数日前、桑江良健さんからお葉書をいただいた。桑江さんの絵に魅いる子供の写真のポストカードに、今後は風のように存在するとの言葉が記してあった。いたく同感する。やはり一仕事をなし得たものにしかわからない、本人にしか関知し得ない心境のようなものがあるのだと想う。芸術家は絶対的な孤独を生きている。私などの凡ぷには、計り知れないほどの画業時間を生きて、試行錯誤の果てに、氏にしかなし得ない作品群を創造してきた、氏の内的発露の思いの深さを前にして、ただ脱帽してしまう。
ヒトは心が動く生き物である |
このような希な人とお近づきになれ、冗談が言い合え、その上お葉書をいただけるなんて、古希男は、ただ嬉しいのである。この喜びは四半世紀のご交誼の時間があればこその、喜びでもある。生まれ落ちた、言わば宿命のようなものから、人は逃れられない。いやでも自分という得たいの知れない、傷つき壊れやすい生命という器を抱え運びながら、人はあらゆるすべを身に付けながら、みすぎよすぎこの世、天国と地獄をいきる。
私が出会った、数少ない芸術家とでも呼ぶしかない一人の画家が、桑江良健さんなのである。絵のことは門外漢の私だが、出会って間もない頃に、氏の絵を一枚求めている。今となってはよくぞ求めたものである。本能で。
企画者と画家との風変わりな交流が、何故にこのような関係性が持続継続しているのか、自分でもよくはわからない。私のような企画者の端くれを、良健さんが面白がってくれていて、ほとんどなんの利害もないのだが、時おり忘れないでこのようにお便りをくださるからではないのかと、手前勝手に思っている。
良健さんは饒舌ではない、どちらかと言えば寡黙である。がしかし、心を許した相手には饒舌になる。私より4才年上の良健さんの話し相手になれるなんとことは誉れである。愚弟としては、一見静かで穏やかに振る舞っている氏の奥底に眠る、決して癒されることがないマグマが画業となり、桑江良健さんの絵となって無意識のうちに産み出される。
年上だが、四半世紀の交誼をふまえ友人と呼ばせていただく。この年まで生きて、初めての画家の友人である。この惑星には80億近い人間が存在しているが、ヒトが生涯に出会い、折々の人生の季節、交流できるのは150人程度と言われている。その中で、四半世紀以上の交誼が持続するのは、家族以外では極めて希な出来事である。ましてやこの70年間の時代の移ろいは、形容し難いほどの目まぐるしい渦中の最中にである。
人の心は、時に残酷なほどに移ろう。それもまた致し方ないとの側に私は立つ。だがしかし、ギリギリのところで、時代の行く末を見つめながら、限りない風圧と戦い根を張りながら生きている、そして作品を産み出し続けている画家の存在は、私に勇気を与える。桑江さんとの邂逅は宿命になりつつある。
(PS 私は古希を記念して桑江さんに絵を一枚発注した。ゆっくりと絵が完成するのを待ちたいと想う)
0 件のコメント:
コメントを投稿