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2023-03-25

次女のマンションで、息子、二人目の孫葉君と遊ぶ、雨に煙る下連雀でのひととき。

 昨日から三鷹は下連雀にある次女のところにお世話になっている。昨日と一転して冬に逆戻りしたかのような冷たい雨が昨日から降り続いている。次女は今日仕事なので留守だが、夫のSさんと孫の葉君と3人で午前中楽しく過ごし、葉君がお昼寝したすきに、つかの間五十鈴川だよりを打っている。

この夏7月で、2才を迎える葉君なのだが、お正月以来の直対面を(昨日は帰宅が遅く対面が叶わなかった)朝早く迎えたにも関わらず、好奇心満々で物怖じせず、即わたしと打ち解け遊んでくれたのが何より嬉しく、わたしもまた共に遊べたことが嬉しく、その事を打てばもう他には打ちたいことも特にないのである。

葉君がはまっている数字表

毎度毎度同じようなことを繰り返し打つことになるのだが、わずかではあれ記録という意味で一行でも打っておきたい気になるのは、葉君のえもいわれぬ輝きの一瞬を記しておきたいからである。その事は長女の望晃君についても、まったく同じである。

爺バカといわれても、わたしはまったく馬耳東風、頓着しない。それほどまでに二人の孫の存在は再会する度にわたしを驚かせる。時に体力が追い付かないのだが、一日でも長く共に遊べる体力をキープしてゆかねばという気になる。

そういう意味で、これからの一日一日、我が身をいかに老けこまないでキープしてゆくためには、どう生きればいいのかと問わずにはいられない。

わたしの子供時代とは激変した時代環境のなかを、わが孫たちは今も生きているし、これからも生きねばならない。そのような最中、これからの我が家に於いてのわたしの役割を、いかに務めていけばいいのかを、以前にもまして真面目に考え始めたわたしがいる。

孫はわたしに、オーバーではなくいかに老いて行けばいいのかという、永遠の命題を嫌でも考えさせずにはおかないのである。このようなことを打つと何やら照れるのであるが、照れても仕方がない孫の存在はわたしの行く先を照らし、変容を迫るのである。

だからわたしは、いかなる変容がこれからの我が身に起こってくるのか、あるいは起こらないのか、が実は楽しみなのである。親は必死で子供の成長を見守る。お祖父さんであるわたしはいかほどのこともできないけれど、わたしなりのお祖父さんの役割のようなものを考え続けたい。睡魔に教われながらもお父さんが創った特性うどんを必死で口に運ぶ葉君の姿に感動したことを、打っておきたい。

2023-03-23

お正月以来長女家族に会い、望晃くんの成長に刺激を受ける、五十鈴川だより。

 昨日の夜から長女のところにステイしている。住み慣れた岡山の家とは違って体がどこか住まいにジャストフィットしていないが、この五十鈴川だよりは目の前で娘がリモートワークをしている同じテーブルで打っている。斜め前に娘が座っているそばで打つなんてことはもちろん初めてである。

東京は朝から雨なので、予定を変え午後から動こうと考えている。先程まで娘のマンションの図書室で友人にチラシ同封のお便りを5通ほど書いた。まったくこのような時代に万年筆を使ってわずかな一文ではあるが、それぞれの人に向かってお便りを書くなんてことが、これからますます増えてゆくような気がする。

望晃君が造った作品

きっと年のせいだと想うが、これから新しいことに挑むよりは、これまで主にやって来たことをより深めてゆきたいというか、そういう時間の過ごし方をこそ大切にしたいのである。

上京してくる度に会いたいと思う貴重な友人がいるのだが、明日と明後日はその友人に会う予定である。もうこの年齢になると、会えるときにあっておきたいし、会えるのであれば元気に会えるひとときをこそ最優先、大事にしたいのである。

このようなことを打つと年よりじみている、と思われるかもしれないが、老いゆく身にならないと、個人差があるとはいえ、わたしの場合はそうなのである。心から会いたい人がいることこそが贅沢な宝なのである。

話はこつぜんと変わるが、昨日は長女の息子5才tになったばかりの孫と一緒にお風呂に入った。あっという間に孫は成長している。その事に感じ入るちょっとした出来事があった。わたしが肩の凝りで方にサロンパスを貼っていたら、これは何と訊かれたので、説明した後はがしてくれと頼むと、面白がって剥がしてくれた。感心したのは風呂から上がるときに、きちんとぎみ箱にいれないといけないと言ったことである。

爺バカを承知で打たせてもらうが、わたしとの距離感というか接し方も、ずいぶん変化し、ちょっと寂しく感じられるほどに、数ヵ月会っていない間に望晃くんは成長していた。その事をきちんと五十鈴川だよりに打っておかねばならない。

わたしが元気に生きている間は、折々偶さかにしか会えないが孫とのつかの間時間の、極めて個人的な平凡な出来事を記しておきたいと思うのである。だってすぐ忘れるのだから。忘れないうちに時間をピンで止めるのである。

それともうひとつ。娘がわたしと共に歯磨きなさいと言ったら、面白がって二人で歯磨きをしたのだが、何事も面白がってやるところにわたしはフムフムと感心したのである。素直に何でも好奇心が旺盛に育っている。その事にわたしは安堵するのである。

素直さと好奇心が何よりも大切である。この年齢になるとだんだん好奇心が衰えてくる。お爺は孫から刺激を受ける。時に疲れるが、それは楽しい疲れである。孫にたいしてわたしがやれることは限られているが、読み聞かせと、文字の書き方だけはいくらでも教えたいと思う。



2023-03-22

今日から4拍5日上京する春の朝の五十鈴川だより。

 一昨日500枚近くのポスター配布を終え、昨日20かぶりに完全オフ、終日家で過ごした。

今日から週末まで、どうしても行きたいところがあり、急遽上京することにした。お正月以来孫たちの顔も見ていないし、色々とやりたいこと、そして会いたい人たちがいる東京には、元気なうちは、年に数回上京したくなるのである。東京がわたしを呼ぶのである。

ところで昨日はWBCの準決勝画面に釘付けになった、わたしもそのなかの一人である。こんな大きな大会のスポーツ観戦、ただ単純に戦争するよりもはるかに正々堂々清々しくスポーツを通して国同士が戦う方がいいのは言うまでもない。

朝陽を浴びるナデシコ




WBCを見ていたら、途中で岸田総理が電撃的にウクライナを訪問というニュース速報が流れた。瞬間歓喜が渦巻いているテレビ中継から、わたしの頭は今世界の裏側で起こっている出来事、あるいは報道されない出来事に、わたしの意識は揺り戻されたこと、しっかりと五十鈴川だよりに打っておきたい。

とは言うものの、わたしは太谷選手や、佐々木朗希投手、他のファンである。何よりもこのチームのファンなのである。だから今日は決勝戦の結果を見届けてから行くことにしている。

野球や好きな相撲を見ていると、つくづく人間性みたいなもの、心理面での揺れ動く葛藤の表情が如実に現れる。まさに修羅場に敢然と立ち向かい、アスリートとしての誇りをもって、心身を整え、ファンに夢を与えられる存在がまさにスターなのである。

投げて、打って、走って。自分の夢二刀流を実証し続けている太谷選手には脱帽する。昨年からウクライナで今も続く戦争、コロナパンデミック、どれ程大谷選手の活躍、態度、振るまい、笑顔に国境を超えて、世界中のファンが癒されたかはかり知れない。

なんとも先行きの不安がぬぐえない、暗雲が日本を覆っているかのような状況のなかでの、あの笑顔に多くの方が癒されている。わたしもその一人である。東北が生んだもう一人の怪物佐々木朗希投手、津波大震災でお父さんをなくされている。当時小学校3年生、言葉がない。きっとだからあのような投手に成長されたのは間違いない。

すべてのファンに夢を与えられる選手が選ばれている侍ジャパンの全選手は、きっと数知れずの修羅場を乗り越えて、あのフィールドにたっている。視聴者の一人として画面を眺めながら見えない無数のドラマを想像することの楽しみは尽きない。勇気をいただく。

若い頃よりも年齢を重ねて、一段とあらゆることが深く味わえるようになってきた、臆面もなく打っておこう。そして若い世代が歴史をあらゆる分野で塗り替えて行くということの素晴らしさを、大谷選手をはじめとする選手たちから今回のWBCで教えられている。


2023-03-19

小さなポスター配布の旅。武蔵の里にT氏を訪ね、そして想う。

 昨日は朝雨だったので、ゆっくりと五十鈴川だよりをうち、雨が上がったので、ポスター配布の小さな旅に出掛けた。行く先は美作は大原町にすむT氏。氏に電話をいれると2時間はかかるという。だがこのようなことがないとなかなかに大原町までは出掛けて行くチャンスがない。

いつもわたしの場合思い付いたら吉日、なので、思い付いたことを有り難がることにして、春到来の山野を眺めながらのドライブ旅をしようと決めたのである。T氏との出会いは20数年前のとあるパーティである。以来君子の交わりが淡く続いている。61才、もうこれが最後の企画だと思ってやった、西大寺の観音院での土取利行さんの音楽会に家族で来てくださったことが、記憶に強く残っている。

氏からの手紙でいただい

あれから10年再びわたしが企画をすることになったので、この機会にお顔が見たくなったのである。人間の縁とは不思議なものである。そんなにあった回数は多くはなくてもその存在感が、わたしを宮本武蔵の里に住むT氏に会いにゆかせるのだから。

人気の少ない曲がりくねった道を運転し続け、途中高速も少し利用氏ながら12時半に武蔵の生まれた大原町の武道館に着くと、すぐにT氏がやって来て、10年ぶりに再会が叶った。少し肌寒かったが、つかの間T氏は竹山城跡や、武蔵神社の武蔵のお墓始め、武蔵にゆかりのある建物や場所を、短い時間ではあったが、熱く説明してくださった。

T氏は中学時代から、武道に励み、今も宮本武蔵の二天一流を修練されている武芸の道一筋の好漢で、私とは対照的なお人柄なのだが、なぜか不思議と縁が切れずに続いているご仁なのである。(お会いした瞬間の立ち姿に今を生きている氏の清々しさがじかに伝わってきた)

短時間ではあったT氏の実直な人柄に再び触れることができ、やはり思い付いて大原のさとまで運転してきてよかったと、わたしは思った。利害関係等が全くなく、還暦以降もふと思い付いて会いたくなる人がいる人生が数は多くなくてもわたしにはいる。その事のありがたさが、今回の企画ほど染みることはない。

だからなのだ、効果はうすくとも今回のポスターを、大切な方たちにはできるだけ、今自分が熱く取り組んでいる記念に直接届けたいのである。

出会いとは、まさに宝であると改めて想い知らされる。何と氏は周辺地域に配布してほしいとのわたしが無理を頼んだポスター50枚を、分かりましたと静かに別れ際受け取ってくださったのである。T氏の今時珍しい暖かさ懐の深さにわたしは打たれた。

お別れし、その足で津山を回って大好きな相撲をラジオで聴きながら帰路についたのだが、わたしの心はポカポカ、平凡で穏やかな関係性、幸福とは細部にある、その言葉を噛み締めた春の配布旅となった。


(PS 氏は宮本武蔵に関する五輪書をはじめとする資料を数冊くださった。しっかり読みます。ありがとうございました)

2023-03-18

4月23日の企画のためのポスター配布の目処がたちそうな雨の朝に想う。

 春の雨である。継続することの、継続できる体力があるということのありがたさが染みる最近の朝である。3月にチラシ、そしてポスターができてからの、今日までは雨が降らなかったので、ほぼ毎日配布にあちらこちら動いていたが、今日は今月はじめてのオフタイムである。

あれだけあったポスターが、徐々に減ってきて、チラシに至ってはもうほとんどなくなりつつある。本番一月前までには、ポスターの配布を終える予定でいたのだが、この調子では目処がたちそうである。

雨に濡れるクリスマスローズ


多分ポスターを配布したりすることは今回の企画が最後になるかもしれない。そのような想いがあるがために、これが最後だと思うとあちらこちらへと運転して人に会いながらの配布を、老いたあまのじゃくはやりたくなるのである。

当初は都市部中心の配布で終えるつもりでいたのだが、運転できるうちに、昔配布しに出掛けた山間部エリアの町にも配布に動いている。効果はともかく、せっかく刷ったポスターを一枚でも無駄にはしたくないので、今日を含めあと5日は配布に動くつもりである。

何事も、始めたら終わるのは過去に何度も経験している。残すところ150枚位なので(なんと600枚も刷った)マラソンでいえば35キロ地点を通過というところ。いずれにせよ、ここからが粘りの勝負で自分自身との戦いなのである。

配布を終えたら、また綴り打ちたいのだが、すでに400枚近くの配布をこの短期間でやれているのは、ポスターを掲示してくださる、多種類のお店のヒトのお陰である。笑顔で承諾し、頑張ってくださいなんてお声かけしてくださる方もおられる。なかにはけんもほろろに断られ足りもしながら。それがこの世の修行配布なのである。

企画を始めた頃と、世の中の表層、人心の移り変わりは目をおおうばかりだが、そのような最中必死で生きている人間の姿を体感できるのもまたポスター配布のお陰なのである。掃き溜めに鶴という表現ではないが市井の片隅で、どっこいいぶし銀のようなヒトに、わたしは励まされ動き回っているのである。

人間という生き物の、光と影が交錯するつかの間のポスター配布の小さな旅、といえばカッコつけすぎではあるが。ともあれ、もうすぐポスターは終わる。やるだけのことはやって当日を迎えたい。

たまたまラジオで聴いた吉田妙子(名前の字はわからない)さんの言葉。【失ったものを数えるな、今あるものを最大限に活かせ】今わたしにできることは動くことである。

2023-03-15

大江健三郎さんがお亡くなりになった。慎んで冥福をい祈る。そして想う。

3月も はや半月の時が流れた。雨の日がなかったので、ほぼ毎日ポスター配布に動いている。午前中は肉体労働バイトなので、平均すれば午後3時間くらいを配布に当てている。何せ10年以上ポスター配布をやっていなかったし、このデジタルSNS時代に何をやっているのだろうと、時おりおもわぬでもないが、いいのである。私にしか関知し得ない、喜びがあるからこそ、やれるのである。(お陰で毎日熟睡している)

あと10日も配布すればほぼ500枚の(すでに200枚はあちらこちらにへの配布を終えた)ポスター配布は終わる。私は心と体に相談しながら何処かに余裕をもって、まるで行脚気分で春の陽気のなかの配布を楽しんでやっている。

花一輪・愛でて始まる・春の朝

動けるということのありがたさを思い、思わぬヒトとで会う度にポスター配布をしなかったら会えなかったのだと、オーバーではなく想う。そして多嘉良カナさんと出逢えたことで、このような企画が打てることの喜びが、体に沸き起こり、心置きなく当日を迎えるために私がやれることに日々、エネルギーを注ぐ、ただそれだけである。

還暦を過ぎてからの私は、体と心が気持ちいいことだけをやろうと決め(できるだけ)生きてきて古稀を迎えたのだが、その想いはますます強くなっている。特にコロナパンデミックが続き、ウクライナでの戦争の終結の予測がまったくといっていいほどにたたない現在、私の心も揺れ動き移ろうなか、企画をすることで心身の安定を保っているかのような生活なのである。

当たり前のことが、ある日突然当たり前ではなくなる。その事は歴史が証明している。様々な問題や生活の困難を抱えながらも、企画ができるのは、曲がりなりにも平和で、当日足を運んでくださる人たちがいるからである。

この年齢になると、平和に生きている、いきられている、その事のありがたさが沁みるのである。だからなのだと想う、多嘉良カナさんを企画したくなるのは。わたしの企画はほとんど直感である。一人でも多くの方に能楽堂ホールに来ていただき、カナさんのパホーマンスを体感してほしいのである。

わたしも体感したい、からこそポスターやチラシ配布がしたくなるのである。自分の企画に対する想い、偏愛は企画を始めた当初と全く今のところ変わらない。いやそれどころか年齢を重ねるにつけ、もっと打てば、死者の側に自分の体が近づくにつれ深まっている。

若い頃読んで、その難解で屈折した文体でちんぷんかんだった大江健三郎さんがおなくなりになった。ヒロシマノート、核時代の想像力、厳粛な綱渡り、若き日に読んで影響を受けた、素晴らしいお仕事をなさった偉大な作家が。(カナさんを終えたら、しっかり読み直したい。珠玉の遺言作品を)

同時代に生きることができ、影響を受けた多くの方の訃報が続々届く。今をいきる凡ぷのわたしに何が企画できるのか、大地の片隅から、これまで学んだことをいかし、学び直し、足を使ってポスター配布しながら考え続けたい。

2023-03-10

昨日玉島で、朋と旧交再会、お茶タイムが持てた喜びに想う。

 3月10日、今日は母の命日、東京大空襲の日、そして明日は東北津波原発事故大震災の日である。 

そして今私は、3月にはいってほぼ毎日、4月23日の多嘉良カナさんのイベントのポスター、チラシの配布に動き回っている。午前中は働き、午後2時くらいから5時過ぎまでアクター。動く人と化している。

母に命日、我が家のチンチョウゲ

71才の世間では高齢者と言われている私が、啓蟄を過ぎ、自分で言うのもなんだが、かくも元気に動き回れれていることの原動力、またはチラシ配布せずにはいられないのはなぜなのかを、五十鈴川だよりに綴るのは、やがてチラシ配布が叶わぬ体になってから綴りたく思う。

いまはただ配布した先のチラシが、一人でも多くの方の目に触れ、琴線に触れ、当日能楽堂ホールが200人の観客で一杯になることを願うだけである。

一日数時間、あちらこちらに配布しているので、正直体は年相応にくたびれるのだが、一晩寝ると体は蘇り、さあ今日も蟻のように配布するぞ、っという気になるのだから、ありがたいわが体である。

昨日はちょっと遠方の玉島まで、ポスターとチラシを預かってくださるというYさんと、もう一人同じ玉島在住I氏に会うべく午後2時半玉島のカフェで落ち合った。Yさんと直にお目にかかるのは、岡山の禁酒会館以来だから何年ぶりか。I氏とはほぼ一年ぶり。

旧交再会、長くなるのではしょるが私の企画を陰ながら応援したり支えてくださるかたが、おられるからこそ企画は実現する。だからその事に対する最低のわたしのできる行動は、できるだけお会いして、わずかでも言葉を交わし、感謝を伝えることである。

現在、今をいかに生きているのかというわたしの情熱の有り様を元気にお伝えできる間は、私自身の体を使って赴きたい、のである。

結果、五十鈴川だよりにお二人に会えて本当によかった、という個人的な感謝の思いをきちんと五十鈴川だよりにきちんと打っておきたいのだ。照れて面と向かっては言えないことも、五十鈴川だよりなら、変幻自在に打てる。

おしゃべりな私、いささか分裂的ではあれ、寡黙にしているのも大好きである。ともあれ、友遠方より来るというが、朋に会いに(愛に)ゆく、行ける喜びというものが、この年齢になると沁みるのである。私にとっての嬉しくも楽しいひとときは瞬く間にすぎ、ゆっくりとしたご挨拶もせぬままカフェをあとにした。(意外、私は照れ性である)

この場を借りてYさんお気持ちカンパありがとうございました。Iさんポスター買ってくれてありがとうございました。久しぶり高梁川をわたり、ちょっとミニドライブ、大事なヒトたちに逢え、郵送しなくて本当によかった。

企画すると、旧交再会時間が生まれる、シェイクスピアはこの世は舞台、ヒトは役者だといっている。宇宙の塵と化すまでのつかの間の、ましてこれからの時間、出逢えた方たちとの、たまゆらの語らいは、私にとっては宝石のようなひとときなのである。

2023-03-05

春の陽気のなか、自転車でのチラシ配布人に変身する、そして想う。

 チラシ配布の合間に、私の企画を支援してくださっている方々ほぼ80名に、チラシを郵送する作業をほぼ終え、先ほど郵便局で投函し、一息ついての五十鈴川だよりタイムである。

何やら一気に春が訪れたかのような陽気である。自転車でチラシ配布をやり始めた私としては、なんともありがたい。ところでチラシ配布に使っている自転車は、まだ東京に住んでいた頃に買った35年前の自転車で、岡山に移住してからはほとんどといっていいくらい、乗っていなかった一品。修理に出したら十分に乗れるということで、直してもらって乗り始めらのである。

チラシの裏です

何せいくら私でも、何十年も本格的に自転車に乗っていなかったし、いささかの不安がなかったと言えば嘘になるが、二日ほど往復15キロ位のバイト先までのって試運転したところ、十分に乗れ、さほど疲れなかったので、徒歩と自転車の併用チラシ配布でゆくことにしたのである。

車に自転車を積み込み、岡山市内まで。コインパーキングに車を入れ、自転車を下ろしヘルメットをかぶり、あちらこちらのお店やギャラリー、大口の公的美術館、図書館、映画館(シネマクレールの浜田さんは知り合い、関係ないのにおいてくださる)などからスタート。

この4日間で飛び込んだ主な記憶に残っている業種では、趣のある入ってみたくなるカフェはほとんど置いてくれたし、沖縄料理の店、美容院、ケーキやさん等、一日20件として60位のお店にはおいてもらえた。

犬も歩けばは、真実であるとおもう。多種多様な反応があって私を面白がらせる。一旦動き出したら、気分任せ足任せである。お店のひとがあそこのお店に行ってごらんと紹介してくださる。71才にして、サイクルニストチラシ配布人に変身する。

いい意味だと思いたいが、不思議と大胆になれる自分なのである、市内での未知との遭遇を楽しんでいる。チラシ配布がなかったら、絶対に会えない方々との、ゆきずりの邂逅。古い友人が五十鈴川だよりを読んで、私のことを旅人だと言ってくれたのだが悪い気はしない。気分は巡礼気分、生きてゆくのはまさに過酷な旅なのだから、自転車で市内を巡礼するのである。

自転車配布の日は、疲れるからぐっすりと眠れる。五十鈴川だよりを打てない日が続くとおもうけれど、体調管理に細心の注意をはらい余裕をもって自転車に乗りたい。更新されないときは、他のことをやっているのだと思ってください。3月は仕事、チラシ配布と、シェイクスピア音読、夜間中学でのレッスンにエネルギーを注ぎます。なにかと忙しいけれど楽しみを見つけるのだ。


2023-03-04

4月23日の企画のチラシができ、配布を3日間の終え、土曜日の朝に想う。

 3月4日の朝である。ポスターはまだだが、チラシがNさんのご尽力で3月1日午後4時にできた。3000枚のチラシはずしりと重い、その足でまずは能楽堂ホールがあるRSKに向かい、ホヤホヤのチラシを届け、その近所に住んでいて、私の企画を物心両面で変わることなく支援してくれている、ジャラン(いつもありがとう、いつかあなたのことを五十鈴川だよりに書きます)に届け、他にも午後5時半まで何ヵ所かに届けることができた。

そして昨日、一昨日と、仕事を終えて家でゆっくりと昼食を済ませ、チラシ配布に動いた。本格的な歩き行脚のチラシ配布は10年以上やっていない。岡山の中心部に点在する、文化施設やギャラリーカフェ等にチラシを置いてくれるように頼むのだが、中世夢が原時代にやった経験が、ずいぶん長いことやっていないにも関わらず、想像以上にはかどり、わずか3日間で、800枚近く配布を終えることができた。

裏面は明日アップします

だから今日と明日はまずは、私の企画を支えてくださっている方々に、チラシを郵送する(80名くらいのかたに)作業を午前中に先ずは済ませて、日々その日の体調と相談しながら、合間合間にチラシ配布に動くつもりである。

Nさんがボランティアで素敵なチラシを創ってくださり、私の企画なので、何はともあれ自分でチラシ配布に動きたくなるのだ。動きがとろくなったとはいえ、その配布したいというこけの一念的な思いは、企画を始めた31年前とまったく変わらない。

仕事で企画しているのではないのだから、自分が心からやりたい企画であるのでチラシ配布も今のところ苦もなくやれている。が、やがてはきっとできなくなる。その事を今回は噛み締めながら配布している。やがてはできなくなるであろうチラシ配布、だが今はできる、その事の重み、老いゆくなかでの楽しめるのか、楽しめないのか。楽しめている実感がある。だから思いの外はかどっているのだと思う。

あくまで願望だが、3月中にポスターチラシの配布をおえ、4月に入ったらメディアへのPR他にシフトしてゆくつもりである。定員200名、プレイガイド岡山ぎんざや50枚のチケットを預け(た)あとは行商するかのようにチケットを売りにいきたい。

これからほぼ一月、3月中どのようにチラシ配布が進むのかまったく予測できないが、はっきりわかっていることは、肩の力がまったくといっていいほど抜けていることである。結果はともあれ、私の企画を支えてくださる方々がいる間は、悔いなく企画者の魂心根を動かしたい、との思いなのである。

動いて歩いていると、世のうつろい、人間のうつろいが透けて見える。これはリモート感覚では得られない。おもわぬ市井の片隅で素敵に存在している人と出会える。この喜びは配布したものだけが味わえる喜びである。オーバーではなく一期一会の配布なのである。

この底知れぬ不安感が底はかとなく漂う世相のなか、必死で生活している人びとと、チラシ配布という行為で偶さか声を交わし合う。かげろうのような言葉のやり取り。チラシがなかったらうまれない。(のだ)この積み重ねなくして、能楽堂ホールは埋まらないのである。私の企画に足を運んでくださる方々に出会うには、私の基本的な方法は、たったひとつ、先ずは歩いてチラシ配布、ことから始まるのである。それはどこか見えない山に上ってゆくような感覚なのである。