができた。
裏面は明日アップします |
だから今日と明日はまずは、私の企画を支えてくださっている方々に、チラシを郵送する(80名くらいのかたに)作業を午前中に先ずは済ませて、日々その日の体調と相談しながら、合間合間にチラシ配布に動くつもりである。
Nさんがボランティアで素敵なチラシを創ってくださり、私の企画なので、何はともあれ自分でチラシ配布に動きたくなるのだ。動きがとろくなったとはいえ、その配布したいというこけの一念的な思いは、企画を始めた31年前とまったく変わらない。
仕事で企画しているのではないのだから、自分が心からやりたい企画であるのでチラシ配布も今のところ苦もなくやれている。が、やがてはきっとできなくなる。その事を今回は噛み締めながら配布している。やがてはできなくなるであろうチラシ配布、だが今はできる、その事の重み、老いゆくなかでの楽しめるのか、楽しめないのか。楽しめている実感がある。だから思いの外はかどっているのだと思う。
あくまで願望だが、3月中にポスターチラシの配布をおえ、4月に入ったらメディアへのPR他にシフトしてゆくつもりである。定員200名、プレイガイド岡山ぎんざや50枚のチケットを預け(た)あとは行商するかのようにチケットを売りにいきたい。
これからほぼ一月、3月中どのようにチラシ配布が進むのかまったく予測できないが、はっきりわかっていることは、肩の力がまったくといっていいほど抜けていることである。結果はともあれ、私の企画を支えてくださる方々がいる間は、悔いなく企画者の魂心根を動かしたい、との思いなのである。
動いて歩いていると、世のうつろい、人間のうつろいが透けて見える。これはリモート感覚では得られない。おもわぬ市井の片隅で素敵に存在している人と出会える。この喜びは配布したものだけが味わえる喜びである。オーバーではなく一期一会の配布なのである。
この底知れぬ不安感が底はかとなく漂う世相のなか、必死で生活している人びとと、チラシ配布という行為で偶さか声を交わし合う。かげろうのような言葉のやり取り。チラシがなかったらうまれない。(のだ)この積み重ねなくして、能楽堂ホールは埋まらないのである。私の企画に足を運んでくださる方々に出会うには、私の基本的な方法は、たったひとつ、先ずは歩いてチラシ配布、ことから始まるのである。それはどこか見えない山に上ってゆくような感覚なのである。
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