ページ

2022-10-09

岡山に帰る日の朝、ホテルにて五十鈴川だよりを打つ。

 充実した那覇滞在3日間が瞬く間にすぎ、岡山に帰る日の朝を迎えた。一昨日の夜は桑江さんご夫妻のよき理解者の方たちとのひとときの宴に招かれ、骨のある方たちとの楽しく、また未知の方たちとの語らいで、言葉にならない多くの刺激をいただいた。

そして昨日の夜は、桑江純子さんが私のために、純子さんイチ押しの芸能者、琉球舞踏家であられる、多嘉良カナさんの踊りと歌と演奏を生で眼と鼻の先で直接聴く機会を設けてくださった。演奏後思いもかけぬ語り合える会席の飲食時間をもうけていただき、わずかではあるが、私も久方ぶりに連日アルコールを体に入れ、饒舌に拍車がかかった。カナさんの人生、芸に対する念いの深さ、自信に圧倒された。

佐藤優氏の旅のお供に欠かせない

この連夜の、濃厚濃密な時間のあれやこれやを、しっかりと書き連ねるのは不可能である。が、日録的にわずかであれ五十鈴川だよりに打っておきたい。特に昨夜の多嘉良カナさんの踊りと、三線を手に全身で歌われた一夜の贅沢というしかない時間は、企画者の端くれにとって、深く脳裏に刻まれたことを、打たずに入られない。

今日はなんの予定もなく、チェックアウトまでの時間があるので、ゆっくりと我が家ではなく、那覇のホテルで朝の日差しを浴びながら五十鈴川だよりを打っている。まもなくコロナ渦中生活は3年になる。いよいよ人の移動も本格的になってきた。ウイズコロナの時代へとシフトしてゆく。そのような最中での今回の桑江良健さんの個展に合わせての那覇への旅は、今年古希を迎えた私にとっての、ささやかではあるにもせよ、大きな言葉にならない意味を与えてくれたように、思える。

今年の2月24日、ウクライナでの大規模な思いもよらぬ侵略戦争の勃発は私の企画者としての老いた血をたぎらせ、10年ぶりに多くの知人友人家族のお陰で企画ができた。そして戦争は未だ止まず、世界各地でのおぞましい戦争は続いている。いったい何故なのか。でくの坊のなりに、蟻のように考える。このまま時代の推移に傍観者的に何も企画しないのは、忸怩たる思いが押さえられない。思想信条もまったくない初老凡ぷの私だが、人と人が殺戮しあう狂気の戦争はどのような大義があれ、ノーの声をあげ続けねば、とおもう。

今もどこかで無念の思いを抱えている、むこの言葉を持たないあまたの民衆、分けても子供たちのことを想像する。やりきれない。ハムレットは、このままでいいのかいけないのかと問いつづけ、あとは沈黙といい死ぬ。桑江さん御夫妻をはじめとする沖縄のかた達の、無念極まる不条理、理不尽さの永遠に癒されない痛みの一端に、四半世紀のお付き合いだが、初めて耳にした。その事は桑江御夫妻の友人として、企画者として私に何ができるのかを、日本人の一人として考えさせずにはおかない。

私の現在のか細い知力、体力、能力で何が企画できるのかと、その重さが私にのしかかる。のしかかるのだが、そのことに躊躇っている時間はないというのが、正直な今の私の思いである。身のほど知らずであれ、これまでも全身で体当たりしながら企画をなし得たのだから、要は冷静に、高齢者の心意気企画を打ちたいとの思いが、今深まる。

0 件のコメント:

コメントを投稿