昨年手術し23日間入院し、退院したのが3月23日、あれからまもなく1年4ヶ月である。退院してから3ヶ月に一度、私を手術してくれたM先生の定期検診を受けている。今日はその定期検診の日である。だから午前中の肉体労働仕事はお休みなのである。
お陰で穏やかに五十鈴川だよりを打てる。なにげない普通の日々の有り難さを、こんなにも感謝して以後生きられるようになったのは、明らかに人生で始めての、私にとっての大きな手術を体験し、まさに強運でというしかないのだが、生還できたからである。
素晴らしい師弟関係に打たれた |
M先生の判断力、見事な手術のお陰で、今を生きられていることの有り難さを思わずにはいられないのである。退院後の私は以前にもまして、シンプルこの上ない生活を送っている。余計な欲というか、煩悩のようなものから解放され、相変わらずの目をおおいたくなるような日々の報道の最中、足るを知る生活を、極めて健康的に送っている。
話はちょっと飛躍するが、もしも手術入院体験がなかったら、10年ぶりの企画はできなかったというか、やるのだという覚悟は生まれなかったという気がする。万事塞翁が馬とでもいうしかないほどに、自分の人生をあたかも物語りかして綴りたくなるのは、性とでも言うしかない。日々揺れ動きながら、老いつつある一回生の今を思考確認するのが、五十鈴川だよりを打つという事なのだ。
執刀してくれたM先生に3ヶ月に一度会えるのが、ちょっと嬉しい私である。医者嫌いの私であったのだが、M先生の言われることには素直に従う自分がいる。一番驚くのは50年以上飲んでいたお酒をピシャッと絶った事である。自分というかけがえのない器を労るようになった、依存しなくなったのである。
これは養老孟司先生もおっしゃっておられたが、自分の命は自分だけのものではないからである。先生も大好きだったタバコをやめられた。家族を含め悲しむ人がいるのであれば、とくにその方たちのためにも、自分の命を大切にして日々を送らねばいけないと、とくに古希を迎えてからは想う私なのである。
だから慎ましく生活し、M先生の定期検診を受けながらいよいよこれからの人生時間を大切に、なにか私らしい企画がわいてくるような体をキープしたいのである。言うはやすしだが、そのためには日々どういう生活を実践し心がけ持続するのかは、五十鈴川だよりをうちながら、自問自答するしかない。
答えは自分の内側からわいてくる第一次情報に耳を澄ませ、謙虚に学び、仲間と相談し、何より楽しく企画するしか、私には他に方法がないのである。水は流れる方にしか流れない。自分という謎のような存在が活性化するために一番気持ちがいい生活を心がけながら、無理は決してせず緩やかに企画したい。
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