光を浴びる新玉ねぎ |
古希を迎えてもいまだに元気に働く意欲があり、フルタイムではなくても、動ける肉体労働者であることの嬉しさは、やはりこの年齢になってみないとわからないのではないかという気がする。昨年個人的に人生で初めての手術入院以後の私は、やはりどこか命をながらえることができた、一度あの世の手前までゆきそうになって、引き返してきた、引き返すことができたことで、その後お酒も飲まなくなったし、一言で言えば、まるでこれまでとは全く違う生き方に自然にシフトしてしてきている、とまあそのようなことを想う。
この年齢になって想うことは、自分はやはりあの両親のもとに生まれたから、このような人生をいま送っているのだ、という思いである。それは何度も打っているし、長きにわたってもし五十鈴川だよりを読んでおられるかたがいたら、理解していただけると想う。それは一言で言えば、慎ましく足るを知る生活を心がけ、他者に迷惑をかけず、しかし誇りをもって生きるということに尽きるるような気がする。
晩年生活五十鈴川だよりで打ちながら、つましく穏やかな暮らしが持続できているいまに、ただ感謝、ありがたというほか言葉がない、心身が健康であるからこその賜物である。静かに老夫婦時間を生きたあの両親のように、私もこれからの時間を送ることができれば、もう他にこともなしといった趣、風情である。だがその思いは、後ろ向きではなく前向きだからこそ、こうやって五十鈴川だよりを打ちたくなるのである。
父には囲碁を楽しむ仲間と時間があった。私には音読や企画をするという楽しみがある。俗に生き甲斐などと言うが、自分で自分を活性化、老いの深呼吸での深まりを、自在企画を確認するのである。
ところで私のバイト先には、ささやかに菜園場がある。このところ企画時間に忙殺され菜園場時間が極端に少なくなっていたのだが、先日わずかではあるが玉ねぎを収穫することができた。ただ植えただけなのに、それなりに十分に食べることができる実りをもたらしてくれた。土と向かい合い、ただ体を動かしささやかに収穫しいただく。スーパーで買うのとは決定的に異なる喜びである。我が両親も今はない生家で菜園生活晩年時間を過ごしながら、静かに暮らしていた。だんだんと私もそのようになってきた、のだ。
チャリティ演奏会を終え、再び私は土と向かい合う時間を取り戻している。トマトを植え、茄子3種類、トマト、オクラ、シシトウ等が根付いている。頭でっかちの企画者ではなく、というより、地に足がついた庶民企画者(これは仕事ではない)でありたく、体全部での企画を私は夢見る。そのためには体を動かし、体に聞くしか私には他に方法がないのである。